第89話 コロネ、警報発令に遭遇する
『ああー、こちら門番のダンテ。こちら門番のダンテ。緊急時につき、『警報』発令中。制限を切って、範囲にて聞こえるようにしている。状況がつかめない者は少し冷静に頼む。伝達、町の北部にて大規模なスタンピードが展開中。現在、ロンの商隊が対応にあたっている。その際、重傷者一名。今、町へと移送中。現時点で、動ける医療従事者は至急、門のところまで応援を頼む。なお、スタンピードそのものはそれほど心配はないが、手伝ってくれる者は、北部の森林が開けた例の平野部まで行ってくれ。繰り返す――』
辺り一帯に響き渡る大きさで、警報と共に、ダンテの声がする。
どうやら、『警報』スキルというのはダンテの『遠話』スキルの応用らしい。
一定範囲内にいる者すべてに、無差別で『遠話』をかけるようだ。
スタンピードが何を意味しているのかわからないが、どうやら危険な状態のことのようだ。周囲の人々もお祭りの時とはまったく異なる、真剣な表情を浮かべている。もっとも、メルだけは『警報』の内容を聞いて、少しだけ表情に余裕が戻ってきているようだ。極端に深刻な事態ではないらしい。
「メルさん、これって……」
「『警報』状態だよぅ。今回のは、スタンピードは大したことがなさそうだから、重傷者の対応だけだねぇ。うん! じゃあ、話の続きは終わってからするから、コロネもついてきて! はい! すみませーん! メルケル、緊急対応に入りまーす! 道を開けてくださーい!」
メルが持っていた荷物をすべてアイテム袋にしまいながら、周囲へと叫ぶ。と、その言葉に対応するように、ざっ、と人だかりが左右に分かれて、道のような空間ができあがった。
うわ、すごいね。この町の人たちって、この手の対応に慣れているのかな。モーゼの海割りというか、あっという間に門までの道、その動線上から人がいなくなっている。
それを見て、メルが頷いて。
「『限定付与:高速移動式』。はい、コロネは手を出してねぇ! あ、そっちだと大変かぁ。じゃあ、ちょっと負ぶさってもらうよー! はい、フリーズしてないで、急いで急いでー!」
「え!? あ、はい!」
わけもわからず、メルの言う通り、彼女にしがみつく。
今、コロネの身体に対して、何か魔法をかけられたようだ。緑色系統の光で包まれている。時折、青と黄色にも光っているようだ。
何かはよくわからないけど、今は緊急時だ。詳しい説明は後でしてもらおう。というか、そこで、あれ、メルだけで行った方が早いのではないか、と思う。
「メルさん、あの、わたしも、なんですか?」
「あ! 後ろの方にいる人注意してねー!。巻き込まれると吹き飛ばされるから! じゃあ、行くよー! しっかりつかまっててねぇ! しゃべると舌噛むよぉ! 『複合術:高速移動』!」
「うわあっ!?」
後方でドンという爆音のような音がしたのと同時に、メルと彼女にしがみついているコロネの身体がものすごい勢いで前方へと発射された。そう、イメージとしては発射という感じだ。不思議と轟音の割には、身体への影響は少ないみたいだけど。
さっきのって、たぶん、音速を越えた音だよね。
サウンドバリアだったっけ。
生身でこんな高速で動けば、反動がすごいことになるはずだけど、当のコロネは、周囲の景色が目まぐるしく流れていくのと、周囲の音がほとんど聞こえないことを除けば、身体への負担はほとんど感じない。
おそらく、最初にメルがかけた魔法のせいだろう。
現実逃避ぎみに、そんなことを考えていると、あっという間に門が見えてきた。
「はい、着いたー!」
止まる瞬間に、また思いっきり何かと衝突したような音が響き渡り、あたりに砂ぼこりが巻き上がっているが、何とか無事に到着したようだ。
何というか、声も出ない。
軽い放心状態って感じだ。
「はいはーい! コロネ、止まってる場合じゃないよぅ。うん、まだ移送はされてないみたいだから、少し余裕があるかな? じゃあ、何で、一緒につれてきたか、だったねぇ。良い機会だから、コロネにも見てもらった方がいいと思ってねぇ。やっぱり、迷い人の人はちょっと違うところから来ているから、こういう場面もしっかりとわかってもらった方が、この辺りの状況を把握しやすいと思うんだよぅ」
「こういう場面、ですか?」
「そうそう、町の外でモンスターに遭遇した場合、油断してるとどうなるかってことだよぅ。町の中でも万が一ってことがあるけど、特に外に行くなら、気の緩みが命に係わるって認識と、あとは、もうひとつ、このくらいまでだったら、何とかなるってのを見せて、必要以上に恐怖感を与えないため、かなぁ? ふっふっふ、まぁ、ちょっと離れて見ていてよねぇ。気持ち悪くなったら、無理して見なくてもいいけど、これが現実だからねぇ。目を背けてばかりもいられないよぅ。じゃ、行こうかぁ」
そう言って、メルが門の横にある詰所へと入っていった。
コロネもそれに続く。
要するに、重傷者の治療に立ち会わせたい、ってことらしい。
そっか、そうだよね。この世界がどういう世界なのか、よくわかるため、か。
さっきの歌を聴いた後だと、特にそのことが重く感じられる。
たぶん、これはないがしろにしてはいけない問題なのだ。
「ダンテー、来たよぉ。状況は?」
「おっ! 早いな、メル。今日は地下に引きこもっていなかったのか。めずらしいが、こちらとしてはありがたい。お、そして、コロネも来たのか……なるほどな。うん、いい機会だから、メルの治療を見ておくのも悪くないか。今日のは、幸いと言うか、重傷で済んでいるようだしな」
「いや、そういう感想は後々。状況、状況ー」
メルがぷーっと膨れながら、先を促す。
ケガ人が出ている以上は、そっちを優先するのが当然だものね。
「ああ、すまんすまん。ロンの商隊に新しく入った、チャトランがどうやらルート選択をミスったらしい。まあ、単独で輸送を任されて嬉しかったんだろうな。北の方で発生していたスタンピードに巻き込まれちまったってさ。まったく、この規模なら、遠くから見ればわかるだろうに、油断しすぎだ。これはロンの教育不足だぞ」
「ふうん、ということは、向こうから近づいて襲ってきたわけじゃないんだねぇ」
「ああ、単純に、暴走状態で周囲に流れてきた魔法で負傷したって感じだな。まあ、この状況で保険の対象にするのもしゃくだが、仕方ない。こういうリスクを分かった上で、繁殖をさせているんだからな。ま、俺たちも気を付けないとな」
へえ、保険なんてあるんだね。
何でも、オサムがはぐれモンスターを放牧している件と絡んでくるらしい。
詳しい説明は後回しだけど。
「で、怪我の状態は?」
「一応、貫通はしているみたいだな。骨や臓器をどれくらい痛めているかまではわからないぞ。あとちょっとで、移送されるから、直接見てくれ」
「了解ー。ええと、クリスとギンはもうすぐ来るの?」
「もう来てるぞ。奥の部屋を医療対応用に準備中だ」
「へぇー、随分早かったねー。わたしも割とまっすぐここに来たのに」
「いえ、たまたま、この近くで往診があったからですよ。メルこそ、よくもまあ、こんなに早く来れましたね。ここ数日は寝入っているという話を聞いていましたので、間に合わないことも覚悟してましたよ」
奥の部屋から、ナース服を着た細身の女性がやってきた。
何というか、モデル体型というか、手足がすごく細いのが印象的だ。すらっとしたスタイルというか、針金細工というか。この人が看護師さんかな。
「うん、ちょうど今作ってるポーションがひと段落してねぇ、お祭りを楽しんでたんだよぅ。まあ、お祭りのおかげかなぁ。あ、そうそう、クリス、今日は見学者がいるからねぇ。料理人のコロネ。迷い人だから、ちょっと見ててもらおうと思って」
「ああ、コロネさんですね。存じてますよ。初めまして、看護師のクリスティーナです。クリスと呼んでください。一応、血液関係に通じております」
「よろしくお願いします、コロネです。血液にお詳しいんですか?」
血液ってことは、もしかして吸血鬼とかそういう感じなのかな。
見た目、細身できれいな人だし、そういう印象もなくはない。
「ああ、コロネー。何を考えてるか何となくわかるけど、クリスは吸血鬼じゃないよ。虫人種だよ」
「ええ、ですが、似たようなものですかね。実際、血液からも栄養は取れますしね。モスキー種、つまり蚊の虫人です。残念ながら、吸血鬼の方ほどの魔力はありませんよ」
そうなんだ。
虫人種という人もいるんだね。
なるほど、蚊がナースさんってのは、ちょっと意外だけど案外合ってるかも。
「今のうちに、ギンも紹介しておこうかぁ。この町でお医者さんをしている本職だよぅ。わたしは本来、医者じゃないからねえ。こっちが本当の町医者だよぅ。ねえねえ、ギン、ちょっとこっちに来て。お仕事の前にコロネと挨拶ー」
「はい、わかりました。こちらの準備はできましたよ」
奥の部屋から出てきたのは、銀髪の男の人だ。
歳のころなら、二十代後半くらいだろうか、甘いマスクのイケメンさんだ。何というか、整いすぎてちょっと引いてしまう感じというか。お医者さんってもっとこう泥臭い感じがするかと思ったけど、ドラマの主人公みたいなお医者さんだね。
「初めまして、町医者をしております、ギンです。あの、そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。私は性別不定ですから。今は男性体ですが、そういった感情とは無縁の種族です。ですから、医者が務まるわけですね」
「料理人のコロネです。どうぞよろしくお願いします」
挨拶をしながら、もう一度、ギンをよく見る。
性別不定ってことは、おねえ系の人ってことじゃないよね?
「ドクターはイソギンチャク系の海人種です。そのため、季節によって男性体と女性体が変化します。つまり、この外見はまったく意味を成さない、残念な人というわけです。とは言え、その方が診療などがスムーズに進みますので、悪い人ではないですけど」
「ふふふ、クリス君、ひどいですね。さすがにその紹介はないと思いますよ。まあ、さておき、時間もないですし、挨拶だけですかね。私の病院は町の南側にあります。温泉のある辺りですね。体調が優れないときはどうぞいらしてください。病気系の治療は得意ですよ」
「はい、ありがとうございます」
何でも、傷や体力低下などの治療は、メルの方が得意なのだそうだ。
ただし、病気の類や、ポーションが効きづらいもの全般はギンの専門となるらしい。
「そーだよぅ。ギンは癒し系のスキル持ちだからねえ。ポーションとかで無理なものは全部対応してもらってるかなぁ。あ、両方合わせるやり方が一番無難だったりするからねぇ、どっちがどうって話じゃないよぅ」
「ですね。今回の患者さんも双方が必要な事例ですね。さて、そろそろですかね」
挨拶もそこそこに、三人が治療の準備へと入った。
わずかな緊張の空気の中、患者がやってくるのを待つコロネたちなのだった。




