第67話 コロネ、夜の森へ行く
「ふーん、それじゃあ、コロネちゃんはこれからドロシーちゃんのとこに行くの?」
「はい。アイテム袋はまだ早いそうですので、ただ遊びに行きます」
ジルバがツナサラダを食べながら言った。
もうすっかり日も暮れて、夕食の時間になっている。
夕方、ドロシーやメイデンたちと別れた後、コロネとピーニャはせっせと明日以降の下ごしらえをしていたのだ。
ピーニャはいつものようにジャムの仕込みを。
コロネはクリームの準備と、仕込んでいる酵母のチェック、そして、お菓子用のジャムの仕込みなどだ。
ちなみに、ピーニャのジャムパンは好評で、そのおかげで今日も早く売り切ってしまったのだとか。正確には、数が少なくなることを恐れたプリムが早くやってきたからなのだが。
酵母作りの方も、順調に育っているようだ。
これなら予定通り、土の日には次の工程へと進めそうだ。
新しい酵母がうまくいけば、ピーニャの手を借りて、酵母の選別も夢じゃない。
うん、いい感じだね。
小麦粉とパン焼き特化の酵母がそろえば、作れるパンの種類が飛躍的に広がるし。
「じゃあ、今日は温泉はお休みね。おばあちゃんとユノハナちゃんには言っておくわ」
「はい。お願いしますね」
何だかんだで、コロネも『もののけ湯』の常連になっていた。
いや、温泉も気持ちいいんだけど、それ以上に、ミドリノモのクリーニングが大きいのだ。普段は給仕の時のエプロンドレスを着用しているが、あれを普通に洗濯するのは、けっこう大変なんだよね。
その点、ミドリノモに任せれば、一瞬で、しわとかもなく、きれいになるのだ。
これはちょっとずるい。便利すぎる。
向こうの世界でもこういうのがあれば良かったのに。
「そういえば、あちこちで噂を聞きましたが、コズエさんってすごいらしいですね」
「そうよ。おばあちゃん、番台でまったりしてる姿だけ見てると普通のおばあちゃんだけど、その能力は折り紙付きよね。人間種なのに、コトノハの元役職持ちだもの。それって大したことなのよー。まあ、おじいちゃんもそうなんだけど」
「なのです。普通、式神というのは少数精鋭なのですよ。コノミさんなんかも、うどん作りで常時一緒にいるのはふたりの式神だけなのですが、コズエさんにかかれば、それこそ数えきれないほどの式神が召喚されるのです」
「ほら、コロネも地下で封鬼のやつに会っただろ。普通は自分から離れている式神を維持するのは、かなりの力がいるらしいんだ。にもかかわらず、封鬼のやつが門から離れたことは一度もない。つまりはそういうことさ。それだけでも力の片鱗ってやつを感じ取れると思うぜ」
おお、三人から思っていた以上の言葉が返ってきた。
コズエが本気を出したのは、この町ができてから数えるだけだそうだが、そのうちの一回が塔が半壊した時のことらしい。と言っても、コズエが関与したというより、周りに被害が及ばないように護ってくれていたのだとか。
その状態はまさしく、百鬼夜行。
この町でも、一目置かれた存在なのは間違いない。
ちなみに、旦那さんもすごくて、今もコトノハで大臣をしているのだそうだ。
「まあ、その分、召喚について教えるときは、ドーマみたいなところがあってな。けっこう容赦がない。その辺は本人も自覚しているから、研修なんかをするときは、コノミがやることになっているのさ。適材適所ってやつだな」
なるほど。
コロネもコノミのところで相談するつもりだが、話を聞けば聞くほど、コズエのイメージが温泉の時のそれとは違うので複雑だ。見たいような見たくないような。
「ところで、マスター。さっき色々と仕込んでたけど、また何か大掛かりなものでも作るの?」
ジルバが思い出したように言った。
そういえば、オサムが保管庫と二階の調理場を行ったり来たりしているのを見かけたような気がする。今日は木の日だから、次の営業まで三日あるのに。
「ああ。まあ、今回のは隠すものじゃないから言っておくが、今からお試しメニューを仕込んでいるのさ。きっちり作るにはどうしても日数がかかる料理なんだよ」
「ちなみに何を作っているんですか?」
「それは当日までのお楽しみだ。まあ、材料はハーブ類を多めにしているから、そっちが目的の料理だな。たぶん、コロネが聞いても、それほど驚かないメニューだよ。だからこそ、その味にちょっとは驚いてほしいがな」
メニュー自体はありふれたメニューなのだそうだ。
ただ、一から作ると三日かかるのだとか。
何だろう。シチューとかの煮込み系かな。まあ、当日を楽しみにしておこう。
「まあ、マスターの作るものは何でも美味しいけどねー。うーん、このオムライスの半熟加減が最高よー。メルちゃんもこっちまで食べに来ればいいのに。もう、目を覚ましたんでしょ、マスター」
「さっき、結局、地下まで届けてきたぞ。例のトランス状態だ。何でも、新型ポーションがうまく行きそうなんだってさ。まあ、あんまり気にするな。研究熱心なやつはそういうもんだ」
実際、起きていてもメルが上までごはんを食べに来ることは、ほとんどないそうだ。月に数回あるかないからしい。
ということは、今朝一緒に朝食を食べたのはレアだったんだね。
「なのです。オサムさんがごはんを届けるのも、放っておくと、マジックポーションやハーブや錠剤だけで、食事を終わらせてしまうからなのです。メルさんが言うには『美味しいに越したことはないけど、いそがしいときはカロリー優先なのぉ』だそうです」
ピーニャが味噌汁を飲みつつ、教えてくれる。
何だか、イメージがマッドサイエンティストという感じだ。
まあ、この場合はマッドドクターかな。
ところで、コロネからすれば、オムライスに味噌汁って少し違和感があるんだけど、こっちでは味噌汁も普通のスープの一種として認識されているらしい。
オサムのお店だと、和洋中の区別がつきにくいし、しょうがないのかもしれないけど。
「まあ、新しい発見って言ったら、メルだけじゃないさ。もうしばらくは俺たちもいそがしくなりそうだから、頑張らないとな」
「なのです。パン工房も新しい体制へと切り替えていくのですよ。コロネさんも無理がない程度に頑張ってくださいなのです」
「うん、わかってるよ」
「それじゃ、あたしは横から暖かい目で見守ってあげるわね」
「いや、手伝ってくださいよ!」
あっはっは、と明後日の方向を向くジルバ。
そんな姿にやれやれと思いながら。
まったりとした夕食の時間が過ぎていった。
「えーと、この辺りがドロシーが言っていた場所かな?」
コロネが今いるのは、町の南西部だ。
確かに、言われた通り、木々の生えている緑地のような場所はあるが、ピーニャが言っていたような小さな樹海というほどではないように見える。
まあ、向こうで言うところの森林公園というレベルだろうか。
昼間であれば、普通に奥の方まで見通せそうだし。
ただ、ひとつ気になるのは、見た感じ、家のようなものは見当たらないことだ。
さて、どうしようか。
この辺りに来れば、ドロシーが案内してくれると言っていたけど。
「コロネ様ですね?」
と、いつからかはまったく気づかなかったが、コロネの横に黒い猫がいた。
今の声の主は、どうやらこの猫のようだ。
「驚かせてしまい恐縮です。わたくしは、ドロシー様のファミリアのルナルと申します。我があるじは、井戸のところでお待ちですので、そこまでご案内いたします」
すると、そのルナルと名乗った猫が立ち上がって、二足歩行で歩き出した。
胸元には白い斑点のようなものが見える。
いやいや、そんなことはどうでもいいや。
すごい。普通に歩く猫だ。
「よろしくお願いします。ところで、ファミリアって何ですか?」
「失礼。使い魔のことです。なお、わたくしは普通の猫種ではありません。幻獣種のケットシー、つまり妖精猫です」
そう言って、ルナルが林の中へと進んでいく。
なるほど、ケットシーなら聞いたことがある。
北欧に伝わる妖精のことだ。
それにしても、ドロシーの使い魔か。さすがに魔法具を作れるとなると一味違うよね。
「ルナルさん、その、井戸っていうのはどの辺りにあるのですか?」
「ルナル、で結構ですよ。コロネ様はあるじと対等の方ですから、わたくしには敬語は不要です。はい、それで井戸ですが、そろそろ着きますよ。こちらです」
ルナルが指差した先には、確かに古びた井戸のようなものがあった。
だが、ドロシーの姿は見当たらない。
「お嬢様、お客様をおつれしました」
「うん、ありがとね、ルナル」
あ、ドロシーの声がする。
しかしながら、その姿が見えない。
「やほー、コロネいらっしゃい。ちょっと待ってね。今、見えるところまで行くから」
「うわっ!?」
ドロシーの言葉が終わるか終らないかのところで、いきなり井戸の前にドロシーが現れた。おかしいな。今、ずっと井戸を見ていたはずなのに。
井戸から出てきたわけでもなく、いきなり、その場所に現れたといった感じだ。
「お嬢様、さすがに初見の方を驚かすのは、感心しませんが」
「まあ、仕方ないよ。私も魔女だし。魔女っていうのはそういうもんだよ」
あ、ドロシーって魔女なのか。
確かに今は、向こうでいうところの魔女っぽい格好をしているようだ。
黒いローブに、ちょっと小さめだけど、いわゆるとんがり帽子もかぶっている。
うん、お約束の魔女といった感じだね。
「改めて、歓迎するよ。『夜の森』へようこそ、コロネ」
そう言って、いつもと変わらない無邪気な笑みのドロシー。
その姿にちょっと安心して、同じく笑顔を浮かべるコロネなのだった。