仮面の女
この世界に時折現れる転生者がもたらした概念は多岐に及ぶが、一番社会的に影響が強いのは芸能界かもしれない。
演劇や歌、それは素朴な民族音楽や、貴族階級の音楽演奏会ぐらいしかなかったそれを覆し、一大産業にしてしまった。
俳優や歌手と呼ばれる職業は、一獲千金を狙える職業となり、また舞台を動かす興行主も多大な経済的影響をもたらすようになった。
そうした一人が、女優のアリアン・テッドだった。
抑えた、それでいて迫真の演技で最近売れ始めている女優だった。
彼女の遺体を発見したのは通いの掃除婦だった。
初老の域に入る、その掃除婦はほかにも数件の家と契約を結んでおり、合鍵を渡されていた。
普段なら、声をかけられるはずなのに、誰の声も聞こえない、不審に思った掃除婦が、居間を覗いてみれば、頭から血を流して倒れているその家の住人がいた。
けたたましい悲鳴を上げて、掃除婦は玄関からまろび出た。
アリアン・テッドが住んでいたのは一軒の家を縦に三分割してあるタイプの集合住宅で、残り二軒も彼女の顧客であったため、その悲鳴を聞きつけた別の部屋の住人が掃除婦を保護し、警察に連絡を取った。
遺体を検分した警察が、遺体を一度保管場所にもっていこうとすると、その遺体から顔が外れた。
正確には、遺体がはめていた仮面が外れたのだ。
仮面の下のその顔は、多少地味目だが比較的整っていたアリアン・テッドの顔とは似ても似つかない。
ぎょろ目にぽってりと厚い唇。丸い鼻、顔全体にそばかすが散っている。
それは、喜劇女優、マルテネス・リンドだった。
アリアン・テッドの顔が仮面だと誰も気づかなかった。
アリアン・テッドの顔が、間違いなく動いていたと誰もが証言していた。
呪具という線で調べたところ、宝石箱の中に、呪具屋闇夜鷹の顧客であることを示すペンダントが発見された。
かくして、呪具屋闇夜鷹にマディソンは派遣されてきたわけだ。
「仮面といっても、出せる表情は限られている」
自らの仮面を弄びながらフェアリスはうつむいた。
「だから女優としてやっていこうなんて無理だとマルテネスにはそう言ったのだけれど」
緑色の瞳が、不意に遠くを見るような色になる。
「あれは本当に名人芸だった。わずかな顔を傾ける角度、その陰影だけで本来仮面が出せるはずのない表情を表して見せた」
その時感じた感歎を思い出すだけで勘当するとフェアリスは言った。
「それで、彼女に仮面を売ったんだな」
「売ったというか、今の段階では、レンタルという形になっていたわ」
フェアリスは再び仮面をつける。
「分割払いという形になっておりました、私が受け取った金額は、本来受け取るはずの金額の約半分」
「それはご愁傷さま」
「ですので、仮面の所有権はいまだ私にあるのですが、いつ頃仮面を返却していただけますか?」
「おい、死体の上に載っていた仮面だぞ、どうするんだそんなもの」
「リサイクルというやつですよ、呪具に使われる部品は高価なものが多いと言ったでしょう私は不要になったら返却という契約書をいつも結んでいるんです」
「そんなものを売りつけられる奴が本当に気の毒だ」
マディソンがため息をついた。