第90話 コロネ、魔法医の施術を見る
「お待たー! 医者はどこだー!」
メル、ギン、クリスの三人の準備が整った、その直後にひとりの女性が飛び込んできた。昔の郵便配達員という感じかな、茶色い革製の制服を身にまとっている。登山服というか、ちょっと傭兵っぽい雰囲気だろうか。
女性自体は、金髪で、ちょっと見、子供かな、と思えるような体格だ。
この人がロンさん、じゃないよね?
「こっち、こっちだよ、ブリッツ。で、どんな感じなのぉ?」
「んー、わたしが危険信号を受け取ってから、到着まで二分ってとこ。まあ、早い方かな。短距離なら、マッドラビットたちよりわたしの方が早いから。で、下腹部貫通かな。出血状態は、速攻で放り込んだから見てない。で、以上」
ブリッツと呼ばれた女の子が、飄々とした感じでメルに伝えている。
何というか、こういう事態に慣れている感じだね。
見た目はコロネよりも小さそうなのに。
少し、驚きだ。
「了解ー。じゃ、こっちに袋渡してー。施術に入るからぁ。ギン、クリス、準備はいいかなぁ?」
「大丈夫です。室内は消毒ポーションを使用済みです。しばらくは問題ないでしょう」
「はいはーい。じゃ、ブリッツとコロネとダンテはちょっと離れた場所で見ててねぇ。一応、見えるようにやるけど、感染が怖いから、室内には入らないようにー。入らなければ、消毒ポーションの効果で小精霊の減少空間が維持されるからー」
ブリッツから、袋を受け取りながら、メルが叫ぶ。
へえ、消毒ポーションなんてあるんだ。
というか、今まで聞いた感じだと、ポーションや魔法で回復したりすると思っていたから、意外と医療医療していることに驚きだ。
「はい、じゃ、ここからは真剣に行くよー。こっちに問いかけとかはやめてよねぇ。終わってから説明するからぁ。さて、クリスは止血と、念のため輸血の用意を。確か、ロンの商隊員のデータは全部持ってたよね?」
「大丈夫です。健康診断で入手済みです。メルさんひとりで止血が大変なら補助に入ります。一応、優先事項は輸血対応ということで?」
「そだねー。じゃあ、始めるよー。チャトラン、『解放』」
メルの言葉と共に、袋から、怪我を負った男性が取り出された。
え!? アイテム袋に人を入れてるの?
確か、副作用で生命力が奪われるって聞いていたんだけど。
コロネが驚いているのをよそに、メルはすぐさま、連続して行動に入っている。手に持ったポーションのビンを開けて、自分を含めて、ケガ人を中心に中の液体を万遍なく振りかけている。
「はい、消毒。うーん、まだ意識あるかなぁ。はい、『睡眠ポーション:強』使用。そして全身状態の『精査』ー!」
メルの両手から、黄色と水色の光が発せられて、男性の身体を包み込む。
あ、あれはコロネがウルルにやられたものに似ているね。
あれで状態を確認しているんだ。
「はい、損傷箇所、確認。あー、内臓の一部を痛めてるねぇ。まあ、骨に影響がなかったのは幸いかなぁ。『魔糸生成』。はい、止血完了ー。クリスー、ひとまず、余分な血液とか膿とかの除去をお願いねぇ。患部の周囲だけでいいから。同時に輸血対応もねー」
「はい。スキル『レフトネイルドレーン』。そして、スキル『無痛輸血』」
すごい。見ているだけだと、何をしているのかわからないけど。
もうすでに、貫通している箇所からの出血が収まりつつある。
これがメルの本気かあ、本当にお医者さんといった感じだね。
「よーし、はい、オッケー。『魔糸生成』。縫合により、疑似的な欠損臓器の代替。『魔糸縫合』。これで痛めた臓器の修復完了ー。定着まで、数分。次、血管と神経と皮膚部分の処置に入るよー。『魔糸生成』。『螺旋』発動にて、『疑似血管生成』。欠損部分の、血管として『魔糸縫合』。そのまま、神経の処置に入る。神経の向きを確認。欠損損傷が短めのため、神経については縫合のみとする。神経の伸展なし、回転なし。それでは、『魔糸縫合』。はい、それでは次の手順ねぇー」
すごい。
魔法による糸が生み出されて、それが欠損部位の代わりへと置き換えられていく。
もしかすると、メルはこちらにわかりやすいように説明してくれているのかな。ずっとしゃべり通しだけど、その間も、処置に対してはものすごく集中しているのが伝わってくる。口調は軽いんだけど、無駄のない動きと、ものすごいスピードで展開していく処置で圧倒されてしまう。
最初は、怪我をした人の状態に息を飲んでしまったけど、それ以降は、メルの施術のものすごさばかりが先に立って、意外と冷静に見ていることができている。
うん。
さっき、メルも言っていた。
これが現実だ、と。
たぶん、目を背けては、この世界で生きていけないのだろう。
「はい、筋線維の修復完了ー。どう? クリス、患者の容体は?」
「はい。血圧、呼吸、ともに安定しています。こちらもドレーンによる排出は完了です。後は、残渣については縫合後でも、私のスキルで対応できます」
「了解ー。じゃあ、ひとまず、輸血は終了ね。『魔糸生成』。魔糸の縫合により、疑似的な皮膚の生成。そのまま、『魔糸縫合』。はい、これで、わたしの担当の処置は終了だよぅ。はい、じゃあ、次はギンの番ねー」
そう言って、やれやれといった感じで、メルがギンの方へと向き直る。
やはり、魔法の糸による施術が多いとはいえ、メル自身も多少の血を受けているようだ。
コロネの視線に気づいたのか、メルがこちらを見て、にっこりと笑う。
「まぁ、こんな感じかなぁ。あ、コロネたちはまだこっちに来たらダメだよぅ。血液を浴びても大丈夫なのは、今のこの部屋だけだからー。結界のような状態になってるけど、さすがに人が入ってきちゃうとまずいから、ちょっと待ってねー。で、簡単に説明ね。『魔糸』ってのはわたしの医療魔法の一種なんだけど、その効果は二十四時間くらいしか持たないの。あくまで、応急処置かな。魔法だけで、欠損部位を再生することはできないのね。後は、自己治癒力をあげて、肉体へと定着させないといけないのー。そこからの担当がギンのお仕事ってわけだよぅ」
「はい。それでは、行きますね。スキル『癒しの手』」
ギンがその手を患者にかざすと、その身体全体が淡いクリーム色の柔らかい光に包まれた。この光の効果が、簡単な傷の再生を促すのと、自己治癒力を一時的に大幅に高めることなのだそうだ。
「このスキルによって、魔法で作られた疑似的な部位が、身体へと定着していきます。本来、定着まで時間がかかるところを騙して、無理やり定着させるやり方ですね」
「わたしの方法だけだと、一日おきに『魔糸』を置き換えないといけないんだよぅ。それだと半月ぐらいかかっちゃうからねぇ。ほんと、ギンがいてくれて良かったよぅ」
「いえ、私にしてみれば、メルの医療魔法の方が、常軌を逸していると思いますけどね。少なくとも、私の記憶が確かでしたら、他に同じような処置ができる人はいないと思いますよ。そもそも、方法論が確立されておりませんから、他の医者が知ったら、卒倒しますよね」
「え、そうなんですか?」
魔法文明ということは、医療にも魔法が使われていると思っていたけど。
案外、そういうわけじゃないのかな。
「コロネさん、ドクターも言ってますけど、メルがそもそも規格外なんですよ。こちらの世界では医術というのは、癒し系のスキルが主体か、ポーション類に頼ることが多いんです。私もこの町で、初めて外科手術というものを教わりましたが、ちぎれた部位を縫うことはあっても、切って、患部を切除して縫合する、なんて手順はそもそも確立されていませんよ。『魔糸』とか、医療魔法とかも同様です」
クリス曰く、医療魔法のほとんどは、オサムの向こうの知識を聞きかじって、メルが独自で開発した方法らしい。さすがにオサムも医療は門外漢だから、一般人レベルの知識しか持ち合わせていなかったけど、それでも、メルの魔法技術と合わさって、このレベルでの医療行為までに発展したのだとか。
はあ、なるほど。
この場合、オサムというよりもメルの能力がすごいのだろう。
新魔法の開発、という点では他の追随を許さないのだとか。
ギンも施術をしながら、苦笑を浮かべている。
「まあ、医療魔法についてはトップシークレットのひとつですが、仮に情報が開示されたところで、同じことができる医者がいるとは思えません。『魔糸』ひとつ取ったところで、魔法を極限まで圧縮させて、具現化させるなんて手段、他で聞いたことがありませんよ。二十四時間というと短いように聞こえますが、実用レベルまで高めているだけで、すごいの一言です。たぶん、一瞬の具現化くらいでしたら、できる術師がいる可能性はありますがね。糸のような細長い形態を保ちつつ、おまけにそれを操作でコントロールするなんて芸当、誰にもできませんよ。まったく、初めてお会いした時は、医者としての自信を粉々にされましたよ」
「ははは、だから、メルは引きこもっているくらいでちょうどいいんだよ。こんな情報、表沙汰にしたら、本当に面倒くさい。門番としては、今のメルの性格には助けられている感じだな」
ダンテも、ギンの言葉に頷いている。
というか、またシークレット情報が増えてしまったよ。
「ドクターも言ってますが、魔法というのは精密な制御の方が難しいんです。コロネさんはまだご存知ないかもしれませんが、上級魔法というのは、威力や規模の大きな魔法ではありません。どこまでもどこまでも、精密さを追求した魔法が上級魔法です。いわゆる、大掛かりな範囲魔法など、威力重視のものは中級レベルまでの話です。それらは魔力さえあれば、制御がおざなりでも発動できますから。本当に難しいのは、先程のメルが使ったような魔法です」
「あ、そうなんですか」
そっか。大規模な魔法が上級魔法だと思っていたけど、そうでもないんだ。
今回の施術中にメルが見せた、魔法の制御の方が上級相当になるらしい。
魔法も奥が深いんだね。
「それで、うちのチャトランは大丈夫そう? まあ、メルとかを見てると問題ないようだけど」
横でずっと黙っていたブリッツが口をはさんだ。
彼女もあまり心配そうな表情はしていないけど、やっぱり身内の怪我だし、本心では心配だろうね。
「はい。もう、処置が終わりますよ。定着完了です。命に別状はありませんね。ただし、しばらくは入院が必要ですね。いくら、定着したといっても無理はいけません。今は身体が騙されている状態ですので、半月ほどは入院してもらいますよ」
「そっか。そいつは良かった。まあ、チャトランの場合は自業自得だけどね。まったく……あの程度のスタンピードで、『警報』まで手をかけさせちゃって。隊長に代わって、わたしが謝っておくよ。すまなかった。そして、助けてくれてありがとう」
「いいの、いいの。致命傷だったら救いようがないもんねぇ。無事でよかったよぅ」
ブリッツの謝罪に、笑顔で応対するメル。
どうやら、ブリッツはロンの商隊の中でも責任のある立場のようだ。
本当、この町だと人は見かけによらないね。メルも含めて。
そんなこんなで、治療行為はひと段落となったのだった。