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安楽椅子異邦人  作者: 立花嬉多
死体は多くを語らない
6/15

(1)

本日5話、明日5話の合計10話投稿します。

つまらなくてもお楽しみください。

怨み辛みとは時として事実に即さないことがある。もっと言えば、それらは時として人の感情であるがゆえに、歪に形作られてしまうこともある。

 もちろん、それは怨み辛みといった感情に限った話ではないが、感情の振れ幅が大きければ大きいほどに、その傾向が強くなるような気がする。

 だからと言うわけではないが、あの事件とも呼べぬ代物は、そのありふれた内容にも関わらず、こうもどこか心というものを引っ掻いてくるのだろう。


 いつものように椅子に腰かけ、机に突っ伏しながら、紺野悠馬は溜息を吐き出した。


 *


 この世界に『夏』という概念があるのかは分からないが、それでもこのエアコンの機能を冷房から暖房に切り替えたような急な温度の上昇は、自身がかつて故郷の島国で体験したものと同じようなものであると、紺野悠馬は今日の予定を報告をしに来たアナスタシア・ランドに愚痴た。


「そうですね。その『夏』というものは聞いたことはありませんが、私たちはこの急な気温の上昇のことを『アンドレシアの来訪』と呼んでいます」


 白い肌に張り付くような衣服を身に纏い、淡いブロンドの長髪を背中に垂らしたアナスタシアは、悠馬の予定が書かれているであろう手帳から顔をあげて答えた。


「アンドレシアだって?」


 そう悠馬が訝しげな顔をすると、アナスタシアは一つ咳払いをした。


「そうです。天の三女が一人、アンドレシア様が地上にお近づきになられている証であるとして、そう呼ばれています――」


 どこか神話や伝承というものに傾倒気味のアナスタシアは、そういう類の話になると肉食獣のごとく食いついてくるのである。


「――また、かつてこの世界がまだ美しく清らかであった時代には、アンドレシア様含む三女様はよく地上に降りられては、景色や人の営みを観察してお楽しみになられたと言われています。ちなみに、アンドレシア様が一番の末であるそうで、その上に侍女のユーフラシア様と長女のアナスタシア様が居られます」


 嬉々としてアナスタシアは語る。


 されど、悠馬はその話に疑問を持つ。

 仮にアナスタシアが話すような美しく清らかな世界があったのなら、きっとそこには人間などという汚く醜い生き物は存在していなかっただろう。だとしたら、三女が世界に降りて人の営みなど観察できるわけがなく、その話は矛盾を抱えることになる。

 一方で、人が汚く醜いなど悠馬自身の主観でしかないし、仮にそれが事実だとしても、矛盾を抱えながらもそこに希望やロマンなどといった非現実的な物があるのだからこそ、それが神話たりえるのだろう。つまる話が、神話というものは虚実どちらにせよ人が思う次第なのである。件の三女にしたって、天上の世界にはそんな美しい天女がおり時たま地上の世界に降り立って遊覧していたと信じればそういうことになるのである。


 そんなことよりもと、少し奇怪な目を向けながら悠馬は気になった部分を尋ねる。


「長女がアナスタシアって言ったな?」


 その言葉に待ってましたとばかりに、アナスタシアの顔が綻んだ。


「はい!私の名前はアナスタシア様から頂戴した名前です」


 自分の名前を『様』付けして呼ぶのはどうかとも思うが、それを言っても栓のないことであろう。仮に言ったとしたら、それなら人よりも上級の存在である神様を呼び捨てにするのかという、無宗教の自分には理解しがたい怒声が飛んでくるであろう。


 悠馬は「そうか」と適当に頷くと、もう一つ気になっていたことを尋ねた。


「このクソみたいに熱いのが『アンドレシアの来訪』だと言うのなら、他の二人の来訪はどうなってるんだ?」


 アナスタシアは「よく聞くいてくださいました」と言わんばかりに笑みを浮かべる。


「次女のユーフラシア様が来訪されると、木々や花々の芽が芽吹くと言われています。また、長女のアナスタシア様が来訪されると、木々や花々が落ち、再生への準備が始まると言われております」


 つまり、ユーフラシアが春でアナスタシアが秋に当たるというのだろう。冬はどこに行ったのかという疑問もあるかもしれないが、この世界――すくなくとも悠馬がいる国では極端に寒くなるということはなかった。


 しかし、アナスタシアが秋――木々や花々が枯れる季節だというのなら、その名をもらったアナスタシアもつまり女が枯れているという意味になるのだろうか。そんなことを考えながらアナスタシアを見ると、まるで心を読んだのであるかのように、アナスタシアは悠馬を睨み付けた。そして、


「今日の仕事を増やしておきます」


 しっかりと刑罰が読み上げられた。


「なぜそうなる!?」

「私に失礼なことを考えたからです」


 悠馬の抗議の声に、アナスタシアが突き放したように言う。


「何もしていない!」

「いいえ、しっかりと目で語っていました」

「僕の目がいったい何を語ったと言うんだ」

「私が自らにかけられた侮辱を自らの口で説明するとお思いですか?」


 酷く冷淡な声で言い、悠馬に冷めきった目線を向ける。

 しかし、のんべんだらりと暮らしたい悠馬としても、仕事が増えるのは看過できない。実際に目を見ただけで、何が分かるのかとも思うが、しかしアナスタシア自身が言い張っている以上はその言を曲げることはないだろう。


 そんなところに救世主とも言うべき人物が姿を現した。


「失礼します」


 ノックの後にそう言ってニナ・アーモンドが扉を開けて入ってきた。


「お飲物をお持ち、しま……した?」


 どうやらアナスタシアが悠馬に向ける一方的な冷めた目線に気付いたようであった。そして、何か事情を理解したのか、一つ頷いた後悠馬に言葉を投げた。


「今回も領主様が悪いです」


 差別と偏見に基づいた意見であった。少なくとも悠馬はそう思った。


「ニナまで!」


 扉を開けて入ってきたのが味方だ救世主だと思っていたのに、その実決してそんな都合の良い存在ではなかったことに悠馬は項垂れた。


 ニナならば悠馬の味方についてくれるはずだろうと思ったのに。ただその思いだけが当て所なく宙を彷徨う。


「ニナの言う通りです。案外と女性というものは、男性が向ける目線に敏感で聡いものなんです」


 アナスタシアが腰に手を当てて言う。

 それに悠馬は不満の裏返しともとれる苦笑いを浮かべると、諦めたように手をあげた。


「分かったよ。僕が悪かった。そういうことにしておこう」


 潔いともそうでないとも取れる悠馬の物言いにアナスタシアは顔を目を細めた。


「あまり釈然としません。……が、まあいいでしょう」


 アナスタシアがそう言うのを待っていたかのように、扉の傍で成り行きを見守っていたニナが飲み物やお菓子の類を乗せたカートを押して来た。


「ホット・チョコレートでよろしいでしょうか?」


 ニナの言葉に悠馬は頷く。ニナも悠馬が頷くことを始めから分かっていたかのように、既にホット・チョコレートを注いだカップを持って待機していた。

 ニナからカップを受け取ると、少し息を吹きかけて冷ましてからゆっくりと啜る。口に広がる甘さと喉を通る温かさに、悠馬はほっと息を吐き出した。


 何もしていなくても汗が滲むほどに熱い気温ではあるが、不思議とホット・チョコレートは止められない。それがホット・チョコレートのせいなのか、それとも暑い日にラーメンを食べたくなるようなそんな感情によるためなのか、確かなことは言えないが、それでも喉を抜ける熱さは好ましかった。


 悠馬が一息を吐くと、それを見計らってアナスタシアが一つ咳払いをした。


「えー、今日の予定は先程話したもので以上ですね。後、何枚か領主様の決済が必要な書類が届いておりますので目を通すのを忘れずにお願いします」


 そう言って、アナスタシアが礼をして退室しようと回れ右をしたところで、どたばたと廊下を駆ける音が聞こえた。

 その物音は悠馬たちがいる部屋――執務室の前で止まると、束の間もなく勢いよく執務室の扉が開かれた。


「事件ですっ!」


 そう大声を上げてサラリア・エボッド――サラが駆けこんできた。 

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