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婚約が決まりましたわ。

 ジーニーに羽交い絞めにされる形で着替えを終えたキマイラは頬をぱんぱんに膨らませてリヒト・ハインツ・ベルンの前に座っていた。

 それはさしずめ、頬に餌を詰め込み過ぎたハムスターの様に。

 しかし、今のキマイラは生まれつきの容姿もあり、見た目だけであればとても愛らしい姿をしているのだ。

 頬さえ膨らんでいなければ。

 しぼむ様子のないキマイラの頬を見て、王子の従者が顔を引きつらせながら言った。

「お、王子、イエリエリ嬢とお話しされては?」

 キマイラの隣に立つ父も慌ててその申し出に頷く。

「それが良い!!キマイラ、我々は部屋を出るからあとは二人で。」

「・・・。」

「キ、キマイラ?」

「ぷくー。」

 キマイラは頬をさらに膨らませるとそのまま黙っている。

 どうすることも出来ない王子はただどんどん膨れ上がっていくキマイラの顔を見ていた。

 いそいそと部屋を出て行った父と従者。

「ご、ご令嬢は今日、ご機嫌が斜めでいらっしゃいますな?」

「何故ああなったのか我々にもさっぱりなのですが・・・。」

「・・・。」

「・・・どうしよう。」

 リヒトも今現在そう言う心境である。

 キマイラが着替えをさせられたことにいじけているなどとは知りもしないリヒトは音の一音も発しないキマイラをどうすることも出来なかった。

 こんな状況で二人きりになっても会話一つできず、お茶を飲んでいるしかない。

 異様な沈黙に耐え切れず、最初に口を開いたのはリヒトだった。

「キマイラ嬢、」

「私!貴方様と仲良くするつもりは一切ございませんから!!」

 言いかけたリヒトの台詞を遮るようにキマイラは愛想無く言った。

 ぷいとそっぽを向いて、不機嫌そうに言う。

「は?」

「確かに、婚約を申し出たのはこちらかも知れませんけど、私は父に嫌だと申しましたわ!!」

「はあ。しかし、キマイラ嬢の申し出であると父が、」

「それは・・・!!」

 リヒトの顔を見たキマイラは吐き出そうとした言葉を飲み込んだ。

 一秒程度の空白が生まれ、部屋が再び沈黙する。


 こ、ここまで言っても宜しいのかしら?婚約を申し出たのはこっちな訳だし、それに王子は王様の言いつけで婚約しただけで、彼は何も・・・いいえ、ここで言うのよキマイラ・イエリエリ!私の明るい未来のために!ごめんなさい、王子!


 一瞬不安そうに怯んだキマイラの表情が直ぐに引き締まり、怒ったような顔で言う。

「一瞬の気の迷いですわ!!」

「気の迷い?」

「ええ、そうですわ。最初にお会いした時は貴方様の王子と言う肩書からとても美化して捉えてしまいましたが、よくよくお顔を拝見すれば大して美形でもございませんし、好みでもありませんでしたわ!!」

「好み、ですか・・・。では、キマイラ嬢はどのような方がお好みなんでしょう?」

「え!?何ですの?行き成り。」

「いえ、僕が好みではないと言うからにはきちんと理想があるんだろうな、と。」

「そ、それはその・・・た、逞しい男性ですわ!!貴方様のようなヒョロい優男ではなくて、もっとこう勇ましくて、筋肉質で!騎士やうちの庭師みたいな人が理想ですわね!!」

「庭師?イエリエリ家の庭師はそんなに逞しいのですか?」

「元は騎士ですもの!!いざと言う時はいつだって助けてくれますわ!うちの使用人たちはみんな世界一なんですの!」

「成程、因みにどのようなところが?」

「侍女たちはみんなよく気が利いていますし、執事は賢いでしょう?料理人は美味しいながらも健康にいいお料理を作ってくれますし、庭師も庭を季節に合わせて綺麗にしてくれて、あ!馭者は常に安全運転ですわ!」

「キマイラ嬢は使用人の方々のことをよく見てらっしゃるんですね。」

「ええ・・・はっ!!いつの間にか流されてる!?」

 完全に話が脱線していた。

 少女に見まごうばかりの笑みで微笑まれ、キマイラは顔が熱くなるのを感じる。

 綺麗に整えた頭をぶんぶん振り回して正気を保つ。

「そ、そんなことはどうでも良いんですのよ!!それに!確かに私、お城で一度は父に貴方様と結婚させてほしいと頼みましたわ!でも、その一秒後には土下座してまで貴方様との婚約を拒んだんですのよ!?」

「土下座、とは何でしょう?始めて聞く単語ですが?」

「え!?う、うるさいですわ!うるさいですわ!温室育ちのお坊ちゃまにはこんな単語も解らないのでございましょう!?私、世間知らずは嫌いなんですの!!」

「それを言われたら貴方もなのでは?」

「はい?」

 キマイラがぼろをボロボロ出しながら進んでいた二人の会話がリヒトの言葉でピタリと止まった。

 彼は天使のような笑みでにこりと笑っている。

「初対面の相手に四六時中ぴったりと張り付いて離れないのは世間知らずにはならないのでしょうか?」

「そ、それは昨日の私のことを言っているんですの?」

「誰とは申しませんが。」

 紅茶を飲みながらリヒトが言う。

 どう考えても自分に言われている台詞にキマイラは今すぐ死にたい心境に駆られた。


 さっき貴方もってはっきり言ったではありませんの!!


 こんな所で、生まれてから昨日まで紡いできた黒歴史を掘り起こされるとは思っていなかったらしい。

 王子が反撃に出てきたのも予想外だ。

 さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、キマイラは羞恥と目眩で思わず俯いた。

 気づけば無意識のうちに頭を抱えている。

「そのことについては大変申し訳なかったですわ。なんて鬱陶しい真似を・・・差し出がましいようですけれど、できれば忘れて頂きたいですわ。」

 羞恥のあまり素直な謝罪が零れていたことにキマイラは気づいていない。

 それを聞いたリヒトは飲んでいた紅茶のカップを置く。

 彼の表情には少しの驚きが浮かんでいた。

「どうしてです?」

「私の黒歴史だからですわ!!」

「黒歴史?あれがですか?」

「ええ、そうですわ。私にとっては今までの人生全部が黒歴史ですわ。」

「別に、あなたのような年齢の令嬢では珍しくないと思いますが。それに公爵家の一人娘となればなおさらです。爵位のある家の一人娘は大抵貴方のようになります。恥じることはありませんよ。」

「恥じますわよ。例え周りがそんな令嬢ばかりでも、それに合わせて常識のない我が儘令嬢になっていいことにはなりませんわ。」

「昨日とはまるで別人のようなことをおっしゃいますね?」

「改心したんですの。これからはあのようなこと、絶対いたしませんわ・・・。」

 キマイラは顔を上げずに震えた声で言った。

 丁度、彼女は今、自分の過去に在ったあらゆる神経がぶっ飛んだような振る舞いを思い返している所であった。


 羞恥心で死ねるとはまさにこのことですわ・・・。


 そんなキマイラにリヒトが笑顔を向ける。

「自分の悪い点に気づいて克服できると言うのは良いことです。寧ろ、貴方は成長したのですから誇ってよいかと。」

「そうですわね、本当に恥ずべき・・・は?」

「素直に謝罪できるところも素敵です。普通の貴族は簡単に謝罪などできません。」

「それは私が貴族らしくないと言いたいんですの?」

「いいえ、普通の貴族より良いと僕は思います。」

 直球過ぎる褒め言葉にキマイラが固まる。

 

 ダ、ダメですわキマイラ!!相手のペースに飲まれては!


「そう言って何人を落としてきたんですの?王子とは言え、所詮は男性ですわね。」

「言ったのは貴方が初めてですが?」

「そんなはずありませんわ。だって、今まで何人ともお見合いなさってきたのでしょう?」

「してきましたが、大抵相手の話をひたすら聞いているだけか、黙ったままでしたので。」

「まさか。私には先に声をかけたではありませんの?」

「初めて沈黙を辛いと思ったので。あんな脹れっ面でいられると流石の僕も堪えられません。」

「うぐっ・・・!ぜ、絶対嘘ですわ!自分の顔がよろしいことくらい御存知のはずですもの!」

「はて?さっきは美形ではないと言われたはずですが?」

「ぐっ!」

「貴方にそう思ってもらえていたのなら光栄です、キマイラ嬢。」

「~~っ!!ばか!!」

「あはは、子供らしい一面もおありのようだ。」

「もう何なんですの!?この王子!!」

 散々ダメージを受けたにも拘らず、相手は無傷のまま二人の押し問答が終結する。

 キマイラは目の前でにこにこ笑っているリヒトを見て、顔を真っ赤にしていた。

 そんな彼女を見ているリヒトは楽しそうに笑っている。

 力尽きてテーブルに突っ伏したキマイラは思った。

「何を言っても通じませんわ・・・どうやったら嫌いになってくれるんですのよ!!」

「え?」

「え・・・?」

 声に出ていたらしい。

 だが、キマイラ自身はそのことに気づいていない。

「それは、どう言うことでしょう?キマイラ嬢、貴方は僕に嫌われたかったんですか?」

「な、何で知ってるんですの!?心でも読めるんですの!?」

「声に出ておりました。」

「ええ!?あーもう、そうですわ!!ばれてしまった以上言いますけど、私は貴方様に嫌われたいんですの!!」

「何故です?」

「この婚約を無しにするためですわ!」

「貴方は僕との婚約がそんなに嫌ですか?」

「えぇ、嫌ですわ!だって貴方は将来、私ではない別の人と恋に落ちるんですもの!!」

「は?」

 キマイラが気づいた時にはもうボロが出ていた。

 目の前で不思議そうに首を傾げるリヒトにキマイラは慌てて取り繕う。

 今日、数回目のボロである。

「も、もしかしたらそうなるかもしれないじゃありませんの!!こんな歳で婚約させられて。未来は解りませんわ!!」

「あぁ、そう言うことですか。」

 納得したリヒトが再び紅茶に口をつけるとキマイラは安堵し、胸を撫でおろした。

 しかし、紅茶を飲みながらキマイラを暫く見ていたリヒトがさっきの微笑みとはまるで違う笑みを浮かべた。

 まるで何かを思いついたようなその笑みにキマイラは何となく嫌なものを感じる。

 

 な、何ですの?さっきまでとは何か違った笑みのような・・・?


 キマイラが考えているうちにリヒトが口を開く。

「それにしても、今日はキマイラ嬢のことをたくさん知ることが出来て嬉しかったです。ありがとうございました、キマイラ嬢。」

「は!?私の何をご存知だと!?」

「イエリエリ家の使用人をよく信頼していること、今までの振る舞いを恥じていること、改心したこと、大人らしいながらも子供らしいこと、素直に謝罪が出来ること、あとは貴方の好みの男性も。」

「!?」

「あ、すぐに顔を赤くする所もそうですね。」

「~~っ!ずるいですわ!!」

「え?」

「貴方様ばかりずるいですわ!!私は貴方様のことを何も知りませんのに!!」

 顔を真っ赤にして、十二歳の子供らしい拗ねたような表情でキマイラは叫んだ。

 テーブルを叩いて、意地の様にリヒトの方へ身を乗り出している。

 そんな彼女を見たリヒトはクスリと笑った。

 それはさっきまでの笑顔とはまるで違う、年相応ともいえる愛らしい笑み。

 キマイラの赤い顔は気づけば桃色に変わり、いつの間にか彼女の心臓はうるさく跳ねていた。

 しかし、彼女はリヒトの思惑通りに流されたことには全く気付いていなかった。

「な、なにが可笑しいんですの?」

「いえ、ふふっ。キマイラ嬢は僕のことが知りたいんですか?」

「そうですわ、だってこれじゃあ不公平ですもの。」

「それはそうですね。解りました、じゃあ今度は僕が貴方の質問に答えます。何か質問があれば遠慮なく。」

「そうですわねー、じゃあまずは好みの女性を!」

「好みの女性、ですか?」

「えぇ、貴方様も知っているんだし良いでしょう?」

「はい。そうですね、社交的で心優しい女性でしょうか。」

「じゃあ次は」

 それから暫く、リヒトとキマイラはお互いのことについて話した。と言っても、会話の半分以上はリヒトに促されるような形で行われていたが。

 父と従者が部屋に入ってくる頃にはテーブルに置かれていた茶菓子は空になっていた。


 日も暮れ初め、キマイラは今、リヒトの見送りをしている。

「兎に角、良かった。最初はどうなることかと思ったが、仲良くなれたようだね。」

「そんなことありませんわ。」

「そうなのか?楽しそうに話していたようだったが。」

「気のせいですわ。」

 不服そうにしているキマイラとは裏腹に満足そうに笑っているリヒトはイエリエリ公爵に一礼した。

 そして、キマイラの方へ近づくと徐に跪き、彼女の手にキスをした。

「な!?」

「貴方は僕に嫌われたいようですが、残念ながら僕は貴方を気に入ってしまいました。なので、父に婚約破棄を申し出ることはないでしょう。」

「はあ!?」

 立ち上がったリヒトはキマイラの驚愕した表情を見てクスクスと笑った。

「頑張って僕に嫌われるといいですね、キーマ。僕の婚約者殿。」

 そう言うとすぐに身を翻して、馬車に乗り込んでしまった。

 馬車が出発すると後に残されるのは馬の蹄の音だけ。

 取り残されたキマイラはワナワナと肩を震わせ、隣では父がニヤニヤと笑っている。

「勝手に愛称を付けないでくださいなーー!!もう何なんですの!?あの王子ーーーーー!!」

 キマイラの叫び声だけが夕暮れの空に反響していた。

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