第7話 コロネ、パン屋になる
「おはようございますなのです。皆さん、今日も張り切って、パンを作っていきましょうなのです」
まだ夜も明けるか明けないかという朝早くから、パン工房にピーニャの声が響く。
そこに集まっていたのは、コロネの他、アルバイトで来てもらっている子供たちや主婦の皆さんなど、八人ほどだ。
ピーニャによると、手伝いに来てくれるのは日によってまちまちなので、大体は十人弱くらいの人手が集まるのだという。ちなみにお給料は冒険者ギルドのクエスト経由となるので、そちらで支払われるのだそうだ。
小さい子供たちも冒険者ギルドから仕事を受けるのは、経験を積ませる意味もあるらしい。当然、選べる仕事には年齢制限もあるらしいのだが。
「さて、もう会った人もいるかも知れないのですが、今日から新しい料理人さんが加わるのです。こちらのコロネさんなのです。オサムさんと同じところから来たそうですので、最初に仕事を手伝ってもらった後、新しいパン作りにも加わってもらうのです。目指せ! 甘いパンなのです」
「おー、すげえ! オサムとおんなじって!」
「今のパンでも十分美味しいのにねえ。これは楽しみね」
これは随分と期待されてしまっているようだ。
ちなみに男の子の方が、ウサギの獣人のラビくん。そして、その横の女性がラビくんのお母さんのバーニーさんだ。
「コロネさん、うち小麦作ってるんです。試作の時は使ってください」
「空の食材が必要だったら言ってください。お母さんが採ってきますので」
「いやいや、ルーザ、そこは自分がって言わないとダメじゃないのさ。ま、ともあれ、必要なものがあるなら言ってもらえたら用立てするさね」
家が小麦農家で毎日パン工房に通っているのはブランくんだ。そして、空の食材について協力してくれるというのが、ルーザちゃんとマギーさん親子だ。
聞いたところによれば、ふたりはゲルドニアという国の出身で、『空賊』と呼ばれるドラゴンライダーの家系なのだという。
「昨日はうちのお風呂に来てもらったそうですね。ありがとうございます。おばあちゃんがよろしくって言ってました」
そして、もののけ湯のコズエさんの孫のミキちゃんだ。
パン屋の仕事が終わると、家のお手伝いもしているそうだ。
どうもみんながコロネを見る目がキラキラと輝いているように感じる。おそらく、オサム効果なのだろうが、結構なプレッシャーかな、とコロネは思う。
ただ、そういう目で見られることに関しては、コロネも初めてではないので、にっこりと笑って頷く。
「みなさんありがとうございます。コロネです。頑張りますので、よろしくお願いします。不慣れな点もありますので、色々と教えてください」
「それじゃあ、あいさつも終わったので、仕事に取り掛かるのです。コロネさんはピーニャについてきてほしいのです。一通りの流れを説明するのです。それでは皆さん今日も頑張りましょうなのです」
ピーニャの号令と共に、それぞれが仕事に取りかかる。
ちなみに、全員白衣に着替えて、手洗いなどの衛生的なチェックも済ませている。工房の内側、作業場に入るときは必ず、この手順を済ませなければならないとのこと。
白衣に関しては、給仕の制服と違って、いくつかのサイズが用意されているので、コロネもそれに着替えている。
「では、今から一通りの手順を見せていくのです。ついてきてくださいなのです」
そう言って、ピーニャがパン作りへと取りかかる。
その手順はまさしく、コロネが覚えているライ麦パン作りと同じものだ。
いわゆるライ麦パンは、酵母を作るのが比較的簡単なパンとされている。
なぜなら、サワー種と呼ばれる酵母は小麦とライ麦と水だけで作れるからだ。
酵母がなければ、パンは膨らまないため、どれほど小麦粉を選りすぐってもパンを作ることができない。
そして、サワー種の作り方はそれほど難しくない。
小麦粉とライ麦粉と水を混ぜて捏ね上げ、一定温度で発酵させていく。
それに毎日一回ずつ、『種つぎ』と呼ばれる材料の継ぎ足しを繰り返して、発酵を進ませれば完成だ。
あとは、発酵させた種を継ぎ足すことで、そのまま増やすことができる。
イースト菌と比べて、時間がかかるように思えるが、一から作るのであれば、少ない材料で作ることができる点は大きなメリットだろう。
ピーニャも作り方だけを見せてくれた。
さすがに朝作り始めて、すぐできるようなものではないからだ。
「この『パンの素』は作るのに時間がかかるのです。でも、これがパンの出来を左右するものなのだそうです。同じ作り方でも、場所や作る人によって、味が変わったりするらしいのです」
酵母は微生物なので、環境の変化によって味が変わる。
酵母という存在は知らなくても、その辺りは理解されているのだろう。
「で、こちらに寝かせておいた『パンの素』があるのです。今日はこれを使って、パンを作っていくのです。ん? どうかしたのですか?」
「いえ、ごめん。ちょっと思い出し笑いかな。向こうの料理教室に似ていたの」
何となく、向こうの世界の料理番組を思い出して、クスリと笑ってしまったのだ。
ちなみにピーニャへの言葉遣いだが、ピーニャ本人から、敬語をやめてほしいと言われたので、この状態に戻している。甘いもの作りを教わる以上は先生にもなるのだから、その方がいい、のだそうだ。
「ですか? では、続きをやるのです」
そう言って、ピーニャが材料を全部入れて、混ぜ始める。
ここでの材料は、小麦粉とライ麦と『パンの素』、そして水と塩だ。
向こうの世界ではミキサーを使っておこない、ミキシングなどと呼ばれている。
驚かされたのは、そのミキシングの工程だ。
てっきり、専用の魔道具でもあるのかと思っていたのだが、みんな、自分たちの手でかき混ぜているのだそうだ。量が量だけに子供には重労働じゃないかなと思ったが、何でも身体強化の魔法を常時発動させているのだそうだ。このパン作りはパンを作るだけではなく、魔法力の訓練にもなっているのだという。
なるほど、だから、冒険者ギルドのクエストになるのだろう。
できた生地は三十分寝かせて、分割し、二十分休めて、成形する。
「この時に、丸いパンは一個大の大きさに丸めて、四角いパンはこっちの型に丸い生地をポンポンポンと置いていくのです」
ピーニャの両手大の大きさに丸まった生地で、丸パンと四角パンを作るそうだ。
「あとは、もう一度、三十分寝かせて、石窯に入れて焼けば完成なのです」
言いながら、テキパキと動き回るピーニャ。
寝かせて焼くだけの状態になったパンが、瞬く間に工房の一角に集まっていく。
周りも同様に、すごい手早い動きで作業を進めている。
身体が少し光っているので、これもおそらく身体強化の魔法だろう。
石窯が「これ何百個いっぺんに焼けるのだろう?」ってくらいの大きさであったため、不思議に思っていたのだが、納得だ。これなら、開店時間の九時までにかなりの数をこなせそうだ。
と、コロネがひとつ気になったことを尋ねる。
「あれ? 中身と一緒に焼く惣菜パンはないの?」
「一緒に焼く、ですか? ソーザイパンは焼いたパンを切って、中に色々と挟んだもののことなのですが。それが量をこなすには一番だと、オサムさんも言っていたのです」
ああ、なるほど、とコロネが頷く。
種類ではなく、数を確保するために、あえて種類を少なくしている面もあるのか。
それにライ麦パンをベースにした場合、日本で食べられているような惣菜パンのようには合わず、上手に焼けないかもしれない。
おそらく、こっちの世界のパン作りの壁となっているのは『酵母』だ。
まず、甘い具材に合うパンを作るための酵母を見つけなければならない。
「では、ピーニャが見てますので、コロネさんも手順通り作ってみてほしいのです」
ピーニャに促されて、コロネもパン作りをやってみた。
工程そのものは、問題なくできるのだが、やはり、周りと比べるとスピードの面では後れをとってしまっている。これは技術というより、身体強化を使えない、という問題なのだろうが。
「はい。問題ないのです。コロネさんはパンを作ったことがあるのですね」
「でも、ピーニャ。わたしも身体強化を覚えないとダメだろうね」
「なのです。その方が疲れないのです。午後からの接客は人手が足りているので、魔法屋にでも行ってみるといいのですよ」
「うん、わかった」
パンの焼き工程の合間、作業場の片付けなどをしながら、ピーニャと話す。
焼きあがったパンは、すぐさま、三階の方へと運ばれ、そこで用意されていた惣菜と組み合わせていくのだそうだ。
ちなみに、この時の惣菜作りや、パンと一緒にセットで販売される、本日のスープなどがオサムの担当なのだと言う。
「町の料理人さんたちも手伝ってくれているのですよ」
「へえ、そのあたりは昨日の夜と一緒なんだね」
もちろん、給金も支払われているらしい。それだけではなく、ここのパンとスープと惣菜のセットは、町のあちこちの店でも朝食メニューとして販売されるそうだ。
いわゆるフランチャイズのような感じで、町の人たちがオサムの作る惣菜とスープを毎日食べたいという要望に応える形で、このような販売形式になったのだとか。
つまり、料理人は手伝いに来て、自分の店に持ちかえって、委託販売までしてくれている状態らしい。それぞれのお店で、オサムの惣菜パンとその店のおかず、なんていう組み合わせも楽しめるのだとか。
「良くも悪くも、ここの設備は異常なのですよ。一度便利なものに触れてしまった者は、もう元には戻れないのです」
しみじみと実感がこもった声でピーニャが言う。
そこには異常な状況に巻き込まれてしまった者の自戒が混じっていた。
ちなみに、こっちの世界では一日二食が基本らしい。
朝ごはんは九時から十時ごろで、夕食が午後四時半ごろ。
小腹がすいたら、パンなどを食べたりするらしい。
で、サイファートの町はというと、オサムのおかげで一日三食の習慣が定着してしまったのだとか。町の人々は朝はパンとスープで、昼は午後一時ごろから町の料理屋で、夜は五時ごろから自宅や料理屋で食事をとるのだという。
「では、そろそろ焼きあがるのです。ここからも慌ただしいのですよ」
「うん、頑張る」
そう言って、コロネもピーニャの後に続いた。
朝のパン作りはまだまだ終わらない。