大体は嘘になる 01
例えば新規書下ろしと綴られた帯の漫画が売ってたとして。でもそれは実は市場に出るのは新規だけれども、実は昔の書下ろしだったり。つまり大体のことは嘘になるし、逆を言えば嘘にすることもできる。
「大抵は会話の流れの中で、自分が思っていた話と違ったけど話を合わせちゃうというアレね」
「そう、アレよ、アレ」
「既にその会話がアレなんですけど」
どうやら白河は朱華を迎えに来たようだ。というか二人とも家の方向は違ったはずだけれども。朱華を送っていったあとは白河は一人で帰るのだろうか。
「ラグビーをするのは分かったのだけど、私はルール分からないわ」
「ラグビーをしてもいいのか」
「ごめんね、みどりん。私もパスは後ろの選手に投げるということしか知らないわ」
なんだろうか、その微妙な知識は。
「へぇ、前に進んでるのに、後ろに投げるって不思議なスポーツだね。あれ、前に投げてなかったっけ」
「白河、それはたぶんアメフトだ」
「そうなの、でもアメフトってフットボールだよね。投げるってハンドじゃないの」
「私もよく知らないけど。でもそれを言うなら、サッカーだってキーパーはいるじゃない」
なんだか揚げ足取り合戦になっている。
「それに野球だってドーム球場でやったら野球じゃないんじゃないの」
「賛否両論あると思うけど、まぁ名が体を成してない言葉はいっぱいあるだろ」
それこそ昔は計画されて考えて付けられた名前だったかもしれないけど、時代とともに失われたケースだってあるだろうし。これはフォローというよりも、どちらかというと諦めに近い感情だけれども。
「そうね、今更変えるわけにはいかないでしょうし」
嘆息をつきながら朱華はそっぽを向いた。目線の先には真っ暗になった窓ガラスが映っている。閉店時間はもう少し先だけども、周囲はもう暗くなっているようだ。
「ま、ラグビーの話はさておき、とりあえずしばらくは国枝と話してみるよ」
「えっと何の話か分からないけど、つまりは清水君は枝ちーを狙っているという話かな」
「概ね正解よ」
「逆だろ、概ね間違っている」
「意見の相違ね。というか、認識の相違ね。狙っているという意味を取り違えてるわ」
朱華の言いたいことは分かるのだけど、とはいえ黙って肯定すると白河に要らぬ誤解を与えそうなので否定しておきたい気持ちは分かる。
「もう面倒だから、どちらが取り違えているかは確認しない。ま、友達になりましょうというレベルでの話だ」
「そうかしら、肉体言語で誑かすという話だった気が」
「肉体言語ってすごく気になるけど、エキサイト翻訳できるのかな」
「白河……そういうボケはいらない」
「ま、具体的に説明するとセクシャルなボディーランゲージかな。エキサイトしないけど、翻訳はできるんじゃない」
朱華もマジレスしなくていい。
「ふぅん、状況はなんとなく分かったけど。朱華ちゃん的にはどうなの」
「ドリームジャンボに賭けた方が当たるかも」
「そもそもどうしたら当たりなのか教えてほしい」
「あら、それは分かってるんじゃないの」
確かに朱華の言う通り。これは僕の聞き方が悪かった。
「ふーん、私はどちらかというと勝者なしと思うけどな」
「みどりんの予想って割と当たるのよね」
「そもそも勝者なしってどういう意味だ」
そこで白河は迷ったように首を傾げる。どうにも喋ってしまってもよいかどうかという顔だ。
「うーん、こういうところだから喋っちゃうけど。というか前提として私は朱華ちゃんと清水君の話を聞いていないのは理解してね。仮に枝ちーと清水君が付き合ったり、まー善処して友達になったとしたら二人とも死んじゃうと思うんだよね。たぶん。だからこの場合の勝者って―――そもそも勝ち負けで話していいか分からなくなるけど、ノーゲームになるような気がするんだよね」
「みどりん………恐ろしい子ね」
「そうかな。でも、リアルに恐ろしい人に襲われる前に帰ろっか」
「でもノーゲームじゃないね。試合自体は始まっているから、正確にはノーコンテストかも」
ノーコンテスト。この場合は勝者なしというよりも試合続行不可という意味合いが強い。そもそも試合として成立するのかということが甚だ疑問ではある。
「ではまた」
そう言い残すと朱華と白河は帰っていった。できれば駅まで送っていくくらいの気遣いを見せたほうがよかったかもしれないが、店もあるので考えるだけ無駄だと思い直すことにする。
「国枝がまずは土俵に乗るかどうかだな」
一人閉店作業の中で呟いてみるが、もちろん名案があるわけじゃない。そもそも学校に行ったとして声をかける勇気もないし、理由もない。そもそも学校に来るかどうかも不明なわけだ。
誰かが助けてくれるわけでもないし、そもそも現在困っているわけでもない。つまりは証明できないわけで悪い言い方をするのなら、感覚で喋っているだけに過ぎない。
「それならいっそのこと没収試合の方が楽だったのに」
でも没収試合というのは、結局のところ没収できるだけの権限を持った誰かがいるわけで、今回に限っては責任者不在のデスマッチのようだ。まさしく死んでしまうわけだし。
「というわけで、交換した鍵はこれになります」
「言ってる意味が分からないんだが」
昼休みの居場所を失った僕が辿り着いたのは前回同様の校舎の裏口を出た花壇の傍だった。薄らと国枝が来てくれることを予想していたのだけれども、現れたのは手持ちの食料をほとんど食べ終わった後だった。
「え、屋上の鍵。来ないなーと思ってたけど、新しい鍵を持っていないから当たり前だよね」
「当たり前に新しい鍵を持っている国枝がおかしいと思うんだけど」
そもそも新しい鍵になっていたことも知らなかったし、あの日以来屋上に行くのは何となくだけど気が引けていたのが正直なところだ。
「で、俺に鍵を渡す理由は」
「いや、単に複製しすぎたから配っているだけ。といっても清水君くらいしか渡す人いないけどね」
「駅前のティッシュの感覚で渡されても困るんだが。そもそもコピー元をどうやって手に入れたんだ」
「鍵は職員室にあるから。そんなことも分からないの」
「分かってて聞き返してるだろ。どうやって手に入れるんだ」
「簡単だよ。私って文学部の幽霊部員だから部室の鍵を借りるときに屋上の鍵を間違って借りただけだよ」
そもそも学校に文学部が存在していたことに驚きだ。どんな活動をしているのだろうか。
「鍵が変わったことはどうして知ったんだ」
「清水君それ聞いちゃうの。単純な話でしょ」
「その返しで確信した。試したんだな、古い鍵で」
「ぶぶー。清水君お手付きです」
「これ、クイズゲームだったのか」
「正解はドアノブが新品に変わってたので、試すまでもなく新品になっていた。でしたー」
そういうことか。ドアノブ自体が新品になっていたわけだから試すまでもなく変わっているに違いない。
「というのが建前で、実は一縷の望みをかけて鍵は入れてみたんだけどね」
「それで、職員室から拝借してきたと」
そこまでして屋上にこだわる理由はなんだろうか。といっても悪い方向にしか理由が浮かばないわけだけど。
「そうそう、だから夢の国にご招待」
「悪夢の間違えでは」
「それは捉え方によるんじゃないかな。みんな違ってみんないいって言うじゃない」
それはそれぞれの動物の特徴を比較した結果であって、今回の件と比較できるわけじゃないから同意はできない。他にも色々と質問したいことはたくさんあるけど、どれも説明はつくから聞かないことにした。
「ちなみに、屋上シーはないからね」
「夢の国イコール、ネズミの国なんだな」
「みんなの共通認識なんじゃない。それにある意味見通しはいいからシーで合ってるんじゃない」
「言葉の意味が違う」
とりあえず国枝から屋上の鍵を受け取る。そもそも本当に屋上の鍵かどうかは確認していないのだけど。
「わざわざそれを渡しに来たのか」
「そうだね。責任の所在が不明でお互い釈放中だけど、居場所がなくなったことには変わりがないわけだし」
だから取り返してきたというわけか。そもそも屋上の所有権が誰にあって、誰から取ってきたのかは不明だけど。それでも少なからず責任を感じているということだろうか。ただどうにも国枝からはそういうような感覚は持っていないような気がする。例えるなら、借りていたものを返すのは当たり前くらいの感覚。申し訳ないからとか、相手が困るからとか、心情を推し量った行為ではない。それとも単純に表情から読み取れていないだけかもしれないが。
「確かに屋上が一番行き慣れているが、暫くは見回りがありそうだな」
「うーん、どうだろう。例えば清水君が煙草の吸殻をトイレに落としておけば警戒が減るんじゃないかな」
「逆だろ。他にも吸ってる場所があるかもしれないってことで、屋上も監視対象に入るんじゃないか」
「そういう考え方もできるね。ま、火のない所に煙は立たぬってやつだね」
だとしたら、この間の屋上の一件は煙が立ったのだろうか。正直、学校内であの件がどう処理されているのか全くもって不明だ。今度加藤さんに聞いた方がいいのだろうか。
「うーん、でもさ今更じゃない。見つかったところでゲームオーバーではないわけだしさ」
「国枝のゲームオーバーはどこになるんだ。退学になるのか」
それこそ意味のない問い掛けになるのだろうか。どうやっても宇宙には行けるはずがないのだから。それこそ国枝綾子の終着点はどこに置いているのだろうか。
「どうなんだろうね。死ぬことがゲームオーバーなんじゃない」
「それは一般的にだろ」
視線の先の国枝の表情が一瞬だけ曇る。先日の朱華とのやり取りが思い浮かぶようだ。
「そうだね。んー、でも退学も私的にはゲームオーバーかな。退学してから社会的に暮らしていける気がしないもん」
「それはつまり死ぬことと同義かもな」
「そうだね。どこかの油田を持ったおじさんが私を養わない限りはね」
「油田だっていつかは枯れるぞ。しかも持ってるのはおじさん限定とは限らないだろ」
「清水君、そもそも油田限定ってところを突っ込んで欲しかったわけだけど」
例えばすべての仕事をロボットが行えるような時代になったら、人間は暮らしていけるのだろうか。どうにも想像できない世界なわけだけど、でもそれはつまり終着点がなくなるのではないだろうか。
「ま、俺たちが生きている間は楽して暮らしていくことは不可能だろうな」
「不可能だろうね。でも、例えば医療技術が発展して私たちの寿命がなくなったらどうなるかな」
「どうだろうな。そもそも外見も変わらなくなるのか、とか色々とありそうだけど」
「私はたぶん自殺する人が増えるんじゃないかなぁって思う」
「―――それは、何故」
国枝は無表情のまま淡々と話す。
「だって今の社会って区切りがあるからこそ、いろんなものから逃げ出せるのに、それができなくなるってことだよね」
だったら―――なんて、自殺することだって不要じゃないかと言いかけて辞める。結局のところそこは根本的な解決ではないのだ。どちらにしろ、国枝の話はあくまで世間での一般論であって、国枝の考えではない。表層の上澄みだけを掬い上げているだけの話だ。
「別に今だってどうとだって逃げられるだろう」
「どうだろうね。本当に逃げられると思う」
「いいや、逃げられる可能性の方が高いと思うだけだ」
「そう。結局のところ測れるはずもない机上の空論を並べて辟易するだけになるのよ」
それは別に何に対してだって言えることだろう。でもその言葉が続かないのは俺もまたその意見を同意しているからだ。その思考に我ながら溜息しか出ない。
「でもそれだったら」
「それだったら?」
国枝の返答で思いとどまる。結局のところないものねだりには違いはないのだ。だから、とか、それだったら、なんて言葉でお茶を濁しても本質的なところはまるで動かないのだ。だからこそ朱華や白河の言葉は通じない。
「いや、何でもない。とりあえず屋上の鍵はもらっておくことにするよ。ただこれで貸し借りはなしだ」
「そもそも貸したことも、借りたこともないと思うよ。そういったこと嫌いでしょ」
朱華といい、国枝といい何故かそういった心理的な部分の洞察には目を見張るものがある。
「嫌いだね。でも嫌いだけど必要なことではあると思う」
「ふぅん。本当かどうか分からないけどね」
「その通りだ」
国枝の足がつまらなさそうに揺れる。
その理由はなんとなく想像することは容易いことだったけれども、でもそれは野暮というものだ。でも、その野暮と思うこと自体が考えることをやめる理由にしていないだろうか。
これは別に国枝との問題というよりも自分自身の問題だ。
誰に対してでもない、自分に対して自分を取り繕うための嘘なのだ。
「だってそうだろう。本当のことだって大体は嘘にできるんだ」
「でも本当かどうか証明することもできないよね。逆もそうだけど」
結局のところ、気持ちというものは証明することが難しいものだ。だから誰かの言葉を信じるしかないし、吟味して本当かどうか判断する必要がある。
「困ったときは、棚上げだな」
「ふーん。というか、清水君なんて棚上げしすぎて、乗せる棚ないんじゃない?」
「そうなると、お手上げだな」
棚上げだけに――――とは続けなかった。
「全然面白くない」
それでも足の揺れはさっきよりも穏やかに見えた。