第64話 コロネ、小麦について相談する
「お、コロネ、戻ってきてたのか、おかえり」
パン工房でまったりおしゃべりしていると、オサムがやってきた。
あ、そうだ。アイテム袋を返さないと。
「すみません、オサムさん。報告が遅れまして。冒険者ギルドの方は無事終わりましたよ。『後日、こちらに直接やってきます』って、ディーディーさんからの伝言です」
言いながら、アイテム袋をオサムに返却する。
テーブルの上には、買ってきたハチミツと果物、それに蜂蜜酒とドムから受け取った『ベネの酒』が並べられる。
あんまり買えないと思っていたけど、こうして見るとけっこうな量になる。
やっぱり、輸送の時のアイテム袋は便利だ。
「ああ。別に遅れてはいないぞ。そもそも、寄り道していいぞって言っただろうが。ま、報告、ありがとうな。冒険者ギルドのはいつものことだから、問題ないぞ。どうせ、俺も何日かに一度は顔を出してるしな。それよりも、だ。ドムの爺さん、とっておきを渡してきたなあ。『ベネの酒』はなかなか入手困難な酒だぜ」
笑いながら、オサムがお酒を指差した。
オサムも何度か飲ませてもらったことはあるが、実は譲ってもらったことはないらしい。何でも、王都の側にある教会でしか作っていないらしく、特殊な伝手がないと売ってもらえないそうだ。
「ええと、これはもらっちゃうとまずかったですか?」
「いんや。この酒は例の契約の範疇にないから、問題ないぜ。ただ、単にちょっと羨ましいなってだけさ。爺さん、俺には卸してくれないからな」
「なのです。ドムさん曰く、『お前には自分の酒があるじゃろ』なのだそうです。まあ、その辺は色々と複雑な感情があるのですよ」
「まあ、案外、爺さん、コロネのことが孫みたいに見えてるんじゃないのかね。料理に関しては鬼みたいな爺さんなんだが、お前さんに関しては対応がだだ甘だからな」
「そうなんですか?」
ピーニャとオサムの言葉に聞いて、ちょっと意外に思う。
ドムについては、初めて会ったときから、そういう感じだからあまりピンとこない。
「そうだよ、コロネ。ちょっと年上の王都出身の人に聞いてみなよ。こと料理に関しては、今の王様だって叱り飛ばしたって逸話を持ってるんだよ、ドムさん。料理に一切の妥協なし。弟子として修行に耐え切れず、辞めていった人は数知れず、ってね」
「うん……『帝国』でも噂が流れてたことがある、よ。気骨ある人だったって、評価が高いんだ、よ」
ドロシーとメイデンまでがそのイメージに頷いている。
何でも、今の穏やかな感じがむしろ信じられないそうだ。弟子を多く持っていたが、そのうちの半数は辞めているとかいないとか。
その代わり、辞めなかったお弟子さんの能力は素晴らしいらしい。
ガゼルもそのひとりである。
「ま、爺さんのいない時、ガゼルに聞いてみな。面白い話が聞けるだろうぜ」
なるほど。
あ、そういえば、ドムからもオサムに伝言を頼まれていたんだっけ。
「そうだ、オサムさん。ドムさんから伝言です。太陽の日は王都に行くので、お店の方はお休みするんだそうです。こっちのお手伝いもできませんって」
「ああ、了解了解。なら、太陽の日はちょっと早めに営業だな。爺さんの店が休みってことは、冒険者連中や外からのお客が時間を潰す場所が必要なんだ。ピーニャ、太陽の日のシフト変更だ。一階は閉めて、二階での販売を頼む。ドロシーとメイデンも、申し訳ないが、例のシフトで頼む。報酬には色を付けておくから」
「わかったのです。メニューも用意しておくのです」
「おっけー、こういうこと、年に何回かあるもんね。ま、いつものことだよ」
「うん、頑張る、よ。いつもより、お客さんが多いもん、ね」
たまにこういうことがあるらしい。
ドムのお店は、太陽の日の予約客の受け皿になっているそうで、塔が開店するまではそこで飲み食いするお客さんが多いそうだ。そのため、休みになった場合、いつも少し早めに店を開く必要があるのだとか。
メニューに関しては、朝食メニューに加えて、即座に対応可能なメニューと、ドムが用意してくれてた食材を使ったものを提供するとのこと。
「コロネもできれば、午前中から給仕を手伝ってくれ。料理に関しては、午後からでいいから、仕込みをしながらって感じだな。正直、こういう時は、町のお客もやってくるから、ちょっといそがしくなるんだ。念のため、人手が多いほうがいい」
「わかりました。そうします」
太陽の日は出かけないで、仕込みに集中だ。
土の日までに食材を集めておかないといけないってことだね。
と、パン工房の裏口から鈴の音が聞こえた。
誰かお客さんが来たようだ。
「すみません、コロネさんはいますか?」
「お、ブランじゃねえか。どうした、コロネに用事かい?」
あ、ブラン君だ。早番だから、こんな時間だとめずらしいね。
「はい。少し遅くなりましたが、コロネさんにお礼を言いに来ました。プリンありがとうございました。うちのみんなも喜んで食べてましたよ。もちろん、僕もですが。本当に美味しかったです。それで、こちらがお借りしていましたプリンの器です」
そう言って、アイテム袋から陶器を取り出すブラン。
あ、そういえば、プリンを渡しておいたっけ。すっかり忘れていたよ。
そうだ。器についても購入をしないとね、メモメモ。
「いいえ。ブラン君のおかげでプリンを作れたし、そのおかげで、たまごや乳製品の入手にもつながったんだから、こっちがお礼を言いたいよ。どうもありがとう。あ、そうだ、ちょうどよかった。ひとつブラン君に相談してもいい?」
「何ですか?」
「ブラン君の家で作っている小麦粉を精製したいんだけど、粉にしてしまった後だと、分離が難しいんだ。だから、新しい製粉方法について相談したいんだよ。量が確保できれば、『ヨークのパン』の他にも新しいパン作りに着手できるからね」
「なのですか! ちょっと待ってください、コロネさん。それは本当なのですか!? そうすれば、もっともっと色々なパンが作れるのですか!?」
うわ、久しぶりにピーニャが燃えている。
ブランよりも、むしろピーニャの方に火がついてしまったようだ。
「だから、ピーニャは少し落ち着け。火を抑えろよ」
「ごめんなさいなのです。ですが、ここは譲れないのですよ。コロネさん、この件につきましてはピーニャもお手伝いするのです。工房の責任者として、見て見ぬふりはできないのですよ」
「そうだな。パン作りに関しては、俺も協力するぞ。というか、いい加減、風魔法を使って小麦粉を作るのは疲れたから、コロネの手で方法が開発されるなら願ってもないことだしな」
あ、オサムも協力してくれるなら、機械化までいけるかな。
でも、その場合、ものすごくお金がかかるってジーナも言っていたかも。
最初は地道なやり方で、並行して機材の開発といったところだね。
その前に、いい機会なのでオサムに確認だ。
「オサムさん、ちなみに薄力粉を作る時って、この町の小麦を使ってます?」
「いいや、たぶんコロネも気づいているだろうが、違うぜ。こっちの小麦は例の問題に引っかかるやつだ。だから、俺が手伝えるのは機材作りまでだな。申し訳ないとは思うが、契約上、俺が勝手に融通するわけにはいかないんだ」
薄力粉が必要ってことはパン作りじゃないだろ、とオサム。
その通り。
作れなくはないが、無理してパンを作るのに薄力粉を使う道理はないのだ。
「ただ、この町の小麦でも、薄力粉を作れなくはないんだ。そもそも、そのためにメルが製法を開発したんだからな。風の上級魔法なら可能だ。もっとも、量が採れるとは言い難いので、あくまでもできるってだけだが」
へえ、そうなんだ。
それはちょっと面白い情報かも。風の上級魔法についても調べてみようか。
さておき。
今はその話じゃないよね。
「それで、僕はどうすればいいのでしょうか? 協力できることがあれば頑張りますので、言ってください」
「まず、ブラン君に聞きたいのは、今の製造方法についてかな。最初から教えてもらってもいい?」
「わかりました。うちの場合は、まず収穫した小麦を選り分けていきます。最初の小麦というのは小麦以外にも小さな石や、麦わらなどが混じっていますので、それを取り除いていく作業ですね。これは地下の水車を使って、振動とふるいで分けます。振動によって、ごみや石などを取り除いて、小麦の粒だけにします」
なるほど。いわゆる精選の工程だね。
向こうの工場でもやっていることだ。
「そして、その小麦の粒を水車を使った石臼で挽いていきます」
「えっ!? ということは調質はしないの?」
「調質、ですか?」
「おーい、コロネ。たぶん、俺も含めて、ここにいる全員がわからないから、その調質について説明してくれよ。いい機会だ。俺も勉強しておきたいしな」
あ、オサムも知らなかったのか。
それはそうだよね。普通は、小麦粉の作り方なんて細かいことは覚えないよね。
「ええ。調質っていうのは、粉にする前の小麦に水を加えて寝かせることです。パン作りの発酵工程みたいなものですかね。小麦に水を加えることで、粉になる部分が柔らかくなって、逆に皮の部分が硬くなるんです。こうすると砕いたときに皮と粉がきれいに分離できるようになるわけですね」
「そうなんですか? それは知らなかったです」
「今のやり方だと、小麦全体が同じ硬さだから、荒く砕いても分離ができないのね。でも、調質をすると、荒く砕いた後でふるいにかけたりすることで、皮などの部分を取り除くことができるの。白い粉の精製には必要な工程だよ」
たぶん、ここを見直すだけでも大分違うだろう。
だが、せっかくだ。この際だから、中力粉と強力粉の精製まで目指す。
まずパンより始めよ、だ。
小麦製粉会議は、まだ続く。