第92話 コロネ、魔法医の教えを聞く
「それじゃあ、わかりやすく実践してみるねぇ」
そう言って、メルがアイテム袋から、お祭りで買ったものを取り出した。
金魚すくいならぬ、銀色をした銀魚とのこと。
それを水が一緒に入っていた袋から取り出すと、左手に取った。
右手には外科用のメスが握られている。
すでに、骨切りに関しては、露と消えてしまっていた。
「はい。『魔刃切開』」
メルの言葉と共に、銀色の魚が真っ二つになった。
しかし、その断面からは血液やその他、体液のたぐいがまったく流れていない。
「まあ、見てもらえばわかると思うけど、『魔刃』で作った刃物で生物を切ると、私の場合、切断面を保護するように処置できるんだぁ。血液とか浸出液とか、そういったものが出ないように、切ると同時に、断面に魔力による保護膜を作るって言えば、イメージしやすいかな? 普通の金属製のメスを使うより、手術が効率よく行なえるのー」
うわ、これはすごい。
切られた魚も、身体が真っ二つになったことに気付いていないかのようだ。
分かれたままの状態で、ぴちぴちと動いている。
熟練の料理人の活け造りの技みたいだ。
「ごめんねー、せっかく、救ったのに、実験台に使っちゃって。『魔糸生成』。切断面の損傷がほとんどないため、そのまま『魔糸縫合』。はい、元通りー」
メルが先程と同じように縫合手術を施すと、銀魚は元の姿へと戻った。
傷ひとつない。切った場面を目にしていなければ、今、この魚が真っ二つにされたとは絶対にわからないだろう。
すごい手際だ。
「いや、すごいですね、メルさん。わたしも、こういうのは初めて見ました。お魚とか野菜でしたら、熟練の料理人さんが似たようなことができるって聞いたことがありますけど、ほとんど都市伝説みたいなもんですもの」
「うーん、それって、包丁技のことだよねぇ。たぶん、オサムがスキルを使ったらできるかもねぇ。さすがに人間とかは無理だろうけど。まあ、わたしの場合も縫合を使わないと再生するのは無理だよぅ。細胞を壊さずに切ったわけじゃなくて、魔法で保護しているだけだからねぇ。ふたつをくっつけても、修復が始まらないで、そのままずれちゃうから、縫合で固定しないと」
メル曰く、固定さえしてしまえば、そのうち修復されて元通りになるそうだ。
縫合直後に、保護膜を解除するのがポイントなのだとか。
いや、それにしても冗談のつもりで言ったんだけど、切ってくっ付ける技、オサムはできるかもなんだ。
さすがにスキルなしだと難しいみたいだけど、あの人はどこまで行くのかな。
「まあ、オサムのことは置いておくとして。コロネも今のメルの施術を見ただろ? ゆえにだ。実は致命傷を受けた状態であっても、そこから命を救うことができることも多いんだ。だから、コロネにも肝に銘じてほしいのが、もしも町の外で瀕死の者に遭遇したら、状態確認とかはいいから、とにかく、アイテム袋に放り込んで、町まで戻ってきてほしいってことだ。できれば、身体の一部がちぎれていたら、それも頼む。それが生存率を高める方法なんだ」
「そういえば、さっきもアイテム袋を使っていましたよね。それで大丈夫なんですか?」
ダンテの言葉に、思わず疑問を返す。
さっきも移送の際に、アイテム袋を使っていたよね。
コロネが聞いた話だと、副作用があるから生きている者は入れちゃいけない、だったような気がするけど。そもそも人間は入れられないようになっていたはずだよね?
安全装置がどうとか。
「うん、基本はダメだよぅ。時間停止の副作用で生命力が失われ続けてしまうからねぇ。でもね、物事には使いどころっていうのがあるんだよぅ。時間停止で生命力が徐々に失われるってことは、裏を返せば、致命傷を負った場合、そのまま、死に至る時間を停止して、ゆっくりと生命力が奪われる状態へと移行できるってことだから。状況にもよるけど、たぶん、半日くらいだったら、袋に入れた方が生存できるんだよぅ」
ああ、そうか。
重傷、あるいは致命傷の場合、逆に、身体が死ぬまでの時間を緩めることができるのか。緊急時のみに通用する使い方か。そういう発想もあるんだね。
「ね? わかったぁ、コロネ? ルールや定義があった場合、それを簡単に鵜呑みにしちゃダメなんだよぅ。必ず、もっといい方法があるかもって、常に思っていないとねぇ。あくまでも現時点での最適解に過ぎないから、もっともっといい方法があったら、そういう風に思考を切り替えていくの。それが進歩ってやつだよぅ」
「まったくだ。常に不可能に挑んでいるメルらしい話だな。まあ、このアイテム袋の使い方は、ロンなんかもやっていたみたいだけどな」
なるほど。
メルの今の言葉はかなり大切だ。
ちゃんと心の手帳に刻んでおこう。
そういう考え方だから、新しい魔法とかにたどりつけるんだろうね。
「まあ、アイテム袋の話が出たから付け加えておくと、ドロシーの手によるアイテム袋については、例外措置というか、裏の仕様があって、出血している生物は入れることができるようになっているんだ。五体満足の者は、本人が望んだとしても中に入ることはできないがな。あくまで、緊急対応用だな」
「たまに、人間を入れられる仕様になってるアイテム袋もあるけど、その場合は強制力を持たないから、拒絶すれば出られるよぅ。要するに、アイテム袋としての出来が悪いの。そもそも、時間停止と生物との相性が悪いから、副作用が生じているんだからねぇ。無理して、それらを両立させようとするとアイテム袋が壊れちゃうんだぁ。空間魔法の無力化だねぇ」
「ドロシーのは性能が良いから、限定措置として、生物を時間停止空間で包み込む感じになっているらしい。まあ、詳しい説明を聞いても、俺にはちんぷんかんぷんだが、普通のやり方とはちょっと違うから、うまく両立できているらしいな」
「それでも、乱用するとあんまり良くないけどねぇ。そっちの説明はドロシーに聞いた方がいいかなぁ。プロだしねぇ」
どうやら、メルから見ても魔女としてのドロシーはすごいらしい。
それぞれの得意分野ではお互いを尊重しているって感じだね。
「うん、じゃあ、話を戻すけど、頭部や四肢が取れちゃった状態でも、肉体が生きていれば、何とかなるかも、だねぇ。さすがにその場合、わたしが対応しないといけないけどねぇ。だから、コロネも少しずつ慣れていってね。たぶん、最初は血を見ただけで、拒絶反応が出ちゃうと思うけど、これは人命救助だから。凄惨な状況に遭遇したとき、『自分でも人の命を救うことができるかもしれない』って、思考を切り替える努力かなぁ。たぶん、そう思い込むことで、必要以上にパニックになることを抑えることができると思うんだよぅ」
メルからの心得、だ。
医者として、魔法医として、コロネがそういう状況に飲み込まれないように、しっかりと忠告してくれているのだろう。
ありがたい話だ。
たぶん、今まで、この世界でコロネが過ごしていた場所は、まだこの世界のほんの一部にしか過ぎなかったのだろう。本当の意味で、ここで生きていく。それがどんなことを意味しているのか。その答えをメルは教えてくれている。
きっとそれは、本当の意味での優しさだ。
何も知らない者に、過酷な一面を見せないで、箱庭のような世界だけを示すのではなく。どんなに辛くても現実を示すことで、それと相対するための心構えを伝えてくれる。
甘い言葉は、優しさではないのだから。
「本当に、ありがとうございます、メルさん」
「まあ、ちょっとだけやり過ぎちゃったかも、だけどねぇ。わたしが教えられることはこんなことだけだからねぇ。ふふふ、だから必要以上に怯えないで。たぶん、自ら、世界を閉ざすことは、コロネにとっても残念なことだから。新しいお菓子を作っていくんだよねぇ? だったら、オサムに頼ってばかりじゃダメなんだよぅ」
「はい!」
そうだよね。
歌を聴いてからのコロネは、心に不安を抱えていた。
だからこそ、今のメルの言葉は胸に響いた。
この世界で生きていく覚悟。
それを固める意味でも、だ。
自分の目標は何か。
世界一のパティシエになることだ。
だったら、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
「お、いい面構えだな、コロネ。何だか、生まれ変わったみたいじゃないか」
少し前とは別人だな、とダンテが冗談交じりに笑う。
「うんうん、じゃあ、そろそろ、『塔』の方へ帰ろうかぁ。たぶん、オサムも待っていると思うよ。コロネからも色々と聞きたいことはあるだろうけど、詳しい話はオサムから聞いた方がいいだろうしねぇ」
お祭りも中止になっちゃったしねぇ、とメルが苦笑する。
そういえば、ニコの歌の途中だったよね。
残念。結局、残りの歌は聞けなかったよ。
まあ、それも次の機会へ持ち越しだ。
そんなこんなで。
ダンテにもお礼を言って、コロネはメルと一緒に門の詰所を後にした。