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安楽椅子異邦人  作者: 立花嬉多
死体は多くを語らない
15/15

(10)

ラストです。

 現れた女性はひどくやつれて見えた。

 布切れを身に纏い、まとまりのない解れた髪の毛は腰ほどまで伸びている。肌は土に汚れ、目ぎらぎらと狂乱に満ちている。元は美しかったであろう容姿は影をひそめ、目元はくぼみ、頬はこけ、そこには死を横に携えた一人の女性が佇んでいた。


「私はやっていない!」


 その女性――シグネは髪を振り乱しながら叫んだ。

 必死に振りほどこうとする彼女を、サラが押さえつけている。


「静かにしろ!」

「やってない!私は何もしていない!」


 唾を飛ばしながら否定し続けるシグネに、悠馬はゆっくりと口を開いた。


「シグネ。君にはデュエニーニ男爵の殺害容疑がかけられている」


 淡々と言葉をかける悠馬に、変わらずシグネは叫んだ。


「やってない!やってねえ!やってねえって言ってんだろ!」


 すでに女性という言葉は彼女には不釣り合いで、どこか獣じみた形相をしているように悠馬は感じた。


「それは今から分かることだ」


 そう言いながら立ち上がった悠馬は机の上に一メートル四方の箱を置いた。

 サラがわめくシグネを押さえつけるのを横目に見ながら、箱の中の砂に手を翳す。気付かれないように小声で固有魔法を唱えた。


 流れる様に砂が動き出すのを確認して悠馬はシグネの方を再び向いた。


「さて、シグネ。僕は――」

「やってねえっつってんだろ!」

「あー、少し静かにしてくれないかな。これから分かるんだから。君がやったかどうかなんて」

「やって――」

「静かにしろ!」


 堪忍の尾が切れたのか、サラが徐にシグネの口に布を突っ込んだ。


「んー!んー!」


 暴れるシグネを押さえつけてサラが目線を投げてきた。

 こっちは任せてください。そんな風にその目は言っていた。


「あー、シグネ。僕はある固有魔法を持っているんだ」


 どこか自慢げにそう言う悠馬に、それでもシグネは睨みつけて自らの犯行を否定していた。

 悠馬は気にせずに話を続ける。


「どんな固有魔法かと言うとだ――」


 勿体付ける様に咳払いをして、勿体付ける様に人差し指を立てると、勿体付ける様に言った。


「『過去を映し出す魔法』だ」


 シグネの目が大きく見開かれた。逃げ出すように暴れ、もがき、言葉にならない声で叫んだ。

 悠馬は先程よりも声を大にして言う。


「いいかいシグネ!僕はこれからここに男爵が殺された日!殺された時間!その時に起こったことをここに映し出す!」

「ん゛ーっ!ん゛ーっ!」

「いいか!よく見てるんだ!」


 そう言いながら、悠馬はちらりと砂の様子を窺う。どうやらアナスタシアの作戦は順調に工程を踏んでいるようであった。

 悠馬は内心ほくそ笑むと、それを表には出すことなくシグネに砂の動きが見える様に横に移動した。


「見てろシグネ。今から過去を映しだす。お前がデュエニーニ男爵を殺したあの瞬間をな」


 半狂乱になりながらも血走った目で箱の中の砂を見つめるシグネを一瞥すると、悠馬もまた同じものに目を向けた。


 砂が滑らかに動き出す。

 舞台は中途半端に栄えた辺境の町の安宿の一室。

 登場人物は二人。痩身の女性と、体格の良い男性。

 男性は窓際のベッドに横になり、扉から忍び込んだ女性は静かに男性の枕元に立つ。

 彼女は何を思ったのだろうか。しばらく男性の寝顔を眺めた後、徐にその手に握ったナイフを振り上げた。

 そして、頬から流れ落ちそうになる涙を拭うと、勢いよくその手を振り下ろした。

 ナイフが、男性の体に刺さった。

 男性は目を見開き、僅かに顔を動かして自らを刺した相手を確認する。

 女性は震える手をナイフから引きはがすと、目を逸らすようにその手で顔を覆い後ずさった。

 男性はゆっくりと手を持ち上げた。ただ犯人を確認したかったのかもしれないし、犯人を逃したくなかったのかもしれない。犯人に一矢報いようとしたのかもしれない。もしかしたら、ただかつて愛した人をその手にもう一度抱きしめたかったのかもしれな。けれど、男性の手が女性に触れることはなかった。

 最後の力が尽きたように男性の手がだらんと降ろされる。それを見た女性は、半ば狂乱したように近くにあるものを片っ端から手に取り、見当違いの方向に投げつける。相変わらず女性が男性を直視することはなかった。

 やがて女性はフラフラとおぼつかない足取りで部屋を後にした。

 荒らされた部屋には不釣り合いなほど、綺麗な死に顔がベッドの上に横たわっていた。


 そこで悠馬は砂に手を翳して、元の均された状態へと戻す。

 室内が静かになったことに気づきシグネの方を見ると、彼女は静かにその顔を手で覆っていた。泣いてるのか、時折すすり泣く声がその両手の隙間から漏れた。


「以上が、全てだ。男爵が殺された夜の。そして、君が犯人だと言うことの」


 悠馬はシグネの前に立って言う。


「だから、話してくれるね?シグネ。君がなぜ男爵を殺したのか。なぜ殺さなければならなかったのか。男爵を愛してはいなかったのか……」


 シグネは泣いた。泣きながらすべてを語った。

それは怒りだったのかもしれない。諦めだったのかもしれない。

 彼女の言葉には強く荒々しい感情がこもり、同時に少しだけの後悔の念がこもっていた。悠馬にはそんな風に感じられた。


 シグネが語ったすべては、概ね予想通りであった。

 男爵を愛したこと。男爵と離れたこと。いつまでも待ったこと。いつの間にか男爵が正妻を作り、側妻を作ったこと。彼女が裏切られたと感じたこと。

 そして何より男爵にとっても予想外であったのが、彼女の家族が死んだことであろう。男爵と別れ、それでも家族を支えたシグネという女性は、やがて家族を養うのにも苦労するようになり、いつしか自らも食うに困る様になっていった。そして気付けば、母親も弟妹も自分の隣で冷たく横たわっていた。

 恐らくその時の彼女の心境は計り知れないものがあったのだろう。そして、それが自らを捨てた男へと向いたのだ。同時期に側妻をとったというのもそれに拍車をかけたのかもしれない。

 彼女は男爵への怒りを胸に今日まで生き、報復とともに、自らの過去を後悔を何もかもを忘れようとしたのだ。

 少なくとも、悠馬にはすべてを語る彼女の顔が、怒りも憎しみも、悲しみも苦しみも、愛しささえも内包したその顔が、彼女の心境のすべてを語っているように思えた。


 それでも、すべてはシグネという女性の主観であり、主観からの言葉でしかない。すべてを信じるのは愚かであろうし、全てを疑うこともまた同じく愚かであろう。

 だから悠馬はシグネが語るすべてを一つの側面として受け止め、同時に一つの事実として受け入れた。少なくとも、シグネ自身がその感情に基づき、その主観からの事実に基づき行動を起こした以上、それは事実であり、また一方で異なる意見が存在する以上どこかに虚構が存在するのだろうというのが悠馬の結論であった。


 すべてを語り終えたシグネ床に座り込み、両手はだらんと下がるがままに任せ、目は焦点をあわせることなくぼうっと中空を眺めていた。いまだ涙は頬を伝い流れ落ちているものの、決して量は多くない。


しばらくシグネをそのまま眺めた悠馬は、シグネが落ち着くのを待って口を開いた。


「それじゃあ、王国法に則って君に罰を与えよう」


 悠馬の言葉にシグネの肩が震えた。


「と、言いたいところなんだが。シグネ、君はもう一つの真実を知らない」


 いまだ焦点の定まらないぼうっとした目をしているシグネをそのままに、悠馬は話し始めた。ロバートから聞いた話を。彼が信じた真実を。デュエニーニ男爵の願いを。


 なぜ自分自身がここまでするのか、悠馬には自身のことであるにもかかわらず分からなかった。一介の犯罪者相手に、彼女の信じた真実になぜロバートから聞いた話をしてまで真実の上塗りをしようとしたのか分からなかった。たぶん、そこには同情だとか使命感だとかそんな些細な欺瞞や偽善があったのだろう。目の前の哀れな女性が少しでも救われればという思いがあったのだろう。ただ、悠馬自身それを自覚することはなかった。


 悠馬が話し終えるときにはシグネは顔を手で覆い、静かに感情を吐き出していた。


「どうしてよ……。なんでよ……」


 ロバートが話したこと。バルドがシグネを愛していたこと。シグネをいつまでも思っていたこと。シグネを迎えるために努力したこと。

 それでも、それらが全て真実であるとは言わないし、虚構であるとも悠馬は言わなかった。ただ、そういう事実、意見があるとだけ、シグネに伝えたつもりであった。それの受け取り方はシグネ自身が決めるべきものである。悠馬はそう思っていた。


 そしてシグネは――


*


 後日、約束通りロバートにシグネを引き渡した。同時に監視にも便利な仮設の家を騎士団詰め所の近くに建て、半年の間はそこに住まわせることにした。


 シグネは犯行を自白した。

 自白、なのだろうか。

 彼女は泣きながらすべてを語った。それは愛の語りでもあったし、後悔の懺悔でもあった。怨念の叫びでもあったのかもしれない。

 様々な表情が浮かんでは消え、その度に彼女の吐露は色を変えていった。


「しかし、まあ、女ってのは怖いね」


 椅子の背もたれに背を預け、天を仰ぎながら悠馬が呟いた。


 執務室内には、悠馬とニナの二人だけだった。


「そういうものです。女性という生き物は」


 悠馬の呟きにニナが答える。手には口から湯気を上げたポットを持っていた。

 悠馬は空になったカップをニナに手渡しながら言う。


「ニナもか?」

「はい。私もです」


 ニナは笑顔で頷く。どこか禍々しいその微笑みに、悠馬は苦笑いで答えた。


「あー、そう。そりゃ、怖いな……」


 そんな悠馬にニナはカップを渡す。


「それよりも。どういうことなんですか?」

「ん?何が?」


 ニナから渡されたカップに口をつけようとした悠馬が顔を上げる。ニナが首を傾げていた。


「どうやって魔法で過去を映しだしたんですか?ということです」

「あー、あれな」


 ニナが言っているのは、悠馬がシグネに見せた固有魔法のことだろう。


「確か悠馬様の固有魔法は現実の――」

「現実のその場所を砂や土といったものでその場に映し出せる。確かに僕の能力はそうだね」

「それなら、どうして過去を映すことができたのですか?」


 疑問符を頭の上に浮かべるニナに、悠馬は笑った。


「いや、僕が映し出したのはあくまで現実だよ」

「え、でも……」

「ただ単に事件の夜を再現したところを映してただけ。後は口八丁で相手が過去のことだと思い込むという」

「なるほど。そういうことでしたか」


 そう言ってニナは感心したように拍手をする。その繕うことのない賞賛に、悠馬は照れ臭そうに頬を掻いた。


「まあ、考えたのはアナスタシアなんだけどね」


 そうは言いつつ、悠馬自身もまたアナスタシアを内心で賞賛していた。

 実際、初めにアナスタシアから話を聞いた時うまくいくなど思わなかったし、予想は立てられても、その当時の状況を完全に再現するなど不可能であるから、どこかでシグネにバレるだろうと予想していた。なんなら、アナスタシアとの賭けでバレる方に賭けてさえいた。


 それでも、蓋を開ければあっけないほど簡単にシグネは術中にはまり、いともたやすく自白した。それは予想だにできないできごとであり、思いもよらない展開であった。


「どうしてバレなかったのでしょう?」


 ニナが尋ねる。それに悠馬は首を振る。


「恐らくだけど、シグネが取り乱していたから、だろうね。半狂乱で、同時に男爵を殺した時の恐怖も蘇ってきて、それで砂の上に映し出されたものを信じ込んだんだろうよ。実際、殺した時のことなんてそうそう覚えていないだろうし。必死だっただろうからね」

「そういうことでしたか」


 ニナはまだ納得がいかないようながらも頷いた。その様子に「たぶんだけど」と付け加えながら、悠馬はカップを口に運んだ。


 今回の殺人事件は、いつぞやアナスタシアが言ったように「痴情のもつれ」から発展したものであった。片方は信用していたにも関わらず、片方は信用しきることができなかった。疑いを持ったまま別れた二人は、片方が不幸を背負い、不運なすれ違いから互いの道が交差することはなくなった。

いや、最終的には交差したのだろう。片方にとってはそれが道の端であっただけで。それは悲劇と語るには余りにも拙いラブストーリーで、不運と身勝手とすれ違いが生んだ不幸な事件だ。


 渡されたカップを飲み干して、一息を付きながら悠馬は思う。


 誰かがほんの少しだけ手を差し伸べていたのなら、今回の事件は起こることはなかっただろう。誰かがほんの少しだけその手を握れていたのだとしたら、彼らの拙い悲劇は悲劇のままに終わらなかっただろう。もし自分が、もう少しだけこの街のことを気にかけていたら、もっと違った結末がどこかにあったのかもしれない。


「なあ、ニナ。僕って、何か間違ってたのかなぁ……」


 不意に呟いた悠馬の言葉にニナは少し目を見開いて、それから目を瞑るとゆっくりと首を振って微笑んだ。


「いいえ、間違っていませんよ」


 その言葉に悠馬は静かに笑った。

これで一応完結です。また気が向いたら書くかもしれません。

ありがとうございました。


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