金の音は遠く
この後、10分くらい時間を空けて次話を投稿する予定です。
紺野悠馬は腰かけていた椅子に深く座りなおすとゆっくりと息を吐いた。そして机の上に広げられた書類を眺めながら言う。
「どうしてもっと早く言わなかった?」
やや怒気がこもった言葉に、直立不動の態勢で悠馬の前に立つアナスタシアはびくりと震えた。
「も、申し訳ありません!」
反射的に謝罪する。けれども、悠馬の怒気はおさまる様子はない。
「申し訳ないで済む話じゃない!……アナスタシア。分かるかい?この機会を逃したらまた来年だ。いや、下手をしたら再来年かもしれないし、もっとずっと先かもしれない」
そう言って悠馬はアナスタシアを睨み付けた。
「申し訳ありません!」
アナスタシアは勢いよく頭を下げた。アナスタシアにはそれ以外どうすべきか分からなかったし、そもそも何がそこまで目の前の領主を怒らせたのかが分からなかった。けれども、怒っているからには何かしら琴線に触れるものがあって、何かしらの不敬があったのだろうと考え、だからこそ頭を下げるべきだと思い、素直に、勢いよく頭を下げた。
「君は……君は……」
悠馬は肩を震わせたが、それでも次の句を継がず、自身を落ち着かせるため大きく息を吐いた。
「まあいい。君は減俸するとしてだ――」
悠馬の言葉に頭を下げていたアナスタシアは驚きの声を上げて勢いよく頭を上げた。
「減俸ですか!?」
「何を驚いた顔をしている。当たり前だろう?失敗をしたのだから」
「し、失敗って……たかが行商の一人や二人……」
そこまで言ってアナスタシアはしまったというように口を開けたまま固まった。案の定、悠馬の怒声が飛ぶ。
「行商の一人や二人?ああ、そうだろうとも。君には行商の一人や二人かもしれない。そこら辺にいる行商と変わらないのかもしれない。君みたいないい所の出で?伯爵子女だっけ、公爵だったかな?とりあえず好きなものがあれば何でも手に入って?少し駄々こねれば親が何でもしてくれて?何でも自由にできて?そんな裕福な人生を生きてきた君には理解しがたいだろうね。僕のこのこだわり様は。分かってるさ。君に頼んだ僕が悪かった。君みたいな温室育ちのボンボンに頼んだ僕が悪かったんだ。いや、失礼したね。お嬢様の手を煩わせてしまって。君が怒るのも無理はないだろう。ああ、僕が悪かった。分かってるさ。分かってるんだけどね。けど――」
悠馬が言葉を口から吐き出す度にアナスタシアは拾われてきた猫のように小さくなっていく。
穴があったら入りたい。蓋があるなら蓋をしたい。耳を塞げるのなら塞いでしまいたい。逃げ出せるのなら今すぐにでも逃げ出して叫んでしまいたい。馬鹿野郎と。
アナスタシアがそんなことを考え始めたところで、勢いよく部屋の扉が開いた。
「ユウマ様!」
悠馬とアナスタシアが揃って声の方を向くと、長い金髪を後ろで束ねた女性が立っていた。女性は着ている鎧をガチャガチャといわせながらアナスタシアの横まで来るとビシッと直立する。
それをやや見上げる形で悠馬は尋ねた。
「どうしたんだ?サラリア・エボッド」
「エボッドは止めてください。サラで結構です。それよりも事件です」
「事件?」
悠馬が眉を顰める。それを気にせずサラは事件の概要を話は始めた。
「今日の昼頃、ヤヌカ街道で行商が何者かに襲われたそうです。幸い命に別状はなかったそうですが、商品を根こそぎ奪われたそうで、詰所に被害を訴えてきました」
「またあの糞みたいな山賊?」
半ば呆れたように溜息を吐く悠馬にサラは首を振った。
「いえ。襲われた行商人の話だと相手は三人程だったそうです。男が二人で女が一人。服装はとりわけて汚れているといったことはなく、ごく普通の服装だったそうです」
「三人か……。じゃあ違うか……」
「はい。糞の溜め団の可能性は薄いですね」
「糞の上団な」
「あの、雲の上団では……」
おずおずと二人の間違いを訂正するアナスタシアに束の間視線が集中したが、すぐに何もなかったかのように悠馬とサラは話を続けた。
「なんなんですかぁ」と呟くアナスタシアを無視して会話は続く。
「それで、何でエボッド君はその話を仰々しく「事件だっ!」などと言って僕に持ってきたんだ?」
「サラです。それが、駆け込んできた行商人が盗まれた商品の補てんをしろと言ってきておりまして……」
「はあ?」
サラの言葉に悠馬は思わず身を乗り出した。少なくとも悠馬が領主として領地に赴任して以来、そんな商人はいなかったし、そもそも行商人は護衛等を雇って自身の身を守る存在であると認識していることもあり、そんな商人がいるなどと考えたこともなかった。
「補てんって……いったいいくらだよ」
「行商人の話を信じるなら17万エラだそ――」
「17万……」
その金額を聞くと、悠馬は倒れる様に背もたれに寄り掛かった。
17万エラといえば、金判1枚に金貨が7枚。4人家族の一月の生活費が200エラ。〝モニラ”という固い黒パン1斤が1エラ。治療院でかけてもらえる最下級の回復魔法1回が10エラ。さらに言えば、4人家族が十分に住める家を一つ建てるのに2000エラ。要するに馬鹿高い金額である。
「それで、どういたしますか」
「どうするって言われてもなぁ……」
背もたれに体を預けながら腕を組んで頭を悩ませる。
「いまウチってお金いくらあったっけ?」
何とはなしに悠馬が秘書であるアナスタシアに尋ねると、アナスタシアは驚いたように机に手をついた。
「払う気ですか!?」
思いのほかの大声に悠馬は少し仰け反る。隣のサラも顔をゆがませるが、アナスタシアは構わず続けた。
「分かっていますか?あなたが改革だ何だと言って、次から次へとお金を使うせいで金庫は空っぽ。赴任した時には満杯に程近いくらいまであった金判がなくなったんですよ?あんなにあったお金が!」
「分かった。分かった。でもあれ、前の領主がため込んだやつだろ?脱税で」
「だからと言ってあなたの趣味で全部使っていい道理があるとお思いですか!」
「趣味じゃ――」
「金庫だけならまだしも、商会に借金までしてるじゃないですか!」
アナスタシアは勢いよく叫んだ。鬱憤を吐き出すかのように叫んだその声に悠馬とサラはさらに大きく距離をとった。
「どうどう。落ち着いてアナスタシア。僕が悪いのは分かったから。とりあえず行商人をどうするか話そうか」
叫んだせいか肩を上下させて息をするアナスタシアをなだめて悠馬は言う。アナスタシアも言いたいことを言いきったのかやや乱れた服装と前髪を直してまた直立した。
「それで、現場はどこって言ったっけ?」
「ヤヌカ街道です。丁度分かれ道の所ですね。サフラン王国へ向かう道とオーグスターブ領へ向かう道の」
「あそこか……。アナスタシア、いつもの」
そう言うと、悠馬は机の上に広がった書類を脇に寄せスペースを作る。そこにアナスタシアは1メートル四方の砂が敷き詰められた箱を持ってきた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
悠馬はそれに手をかざすと、ゆっくりと息を吐き固有呪文を唱えた。
『神様の真似事』
すると砂は隆起と沈下を繰り返して、そこに事件現場であるヤヌカ街道の分かれ道の模型ができた。
「それで、ここが事件現場だろ?」
どこから取り出したのか悠馬は分かれ道の所にピンを立てる。その前では、いつも見慣れているアナスタシアは平然とし、初めて見たサラは驚愕に目を見開いていた。
「な、何ですかこれは!?」
「何って、魔法」
当たり前であるかのように悠馬が答えると、サラはさらに絶叫気味に叫んだ。
「こんな魔法見たことないですよ!」
今度はサラかと再び距離を取りながら悠馬は答える。
「そりゃ、固有魔法だからさ」
「領主は固有魔法を使えたんですか……?」
今度は半ば呆然とした感じでサラは尋ねた。いつもは無表情なのに、こういうときはコロコロと表情を変えるよなと思いながら悠馬は頷く。
「まあ、実際使ってるし」
「嘘……」
「嘘じゃねえし」
そんなやり取りをしている悠馬とサラにアナスタシアが割り込んできた。
「そんなことより!事件の話をしてください」
「そりゃそうだ」
悠馬はポンと手を打って作り出した模型に向き合った。見ると、サフラン王国方面の道から馬車が一台こちらへと走ってくるところだった。
それを見てサラはさらに驚きの声をあげる。
「何ですかそれは……」
「ああ、これ、今現在のカヌヤ街道を魔法で再現してるだけだから。馬車とか人とか、動いてるだろ?」
「そんな……」
サラは今にも崩れ落ちそうな様子で机に手をついた。
悠馬としても驚くのは無理ないだろうと思わなくもない。何せ最初に使った時自分だって驚いたのだ。ホントに現実をリアルタイムで表現しているのか何度も確認したし、色々と試行錯誤してみたこともある。そのせいで何度も魔力切れになったのはいい思い出だが。
神様の真似事。この魔法は悠馬だけが持つ魔法であり、固有魔法とも呼ばれている。その力はいとも簡単で、悠馬が思い浮かべる場所を砂や土といったものを媒介にしてその場にミニチュア模型として表現すること。その際に表現されるのは、リアルタイムのその場所の状況であり、馬車や人の動きだけでなく、木の揺れや葉が落ちる様まで再現される。ただし、触ったり動かしたりすることはできても、それによって現実に介入できるわけではない。
「で、だ。いい加減現実に戻って来てくれないかな。エドボッド君」
「エボッドで……。サラです。すみません、アナスタシアのような無様な真似を晒しました」
「なっ」
サラの物言いにアナスタシアが何か言いたそうに振り向くが、それを悠馬が手で制してサラに話を促す。
「問題は単純です。行商人に17万エラを払うか。それとも補てんはできないと行商人を追い出すか。もしくは、犯人を捕まえて商品を取り戻すか」
今度こそアナスタシアは口を挟んだ。
「だから17万も払う余裕なんてウチには――」
口を挟もうとして、今度はサラに止められた。
「分かっています。ですから第一案は却下です」
「となると商人を追い出すか、商品を取り返すかになるわけだ」
思案げな顔で言う悠馬の言葉にサラが頷く。
「はい。ですから私としては、何らかの理由で行商人を足止めし、その間に犯人の逮捕及び商品の奪取を試み、それが不可能だったとき補てんできないと行商人を追い出すべきだと思います」
「う~ん……、それしかないかあ……」
「とりあえず、私は行商人を足止めしておくので、領主様は事件を解決してください」
「ちょっ――」
「失礼します」
サラはそう言って一礼すると、止めようとする悠馬を無視して部屋を出て行った。バタンと閉められる扉に向けて悠馬は愚痴る。
「全く、なんであいつはああも僕に対して当たりが強いんだよ。一応上司で領主だぞ?」
「上司が何かは存じませんが、いつもの傍若無人な領主様の態度から察すれば無理もないと思います」
「それはいいけど、アナスタシア。僕はまだ君が僕のたっての願いを忘れたことを許してはいないからね」
「申し訳ありませんでした!」
勢いよく頭を下げるアナスタシアに満足気に頷きながら、悠馬は目の前の精巧な模型を眺めた。どうやら誰かがどこからか現れた魔物と戦っているらしく、二人の人影と、犬のような魔物があちこちへと動き回っていた。色はないが、その緊迫感はありありと伝わってきた。
「まあ、それは置いとくとして。どうしようか……」
そう言って、悠馬は何度目かの腕を組んで、何回目かのしわを眉間に寄せた。
誰かが魔物にけがを負わせ、魔物から血が飛び散ったところだった。
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