(3)
本日3話目。
「そもそも、何で男爵はウチの領にいたんだ?」
悠馬が疑問の声を上げると、アナスタシアも首を傾げる。
「さあ……。観光、とかでしょうか?」
「それでも普通は一言二言あるもんなんだろ?」
「そう……ですね。一応それが貴族の慣習とされていますし、そうするようにと成文化はされていませんが国王自ら口にされたこともあります」
確かにアナスタシアの言うような観光という線もないわけではない。だれからも干渉されずにのんびりと過ごしたいというのなら、何も言わないということも至極納得できるものである。
しかし一方でアナスタシアが言うような貴族の慣習というやつも存在する。面倒な話ではあるが、貴族である以上自身の意見や考えなど貴族の慣習というやつに抑えつけられることは多々あるし、それは何をするにもついて回る物なのだ。貴族の慣習を無視したところで目に見えた実害がすぐにあるわけではないが、もし故意的にそういうことをしたというのならその人に対する信頼は地に落ちる。厄介にも貴族という社会の中で生きていくには他人に隙を見せてはいけないし、協力者の信頼を失ってもいけないのだ。
そう考えるならば、男爵が秘密裏にコンノ領に入ったことには別の理由がついて回ることになる。
「例えば、誰かとの密会とかはないか?」
言いながらそれはないなと悠馬は自らの考えを否定した。それにはアナスタシアも同意のようで首を縦に振った。
「密会で相手に殺されたにしては雑な殺しですし、わざわざ部屋を荒らしていく必要はありません」
「何かを探していたとか?」
「それなら男爵の衣類が乱れていないといけません。秘匿するほど重要なものであるなら、それこそ肌身離さず持っているでしょうから」
「物盗りに見せかけるためっていうのは?」
「それならナイフを残していくことはないと思います」
「価値があることを知らなかったとか?」
「その可能性は否定できませんが、そもそも男爵の体勢がおかしいです。ベッドに仰向けの状態で殺されているのに「密会の最中に殺された」はおかし過ぎます」
アナスタシアの言葉に悠馬は頷く。
殺されてから移されたなら話は通らなくもないが、血の跡など現場で確認しなければならない。
何れにせよ『神様の真似事』だけですべてを把握できるわけではない。
悠馬はアナスタシアの方を向くと笑みを浮かべて言う。
「それじゃあアナスタシア。現場に行ってきて」
「え?」
悠馬の言葉に腕を組んで首をひねっていたアナスタシアが止まる。
「これだけじゃ分からないこともあるだろうし、宿屋の人の話も聞きたいし」
「領主様が行けばい――」
「行ってきて」
有無を言わさない悠馬の言葉にアナスタシアはため息をついて項垂れると、目を細めて悠馬を睨んだ。
「行かないと言ったらどうしますか?」
「向こう一週間ニナのお菓子抜きだな」
「なっ……」
愕然とした表情をするアナスタシア。元の世界の食事を知っている悠馬からすればそれほどの物なのかと思わなくもないが、実際にアナスタシアがことあるごとにニナの作るお菓子を頬張っているのを見ればそういうことなのだろうとも思う。甘味が少ないこの世界でニナの作るケーキの類いは貴重なのだ。
アナスタシアは愕然とした表情のままニナの方を見るが、ニナは何も言わずに諦めろと首を振るだけである。
そのニナの様子にどうにもならないことを悟ったアナスタシアは再び深く項垂れると、肩を落としたまま固有魔法を発動した。
『夢遊病者』
足元に展開された魔方陣が光を放ち、アナスタシアの姿が一瞬のうちに掻き消える。
執務室は悠馬とニナだけになった。
悠馬は大きく伸びをすると、体を机に伏した。
「あ゛ー、疲れた」
そう言いつつ、自分は何もしていないなと苦笑する。疲れたという言葉が口癖のようになっている自分がどうにも可笑しかった。
「何もしてないじゃないですか」
「したよ。魔法使って、頭も使った」
「馬鹿みたいに魔力を持ってて、馬鹿みたいなのに意外と頭が良いのにですか?」
「それは関係ないと思います、ニナさん」
「だとしてもまだ昼にもなっていません」
「確かに……」
再びあ゛ーと腹の底から声を出す。男爵の件以外にも今日中にやらなければならない仕事は山ほどというほどではないがそれなりにある。
悠馬はニナに飲み干したカップを差し出して御代わりを要求する。ニナからカップを受け取ると、体を起こしてそれを一気に喉へと流し込んだ。丁度いい暖かさと、甘ったるさが喉を通って体に染みわたっていく。
その感覚に一息つくと、悠馬は傍に積まれた書類の一つに手を伸ばした。
今日中に娼館にいくために。ただそれだけのために悠馬はやる気のない瞼をこじ開けて書類に目を通した。
*
すでに太陽は真上を通り過ぎ、時計台の鐘が一時を知らせたころであった。
執務室の中央に突然魔方陣が展開したかと思うと、消えた時と同様光と共にアナスタシアが姿を現した。
「何やってるんですか?」
現れて早々、アナスタシアの冷めた声が室内に響く。不満げな声であった。
「休憩」
短く悠馬が言い返すが、アナスタシアの反応もあながち間違ってはいない。
悠馬は机に脚を投げ出し、背もたれに体を預け、ニナに肩を揉んでもらっていた。
「色々と言いたいのですが」
「それが僕への文句じゃなければどうぞ仰ってください」
アナスタシアは大きく息を吸い込むと、心の叫びを声に出そうと口を開きかけたところで、何を思ったのか諦めたように首を振ってため息を吐いた。
「そうでした……。領主様はやる時以外はとことんやらない人でしたね」
そのどこか諦念漂う口調に些か悠馬は不満であったが、それでもアナスタシアの言葉には多分に事実が含まれていたため何も言わず黙って頷いた。
そんな悠馬の頭をニナがペシッと叩く。
「頷かないでください」
珍しいニナの行動にアナスタシアは少し目を見開いたが、思い返してみればニナと悠馬の間には浅からぬ関係が見え隠れしていたなと何となく納得する。悠馬自身もまんざらでもなさそうに叩かれた場所を擦りながら苦笑いを浮かべている。いったい二人の間にどんな関係があるのかと気になる所ではあったが、そんな思いを脇に寄せてアナスタシアは得た成果の報告を始めた。
「とりあえず、説明させていただきます。とはいえ、簡潔に言ってしまいますと、特におかしなところはありませんでした。領主様の魔法で確認したように部屋は荒らされ、ベッドの上の男爵の死体には一本のナイフが突き立てられたままです。男爵の死体にはその他に目立った外傷はなく、衣類に乱れもありませんでした。事件現場について報告することは以上になります」
そう言ったアナスタシアの言葉に、悠馬は引っかかる所があったのか眉をひそめた。
「事件現場以外に何かあったのか?」
そう問いかける悠馬にアナスタシアは頷く。
「はい。宿屋の主人に聞いたところ、男爵はもう一人の男と連れ立って泊まったそうです」
悠馬の眉がピクリと動く。続いて盛大に顔を顰めて尋ねた。
「おい、まさか……男爵はそっちだったのか?」
そんな悠馬のボケともつかない言葉に、全くの無表情でアナスタシアが返す。
「いえ、宿屋の主人の言によれば、そういう関係には見えなかったそうです。どちらかというと、主従の関係のように見えたと」
「主従の関係ということは従者か何かだろう?」
「最初はそう思いましたが……」
「違うのか?」
「いえ。どう考えるべきか分かりませんでした。主人によれば男爵ともう一人はもの凄く親しそうにも見えたと」
「だったら古い友人か何かじゃないのか?」
「そうかもしれません。後、男爵は偽名を用いて宿屋に宿泊していたようです」
「まあ、ウチの領に来ることを知らせてこなかったのだからそれも当然か」
「はい。とりあえず、本人を呼んでいますので、領主様自ら確かめてください」
最後の言葉に悠馬は明らかに嫌そうな顔をした。意趣返しか何かかとアナスタシアを見るが特に変わった様子はない。結局、自分では判断しきれなかったから連れてきたのだろうと思うことにした。
「それはいつ来るんだ?」
「間もなくかと思います」
アナスタシアの言葉が合図であったかのように、扉を叩く音が聞こえた。
本日残り2話。