第88話 コロネ、吟遊詩人の歌を聴く
「あー、コロネだぁ。コロネもステージ見に来たんだねぇ」
商業ギルドによって作られたステージ側、観客がたむろしている中に、白衣を着た背の高い女の人が立っていた。あ、魔法医のメルだ。
普段は地下の町にこもりっぱなしで、表に出てくることはほとんどないと聞いていたんだけど、やっぱり、こういうお祭りの時は別なんだね。
「こんにちは、メルさん。その手に持っているのは、屋台で売っていたものですか?」
「そうだよぅ。今日は気分がいいので、自分にご褒美なんだー」
見れば、メルは両手に、どころか白衣のポケットとか、肩からかけた袋の中とか、至る所に食べ物などを持ち込んでいた。ちっちゃい子供がお金を気にせず、片っ端からお祭りを楽しむとこんな感じになるだろうか。
どこで売っていたのか、謎だが、ドラゴン風のゆるキャラのようなお面を頭の後ろに付けているし、金魚すくい風の袋にはキラキラと銀色に輝く魚が入っている。なぜか、射的で使うコルク銃みたいなのを腰にかけているし、これで白衣ではなく、浴衣を着ていたら、お祭りが好き過ぎる人のできあがり、といったところだ。
実際、周りの人と比べても、異様に目立つ感じに仕上がっているね。
「ちなみに、コロネもお祭り楽しんでるぅ?」
「ええ、もちろんですよ。さっきも焼きりんごとか食べましたよ」
「ああー、プルートのお店だねぇ。わたしもご近所のよしみで買ってきたんだぁ。まだ温かいから、家に帰ってから食べるのー。ふふふ、今日は美味しい食べ物がいっぱいだよぅ。とっても幸せー」
手に持った、イカ焼きを食べながら、メルが笑み崩れている。
楽しくて楽しくて、仕方がない、といった感じだ。
何でも、ついに新しいポーションの作成に成功したのだとか。
「へえ、新しいポーションですか?」
「うん、そうなのぉ。これで、わたしの夢に一歩前進って感じかなぁ。まだまだ、崩壊を食い止めるレベルには到達していないけどねぇ。うーん、撤回の方がいいのか、再生の方がいいのか、それとも、それ自体を無効化できた方がいいのかなぁ。もうちょっと実験の方が必要かなぁ、うん」
「崩壊、ですか?」
何やら物騒な単語が出てきたけど、何の話だろうか。
薬学がらみの専門用語なのか、それとも、この世界の独特の言い回しなのか、ちょっと難し過ぎてよくわからない。
「うーんとね、崩壊ってのは、肉体が死滅に至る現象のひとつのことだよぅ。今のところ、どんな強力なポーションでも、崩壊に至ったものを回復できた例はないのねー。一度、崩壊現象が起こってしまったら、その存在は死ぬしかないんだけどー、わたしは、わたしにはどうしても、それを超えるための回復薬が必要なの。どうしても、もう一度、会わなきゃいけない人がいるからねぇ」
以前会った時はふわふわしていただけのメルが、ちょっとだけ真剣そうな表情を浮かべて、そう言った。彼女がポーションの研究に没頭しているのも、その辺りに理由があるのだそうだ。
「つまり、新しいポーションって、そのためのものですか?」
「うん、わたしの『先生』に会うためのものだよぅ。今はちょっと遠いところで眠っているけど、いつか、また会って、今度こそ、わたしの口からお礼を言わないといけないんだぁ。まぁ、もうちょっとだけ待っててもらうけど、今のわたしはそのためだけに頑張っているって感じだねぇ。だから、お医者さんと魔法はあくまで、おまけなのぉ」
詳しい事情は教えてくれなかったが、その『先生』というのが、メルにとっての大切な人なのだろう。それだけは伝わってきた。
ステージ上では、ちょうど切なげな音楽に載せて、ひとりの女性が剣舞を踊っていた。ギルド『ジンカー』のソードダンサーの人らしい。何となく、しんみりしてしまう空気だったせいで、こんな話題になってしまったのかもしれない。
それに気づいたのか、メルがあははと笑う。
影を感じさせない、屈託のない笑みだ。
「まぁ、そんな大げさな話じゃないから、この話はここまでねぇ。少なくとも、わたしは運がいいと思うんだぁ。まだ失っていないし、道はまだ続いているからねぇ。ふふふ、本当に幸せな話だよぅ。あ、剣舞の方も終わりみたいだねぇ。そろそろ、ニコの歌が始まるかなぁ」
「ニコさんの歌、ですか」
その言葉に、しんみりした空気から我に返る。
たぶん、コロネにとっても、その歌が重要なものになる。
そう思って、ステージ上へと目線を戻した。
「お待たせしました。吟遊詩人のニコです」
先程まで、伴奏など裏方に徹していたニコがステージの中央へと進み出てきた。
肩にはアンプが乗っているが、今日は口を開かず、真剣な顔つきで黙っているようだ。この間とは、大分雰囲気が違うね。
「今日も、たくさんの歌が歌われ、曲が奏でられ、踊りが舞われました」
ぽろん、と持っている弦楽器が奏でられる。
「これらはすべて、ひとつの音から始まりました」
再び、ぽろん、と一音のみが奏でられる。
「すでに、聞いたことがある皆様には、恐縮ですが、私にとって、私が歌を歌う、その理由であるがゆえ、最初の歌は、いつも世界についての語りとさせて頂いております。この世界……『ツギハギ』と呼ばれる世界の最初。それは何もない空間に、静寂だけが存在していた場所に、世界の断片がこぼれ落ちた瞬間のことです。まるで、波ひとつない水面に、しずくが一滴垂れるかのように、生命のしずくが何もない空間に垂らされ、世界が生まれました。ひとつの音と共に」
わずかな静寂。
そして、もう一度だけ、ぽろん、と弦から音が奏でられて。
「ですが、生まれた世界は、何もない、小さな世界でした。それでは、ご清聴お願いします。この世界の成り立ち……始まりの物語です」
ニコによる弾き語りが始まった。
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あるところに、ひとつの世界がありました。
その世界はとても小さく、寂しい世界でした。
誰もいない、何もない、小さな世界。
そのまま、長い時が流れました。
ある時、その小さな世界は思いました。
なぜ、自分は寂しい世界なのか、と。
ふと、周りを見ると、色々な世界がありました。
小さな世界は、周りの世界がうらやましくなりました。
そして、小さな世界は、その手を周りへと伸ばしました。
周りの世界は、小さな世界の手に、ほんの少しのかけらを分けてくれました。
こうして、小さな世界は寂しくなくなりました。
もう、誰もいない、何もない、そんな世界はありません。
いつしか、小さな世界は、みんなから、こう呼ばれるようになりました。
『ツギハギ』、と。
これは、この世界の始まりのお話です。
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ぽろん、と最後の一音を奏でて、ニコがゆっくりとお辞儀をするのが見えた。
今のが、この世界についての歌なのだろう。
なぜかはわからないが、胸がざわめくのを感じる。
いや、違う。
たぶん、もうわかっているのだ。
だからこそ、こんなにも違和感ばかりが募っていくのだろう。
おそらく、この世界は……。
「ご清聴ありがとうございました。皆様もご承知の通り、いえ、そうではない方もいらっしゃるかもしれませんので、あえて説明させて頂きますが、この『ツギハギ』は、歌のような成り立ちで生まれた世界です。そのため、あるひとつの特性を持っています。『他の世界の欠片を受け取り、それらを繋ぎ合わせることで、世界を広げていく』という特性です。それ故に、常に、新しい概念が流れ着き、少しずつではありますが、世界そのものが広がっていっているのです。私たちは、この世界に生まれたか、あるいはこの世界に流れ着いた者たちです。ですから、その事実を胸に抱いて、どうか、この世界で健やかに生活を送って頂きたいと思います。これはあくまでも伝承の歌、ということになっておりますが、私はこの歌を広めるために、世界を渡っているということだけは、お伝えしておきたいと思います」
以上です、とニコが締めくくった。
信じるかどうかは、あなた次第です、と。
確かにコロネが聴くことに意味がある歌だったのだろう。
何とも言えない、魚の骨がのどに引っかかっているような感覚に、思わず、横にいるメルを見てしまう。
「……メルさん、この歌って」
「あ! ちょっと待って! コロネー! これは来るよぅ!」
コロネが歌について聞こうとするのを、遮るように、真剣な声をあげるメル。
一瞬前までは、ほんわかした表情で、コロネに頷こうとしてくれていたはずなのに、どうしたんだろうか。突然、空を見上げて、真剣な表情を浮かべている。
ここまで、本気のメルを見たのは初めてのような気がする。
と、次の瞬間、辺り一帯の警報のような、けたたましい音が鳴り響いた。
「これは……!?」
「うん! ダンテの『警報』スキルだよぅ! ちょっと静かに!」
何かが起こっている。
それだけしかわからず、コロネはただ黙って、メルの様子をうかがうことしかできなかった。
こうして、この町に来てから、初めての『警報』状態へと突入した。