第6話 コロネ、温泉に入る
「お疲れさま。初日からこき使っちまってすまないな」
オサムがねぎらいの言葉をかけてきた。
すでに調理場は後片付けが終わった状態だ。
手伝ってくれた料理人の皆さんはもう帰っている。
時間は午後八時。
コロネが思っていたよりもずっと早い。
街灯があるとは言え、やはりこちらの世界の人には夜遅くまで食べ歩く習慣はあまりないそうだ。自分の家で晩餐したり、ひとり静かに月明りで飲んだりすることはあるらしいが。
「仕方ないですよ、あれだけ盛況だったんですから」
「まあ、立ってるものは親でも使えってな。それでどうだ? 食べてもらったハーブ鶏の効果は」
コロネもメニューの残りで夕食を済ませていた。
ハーブ鶏を焼いたものと付け合わせのサラダ。サラダにはドレッシングが添えられていた。それとごはんと味噌汁だった。スープはとあるお客が飲み干してしまったため、オサムが作ってくれたものだ。
定食屋だけあって、和洋中なんでもいけるのがウリだそうだが、一歩間違えると、特色自体がなくなりそうである。
そう、今更ではあるが、こちらの世界にも米はある。ラース麦という名がついているらしいがほとんど普及していない。オサムが発見して、栽培するまでは見向きもされなかった食材のひとつなのだという。
安定して店で出せるようになったのは四年前だというから、何ともなしに食べている食材ひとつひとつに並々ならぬ苦労をしているのだろう。
コロネも噛みしめるようにごはんを頂いた。
何せ、修行中は場所が場所だけに、美味しいお米など無縁だったのだ。
美味しくないわけがなかった。
それは、この世界に来てから、チョコ以外の食べ物を食べていなかったことも無関係ではないだろうが。
そしてようやく人心地ついて、今に至るわけだ。
さて、ハーブの効能についてだ。感覚的にはまだ分かりづらいが、確かに何かがすっきりしたような気がする。
今日のハーブの配合では、微量の魔力回復と疲労を取り除く効果が期待できるのだとか。とは言え、疲労と言っても、もともとパティシエの仕事もなかなかの重労働である。さすがにそれほどやわな鍛え方はしていないつもりだ。
結論としては、よくわからない。
「多少は感じますが、魔法の感覚がまだよくわからなくて」
「コロネちゃんはレベル1でしょ? それだとハーブの効果は薄いわよね。マスターもあんまり無茶言わないの」
この場にいるのは、オサムとコロネともうひとり、給仕の先輩でもあるジルバだ。
元盗賊というかハンターで、この塔のセキュリティを担当しているひとりでもあるそうだ。茶色のショートヘアとバンダナがトレードマークの女性で、どことなく、お姉ちゃん的な存在だ。
今日は他に給仕として、元冒険者のスザンヌさんとエルフ少女のサーファちゃんがいたが、それぞれ帰る家があるため、ここにいるのは塔に泊まる三人だけだ。
ちなみにピーニャは朝が弱いため、もう寝ている。
「確かに、ハーブはパーセンテージ回復か。それじゃ、わからんよな」
聞けば、ハーブ単体だと、良くても魔力総量の数パーセントしか回復しないそうだ。元々効能を抽出しないと回復薬としては使えないレベルなのだとか。
それでも、総量が多ければ効果もあるし、何より、普段の食事でも活用できるメリットは大きい。ことに問題は味だけの話ではない。
「仕方ない、俺は今日のご意見をまとめるとするか、お前さんたちはもうあがっていいぞ。お疲れさん」
そう言って、オサムは塔の上の階へとあがっていった。
コロネはまだ知らないが、資料や書類を置いてある部屋もあるらしい。
ちなみに明日のパン作りの手伝いは、朝の六時からとのこと。
こっちの世界に来たばかりだから初日は休んでもいいとも言われたが、今から休めば問題ない時間だし、早いうちに仕事を覚えたかったので、やらせてもらうことにした。
パンは少し畑違いだが、それでもコロネが修行していたお店の店長の方針で、作り方については勉強していた。
パティシエというのは『生地を作る職人』という意味だ。
そのため、その店長はパティシエたるもの生地に精通していなければならない、という信念をもっていた。本当にお菓子作りの鬼のような存在だったなあ、と。
コロネが店長のことを思い出していると、ジルバが声をかけてきた。
「それじゃ、お仕事も終わったし、コロネちゃんも一緒に汗を流しに行きましょうか」
「え、シャワー室ですか?」
案内された時は、確か個室だったように思えたのだけど。
するとジルバがちっちっちと指を横に動かす。
「温泉に行きましょう。あそこ遅くまでやってるから」
「この町に温泉があるんですか?」
「そういうこと。さ、行きましょ行きましょ」
ジルバに連れられてやってきたのは、町の南側にある木造の建物だ。
確かに温泉、というか公衆浴場のような雰囲気が漂っている。
いるのだが。
「……ジルバさん、本当にここで大丈夫ですか?」
「もちろんよ。なになに? 怖がってるの? かわいいわねー」
「だって、この温泉の名前……」
そこには木の札で『もののけ湯』という看板がかかっていた。
別に朽ち果てているとか、お化け屋敷という感じのイメージはなく、ちょっとした老舗旅館の風情といった程度なのだが、それでも堂々と、もののけはないだろうと思う。
「あ、もしかして、コロネちゃんの住んでいたところって、怖い妖怪がいたところだったの? この温泉は大丈夫よ。経営しているのは人間だし、妖怪種もいい子ばっかりだもの」
「妖怪種……?」
妖怪まで普通にいる世界なんだ。
大分メルヘンから離れてきたような気がする。
このゲームの作者の意図はどこにあるのだろうか。
「そっ、まあここで立ち尽くしてるわけにもいかないから、入りましょう」
言われて、ふたりで暖簾をくぐる。
入り口には靴を脱ぐスペースと、脱いだ靴を入れるロッカーがある。靴を脱いで奥へと進むと、番台というか、受付のようなところについた。受付には、白髪のお婆さんが座っている。お婆さんが番台さんのようだ。
「いらっしゃい、ジルバ。おや、そっちの子は初めてかい?」
「そうよ、おばあちゃん。今日からあたしの同僚になったコロネちゃん。マスターと同じとこ出身なんだって」
「おや、そうなのかい。だったら、初めてだからサービスしようかね。今日はただでいいよ。迷い人ってことはお金も持ってないだろう? あ、あたしゃ、コズエっていうの。これからもごひいきにね」
「ありがとうございます。コロネと言います。よろしくお願いします」
コズエは、妖怪に好かれやすい体質の持ち主なのだそうだ。
人間種だが、妖怪の国であるコトノハ出身で、式神使いと呼ばれる人々のひとりなのだとか。ちなみに旦那さんは今も本国で頑張っており、娘さん夫婦とお孫さんがこの町にいるのだそうだ。
「ほら、料理人で来ていたコノミさんがおばあちゃんの娘さんよ。うどんを作ってた」
なるほど、とコロネが頷いた。
調理場であいさつした女の人と雰囲気が確かに似ていた。
おっとりとしていた人で、『式神うどん』と呼ばれるお店を開いているのだそうだ。
「ジルバはちゃんと払ってね。入湯料は銅貨五枚だよ」
「はいはい、わかってるわよ。はい、銅貨五枚」
「まいどあり。ああ、オサム流に言うなら、五百円ってことになるのかねえ」
コズエがお金を受け取りながら、お金について教えてくれる。
サイファートの町を含め、この世界で流通しているのは、金貨、銀貨、銅貨の三種類でそれぞれが一枚、一万円、千円、百円に相当するとのこと。もっと大きい単位のお金もあるらしいが、そうなると同じ価値の貴金属と交換するのが主流らしい。
全然、知らなかった。
そう言えば、ここまでお金についての説明はほとんど受けていない。
他にも色々なことが抜けていそうだ。
「まあ、マスターは色んな意味でお金に関しては大雑把だからねえ。普通の商人だったら卒倒するようなことを普通にしてるし」
「それで困っているわけじゃないんだから、その辺はオサムの人徳だろうねえ。じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
奥の方にふたつの扉がある。
そのうち、女湯の扉を開けて中に入ると脱衣所があった。一応、個々のロッカーもあり、簡易的な鍵もついている。泥棒除け、というより形式美なのだそうだ。
タオルは脱衣所に用意されており、使い終わったら、奥の穴の開いた箱へと入れるだけでいいらしい。道具付きで五百円なら安いような気がする。
「あら、コロネちゃん、肌きれいねえ。ぷにぷにしてるじゃない」
そう言って、コロネの腕を触ってくるジルバ。
制服のエプロンドレスを着ているときはわからなかったが、ジルバの胸もなかなか大きい。対して、自分の胸を見ると、同じ女性として寂しくなる。
もともと、修行ばかりで色気があるような話とは縁もないのだが。
「コロネちゃんは小柄だから、かわいいのよ。何となく、護りたくなる小動物みたいな感じでね。それでおっぱいが大きかったら詐欺よ」
慰めてくれているのか、よくわからないジルバの言葉を聞きながら、温泉の方へと向かう。こんな時間だが、温泉に浸かっている人はいるようだ。
「おお、ジルバなのだー。お店は終わったのか?」
温泉に浸かっていたのは、小さな女の子だった。赤みがかった黒髪に、淡い赤色の目が印象的だ。というか、こんな時間に女の子がひとりで大丈夫なのだろうか。
どうみても、幼稚園ぐらいの子にしか見えない。
「こんばんは、ユノハナちゃん。今日は、新しい子を連れてきたわよ。うちのお店で働くことになった料理人のコロネちゃん」
「お~、初めての人なのだ~。わたしは『温泉』のユノハナなのだ~」
「コロネと言います。よろしくね、ユノハナちゃん」
「うん、よろしくなのだ~」
「ね? 怖くないでしょ。ユノハナちゃんは妖怪種。『温泉』の属性を持つ妖怪よ」
ちょっとびっくりしたが、なるほど、こういう妖怪かと納得もする。
見た目は全く人間とは変わらない。
聞けば、こう見えて、ユノハナはコズエよりも年上なのだという。ただ、見た目が愛くるしいのと、この子相手に敬語を使うと何だか変な感じになるので、自然とみんな見た目相応の対応になってしまうらしい。
「ユノハナはお湯に浸かるのが仕事なのだー。これでいいのだー」
つまり、湧水などをくみ上げて水を集め、そこに『温泉』のユノハナが浸かると、浸かった水が温泉と化す仕組みなのだそうだ。湧水がある限り、どこでも温泉を作ることができるのだという。
他にも妖怪種はいて、使用済みタオルを入れた先は隣の部屋へとつながっていて、そこは外から行くと洗濯屋になっているのだそうだ。そこにはミドリノモという妖怪がいて、汚れを食べて吸収分解をしてくれる。
生体式のクリーニングのようなものらしい。
ミドリノモの属性は『穢れ祓い』で、見た目はまん丸い緑色の藻で目がついているだけの姿なのだそうだ。ミドリノモは何匹もいるらしい。
なるほど、普通の妖怪らしい妖怪もいるわけだ。
ともあれ。
温泉に浸かっていると、今日の疲れが取れていくかのようだ。
やはり、コロネも日本人。
ハーブよりもこっちの方が疲労回復効果が高いらしい。
こうして、夜が更けていくのであった。