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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

精霊世界シリーズ

とある復讐者の絶望

作者: クスノキ

 話のいたるところにグロテスクな表現がございます。読まれる際はご注意ください。

 鋼同士が鎬を削る剣戟の音。人を殺す爆音に命を止める氷結の音。あちらこちらで血しぶきが舞い、見るも無残な手足のちぎれた人の死体が散らばっている。死にたくないと兵士が叫び、逃げるんじゃないと上官が怒号を飛ばす。その上官も次の瞬間には頭を吹き飛ばされて絶命した。

 命乞いをする者がいれば、怒りや憎しみにかられて殺す者がいる。そのことに歓喜を覚え、絶頂する者すらいた。

 曇天模様の空の下、陰鬱で昏い大地の上で人間たちは争うことを止めない。


 死と殺戮のあまりの激しさゆえに六色の精霊の内、自然界にはほとんど存在していないはずの黒の精霊が戦場に溢れかえり、対を為す白の精霊が姿を消す。生命を示す白の精霊の欠如は、すなわち治癒術が使えなくなることを意味する。怪我人はそのままで放置され、救われるはずだった命は失わる。その死によってまた黒の精霊が生まれて白の精霊を抑圧するという負の循環を招いていた。



 ここは大国である帝国と隣接する小国の王国が争う戦場だ。帝国が王国に侵略を初めてもう5年。当初は国力で大きく勝る帝国が圧勝すると思われていたが、思わぬ底力を王国は発揮し、戦況は五分のまま、今まで続いてきた。


 長きに渡る戦争は互いの国力を疲弊させ、いくら帝国が大国といえど、これ以上の戦争続行は困難に見えた。小国たる王国は言わずもがなだ。停戦ないし休戦するのが正しい。だがあまりにも長い戦争は互いの矛を収めるタイミングを失わせていた。


 そんな戦争末期の戦場でひときわ混迷と悲鳴と絶叫が響き渡る一角がある。帝国軍本陣の中央。敵の本命とも言うべきところに一人の王国兵が食らいついていた。

 右を見ても、左を見ても、前も後ろも帝国兵しかいない。誰がどう考えても数の差で押し潰されて、その命を終わらせて然るべしなはずのちっぽけな存在だ。しかし悲鳴と絶叫を上げるのは帝国兵ばかり。この王国兵はたった一人で数百もの帝国兵を相手にして、しかも圧倒していた。


「嫌、嫌だ。死にたくない…!」


 失禁し、泣き叫ぶ帝国兵を縦に裂く。帝国兵は二つに分かれ、真っ赤な血をまき散らしながら絶命した。切り裂くのは剣というにはあまりに珍妙な武器だ。剣の柄に銃の引金をつけ、鍔の代わりにシリンダー。六つのカードリッジに赤、青、緑、黄、白、黒。六色の最高純度の精霊結晶が埋めこんでいる。そしてその先にはレイピアの刀身よりもずっと細く長く、そしてしなやかな銀色の細剣。刀身の周囲には揺らぐ風の刃があった。


 くすんだ銀髪と藍と緑の濁りきった虹彩異色以外には取り立って特徴のない、まだ幼さすら残した顔立ちの男だ。しかし彼は死と殺戮を積み重ねることによって、その存在を帝国に知らしめていた。


「死ねぇ!」


 仲間を殺された怒りに任せ、また別の帝国兵が男に手をかざす。「ウサボト オウ イライ オン オオノウ」という帝国兵の詠唱に従い、彼の周りに赤の精霊が集まり炎の槍が作られる。それが仲間を殺した男を殺すために放たれる。

 だが男はそれにチラリと目を向けただけだった。ガチャンとシリンダーが回転すると同時に風の刃が消える。代わりに現れたのは岩の盾。帝国兵の精霊術はその盾を撃ち抜くことができずに霧散した。


「アイーウ エタナウ」

 あまりにおざなりな精霊術を見せた帝国兵に見舞われるのは、死を体現したかのような火炎。帝国兵よりも短い詠唱で、はるかに強力な「火矢」が射られる。それに射られた帝国兵は胸に焼け焦げた大穴を作って死亡した。


 その死を見やることなく再びシリンダーが回転。男を中心に黒い靄が発せられた。それを浴びた帝国兵は途端に狂乱する。負の感情を増幅させる黒の精霊術。正気を失わせる精霊術によって彼らは自らを傷つけ始めた。

 男の操るこの珍妙な武器は帝国を滅ぼすために男自身が作った殺戮兵器。男が効率よく帝国兵を殺すための武器だ。

 今は正気を失っている帝国兵だが、直に正気を取り戻す。その隙にと男は詠唱を始めた。


「ウレアノト アリ ネグネク ウテツオト エソボロウ イタグ」


 唱えるのはたった六節の詠唱。しかしこの精霊術は男が開発した奥の手の一つだ。内界位階に存在する無色の精霊に新たな概念を刻みこみ、90節以上の詠唱が必要な精霊術をたった1節にまとめ、詠唱を大幅に短縮してなお、26節もある呪文をさらに圧縮した致死の精霊術。男だけが使える上級精霊術を超えた固有術式。


 周囲に存在する全ての黄の精霊が男に集まり、それに引かれるように他の色の精霊も集まる。それらが男の描く陣の形に従い、流れ、固定し、物質位階に干渉する。

 現れたのは六色に輝く結晶。その結晶は陰惨な戦場には似つかわしくないほどの輝きを放っていた。拳大の無数の結晶達が男から放たれて、帝国兵を穿ち殺す。黒の精霊の力で正気を失った帝国兵にそれを避ける術はなかった。


 男の代名詞とも言うべき精霊術『穿つ透徹の礫』。黄の精霊を主にした六色の精霊を扱う驚異的な精霊術だ。

 穿たれた穴から真赤な血が飛び散り、男に降り注ぐ。それを浴びて初めて男が嗤った。帝国兵を殺せて楽しくて仕方がない、もっと殺したいと言わんばかりに。たった一度の精霊術の行使で、男の周囲一帯には何十もの帝国兵の死体が積み重なった。


 幸運にも(あるいは不幸か)男の精霊術の射程から免れることができた帝国兵たちは、その顔を見て戦慄する。次、殺されるのは自分だ。それを思って足がすくむ。男の顔がまだ生きている一人の帝国兵の方へ向いた。


「ひっ!」

 その帝国兵が短く悲鳴を上げて腰を抜かす。だが彼は殺されなかった。男が見ているのは帝国兵のもっと奥。確かな存在感の方を向いていた。


「お前が王国の“透徹”か?」

「…」

 すくむ帝国兵の後ろから現れたのは帝国軍服の上に鎧を着た覇気溢れる男。彼が現れると同時に帝国兵たちに蔓延していた恐怖心が霧散していく。この男の存在が帝国兵たちに大樹の如き揺るがぬ安堵を与えた。


「俺は帝国軍少将ヤイバ・ルーンロイドだ。名乗れよ」

 ヤイバの言葉に“透徹”が答える様子はない。“透徹”の目はヤイバの持つ大剣に向けられているだけでヤイバの顔を見ようともしない。


「『傲慢』の数打ちか…」

 初めて“透徹”が声を発した。ヤイバの言葉などまるで聞いていない、自分の中だけで完結していることがはっきりと分かる言葉。それに気づいたヤイバが小さく舌打ちをする。


「俺のことよりもこの剣が好みか。よろしい。ならばその口、開かせてくれるわぁ!」

 対話の余地なし。元よりするつもりもない。額に青筋を浮かせてヤイバが”透徹”に斬りかかった。十歩の距離を一歩で詰め、轟音と共に大剣を振り下ろす。それを“透徹”はフワリと後ろに飛んで大剣を避けた。


「甘い!!」

 だが逃げた“透徹”をヤイバは執拗に追い詰める。彼の大剣はますます荒ぶり、“透徹”を切り殺そうとする。その嵐の如き斬撃の全てを“透徹”は何と言うこともないように紙一重でかわす。かわし続ける。彼の左目が忙しなくギョロギョロと蠢く。その動きはヤイバの剣の深奥まで読み取ろうとしているように見えた。


(気味が悪い!)

 “透徹”と対峙しながらヤイバは考える。目の前の男はそうと答えなかったが、持った珍妙な細剣と先ほどの水晶の精霊術が、彼こそ“黄の玉石”“透徹の暴霊”であることを告げている。


 圧勝すると思われた帝国と王国の戦争。その予想を覆したのは帝国をはるかに上回る王国の精霊術のレベルの高さと、化け物のような六人の精霊術士がいたからに他ならない。誰もかれもが埒外の実力を誇り、上級以上の力を誇る固有術式を編み出している。


 数と装備の差がものをいう戦争を、()の力で覆した化け物たちだ。だがその中でも“透徹”は特に悪名高い。曰く、戦争に最も参加し、現れた後には帝国軍人の死体しか残らない。曰く、10人の帝国兵を殺すためなら100人の王国兵が死ぬことすら厭わない狂人。

 帝国軍の中でも真っ先に殺すべきとされている男だ。


 ヤイバと“透徹”は帝国軍兵士の死体を舞台に踊るように戦う。攻め手はヤイバ。守り手は“透徹”だ。“透徹”は先ほどまでの暴虐が嘘のように、気持ち悪いくらいに攻める気配がない。ひたすらにヤイバの剣を見切り、かわすだけだ。そして時折硬質な岩石で包まれた細剣でヤイバの大剣を受け流す。ただ“透徹”の動きは正しく武術の達人のそれだ。

 見守る周囲の帝国兵は優勢に見えるヤイバの戦いに沸き立つ。だがヤイバはどうしても自分が優勢であるとは思えなかった。何か取り返しのつかないことをしているような、そんな考えに襲われて、額に嫌な汗が流れた。


「ぐおぉぉぉ!」

 そんな考えを振りほどくように、ヤイバは気勢を上げて、大剣を肩に担ぐ。ヤイバの大剣は世界に1414本しかないと言われる『大罪』『美徳』剣の数打ちの一つだ。銘は『傲慢』。能力は肉体の大幅な強化。

 ヤイバは体内に存在する無色の精霊で肉体強化を施し、その上で『傲慢』の数打ちで二重に強化しているのだ。

 膂力も速度も、ただ無色の精霊で強化しただけの人間よりもはるかに勝る。だというのに“透徹”はそんなヤイバの動きに悠々ついてくる。


 それは“透徹”の無色の精霊の操作技術が、ヤイバよりはるかに上回っていることの証左に他ならない。ヤイバが“透徹”に勝っているのは鍛え上げた己の剣技のみで、それ以外の全てにおいて、彼は“透徹”に劣っている。


 ヤイバは決着を焦り、己の秘技を繰り出す。担いだ大剣から放たれるのは防御不可能な三閃。一太刀で三つの斬撃を行うという条理を覆すもの。ヤイバが40年の月日をかけてようやく習得できた彼の生涯そのものとも言える技。『飛燕三閃』だ。

「かぁっ!」

 担いだ大剣を振り下ろす。上から、右斜め下から、左斜め下から、同時に大剣が“透徹”に迫る。どこへ行っても逃げ場のない致命的な攻撃。「とった!」ヤイバはそう思った。だが。


 『飛燕三閃』を前にして“透徹”はパチンと指を鳴らした。瞬間、バキンと音がしてヤイバの足元がぬかるむ。踏ん張ることができなくなって、姿勢が崩れた。


「んなっ!」


 『飛燕三閃』は奥義であるが故に事前の動作から斬撃を行うまで、非常にシビアな動作が求められる。つまり動きに遊びがない。わずかに姿勢やタイミングが狂っただけでも『飛燕三閃』の奇跡は消滅する。


(なぜだ!奴は詠唱をしていない。だというのに、なぜ!)

 ヤイバの足元の地面は泥と化していた。『飛燕三閃』が失敗した原因。地面を泥にしたのは十中八九”透徹”の精霊術だろう。しかし“透徹”は詠唱していなかったし、する暇もなかった。帝国で知れ渡っている“透徹”のあの細剣の性能を考えても、それはありえない。他に精霊器を使っている様子もない。

 だというのに、なぜ。


「あっ…」


 刹那の間にヤイバはその原因を思考し、突き止めた。ヤイバと“透徹”が戦う前に“透徹”がばらまいた結晶。それが依然として地面に転がっている。


 まさか。あの結晶は見せかけの結晶ではなく、本物の精霊結晶だとでも言うのか。何年も時間をかけ、ゆっくりと育つはずの精霊結晶をあの男は瞬きの内に作ったとでも言うのか!


 青の精霊結晶を作り、それを砕いて地面を泥にした。戦慄がヤイバをよぎる。言うのは簡単だが、実行するのは困難極まりない。帝国は“透徹”を警戒していたが、それでもまだ警戒と分析が足りていなかった。その間にも時は進む。ただの上段切りになったヤイバの大剣を”透徹”は横にかわした。


「ウレアノト アリ ネク ウテツオト」

 かわしながら唱えられる4節の呪文。“透徹”は手に水晶でできた大剣を生み出した。何を意図してか、その大剣の意匠はヤイバのそれと全く同じだった。


 不意に“透徹”の持っていた細剣が消える。“透徹”は大剣を両手持ちして肩に担いだ。

「まさか…」

「こうか」


 吐息のような”透徹”の呟き。ヤイバは目を見開いて“透徹”の為したことを見た。これは悪い夢だ。きっとそうに違いない。肩に担いだ大剣を振り下ろす。だがそれはただの一閃に留まらない。嘘だ。そんなことできるはずがない。一閃にして三閃。ヤイバが修行の果てに習得した奥義。ありえない。ありえない。ありえない!あっていはずがない!


『飛燕三閃』


「かっ…」


 驚愕で体の硬直したヤイバは彼の奥義をその身で受けた。ヤイバ・ルーンロイドは己の奥義で殺された。己の40年を否定されて殺された。バラバラになって死んだヤイバを眺めて水晶の大剣を消す。そして珍妙な細剣が再び彼の手に現れた。

 その様子を帝国兵たちは呆然として眺めていた。無理もない。優勢だと思っていた自軍の少将が一瞬のうちに殺されたのだから。“透徹”の行った常識外れの行為の全てを理解できなくとも、自軍の少将が殺された事実くらいは理解できる。



 帝国軍が狂気に包まれかけたその時、帝国軍最奥から白い狼煙が三本、大きな音と共に打ち上げられた。それは休戦宣言の証。度重なる戦争の疲弊から帝国はついに王国から手を引くことを決意した。

 これでもう殺されないで済む。帝国軍兵士の中に安心が満ちる。しかし。


「ウレアノト アリ ネグネク ウテツオト エソボロウ イタグ」


 “透徹”は止まらなかった。気の緩んだ帝国軍兵士たちに精霊術の粋の尽くされた死の弾丸が襲い掛かる。戦争が終わった後の戦闘は固く禁じられている。だが“透徹”にとってそれは知ったことではなかった。


 帝国を滅ぼす。そのためだけに“透徹”は生きているのだから。


 死を撒き散らした“透徹”はニタリと嗤い、詠唱。

「ウレアノト アリ イエリエス オルタウ エソロク ウコイスコル」


 彼の求めに応じ、地面に撒き散らされた精霊結晶が弾けて三々五々に術の形を為す。一つ一つは単色の、それも精々が下級だ。個で見れば、対処はそう難しくない。

 だが数があまりに多かった。例え小さな術式でもそれが10、20と積み重なれば中級。やもすればその威力は上級にまで手が届く。


 蠢く炎の蛇が、鋭い岩石の針が、風のカミソリが、しなる水の鞭が、危機感を鈍らせる白の祝福が、絶望をもたらす黒の呪いが、からみあい、混ざり合い雪崩のように帝国兵に迫り、蹂躙する。

 死屍累々となった帝国軍の真ん中で、“透徹”はゲラゲラと嗤い出した。嗤いながら死した帝国兵を足蹴にする。

「無様。無様無様無様ァ!ヒィ、アハハハハハハッハハアハ!!!」

 そう言ってまた“透徹”は狂ったように笑う。その姿は狂人のそれと同じで、また無様にも見えた。或いはどうにかして現実から目を逸らそうとしているようにも思えた。


 その時だ。“透徹”の近くの空間がグニャリと歪んだ。その歪みはますます大きくなり、歪みの中から一組の男女と彼らにつき従う従士たちが現れた。

「イラ」

 金色と紅の鎧を纏った威丈夫が口を開く。20代後半の茶髪の男だ。まだ若いながらもその姿からは、民衆を従えるに足る王威が感じられた。

 それもそのはず、彼こそがこの王国の若き王グランヘルム・レクスティア・オウルファクトだ。老齢で戦争に対して引け腰だった実父を追いやり、新たな王として帝国と戦うことを決意した俊才。剣の達人であり、いくつもの奇策で絶体絶命の王国を救った策士であり、赤の精霊術に長けた“赤の玉石”でもある。


 もしこの世に神というものがいるのなら、きっとグランヘルムは神のお気に入りだ。


 グランヘルムは苦々しい顔で“透徹”を制止する。

「もう止めろ。戦争は終わったんだ。帝国は白旗を上げた。俺たちの勝利だ」

「終わり、だと」

 グランヘルムの言葉に“透徹”は信じられないという顔を見せ、それから肩を震わせる。グランヘルムの言葉に嘘がないことを理解し、そして汚泥にどっぷりとつかった、血走った目で彼ににらみつけた。


「ふざけるなぁ!これで終わり?これで終わりなものか!まだ帝国を滅ぼしていないじゃないか!」

「違う。もう終わったんだ!帝国はもう戦争を続ける力がない。だが王国もそれ以上に力が残っていないんだ!わかってくれイラ。帝国の休戦宣言を受けなければ、先に滅びるのは俺たちなんだ」

「そんな、そんなこと」

 “透徹”は苦悩をにじませて自分の顔に爪を立てる。ギチギチと音を立ててイラの顔の皮膚が裂き千切られる。数度頭を振って、憎悪の視線をグランヘルムに向けた。


「…受け入れられない。俺は一人になっても戦い続ける。だから、邪魔をするな」

 その“透徹”の言葉を聞いて、とっさに従士たちが武器を“透徹”に向けた。殺意には殺意で返す。だがそんな従士たちをグランヘルムの隣に立つ女が止めた。


 絹の如き白い肌に薄桃色の唇。強い意志を感じさせる淡い紫色の瞳。艶やかに流れる髪は漆黒。純白のドレスを身に纏い、踵の高いヒールを履いた彼女は明らかに戦場には似つかわしくない。

「下がりなさい。イラは私とグランヘルムが…説得します」

 だがそんな戦場と不釣り合いな女の言葉に従士たちが戸惑い、足踏みする。王に仇なすというのなら、例え“透徹”といえども止めねばならないが、彼らには彼女に従わないという選択肢もまた存在しない。なぜなら彼女の名前はリリアーナ・ウァンティア・オウルファクト。グランヘルムの妻にして、白の精霊術を始めとしたあらゆる精霊術に長けた“白の玉石”だからだ。


 王妃命令。しかしほとんどの従士が剣の向け先を失う中、従士の中に一人異を唱えた者がいた。

「お待ちください。まさかリリアーナ王妃、“透徹”を許すというのですか?彼は確かに帝国との戦争で多大な戦果をもたらしました。ですがそれ以上にあの男は軍法を反したことばかりしている。それに今回の戦争終結後に帝国を攻撃し、あまつさえ王への反抗。五回は死刑になってもまだ足りないほどです」

 そう言ったのは白銀に青のラインが入った甲冑を着て、騎士然とした壮年の男。彼は険しい顔をして二人の意思に反抗する。


「エクス。貴方の諫言は分かります。ですが…」

「私は騎士として、“青の玉石”として、今だけは己の職分を優先させていただく所存であります」

 “青の玉石”エクスは厳しい視線をリリアーナに向ける。憲兵にして騎士でもあるエクスは軍法を犯した“透徹”を殺すつもりだ。しかしリリアーナにもグランヘルムにも“透徹”を殺す意思はない。

 黄、赤、白、青。王国の誇る最高戦力の三分の二が帝国軍の中心で対立する。“透徹”はグランヘルムに憎悪と敵意を向け、そんな“透徹”を殺そうとするエクスをリリアーナが制止する。

 従士たちもそれぞれが武勇を誇る戦士たちだ。しかしそんな従士たちであっても玉石たちの戦闘力は、あまりに次元が違う。歯向かっても鎧袖一触。無駄死ににしかならない。見ていることしかできない彼らは、場に漂う緊張感で吐き気すら催し始めた。


「なぁ、イラよ。どうしても帝国を滅ぼしたいか?」

 漂う緊張感の中、口火を切ったのはグランヘルムだ。

「当然だろう」

 ドロドロとした昏い情念をにじませる声で“透徹”は答える。手に持った細剣をゆっくりとグランヘルムに向ける。邪魔するなら殺す。そんな意志をグランヘルムに向ける。


「“透徹”!」

 己の仕える王に刃を向けた“透徹”にエクスが長槍を向けた。これ以上見ていられない。長槍には数多の青の精霊結晶が取り付けられており、上級の精霊術も賄えるほどの精霊が保存されている。


「ウオシウス エタナウ」


 長槍の先から放たれるのは水の槍。だが込められた精霊の量は常識外れだ。下級の精霊術でありながら、その威力は火力に傾いた上級の精霊術を優に凌ぐ。高密度かつ柱ほどの大きさの水の奔流が、“透徹”に向かって飛んでいく。

 当たれば死、間違い無しの一撃。だが水の槍は途中で分解、消滅した。

「王妃!」

「ウレアノト アンーアイリル イラン オノム ウルガト オウ ネニアグ エラウ エサウォク オウ ウオシウス エタト オウ ナクウク ウレアノト エテクドト イラワマカス オン アグンンイ」


 結果の後に詠唱が続く。精霊術は陣の構成と詠唱の後に発動する。その常識を彼女は当然のように覆してみせた。リリアーナはエクスに鋭い視線を向ける。

「させませんよ」

「私は私の意思を通します。どいてください王妃」

「できません」

 エクスの意思は固い。エクスは先ほど超高威力の精霊術を放ったにも関わらず、所有する精霊の量は微塵も減っていない。それこそが彼の所有する美徳剣の一つ『節制』、その原典の能力だ。『節制』の所有者はどれだけ精霊術を行使しても保持する精霊を消費しないし、どれだけ動きまわっても疲れるということがない。持ち主にある種の永続性を与える能力を持つ。つまりエクスの意思が折れない限り、彼は永遠に戦い続けることができる。


 白と青の小競り合いを背後に聞きながら、グランヘルムは細剣を向けられたまま、“透徹”に言葉を投げかける。

「俺だってさ、何でも分かるとは言わねぇよ。だけどお前の憎しみや苦しみがどれほどのもんか、ちっとは分かってるつもりだよ。頼むよイラ。ここでお前が止まらなきゃお前みたいなやつがもっと増えちまうんだよ」


 グランヘルムの真摯な言葉に“透徹”は歯噛みする。細剣を持った手がわずかに震えた。

「知った…ことか。他人のことなんかどうでもいい。他人がどうなろうが、俺の大事なものは帰ってこない。なあ、知ってるか?グランヘルム」

 親しみすら感じさせる口調で“透徹”は語る。


「アイビーは首を斬り落とされて殺された」

 “透徹”は自らの首に爪を立てる。


「ヘンリルは泥沼に無理矢理沈められて殺された」

 “透徹”の顔が苦し気に歪む。


「ロッドは生きたまま両手足を切断されて殺された」

 なのに“透徹”の口調は淡々としていて生きた温度を感じさせない。


「クラリスは両の目をくり抜かれて耳から針で脳を傷つけられて殺された」

 今の“透徹”は盲目だ。彼の目には未来ではなく、過去しか映っていない。


「キッドは皮膚という皮膚をはがされて殺された」

 それだけ“透徹”の心は帝国に破壊されてしまったから。


「セイは火あぶりで殺された」

 痛みにもだえるように、“透徹”の言葉が震えた。温度のない声に別の何かが混じる。そして。


「ヘルミナは…ヘルミナは俺の目の前で魔獣に犯されて殺されたんだぞ!!」

 爆発した。澱みと怨嗟と憎悪と無念が、“透徹”から溢れて止まらない。


「イラ…」

「あいつらは悪魔だ。悪魔を殺す。それの何が悪いというんだ!俺は悪魔を殺すためなら悪魔にでもなってやる。俺が何のために今まで戦ってきたと思っている!全てはあのクズどもを殺すためだ。憎いあの野郎どもに溺れるほど後悔させて、この世に生まれてきたことに絶望しながら殺す。そのために俺は何でもやってきた!大罪を受け入れ!概念化した武装を取り込み!人間を止めた!あいつらはあの子たちを笑いながら殺した。ならば俺だってあいつらを笑いながら殺してもいいだろう!村の皆を殺されたんだ。なら俺だって帝国の人間を皆殺しにしてもいいだろう!?俺が!あいつらに全てを奪われた俺があいつらを殺すんだ。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!」


 “透徹”は叫ぶ。グランヘルムが神に愛された男だとするならば、“透徹”は神に見向きもされていなかった男だ。神の祝福を受けぬ者が、神に愛された者と対等になるために。“透徹”は自分の全てを犠牲にして、対価として支払った。


「首を切り落とし!泥沼に溺れさせて!生きたまま両手足を切り落とし!両の目をくり抜いて!皮膚を剥がして!火で炙って!…愛する者の目の前で魔獣を使って!犯してみせて!殺すことの何がいけない!!なぁ、答えろよグランヘルム!俺は何か間違っているのか!?間違っていないというのであれば俺の邪魔をするな。だがもし間違っているというのなら…」

「お前は間違っちゃいねぇよ。きっと間違っているのは俺の方なんだろうさ。だがそれでも俺はお前を止めるよ。王として、国民を守るためにお前のことを止めなきゃならん」


 グランヘルムの凛とした声が響く。“透徹”の顔がゆがんだ。

「ぁ、ならば…ならばお前は俺の敵だ。…引くなら、今のうちだぞ」

 “透徹”の手に持った細剣が消え、代わりに一振りの刀が現れる。変わり映えのしないシンプルな拵えの刀。だがそれが現れた瞬間、ただでさえ顔色の悪かった従士たちの顔色が白を通りこして土気色になった。エクスやリリアーナも表情に逼迫したものに変わる。

 世界が変貌を始める。血と死にまみれた()()が無味乾燥とした()()へと変貌する。


 その中でグランヘルムだけがただ一人、真っ直ぐ“透徹”のことを見つめていた。


「引かねぇよ。俺はお前のダチだがその前に王なんだ。通りたいってんなら俺を殺してから行け。…心配するな。俺は抵抗しねぇ。やるならさっさとしろ」

「王!」

 エクスの叫びにもグランヘルムは耳を貸さない。宣言した通り、彼は腕組みをして仁王立ちしている。刀を向けられても反撃する気配がない。


「どうしたよ。早くやれよ」

「くっ…」

 そこで初めて“透徹”の目に明確な迷いが浮かんだ。はぁっはぁっと荒い呼吸をする。刀を握る手が真っ白になる。そして刀を片手に持ったまま、グランヘルムの首を掴みあげ、ギリギリと力をこめ始めた。


「くっ、ふ。何だよ。力がよえぇぞ。そんなんじゃ俺は殺せねぇよ」

 グランヘルムはそう言って不敵な笑みを見せる。

「だま…れ。黙れよ。いいから道を開けろ。俺は。おれ、は」

「なあイラよ。分かってんじゃないのか?お前だって」

「黙ってくれ!」

「イラ!!」


 グランヘルムの言葉を聞き入れまいとするように“透徹”は叫ぶ。そして震える手で刀を持ち上げた。それをグランヘルムに振り下ろそうとして、


 振り下ろそうとして、


 彼は。


 彼は…。



 カチャンという音がした。“透徹”は刀を手から取り落とした。そのまま力を失ったかのようにグランヘルムの首から手を離し、膝から地面に崩れ落ちた。

「イラ…」

「どうしろと、俺にどうしろというんだ。この憎しみを、この怒りをどこに持っていけと。こっ、殺せるはず、殺せるはずがないだろうが。俺が!お前らを殺せるはずがないだろうがぁ!!狡い!狡いぞグランヘルム・レクスティア・オウルファクト!!俺は!おれ、俺…はぁ!!」


 “透徹”は哭いた。自分に課した願いを叶えることができないと知って。否応なく理解してしまって彼は絶望する。

「アイビー、ヘンリル、ロッド、クラリス、キッド、セイ…ヘルミナ。ごめん。でも俺…ごめん。ごめん。俺は…ごめん。ごめん」

 “透徹”は虚ろな顔で失った者の名を呼ぶ。それからもう二度と会えない者たちへ「ごめん、ごめん」と繰り返した。

 その目にはもう過去も、未来も、今すらも映っておらず、虚無と深い絶望だけが残っていた。

 リリアーナとエクスも、それを見て手を止めて、うつむいた。


 グランヘルムはただ一言「すまない」と言った。




 それから8年の月日が流れた。秋の穏やかな昼の日、リリアーナは辺境にある小さな村の、とある家の扉の前に立っていた。彼は元気にしているだろうか。手紙では度々連絡を取り合っているが、会うのは数年ぶりになる。

 リリアーナは足元に転がしている「荷物」に一度だけ目を向けて、コンコンとその扉をノックした。


 未来に期待のもてる感じでの終わりとなりました。この話は元々私が内々に書き溜めていた話の、第0話として書いたものです。なので物語の最後の場面からまた続きます。長編になるためエタりそうで中々投稿に踏み切れませんが。→投稿しました。『誰か俺に異世界人の指導の仕方を教えてほしい』( https://ncode.syosetu.com/n3405ex/)よろしければこちらもどうぞ。


 せっかくなので簡単な人物紹介を


イラ・クリストルク

 本作の主人公。王国”黄の玉石”にして”透徹の暴霊”の異名をもつ狂人。帝国との戦争最初期に大事な妻と教え子をむごたらしく殺されたことでおかしくなってしまった。それ以前に王夫妻と偶然面識はあった。二人がイラに好意的なのはそのため。

 才能の欠如を全身に精霊器というマジックアイテム的なものを埋め込むことで解消した。才能自体は平凡だが、この精霊器を作る才能だけは一級品。作中では相手の動きを読み取る義眼とその動きを再現する筋肉と神経に埋め込んだ糸の精霊器を使用。

 6人いる玉石の中では対人戦闘において最も優れる。


ヤイバ・ルーンロイド

 帝国軍少将。大物風噛ませ犬。死ぬ前提のキャラなので深い設定とかはない。


リリアーナ・ウァンティア・オウルファクト

 王妃にして王国”白の玉石”。異名は”愛しき永遠”というもの。精霊術の天才で空間や因果に干渉する精霊術も使える。

 玉石の中では精霊術の扱いで最も優れる。


グランヘルム・レクスティア・オウルファクト

 王にして王国”赤の玉石”。異名は”紅蓮の王”。豪放磊落な性格で細かな上下関係を気にしない反面、家柄よりも本人の能力を優先する冷徹な面もある。なんでもできる人。イラのことを気に入っている。

 玉石の中ではあらゆる局面にも活躍できる万能性と、単純火力に優れる。


エクス・ナイツナイツ

 王国一の苦労人。”青の玉石”であり、騎士筆頭であり、憲兵隊隊長である。異名は”騎士の中の騎士”。美徳剣『節制』の持ち主。剣の能力は疲れない。つまり全力疾走を永遠に続けられる人。

 真面目真面目した人で、慣習を無視しがちなリリアーナとグランヘルムのストッパー。違うと思ったら王にでも容赦なく諫言するが、王への忠誠心は高い。

 玉石の中では最も実力で劣っているが、継戦能力には優れる。


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[良い点] 復讐それ以外なにも残っていない復讐者の慟哭。 [気になる点] タグの「未来はきっと明るい」 誰にとって? ここで止まらなきゃならなくなった透徹だけは折れてしまったあの瞬間からこっち何も光…
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