第95話 コロネ、転移の真実を知る
「まず、断っておくが、俺も巻き込まれた方だ。こっちの世界に来るまでは『ツギハギ』がどういう世界かはまったく知らされていなかった。たぶん、そこまでの細かい情報は涼風自身も持っていなかったんだろうな。いや、隠しているって可能性も否定はできないがな。そこまでは俺にもわからん」
コロネよりは説明を受けたそうだが、それはあくまでも涼風の立ち位置というか、彼女の目的とか、オサムをこっちの世界へと送り込んだ理由について、なのだそうだ。
「まず、涼風の立ち位置だが、やっこさんは政府機関として、対処困難な危機に対応する部署の責任者なんだそうだ。俺もその時、初めて聞かされたが、事実、表向きにはされていないが、単純に世界が危機に瀕した事例は、決して少なくはなかったらしい。まあ、わかりやすいのは小惑星衝突の回避とかか? アメリカと極秘の共同作戦で、完遂されたとは言っていた。まあ、映画とかになりそうなネタだから、本当かどうかまでは知らないけどな。ただ、そういう機関が実在するってのと、いざという時に対応できるように、そのための手段を研究しているってのは間違いないらしい。現に、俺も、どういう仕組みかはわからないが、こっちの世界へとやってくることができたからな」
「はあ……政府機関ですか」
随分と話が大きくなりすぎて、にわかには信じがたい話だ。
とは言え、異世界へと移送するなんて手段を持っている以上は、それ自体を否定するのもおかしな話か。まあ、そういう人たちがいるって認識でいいのかな。
「で、偶然から、異世界の存在が確認されてしまった。そうなると、その不可解な世界のことも調べて、何かあった時に対処できないといけない。そういう意味で、その筋の専門家として、涼風に白羽の矢が立ったって話だ。その筋が、どの筋なのかって聞かれると俺も困るが。とにかく、涼風によって進められたのは、俺が聞いている限りではふたつ。ひとつは異世界についての情報収集。そして、もうひとつは異世界への移住の可能性を探ること。そのふたつだそうだ」
情報収集というのはわかりやすい。
どういった条件で、衝突が起きるのか。衝突が起こった時、逆にどのようなことが可能になるのか、そして、これらは今後も継続的に続いていくのか。そもそも、異世界というのはどんな世界のなのか、向こうでの物理法則が通用する世界なのか。調べるべき情報はいくらでもある。
特に、一歩間違えば、世界の危機の引き金になるかもしれない、というのも規模を考えるとあながち大袈裟な話ではなさそうだし。
「その調査の折、涼風はとりあえず、衝突直後のパスが繋がっている時、という条件下で異世界へと人を送り込む手段にはたどりついたそうだ。俺の場合は、自動車事故の直後。コロネの場合は飛行機事故の直後。どうやら、衝突から世界同士の接点がなくなるまではタイムラグがあるらしい。その隙をついて、何らかのシステムを騙すとか何とか言っていたな。理屈は不明だが、向こうでケガを負った俺たちが五体満足で移送されたのも、その辺りの齟齬を悪用した結果らしい。それ以上のことは、俺もわからない。涼風に直接聞くしかないだろうな」
「まあ、涼風さんの目的はわかりましたが、どうして移住までの話になっているんですか?」
「いや、だから俺が最初にコロネに聞いたんだ。向こうの世界はまだ無事なのかって。俺がやってきた当時は、かなり危険な状態だったらしいぞ? 最悪、不充分ながら、助けられる人間だけでも送り込めるようにしておかないといけないって、かなり切羽詰った感じだったからな」
「そうなんですか?」
「ああ。俺が受けた仕事も、どっちかと言えば、移住に重点をおいたものだろ。もし、移住計画が実行に移された場合に備え、こっちで一定量の食料の確保と、あとは味とかの問題か。いきなり来て、送られた人間が生きていくのに困らない環境を整えるって感じだからな。それはコロネも何となくわかるんじゃないか?」
あ、そっか。
オサムはずいぶんと生活をよくするためにやっているとは思ったけど、最初からそのためにやってきたのか。確かに、コロネがやってきてまだ数日だというのに、比較的簡単に町へと溶け込むことができた。
これは、生活環境だけではなく、オサムがそうあるために迷い人のイメージを固定させて、少しずつ向こうの文化を受け入れてもらったからだろう。
すごい。そんなことを狙ってできる人がいるなんて、それこそ驚きだ。
と、同時にもうひとつ疑問が浮かび上がってくる。
「その仕事って、まさかオサムさんだけに任されたわけじゃないですよね?」
もし、そうだとすれば、本当に涼風が政府の関係者だと言うのなら、そんな計画はずさん過ぎる。オサムの能力がたまたま、適正だったから、ここまで上手くいっただけに過ぎないだろうし。ちょっと見積もりが甘すぎるだろう。
こんなこと、普通はひとりでどうにかできる話じゃない。
そう尋ねると、オサムは少しだけ、肩をすくめるようにした。
「おそらく、俺以外にも、送り込まれたやつがいたはずだ。だが、俺が知っている中で、向こうの出身で、今も生きているのが確認できるのは、ふたりだけだ。こういう言い方をするのはあれだが、たぶん、他の連中は……まあ、そういうことだな」
思わず、オサムの言葉に息を飲む。
さすがにふたりだけ、のはずがない、とのことだ。
「俺にしたところで、あと一歩で死ぬところまでは行った。今の状況まで持ってこれたのは運がよかったとしか言いようがない。前にも言ったが『包丁人』スキル、これによって助けられた。そうでなければ、こんな無理ゲー、送り込まれて即、ゲームオーバーだ」
オサムがゲームに例えて冗談交じりで、苦笑する。
今だからこそ笑えるが、本当にシャレになっていなかった、と。
普通なら、向こうの世界のぬるま湯のまま、いきなり、高レベルモンスターがはびこる地域に飛ばされて、生き残る可能性はほとんどゼロだという。
「まあ、たぶん、そのことは涼風も気づいていたんだろうな。だから、どっちみち選択肢のないものを送り込んだってわけだ。涼風がこっちの世界へと人を送るための条件その二だな。『向こうでは回復の見込みがない者』。傷が癒えないってだけじゃない。そのままではどのみち、長生きできない。だからこそ、可能性は低いが、いちるの望みを託してみないかって話だからな。そういう意味では、やっこさん、大したタマだよ。いくら仕事とは言え、死地へと人間を送り込むなんてこと、相当心が強くないと精神が病むぜ」
ちなみに、オサムが知っている人というのは、涼風に言われてやってきた人ではないらしい。最初のゲーム関係の行方不明者だった人だそうだ。だから、オサムもそのゲームの事件について詳しく知ることができたのだとか。
「まあ、その後、一回だけ連絡がついた。それも大分前の話だがな。その際、簡単な現状については伝えられたはずだ。直接話したわけじゃないから、自信はないが、『できれば、料理人を頼む』って伝えたからな。だから、コロネが来ることになったんじゃないか? まあ、俺としてはもう数年前の話だから、正直、驚いたくらいだ。たぶん、涼風の手段ってやつも、衝突が起きないと使えないだろうから、もうその機会がなくなったんだろうな、くらいに思っていたからな」
そう言って、オサムが笑う。
今だったら、送られてきても助けられる、と。
そのオサムの笑顔に思わず、胸が詰まる。
この人はどれだけの重荷を抱えていたんだろうか。
おかげで、コロネは今、生きていられるのだ。
「まあ、俺としては、話せるのはそんなところだな。他に聞きたいことはあるか?」
「あの、わたしが送られてきたってことは、今は人を送ることができるってことですよね? ということは、飛行機事故に巻き込まれた人が他にもやってきているってことはないですか?」
「ああ、その可能性については探しているところだ。それについては、ダークウルフやダンテ経由でも探ってもらっている。もしいたとすれば、そのうち耳に入ってくるだろうな。もっとも、どの辺りまでがその範囲なのかがわからなくてな。正直、それに関する情報が少なすぎるんだ。まあ、衝突による影響が残っているのはわずかな間だけらしいからな。現時点でいなければ、もういないと見ていいだろう」
「え、じゃあ、わたしだけってことですか?」
随分と少ないよね。
もう少し、瀕死な状態の人っているとは思うんだけど。
「ああ、たぶん、それほどの数は来ないぞ。そもそも、涼風のやつも最小限の人数しか送らないって言っていたからな。別にやっこさんがやっているのは慈善事業じゃない。人助けのためにこっちの世界へと送り込んでいるわけじゃないってことだな。コロネはたまたま、涼風が言う条件を満たした。ただそれだけだ」
「条件……」
「まず、過去の経歴については調べられているはずだ。俺の場合もそうだった。条件『危険因子になりうる者は避ける』。条件『前向きな性格であること』。他にも色々あるらしい。まあ、そういうことだ。条件を満たしていないものは、もしかしたら、助かったかもしれない者であっても、こっちの世界へと送られることはない。だから、言ったろ。やっこさん、大したタマだって。まあ、あんまり、コロネが気に病むな。どっちが運がいいのか、正直、俺にもわからんよ」
二度と元の世界へは戻れないかもしれない。
モンスターに殺されるかもしれない。
どちらの道にも、最悪の状況というのはあるから、と。
「まあ、少々重かったかもしれないが、これが俺の知っていることだ。この話を聞いたうえで、もう一度コロネに聞いておこうか。お前さん、この世界でどうしたいと思っているんだ?」
先程、話を聞く前にも聞かれたのと同じ質問をされた。
改めて、もう一度だけ、自分にとってのことを考える。
うん。
わたしは大丈夫だ。
もう、心は揺らいでいない。
「変わりません。わたしが目指しているのは、世界一のパティシエです。ですから、この世界で新しいお菓子を作って、その道をまっすぐ進むのみです。それに……」
「それに……なんだ?」
「……いえ、何でもありません。とにかく、頑張るだけです」
言いかけた言葉を飲み込み、ゆっくりと決意を口にする。
そんなコロネを見つめて、オサムがゆっくりと笑う。
「まあ、なんだ。俺みたいな馬鹿なことを考えるやつが他にいるってのは、ちょっとうれしいな。まあ、あんまり無理しない程度に頑張れよ。これからもよろしくな」
「はい! よろしくお願いします」
早速、この後はメイデンとの戦闘訓練が待っている。
そろそろ時間だから行かないといけない。
そう、オサムに伝えて。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ。頑張れ。こっちで生きるってことは強くあれってことさ。何事も経験だぜ」
そんなこんなで、三階の調理場を後にした。
そして、ゆっくりと、飲み込んだ言葉を反芻する。
『それに、すでに前を歩いている人がいます。わたしもいつか、そうなれるように頑張るだけです』
うん、ともう一度だけ、頷いて。
コロネは、地下の訓練場へと向かった。