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鬼は桃を喰らう  作者: 雨天
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プロローグ


 乾いたコンクリートに染み込んでゆくねっとりとした喘ぎ。快楽の要素を全く含まないそれは苦痛に歪み、擦れる砂利が何とも生々しい。

 死にゆく太陽が夜に侵され、漸く舞台に上がった新月が僕たちの建物までも闇で包み隠す。時刻は二十五時。真夜中と言うにはほど遠い。


 随分と離れた方から耳に届く車や厭らしい人間共の喧騒が、嫌に輪郭を立たせ折角の楽しい時間を台無しにしてくれる。それがどうしても許し難く、僕の感情をさざ波立たせ、前方に突き出した右手に力が入ってしまう。


 ――嗚呼、どうしたものか。


 一度気になってしまっては余計勘に障るのが人間というモノだろう。致し方ない事なのだが、しかし……。


 そこでハッとし、未だ自身を人間という小さなカテゴリーに分別している事に、思わず笑いが零れ落ちる。嘲笑、自嘲。全く面白味に欠ける冗談だ。

 僕の乾いた笑いすらも吸い取ってしまうコンクリートに内心感謝しつつ、いつの間にか鳴らなくなった右手のホトトギス(・・・・・)に視線を戻す。


「……鳴らない君に何の意味があるんだろうか。過去の偉大な将軍様は、鳴かない君をどうしたのか」


 一言一言を丁寧に、粘着質に、纏わりつくように発し、彼女の耳に届くよう吹きかける。それに何故か興奮を覚え、徐々に口角が上がり、息が荒くなる。


 性癖だろうか? いや、そんなチャチなものでは無い。三大欲求すら覆す程の何かが僕の身体中を駆け巡り、右手のそれを早く如何にかしたがっている。ハハハ。


「鳴かない君、泣けない君、啼いてはならない君。僕ならどうしようか。鳴かせてみようかな、待ってみようかな、それとも――」


 鋭い風が僕の頬に赤い線を描き、周囲のコンクリート達に餌を与えた。赤く、何かが噴射したような、何かが零れたようなねっとりと温かい鮮血。

 同時に何処か重量のあるものが地に落ちる音が響き渡り、ボールのように僕の足元へと擦り寄ってくる。


 悲しいねぇ、辛いねぇ、悲劇だねぇ。そんなどうでも良い考えしか浮かばない僕は壊れているのか正常なのか。しかし、その答えを知るのは人でも動物でも神でもなく、僕でもない。永久に闇の中。それを初めて自分自身で認知した時、どうなってしまうのだろうか。またそう考えるだけで欲情してしまう。


 やはりこれは性癖なのか。


 なんて続けざまに仕様も無い事を考えつつ、大切な君に答えを告げた。



「――殺してしまえばいいんだよ。ま、もう死んでるんだけどね」



 力を抜いた右手からスルリと抜け落ちた君の顎から上は、綺麗な断面となって僕に中身を見てくれとせがんでくる。が、そんな事をしても何の得も無い。


 だって――。



「君は僕の妹を傷つけたのだから」



 罪状は単純なんだ。


 分かってくれ。



 ――鬼を怒らせるな。



   ***



 季節が我先にと死んで行く中、それでも力強く踏ん張ってくれる風物詩というモノは四季折々だろう。今年の春もそれは健在で、純白も毛布から顔を出す愛らしいタンポポは何とも言い難い健気な姿をしている。


 しかし、今回ばかりは余り喜べたものじゃないな。というのが率直な感想である。が、中々これもいいところがある、というのも混じり気のない僕の本音である。


「お兄ちゃん! 急がないと遅刻だよー!」


 愛しい我が妹、千鶴。

 依然深々と降り続ける雪にも負けない白い肌を林檎の様に染め、絹のような美しい髪を肩口で揺らす。

 僕とお揃いの赤い無地のマフラーから覗く血色の良い桜の蕾が、風鈴の音の如き心地よさで僕を呼ぶ。


「分かった分かった、今行くよ」


 返答と共に止めていた足を再度稼働させ、鳴る雪を踏みしめて千鶴の隣に並んだ。

 そんな僕を見上げた千鶴は、にひひと活発そうな笑みを浮かべ、僕と歩調を合わせて先を目指す。

 


 今日は四月四日、僕の通う桜蘭学園高校の入学式だ。と言っても、僕が入学するわけでは無い。


 千鶴が入学するのだ。


 本来、僕たち在校生の始業式は七日の為来る必要は無かったのだが、心細いと言う妹の為だ。兄として人肌脱ごうじゃないか、という事で付き添いである。

 しかしまあ、僕が着いて行くのはクラス等が張り出されている体育館前の掲示板までであり、そこからは別行動。入学式が終わるまで近くのデパートでお留守番だ。


 初めて歩く通学路が新鮮なのか、この時期に降る雪に興奮しているのかは定かではないが、スキップでも始めそうな程浮かれている千鶴。そのあまりの可愛さに僕は卒倒しそうだ。


「わっ!」


 雪の潰れる音と共に千鶴が尻もちを着く。そんなドジっぽいところも可愛らしく、思わず頬が緩んでしまう。


「も~! 何で笑ってるの! 助けてよねっ」


 僕の表情に気づいた千鶴が頬をハムスター宜しく膨らませる。それが追い打ちとなり、僕の鼻から忠誠心がたらりと線を引く。二日ぶりの流血だ。


「悪かったよ。ほら、立って」


 そう言って右手を差し出すが、千鶴の表情は余り良いものではない。何か可笑しなところがあっただろうか。

 疑問に思う僕を余所に、千鶴は自力で立ち上がると、真新しいチェックのスカートを手で叩きジト目を僕に向けた。


「……今何想像してたの」

「は? 何も?」

「嘘だぁ。だってお兄ちゃん、鼻血出したまま笑ってたよ?」

「千鶴、いいかい? これは鼻血では無くて、愛の結晶と呼ぶんだよ」


 先程より激しさを増した赤い忠誠心を人差し指で掬い取り、千鶴の目の前へ持って行く。


「うげっ、汚い! お兄ちゃんの変態流血魔人!」


 それに美しい顔を歪めた千鶴は僕から逃げるように雪道を走り出した。これはやばいな、冗談でも何でもなく純粋に引いていた。最悪兄としての尊厳がなくなってしまうかもしれない! 僕も急がねば。


 「待ってよー」と恋人ばりの甘い声を掛けつつ、またもや雪に足を取られた千鶴を苦笑いで追いかけた。



   ***

 


 時は流れ、現在時刻は十時三十分。


 あの後体育館前で千鶴のクラスを確認し別れた僕は、入学式が終わる十三時前まで時間を潰す為に蘭学近くの巨大デパートに訪れていた。

 この時間だとまだ一階の食品売り場で朝一がやっていたり、二階の衣服売り場で子供服を安売りしていたりと案外人が多い。平日だというのに。


 スーパーは主婦の戦場と言われるように、カートとメモを装備したお母様方が鬼の形相で走り回っている。学生たちは日頃の行いを改め、自らの母にきちんとお礼を言った方がいいな。いや、割かし本当に。



 そんな事を頭の隅で考えつつ、爆走する主婦群を横目に食品売り場から少し離れたフードコートへと足を進める。実は今日、千鶴の送り迎えだけが目的で外出したわけでは無いのだ。


「時間はぴったりだし、そろそろかな」


 適当に某有名ファーストフード店で注文を済ませた僕は、観葉植物の置いてある通路沿いから最も見やすい位置を陣取り、先程店員から受け取った呼び出しベルで暇を持て余す。


 待ち合わせ時間丁度にやって来たのは良いものの、相手であるあいつは遅刻の常習犯。口ではそろそろと言ったが、早くとも十分前にしか来ないだろう。僕が朝食を食べ終わるのか、あいつが来るのか、どっちが早いかなんて考えずとも分かる。


 殆ど確定した僕が待つという現状に、自然と溜息が零れ落ち、それを見計らったように呼び出しベルが震え出した。予想していたより早いな。これだったらレジ前で待っていた方が早かったんじゃないかな。

 


 そうこうしている内に頼んでいたチーズバーガーセットも胃の中へ消えてしまい、本当の意味で暇を持て余す事になってしまった。

 僕がここに座り出して早二十分。もうそろそろ十一時になってしまう。千鶴の所に向かう為にも十二時半にはここを出たいが、このままでは少し時間が足りなくなってしまうやもしれない。


 そう小さな不安が心に芽生えた時、漸く聴き慣れた声が聞こえてきた。


「すまん春! 遅れ申した!」


 本当に反省しているのか、と突っ込みたくなる声の主――小田原淳平(おだわらじゅんぺい)は、この通りっと付け足して頭を下げた。


「いつもの事だし、あんま怒ってないよ」


 計算し尽くした完璧な微笑を顔に貼り付け、淳平に頭を上げ得る様に促す。すると表情を明るくした彼は、体勢そのままに顔だけを此方に向けてくる。


 無駄に整った彼の容姿は、間近で見ても尚イケメンと呼ぶにふさわしいそれであり、何となく癇に障った僕は淳平のシンボルとも言える開けたおでこに強烈な一撃をお見舞いしてやる。参ったか。


「いだっ! お、お前! 全然許してねーじゃねーか!」


 額を抑える淳平の目尻には光を反射する何かが溢れている。


「当たり前でしょ。僕、この間言ったよね? 今日は千鶴を迎えに行ったり色々忙しいから遅刻だけはするなって」

「た、確かに……」

「そんな当たり前さえも守る事が出来無い淳平キュンにはきっつ~いお灸を据えてあげないといけないからね」


 僕の悪戯な表情に額を抑えながら顔を紅潮させた淳平は早口に捲し立てる。


「キュン言うなキュン! 嫌な事を思い出してしまう」


 しかし、言葉を続けるごとに真逆の顔色に変えた器用な彼は、自身の身体を抱きしめて身震いを起こす。


 淳平は自他ともに認める正真正銘のイケメンではあるものの、とある一件以降学内の腐女子から絶大なる人気を集める事となり、腐女子涎モノの薄い本を制作販売までされた経歴を持つ偉大な男なのだ。


 友達である僕も彼との絡みを題材にされたことがあったが、何故か動いてくれた生徒会のお陰で事なきを得ることが出来た。本当にこの件に関しては感謝しかないのだが、これを機に生徒会への熱烈な勧誘が始まったのは悪夢とも言える。


 そんな懐かしくもある記憶を思い出しながら、虚ろな瞳の淳平に座るよう指示した。


「――で? 今回はどうだったの?」

「んー……あまり好ましい状況とは言い難い、かな?」


 座った途端復活した淳平は、腕を組み険しい表情で状況を教えてくれる。


 これは僕らの計画するとある件についての報告会のようなモノだ。詳しい内容はここで話せないが、大まかな結果だけでも聞ければ充分と言えるだろう。


「そうか。でも、捨て猫は無事なんだよね?」


 僕の発した言葉の裏を読み取った淳平。しかし、尚も表情は変わらない。


「いや――〝犬〟が邪魔でな」

「えっ! 嘘でしょ!?」


 予想外の展開に思わず声が出る。勢いで立ち上がってしまった僕は、周囲に軽く謝罪を済ませ咳払いと同時に再度座り直す。

 犬が……少し早すぎるんじゃないかな。でも、それだけ早く片付けたいという事なのか……。


「そうか、分かった。それだけでも充分な情報だよ」

「そう言って貰えるとありがたいな。俺らも最後まで粘ったんだけどよ」


 苦笑いを浮かべた淳平は、着ているダボついたトレーナーの袖を軽く捲くって見せる。


「この有様だからな。俺はまだマシな方だが、他のやつは一本持ってかれたのもいたぞ」


 更にそう続けた淳平に、僕は絶句する他なかった。

 あれだけ注意喚起したのにも関わらず、これ程の被害を受けたのか。だが、最悪に至らなかっただけマシとも言える。


 淳平の右腕に残る痛々しい傷跡(・・・・・・)を最後にもう一度確認し、深々と溜息を吐いた。




「取り敢えず、あちらさんも動物を虐待する趣味があるわけでも無いだろうし、先週の疲れを癒すために今月は休暇を取ろう。他の皆にもそう伝えておいておくれ」


「はいよ。じゃ、俺もご飯食べようかなー」

「えー、じゃあ僕はもう行くよ」

「薄情だなおい! もう少し付き合ってくれよ!」

「だって淳平、食べるのも遅いじゃん……」

「そこは否定しないけどっ……!」


 仕方ない、と溜息交じりに上げた腰を下ろし、早く買って来いと淳平を急かした。


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