第96話 コロネ、戦闘訓練を始める
「さて、何事もチャレンジだよね」
地下に下りるため、一階のエレベーターの前までやってきた。
現時点での魔力を、全開で注ぎ込めば、地下一階まで行けるかな。
実は、説明を受けてから一度も試していなかったので、ダメなのかどうかもわからなかったのだ。まあ、こっちの世界に来てから、まだ数日だったし、許可なく、勝手に塔の中を歩き回るのも悪いと思っていたからなのだが。
色々とやることも多かったし。
一応、エレベーターの使い方については、ジルバからも、オサムからも教わってはいる。メルが使っているのも見ているし。
ボタンを押す時に、行きたい階を意識して魔力を込める。
イメージが不十分だったら、声に出してもいい。
それで、魔力充填が、その階まで届く量に達していれば、扉が開くのだそうだ。あと、乗ってから階を選ぶこともできるとは聞いている。
まあ、使い方自体はシンプルだよね。
ちなみに、地下の場合、ふわわの認証がクリアになっていないと、扉が開かないようになっているのだとか。たぶん、地下だけではなく、イメージして魔力を充填しただけでは行くことができない階とかもありそうだ。
その辺りの話は一切聞いていないが、まだこの塔には色々と秘密がありそうだし。
「魔力を込める、ねえ」
コロネができるのは、チョコを生み出すのと、身体強化くらいだ。
とりあえず、同じような要領で力を込めてみよう。
イメージ、イメージ。
ボタンを押す指先に魔力を集中される感じで、頭に地下一階をイメージして。
「地下一階」
ボタンを押した。
うん。
何も反応しない。
目の前の扉は閉ざされたままで、うんともすんとも言わない。
「やっぱりダメかな?」
イメージを色々切り替えつつ、何度か試してみる。
扉に直接触れてみたり、身体強化を発動した状態で念じてみたり。
そんなこんなで、十分ほど経過したところで。
「コロネ、お待たせだ、よ。こっちのお仕事も終わったから、そろそろ始めよう、か」
普通番の仕事を終えてやってきたメイデンに声をかけられた。
結局、今日のところはひとりでは地下に下りることはできませんでした。
残念。
「いえ、わたしも今来たところです。よろしくお願いしま……す、って、メイデンさん、その格好は?」
メイデンの服装はというと、普段見かけるような制服のエプロンドレスや、彼女の普段着のフェミニンなお嬢様っぽい衣装とは、一線を画するものだった。
体の線がくっきりと出てしまうような、黒装束というか、足まで覆うタイプの競泳水着とジャズダンスの衣装を合わせたような、動きやすさ重視の服だ。黒一色であるため、これで頭巾とかをしていれば、忍び装束といってもおかしくない感じというか。
さすがに、彼女のトレードマークとも言える、流れるような金髪はそのままのため、ほの暗いイメージが緩和されているが、何というか、普段とのギャップがすごい。
ええと、これが戦闘服ってことかな。
「うん、わたしが戦う時の衣装だ、よ。今日は訓練だけだから、髪の毛はそのままだけど、ね」
あ、やっぱり、本来はその髪も隠してしまうのか。
これで、目も見えていないから、実際にこの姿で相対すると、ちょっと感覚として、ざわざわするかな。静かな凄味のようなものを感じる。
「詳しい説明は、地下に行ってから、ね。簡単に、わたしの戦い方も見せるから」
そう言って、少しだけ口元に笑みを浮かべるメイデン。
彼女の先導で、ふたりは地下の訓練場へと向かった。
「あ、訓練場って、ちゃんとした建物になっているんですね」
着いた先は、向こうで言うところの体育館のような建物だった。
地下の訓練場ということだったので、地下空間をそのまま活用しているのかと思っていたのだが、ちゃんとした建物の中に訓練場があった。
あ、壁には、魔法屋の地下で見たような紋様が刻まれているね。
「うん。大規模な魔法とかスキルを使っても大丈夫なように、この建物空間内から、衝撃が表に出ないような作りになっているの、ね。地下をそのまま使うと、どういう衝撃で、遺跡を傷つけるかわからないから。一応、父様もここの監修をやっていたみたいだ、よ」
なるほど。ドーマが建物作りに関与しているなら、丈夫そうだね。
もしかすると、ドーマの特訓もここで行われているのかな。
さすがに長時間は、扉から離れるわけにはいかないだろうし。
「ここも、何度か建て直しになったけど、ね。原因も父様だ、よ。おかげで、フィナさんやメル、あと色々な人たちが本気になって、今の建物を建ててくれたんだって。本当……こういうことだと、みんなに迷惑をかけているよ、ね。父様」
少しだけ、恥ずかしそうに、ため息をつくメイデン。
何でも、『絶対に壊れない? だったら、俺がそれに挑戦してやろう』『いや! だから無理に壊すなって!』とかいうやり取りがあったとか。
建てる側にしてみれば、たまったもんじゃないね。
さておき。
建物の中は、普通の体育館くらいの大きさかな。
魔法屋のフィナの家の地下よりは広いけど、バスケットコートで三つ分くらいだろうか。それでも、ふたりで訓練するには十分すぎるけどね。
その中央の辺りで、メイデンと少し離れて相対する。
「では、今から訓練に入るわけだけど、まず、わたしの能力というか、戦い方についての説明をする、ね。コロネ、わたしの姿をしっかり見ていて、ね」
そう言って、メイデンがコロネに向かって、ゆっくりと手を振った。
しっかり見ていればいいのかな。
そう、言われた通り、メイデンの立っている姿を凝視する。
だが、取り立てて、何か動きがあるというわけじゃなくて、同じ場所に立ったまま、軽く足踏みしているだけのように見える。
そう思って、首を傾げた瞬間だった。
メイデンの姿が消えた。
「はい、チェックメイト」
コロネの後ろから響く声。
そして、首筋にはナイフのようなものが突きつけられていた。
え!? あの一瞬で、移動したの!?
手足を軽く動かしているようにしか見えなかったのに、ほんの一瞬のうちに背後を取られたような感じだ。
「え!? こんな一瞬で!? すごいです、メイデンさん。こんなに早く動けるんですか?」
高速移動なら、メルも使っていたけど、こちらは予備動作や魔法の反動がほとんどなかった。どうやったのかはまったくわからなかったけど、人間ってこんなに早く移動できるものなんだ。こっちの世界ってすごいね。
コロネが感心していると、メイデンがナイフを下ろしながら首を横に振った。
「違う、よ。わたしはゆっくりとコロネの後ろまで歩いてきた、の。早く移動したわけでも、空間を飛ばしたわけでもない、よ」
「あれ? でも、わたしは確かにメイデンさんの姿を見てましたよ。ずっと、同じ場所に立っていたじゃないですか。姿が消えてから、後ろに回り込まれるまで、ほんの一瞬の出来事のように感じたんですけど」
だって、メイデンからもしっかり見ていてと言われたから、姿を凝視していたのだ。さすがに今の状況で、動きを見過ごすとも思えない。
一体どういうことなんだろうか。
「そうだ、ね。それじゃあ、からくりを説明する、ね。わたしが得意なのは光魔法なんだ、よ。今のは光魔法の『イリュージョン』と呼ばれるものを変則利用したものだ、よ。『錯視』。今のはわかりやすく、動いた動作をそのまま、あの場所に残して見えるようにしたけど、本来は、もっと早く動くから、ああいう不自然な動きも見えないんだけど、ね」
メイデン曰く、光魔法の『イリュージョン』は分類でいうところの幻覚を見せる魔法なのだそうだ。だから、本来の使い方は『幻惑』となるらしい。
今の使い方は、メイデンが編み出した別の使い方のひとつなのだとか。
「うん。光魔法というと、光を使った攻撃魔法とか、発光や光線のような使い方が主流だけど、ね。わたしは、あんまりそういう使い方はしないか、な。わたしにとって、光魔法の本質は『視覚の操作』にあると思ってるから、ね」
「『視覚の操作』、ですか?」
「そう。コロネ、ひとつ質問、ね。光の反対って何かわかるか、な?」
「え? 光の反対って、普通に考えたら闇ですよね?」
単純に考えると、そのままだろうけど闇かなあ。
逆に言えば、それ以外は思いつかないけど。
「うん、一般的なイメージはそうだ、よ。でも、それは正しくない、の。光の反対は『光らず』。根本的に、光と闇は相反している属性じゃなくて、まったく別物の属性なの、ね。だから、少なくとも、わたしが使う光魔法は、そういうものなの、ね」
メイデンの光魔法は、派手派手しい使い方はほとんどないのだそうだ。
もちろん、そういう使い方もできなくはないが、あまり意味がないとのこと。
「派手ってことは、それだけ、軌跡が読みやすいってことなの、ね。目立つ使い方はかっこいいかもしれないけど、それだけだから。対応しやすい、かわしやすい、防ぎやすい。ね? それだったら、というわけで、わたしは光らない方へと使い方を切り替えたの。わたしの力じゃ、そのまま父様みたいな人には通用しないから、ね」
なるほど。
発想の転換というわけだね。
光魔法は光るもの、というイメージを逆手にとって、裏をかく感じかな。
「今のからくりの説明に戻る、ね。発動を無音で行ないつつ、発動のための魔力光そのものを光魔法で消えた状態にしておく、の。で、『錯視』によって、移動速度に合わせて、対象の、この場合はコロネの、ね。その視覚を少しずつずらしていくと、わたしは移動しているのに、わたしの姿はそのままの位置で固定されたままになるから、後は、タイミングを見て、『錯視』を解除する。それだけで、今のような感じになる、の。まるで、わたしの姿が消えて、一瞬で移動したかのように、見ている人の認識が騙されるわけだ、よ」
へえ、説明されるとよくわかるけど、すごい話だ。
しかも、慣れると、この視覚操作で、四方からの認識をずらすこともできるのだそうだ。さすがにそうするために、どういう風に光を操るのかまでは、コロネにはわからなかったけど、工夫次第でそういうことも可能、とのことだ。
「工夫次第、ですか」
「うん、そうだ、よ。だから、最初にこの使い方を見せたの、ね。コロネに教えたいのは、この能力の使い方。自分のスキルをどこまで、発想を切り替えて、使いこなすことができるかだ、よ。力が弱い。魔力が少ない。そういう者が、強い人やモンスターに勝つためには、それが必要不可欠なの、ね」
そう言って、メイデンが微笑む。
レベルが低くても、経験が不足していても、それを補う方法を考える。
もちろん、地力を高めるのも大切だが、それだけではいざという時に間に合わないことがほとんどだろう。残念ながら、人生、そう都合よく準備万端で事に当たれることなど、ほとんどないのだから。
「うん。それでは、今日の訓練を始めようか、な」
コロネに見つめられて、ちょっと顔が赤くなりながら、メイデンがそう宣言した。
こうして、コロネの初めての訓練が始まった。