どれだけ酷い令嬢だったんですの?
キマイラ・イエリエリは思い出した。
自分が前世でプレイしたゲームの悪役令嬢に転生していることに。
昨日のことだ。
父親に連れられ、見合い相手のハインツベルン国第二王子 リヒト・ハインツ・ベルンの所を訪れていたキマイラはその場で王子に一目ぼれした。
少女に見まごうような愛らしい容姿にアクアマリンのような美しい髪を持つ王子。
たった十二歳でありながら、彼を見た全ての令嬢たちが一目で恋に落ちたと言う彼の容姿の前ではキマイラも例外ではない。
当然の如く恋をした。
そして、婚約者候補の中でも最も有力な家系にあった公爵令嬢キマイラは父に王子との結婚をせがんだ。
キマイラはイエリエリ公爵家の一人娘だ。
たった一人の娘である彼女は両親は勿論、屋敷の従者たちからも溺愛され、それはそれは蝶よ花よと我が儘放題に育てられた。
公爵令嬢として、最低限の知識や礼儀作法をわきまえてはいたが知識は知識のままでは何の意味もなさない。
礼儀知らずで我が儘放題、天上天下唯我独尊。自分が一番かわいいと思い続けているキマイラは王子と面会したその時、王子が自分に一目ぼれしたなどという勝手な妄想まで起こしていた。
絶対に両想いであると根拠のない確信をしたキマイラは父の服の裾を掴んで離さず、遂に根負けした父が婚約を必ず取り付けると約束した時。
キマイラの肌が泡立つように鳥肌を立てた。
胸騒ぎとも、悪寒ともいえる感覚にキマイラが身震いすると、今度は何かで殴られたような痛みが彼女の頭に走る。
痛みに耐えきれず、その場に崩れ込んだキマイラはその瞬間に思い出した。
自分が前世でプレイしたゲームの悪役令嬢に転生していることに。
ゲームタイトルはよく思い出せなかった。
でも、自分が誰なのかは解る。
キマイラ・イエリエリ。
イエリエリ家の一人娘でゲームのヒロイン チーズの恋路を邪魔する悪役令嬢。
黒髪黒目に学内でも一二を争う美少女。
攻略対象の一人であるリヒト・ハインツ・ベルンの婚約者。
学園生活が舞台のゲーム内でチーズを散々のように虐め、低い身分である彼女に権力を使った横暴な振る舞いをし続ける女子生徒だ。
しかし、最後にはリヒトと結ばれたチーズによって国外に追放された挙句、追放先で処刑されると言う、前世でプレイしたゲーム歴で最も悲惨なバッドエンドを迎える悪役。
記憶を全て思い出した時、キマイラは目の前で心配して声をかけて来る父に向かって三つ指を突いた。
「父様、自分で言っておいて大変申し訳ないのですがこの婚約話を無かったことにはしていただけませんでしょうか!?」
鬼気迫る声音で叫んだキマイラの体勢は見事なまでの土下座であったと、後に城の侍従が語っていた。
死ぬくらいなら土下座位いくらだって致しますわ!
そして、今日。
「どういうことですの!?」
イエリエリ邸にはキマイラの声が響いていた。
もう支度を終えているイエリエリ夫妻と、侍女に伝えられた話に飛び起きて、まだ何の支度もしていない寝間着姿のキマイラ。
王子との見合いを終え、これで彼と婚約せずに済むと安堵の息をついていたキマイラは朝食を共にしていた父の言葉に身を乗り出して叫んだ。
「どうもこうもない。昨日のお前の姿を見て父は大層感動したぞ、キマイラ。」
「どの辺にですの!?あれどう考えても完全な土下座でしたわよね!?」
「その姿に感動したんだ。」
「娘の土下座に感動したと!?」
「まさかあのお前が人に向かってあそこまで深々と頭下げるなんて!!今日は雪、いや雹が降っても可笑しくはなかったほどだ。」
「そこまで・・・、いいえ、今までの私からすれば在りえますわね。我が儘放題でしたものね・・・。今まで本当にごめんなさい、父様、母様。このキマイラ、改心いたしましたわ!!」
「明日は槍が降るのね?きっとそうなのよね?今日中に屋根を改築しなくては。」
「母様!!」
「ごめんなさい、半分冗談よ。」
「残り半分は!?」
「だって、貴方がそんなことを言い出すなんて天変地異が起きても可笑しくはないのよ?ねぇ、貴方?」
「ああ!その通りだ愛しい妻よ。しかし、娘がこういっているからには親である我々は見守ってやらねばならん。」
「まぁ、確かにそうね。何日持つかしら?三日?一日?一時間?」
「いや、十分・・・もし、一時間以上持ったら祝いのパーティーを開こうか!盛大に!」
「それは良いわね!!」
「扱いが酷過ぎる!!」
今までの行いが決していいものでなかったことは自覚していたキマイラだが、まさか両親が自分に対してそこまで低い評価をしていたとは思っていなかった。
キマイラもこの時は流石にショックだった。
「ってそうじゃない!!」
話しが脱線していることに気づいたキマイラは忘れかけていた本題に取り掛かる。
令嬢とは思わぬ勢いでテーブルを叩きつけ、盛り上がっている両親を無理やり話しに引きずり戻した。
「どうして王子との婚約話を承諾したんですの!?」
「何だその事か。別にいいじゃないか、お前も最初はそう言ってたんだし。」
「でも、嫌ってすぐに撤回しましたわよ!」
「あぁ、お前の言い分も確かに聞いた。」
「ではどうして?」
「おお!お前が父の言い分に耳を貸すとは!!」
「今までのおバカなお嬢様は卒業したんですわ!だから、」
キマイラが言いかかると両親から「おお!」「まあ!」と歓声が上がる。
それからは二人の驚きが口々に語られ続ける。
イエリエリ家の公爵と夫人は社交界では名のある紳士淑女だ。
当主である公爵は外交貿易で右に出るものは居らず、一人で数か国語を操り、国外からも数数多の信頼を得ている男だ。更にたった十年で子爵から公爵まで成り上がり、かつては王家の危機を幾度も救った、文字通りの天才である。
対してその妻は社交界でも上位の美女であり、経済学に長けた才女。学問においてならばその辺の男に全く後れを取らない。加えて、礼儀作法からダンスまで完璧にこなす淑女であり、社交界の男は誰もが一度は彼女を夢見ると言う。
しかし、現状の彼らにそんなイメージは全くわかない。
食事中であるため、その振る舞い作法は完璧だが、彼らが発している言葉の数々が、まさか天才と才女の娘に向けている台詞だとはだれも想像しないだろう。
「だから最後まで話を聞いて下さいな!!」
「最後まで飽きずに話が出来るのか!?」
「明日は隕石でも降るんじゃ!!」
「もお、何なんですのこの両親!?いいえ、半分は私が悪いのですけど、今は話を」
「キマイラが自分の非を認めた!?」
「貴方もしかして死ぬの!?そうなのね!?」
「いつまでたっても話が進みませんわ!!父様!!母様!!」
これ以上下手なことを言えば、両親の驚きは日が沈むまで続くだろう。
声を上げたキマイラを見て、父が咳ばらいを一つ。
真剣な表情になった父は彼女の方を真っ直ぐに見て言った。
キマイラも椅子にきちんと座り直す。
「冗談はさて置き。」
「本当に冗談だったら怒りますわよ、父様。」
「お前の気持ちも十分解った。王子やお前が将来、好きな人が出来た時、この婚約が邪魔になってはいけないと考えたんだな?」
「そうですわ。」
「父も考えた。確かにお前の言ったことは間違っていない。お前たちはまだ十二歳だ、これから先多くの出会いの中でそう言った出会いもあるだろう。父もお前のことを一番に尊重したい。」
「だったら!」
「しかし、イエリエリ家からすればこんな話はもう二度とないのもまた事実。王家の者が身内になると言うことがどういうことか、お前にもわか・・・説明するからちょっとま、」
「そのくらい解りますわ、父様。」
「なんと!・・・ごほん、なら話は早い。」
「つまり、イエリエリ家の為に王子へ嫁げと仰りたいのでしょう?」
「そうだ。」
「どうしてですの?父様。父様は社交界で最も高い地位をお持ちじゃない。それなのに王家の身内だと言う称号まで欲しいんですの?」
「そうじゃない。ただお前のことを考えても、これが一番いいと思ったんだ。これから先のことを考えて、我々が死んだ後もお前が苦労することなく生きて行けるように。」
兄弟の一人もいないキマイラのことを考えると父の考えは賢明なものだった。
しかし、親心からの父の言葉にキマイラは心の中で叫んだ。
でも、その王子と婚約したら私の死刑は確定してしまうんですわ父様!!
そんな心の叫びが父に届くはずもなく。
真剣な顔をしていた父は次の瞬間、あっけらかんと言い放った。
「まあ、一緒にいるうちに仲良くなるかも知れないし、この年からなら幼馴染として、恋が芽生えることもないとは言えない。」
果たして十二歳から始まった付き合いを幼馴染と言うのだろうか。
父が決めてしまった以上、キマイラに断る術はない。
しかし、このまま大人しく野垂れ死にするつもりも彼女にはなかった。
これは親同士が勝手に決めた結婚だ。しかし、婚約者の王子がどうしても嫌だと言えば、無くならない話ではない。
現王は父のことが嫌いではないが、噂に聞いた娘、つまりはキマイラをあまりよくは思っていない。今回の婚約は相手が父だったからこそ承諾しただけで実際、ゲームで王子がチーズと結婚すると聞いた時は大喜びだったのだ。
ならばキマイラがやることは一つ。
王子が現王にどうしても婚約を解消したいと縋るまで嫌われればいい。
そうすればゲーム本編が始まる前に婚約は解消。晴れて明るい未来を生きることが出来る。
嫌われる方法を考えなければ。
今までのような性格で生活しているだけではいけませんわね。
それではゲームシナリオの通りになってしまいますもの。もっとこう、何かこっぴどく、
「そのためにも今日は王子とよく知り合えたらいいな。」
考え込んでいるキマイラに父が前振りもなく言った。
これからについて考えていたキマイラが再び首を傾げる。
「はい?」
「おや、言っていなかったかな?今日、これから王子が挨拶にいらっしゃるそうだ。婚約者としてな。」
「それ呑気に朝食取ってる場合じゃないじゃないですの!!」
「そう言えばそうだな。」
「父様、しっかりしてくださいな!!私、今すぐに支度して・・・いいえ、このまま行きますわ!!」
「ん!?寝巻のままでか!?」
「そうですわ!!」
「じゃ、じゃあせめて髪を梳かしてからお行きなさ、」
「このままですわ!!」
そう言ってキマイラは部屋から飛び出して行った。
あとに残されたイエリエリ夫妻は寝巻のまま飛び出して行った娘の変化に影ながら涙していたと、後に執事たちは語っていた。