第8話 コロネ、みんなに励まされる
「ふう、何だか嵐みたいな時間だったなあ」
午前中のパン作りが一段落したのは、午前九時を回ったあたりだった。
三十分置きに、段階を踏んで焼きあがるパンをそれぞれ、四つの石窯から取り出しては厨房内の簡易エレベーターを使って、三階へと送り込む。あとは流れ作業で、すべてが終わるまでそれを繰り返すだけなのだが、いかんせん、量が多すぎ。
どれだけ繰り返したかわからない。
ともあれ、早番の作業はここで終わりなのだそうだ。
送り込まれたパンをカットしたり、惣菜を挟んだり、店頭に並べたりするのは、料理人や普通番と呼ばれるアルバイトの仕事なのだとか。
接客も普通番のお仕事だ。
というわけで、時刻は午前九時半。
コロネたち、早番の担当は後片付けを終えた後、ようやく食事となった。
ちなみにアルバイトには朝食もついてくるのだそうだ。
自分たちの作った焼きたてのパンを食べられるのも報酬のひとつなのだという。
今日振舞われたメニューは、照り焼きソースのハンバーガー、ハムとたまごのサンドイッチ、それにミネストローネのスープだ。
あと、オサムが『お試しメニュー』として、ハーブティーを置いて行ってくれた。こちらに関してはお客さんには出せないので、ここだけのメニューとなっている。
「大変だけど、作った分だけ報酬が追加されるからね。やっぱりみんな全力で頑張っちゃうのよね」
スープをひとくち飲みながら、バーニーが教えてくれた。
作ったパンが一定量を超えると、その量に応じて、追加報酬となるのだそうだ。
詳しい条件は聞かなかったが、アルバイトとしてはかなりの額なのだとか。
「でも、そういうことでしたら、今日はわたしが足を引っ張っちゃったんじゃないですか?」
結局、コロネが一番パン作りが遅かったのだ。
これで皆さんの報酬に影響したら申し訳がない。
「心配ないのです。研修の期間は頭数に入っていないのです。総数から、それ以外の人数を割って計算するのです」
「そうそう、コロネの姉ちゃん凄かったぞ。いきなりで、あんなに早いの初めて見たぞ。魔法も使ってないのに」
「そうさね。迷い人はレベルがリセットされることがあるってのは皆知ってるのさ。むしろあんたは初日から慣れすぎさね。こっちとしては大助かりさ」
ピーニャとラビ、そして、マギーがそう言ってフォローしてくれた。見ると、他の人たちも頷いていてくれている。
何だか、こういう空気はうれしいな。
涙が出るではないが、ぐっとこみ上げてくるものがある。
「身体強化については、これから魔法屋に行ってみればいいのです。それに、コロネさんに期待しているのは、パン作りの作業ではないのです」
「そっか、甘いパン作りだよね」
ふむ、と考えて、コロネは手のひらをテーブルの上にかざす。
魔力は一応、回復しているようだ。
ぽん、という音と共にチョコレートが現れる。
「とりあえず、これに合うパン生地を作ることから始めようかな」
「何なのですか? その黒いものは」
ピーニャが不思議そうにチョコを見る。
食卓を囲んでいるみんなも、それは同じようだ。
「これはわたしの故郷のお菓子で、チョコレートって言うの。ちょっと待って」
追加であと三つチョコを出し、それぞれ半分にして全員に配る。
昨日はあと二つで限界だった。この辺りがやめ時だろう。
「ちょっと、味見してもらっていいかな? こっちの人の味覚に合うか、わからないから」
とりあえず、みんなの反応を待とう。
コロネはそれぞれが慎重に口を運んでいくのを、じっと見つめる。
「え! 何だいこれ!」
「こんな少しなのにとっても甘い! こんなの食べたことないよ!」
「味だけじゃないですね、この香ばしい香りが口の中に広がっていって……ああ、すごいです」
「すごいのです、コロネさん! オサムさんの料理でも出てきたことはないのです!」
興奮気味の面々を前に、コロネが自分のスキルを説明していく。
現時点では、自分のレベルが低いため量産できないことも。
「というわけでね、このチョコレートがわたしにとっての到達点のひとつなの」
どんなに便利でも魔法でお菓子を作ることを当たり前としたくはない。
パティシエとして、この世界の材料で、この味を生み出さなければ意味がないのだ。
味見や情報収集としては、魔法を使うが、これを売り物にはできないだろう。
「なるほどねえ、食べ物を生み出すユニークスキルかい。さすがにそんな代物は聞いたことがないねえ。まあ、持っているやつが隠してるだけかもしれないけどね。ただ、あたしの想像として、可能性があるのは、この世界のどこかにあるチョコレートとやらを召喚しているってところかね」
この中では、一番色々なことに精通しているマギーが言う。
「チョコレートがこの世界にある、ってことですか?」
「ああ。この世界がこの世界たるゆえんさね。あんたの故郷にこのチョコレートと同じものがあるっていうのなら、フードモンスターがいるのかもしれない」
「フードモンスター?」
「そう。まだ謎が多いモンスターで詳しい生態もわかっていないが、世界のあちこちでその種のモンスターは見つかっているのさ。食材の属性のみで構成された生き物が」
「ピーニャもダンジョンの中で会ったことがあるのですよ。ソルトモンスターという塩のモンスターなのです。倒すと、塩が手に入るのです」
そんなものまでいるんだ。
つまり、チョコレートのモンスターがいるかもしれなくて、その一部をコロネの魔法で召喚している、という理屈なのだろう。
もしそうだとしても、味がコロネのいたお店の味、という点で疑問は残るのだが。
「まあ、世の中、答えがあるもんばっかじゃないさね。さあさあ、折角の料理が冷めちまうじゃないのさ。食べないともったいないよ」
「なのです。何はともあれ、コロネさんの今後に期待なのです」
「いや、あの、ありがたいけど、あんまりプレッシャーかけないでよ」
コロネのぼやきに、みんなが笑う。
まるで、オサムみたいだ、と。
その言葉を聞いて、コロネも少しうれしくなった。
朝食の時間は和やかに過ぎていった。
午後からはピーニャに言われた通り、魔法屋へと行くことにした。
その前に、三階の調理場でハーブを煮ていたオサムに会って、パン作りの今後について話をした。
朝食の時、パンを口にして、コロネははっきりと確信したことがある。
この世界で作られている小麦粉についてだ。
作っている時点でも、黒いものや固いものが多く混じっていた。おそらく、小麦を粉にする際に、そのまま粉砕しているのだろう。いわゆる全粒粉と呼ばれるもので、小麦の素材を余すところなく使っている小麦粉がこれなのだが、この粉はパンやお菓子を作るときには大きな欠陥がある。
パンの場合、酵母の働きを邪魔する。つまり膨らみにくくて、食感が固くなってしまうのだ。
向こうの世界でも全粒粉百パーセントのパンはあまり見かけないのは、それだけで、美味しいパンを作るには、プラスアルファの要素がかなり必要になるためだ。
ましてや、ケーキなどの生地にはとても適さない。
朝はみんなの手前、何も言わなかったのだが、オサムが満足しない理由がよくわかる。
あれでは、惣菜の付け合せにパンがあるだけなのだから。
サワー種の作り方そのものは、現代でも通用するレベルだっただけに少しもったいない。
ちなみにオサムが料理に使っている小麦粉は、小麦を塔の中で、自己流のやり方で粉にしているのだそうだ。
「だが、大量生産はできない。とてもじゃないが、パン工房には回せる量は確保できないな。俺もさすがに小麦を一から粉にする手順なんて、向こうじゃ意識してなかったからな。いざ、こっちで作られた小麦粉を料理に使う段になって、あわてて対応した口だ。粉の分離に関しては魔法で誤魔化している部分がある」
恥ずかしい話だがな、とオサムが自嘲的な笑みを浮かべる。
料理の方の課題をひとつひとつクリアしていく中、小麦粉については後回しになっていた部分もあるのだとか。
優先されていたのは、醤油とか味噌などの調味料類だそうだ。
ともあれ、今のパン生地のままで、甘いパンを作ることも可能だ。
食べてみて分かったが、確かに少し固めで食べ応えがあったが、味自体はライ麦の風味が香ばしく、パン本来の味をしっかり楽しみたい人にとっては向いているパンでもあったからだ。
温度管理や、手順をいじることで味をよくすることもできるし、惣菜パンとして、ハムやソーセージ、チーズなどを組み合わせると、惣菜パンの種類を増やすこともできる。
甘いパンとなると、クルミのハチミツ漬けなども合うだろうし、ドライフルーツを組み合わせれば、色々と可能だろう。
「ただ、アルバイトに頼っている現状だと、数を量産するのは難しいんじゃないかと思います。種類が増えればそれだけ、大量生産に向かなくなります。こっちの人が一度に様々な種類のパンを望んでいなければ、今は時期が早い、という感じに思えます。職人の育成と並行する必要がありますので」
ただ、作るだけなら難しくはない。
難しくはないのだが、問題はこのパン工房の置かれている状況だ。
町の朝食を担っている、となると、数の問題を無視するわけにはいかない。
こじんまりとしたベーカリーでパンを売るのとは大分違ってくるのだ。
「ああ、色々と考えてくれてありがとうな、コロネ。確かにそうなんだよな。パンの数をそろえる必要はあるんだ。ふむ……」
オサムとしては、コロネが余った時間で作れる程度の甘いパンを作ってもらって、食事の時間とずらしたタイミングで、限定商品として販売する予定だったのだそうだ。
「確かに、すぐ売り切れる可能性もあるが、コロネには、一本、別のラインとして動いてもらいたいのさ。そうすれば、身体強化の件も解決するしな」
「知ってたんですか?」
そこまで考えてくれていたとは知らなかった。
「というか、アルバイトが最初にぶち当たる壁がそこだからな。冒険者の経験もない子供がいきなり身体強化なんて使えるわけがないだろうが」
それもそうか、とコロネが納得する。
「まあ、今あるパン生地で作れる甘いパンってのを頼んでいいか? 売り切れなどの客の対応についてはこっちで何とかするから、作る方に集中してくれ。材料が必要なら言ってくれ、パン作りに関しては『俺の店』だから食材を融通する道理が立つ」
「作るのは了解ですが……最後のは、どういう意味ですか?」
食材を融通する道理って。
「ああ。俺の集めている食材なんだが、一部の産地のものに関しては、俺以外に融通してはいけないって契約があるんだ。まあ、その産地のおかげで、かなりの難しい食材をそろえることができたから、ありがたいっちゃあありがたいが、そんなわけで、向こうの世界で必要だった食材の結構な種類が、その契約の中にある」
「なるほど。でも、それって普通のことじゃないですか?」
「まったくだ。料理人なら、自分で使う食材は自分の足で手に入れる必要がある。当然のことだな。ただ……その産地と契約するのが、かなり難しいのと、その種類の多さが食材として多岐にわたり過ぎるのが問題なんだ。詳しくはこれ以上説明できないが、そういうことなのさ」
他の産地で作っているところが皆無に等しい食材が多いのだとか。
オサムが契約して、わざわざ作ってもらっているものもあるらしい。
「とりあえず、米と砂糖はダメだ。あとはその都度、ダメ出ししていく感じか」
「わかりました」
つまり、コロネがお菓子を作るためには、必要な材料を自分で確保していく必要があるということだ。パン作りについては例外だが。
何にせよ。
世界一のパティシエを目指すものとしては、当然のことだと思った。
コロネは向こうの世界で、店が仕入れているカカオの農園まで一緒に見に行ったこともあったのだ。店長曰く、「自分の扱っている食材がどういうところで生まれて、どういう風に作られているのか確認するのは、料理人の義務だ」とのことだ。
それができてようやくスタートラインだと。
こっちの世界でスタートラインに立つためには、コロネがすべきことは多いのだ。
決意も新たに、コロネはオサムにお礼を言って、その場を後にした。