第72話 コロネ、生地職人に案内される
夜が明けて、コロネがこっちの世界にやってきてから六日目、金の日の朝になった。
今日も色々とやらなければいけないことがあるのだ。
手始めにコロネは、昨日に引き続き、町の東側にある職人街へとやってきていた。
プリン用の器、その購入のためである。
「ええと、確か職人街の南側って言ってたよね」
探していたのは、アストラルの工房だ。
確か『ビゼン』というお店だったと聞いていたのだが、この辺りは窯を持った工房がいくつか連なっているようだ。どこが彼の工房なのだろうか。
と、ちょうど一軒の建物の横で、体操をしている男の人を発見したので聞いてみる。
「すみません、ちょっといいですか?」
「うん? 何だね、お嬢さん」
「この辺りに、『ビゼン』というお店があるって聞いてきたんですが、ご存知でしょうか?」
「ああ、アストラルの窯だな。それなら、すぐそこだから案内しよう」
そう言って、男の人が体操を中断して、コロネに付き合ってくれることになった。
名はエドガーさんというらしい。
種族は人間種。歳は五十歳くらいで、職人らしいずっしりとした肉体をしている。案内される途中、色々と話をしてくれたのだが、何でも、生地全般を取り扱っている職人なのだそうだ。この場合の生地は布関係のことだね。
パティシエも、料理での生地職人なので、何となく親近感がある。
「そうかい、お嬢さんが例の新しい料理人か。もう結構な噂が飛び交っているからな。この辺りでも知らないものはいないんじゃないか」
「あの、そういうのは本人のまったくあずかり知らずのことなんですけど……」
お店に来た人にはお辞儀されるし、顔を知らない人からも『ああ、あの』とか言われるようになっているのは、さすがにどうなんだろうと思う。
そこまで大騒ぎになるようなことはやってないよね?
大体、ここの町の人の方が只者ではない感が強いだろうに。
「仕方ないだろう。もうな、オサムの関係者ってだけで、どうしても注目はされる運命だろうしな。おまけに甘いものの専門職と聞けば、目の色を変える者も少なくはないさ。今までだって、料理ひとつひとつで騒ぎになっている。こと、食べ物に関しては、自分の好みと合った時の感動が大きい。そういうものだ」
エドガーは、何でも、ウルルから話を聞いたのだそうだ。
普段はまったり系の精霊が興奮気味で話をしてきたこともあって、しっかりと覚えていたのだとか。
「そういえば、ウルルさんは裁縫職人ですものね」
「ああ、うちの店の常連だ。というか、どっちかと言えば、弟子みたいなもんだな。何か手に職が欲しいってことだったから、簡単に仕立てに関することを手解きした感じだ。もう今ではいっぱしの職人といった感じだがな」
そうなんだ。
色々と人と人との繋がりがあるんだね。
実際、エドガーは職人街の中でも、そっち系統の職人の顔役のようなことをしているらしい。だから、周辺の職人たちとも馴染みが深いのだとか。アストラルともそうなのだとか。
「ほら、ここだ。おーい、アストラル、いるか? お前のとこのお客さんを連れてきたぞ」
到着したのは、レンガ作りでできたお店だった。横の方には工房らしき建物が併設されており、さらに奥の方には窯が見える。すでに火を入れているようだ。
エドガーの呼ぶ声が響いて、しばらくしてから、ひとりの女性が姿を現した。
あれ、アストラルじゃないんだ。
「あら、エドガーさんいらっしゃい。お兄なら、今、ヴィヴィと一緒に窯の状態を見ているところよ。もう少しでやってくるんじゃないかしら。それで、お客さん?」
「ああ。オサムのとこの新しい料理人のお嬢さんだと。何でも、この間、青空市で、っておい! ミストラル!」
エドガーの説明が終わる前に、いきなり、その女性、いや女の子がコロネの方に飛びついて、握手してきた。
うわ、びっくりした。
最近は、この手の展開が多くないかな。
不意に来られると心臓に悪いんだけど。
「あいさつは初めまして。わたしはミストラル。お兄……アストラルの妹です。この間、アイスをいただきました。はっきり言います。本当に美味しかったです! あれはわたしたち、精霊種にとってはかなり合っている料理でした。ここにお礼を申し上げます!」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。料理人のコロネです。どうぞよろしくお願いしますね。えっと、ミストラルさんは精霊種なんですか?」
黒に少し青みかがかかったかな、という感じの長髪だ。今まで出会った精霊ではあまり見かけない色だ。服装は職人というより、冒険者に近い服を着ている。軽装の普段着という感じだ。
「はい。精霊のシルフです。わたしの場合、やや水系の属性が色濃く出ていますので、こういった感じですね。あ、ちなみにわたしのことはミストとお呼びください」
何でも、一口に精霊と言っても色々なパターンに分かれるのだそうだ。シルフの基本属性は風だが、個体差があって、他の属性が混じることが多々あるとのこと。
自然の体現者でもある種族のため、割とそういうことも起こるのだとか。
そして、ここまで聞いて気付いたことがひとつある。
そういえば、前回、種族については聞いていなかったが。
「ということは、アストラルさんも精霊種ってことですか?」
「そうだ。あいつも当然、精霊種だ。精霊種のノーム。アストラルもやや、属性が水寄りでな。だから、スキルもそっちの方へと寄っている。泥の扱いなどが得意だな」
「お兄の場合、ちょっと地味めの能力だったから、冒険者とかには向かなかったんです。そこでオサムさんのアイデアで窯のお仕事をもらって、今に至るという感じです」
ミスト曰く、アストラルの場合、能力だけでなく、性格的にも冒険者に向いていなかったとのこと。戦ったり、誰かと何かを競い合ったりするのは性に合わないそうだ。
確かに、この間の感じを見るに、あんまり向いていない気もする。
「それでも、陶器やそういった焼き物関係については、あいつも頑張ったと思うぞ。ひとつのことにのめり込めるタイプだったんだな。今では、なかなか品質のいい作品も生まれてているな。俺の目から見ても、おっ、と思わせる出来のものが現れてきている。次の段階へと進めれば、新しい素材を生み出すことができるかもしれん」
そう言って、エドガーが笑みを浮かべた。
基本の土から作る陶器に関しては、もう一人前を名乗っても大丈夫なのだそうだ。
そこからさらに踏み込んでいくことで、魔道具に耐えうる素材や、魔法系の付加を与えた素材へと発展させることができるのだとか。
なるほど。
職人の世界も奥が深いね。
特にこっちの世界では、魔法の要素があるだけになおさらだ。
「もうじき、お兄もこっちに来ると思いますので、コロネさんはお店の方を見ていてください。オサムさんのところに卸している食器とかもありますので、退屈はしないと思いますよ」
「わかりました。朝早くから来て、すみませんね」
本当はもう少し遅い時間の方がいいのだろうが、職人街は夜明けと共に動き出すという話を聞いているため、この時間に来てしまったのだ。
回るところが多いというのは、完全にこちらの都合だし、少しばかり申し訳ない。
時間的には、朝食前だろうし。
「いや、むしろ早い方が都合がいいこともあるぞ。夜通し仕事をしている工房は別だが、それ以外の工房は、ほとんどが朝型だ。夕方来られても、閉まっていることがないわけじゃない」
「そうですよ。『今日も一日仕事したなあ』って、夜までお酒飲む人も多いですしね。たぶん、晩酌の時間にやってこられても、怒る人もいるでしょうね」
そういうものか。
ということは、何か用事があっても職人街に来るのは朝がいいみたいだね。
「まあ、その辺を気にするなら、今度からは事前に一声かけておけば問題ないだろう。たまにあるオサムの無理難題に比べれば、大した話じゃない。どっちかと言えば、そういう依頼の方が大変だ。一声かければいいってもんじゃない」
エドガーがちょっとだけ苦笑いしている。
またオサムが何かやらかしていたようだ。
あの人も笑顔で、大変なことを自分にも他人にも吹っかけてきそうだし。
「それじゃ、案内も終わったし、俺は行くぞ。お嬢さんはもう少し、ゆっくりとしていくといい。良い食器が見つかるといいな」
「はい。ありがとうございます、エドガーさん」
「あと、装備品に関する素材や、生地について相談があったら、うちに来るといい。さっき出会ったところの建物が俺の工房だ。誰かしらいるから、うちの場合は事前に連絡なしでも構わないぞ。それじゃあな」
そう言って、エドガーは工房へと戻っていった。
朝のいそがしい時間に、わざわざ案内してくれたことを感謝する。
この町は人情味があるというか、親切な人が本当に多いのだ。
「それではコロネさん、店内の方へどうぞ」
「はい、それではお邪魔しますね」
こうして、コロネはお店の中へと足を踏み込んだ。