第436話 コロネ、海老フライを食べる
「あっ! 美味しいです、この海老フライ」
早速、ナイフとフォークを使って、肉厚の海老フライを一口大の大きさに切り分けて、口へと運んでみた。
うん!
想像していたのとは大分違うけど、とっても美味しいよ! この海老フライ!
表面の衣はサクサクで、中の海老……こっちだとパルシュって言うんだっけ? その、身の方もぷりぷりとしてはいるんだけど、しっかりと火は通っていて、噛みしめると、海老の旨みのエキスがじゅわっと湧き出てくるのだ。
やっぱり、向こうの海老フライとは大分違うけど。
まず、大きさが全然違う。
向こうの海老フライの場合、身の大きさが手のひらサイズだから、サクサクした衣と海老の身の部分のバランスが絶妙なのが美味しい海老フライなんだよね。
ソースとかをからめて、そのソースがサクサクの衣に染み込んで、一緒に食べるから、美味しいというか。
海老の身も美味しいけど、衣も美味しいって感じで。
一方の、この目の前の大きなパルシュのフライはというと、だ。
もちろん、衣も美味しいんだけど、何といっても、肉厚な身の部分の方が大半を占めているわけで、そっちのプリプリした食感と、ジューシーな肉汁がたっぷりなのを楽しむ料理という感じになってるんだよね。
とは言え、大きいけど、海老の身の中心までしっかり火が通ってるというか、それでいて、水分が飛んでパサパサになっているわけでもなくて、レアに近い食感も楽しめるというか。
たぶん、部分部分で焼き加減が違っているんだろうね。
中心部分は、生に近いけど、しっかり火入れがなされている身で。
衣の側の部分は、揚げ油も香ばしくて、フライとしての本来の食感に仕上がっている感じで。
「すごいですね、イグナシアスさん。このフライ、ソースとかかけなくても、ちゃんと味が付いているんですね」
さすがに初めての巨大フライだったから、何も付けないで食べるとどうなるのかな、って思って、まず、そのまま、食べてみたんだけど、それでかなり驚いた。
身の内側、かなり深い部分まで、しっかりと下味が付いているのだ。
いや、これ下味じゃないのかな?
もしかして、これがこのパルシュ本来の旨みなのかもしれない。
塩加減がしっかりと浸透しているのはわかるけど。
「うん、そうだよー。と言っても、味付けは人魚の村で作ってる特別製の自然塩だけなんだけどねー。さっきも言ったけど、下ごしらえの時に水魔法を使うんだけど、その時に、一緒に塩も浸透させちゃうんだー」
「ということは、塩だけで、この味になるんですか?」
「そうそう。ちょっとした旨みを倍加させる力があるんだよー、このお塩。海のモンスター素材を調理するのに最適な感じの特別製なんだよー」
そう言って、えっへんと胸を張るイグナシアスさん。
何でも、人魚の村で作っている海水塩って、他の場所で作ってる普通の海水塩とはちょっと違う作り方を試していたりもして、その結果、オサムさんとかでも知らなかったようなお塩を作ることができるようになったのだそうだ。
海域によって、味や風味が異なることもあるらしく、塩の成分の中に、海藻などの旨み成分をそのまま封じ込めたりとかもできちゃったりしたんだって。
「『海のコンソメスープ』って感じの海域もあるしねー。その部分のエキスだけを水魔法で抽出しちゃえば、それから塩を作ることもできるってわけ」
「へえ、そうなんですか」
その『海のコンソメスープ』っていうのは、言葉通り、そのまま飲んでも、まるでコンソメのような複雑な味がする海水のことなのだそうだ。
もちろん、味は複雑だけど、そのまま飲むと、塩分が高すぎるので、その辺の調節は必要みたいだけど、そんな不思議な海水とかもあるんだね。
というか、海水に味の差があるってのはびっくりだよ。
普通に、混じり合っているものだと思ってたし。
「人魚の村の塩は特別製ですよね。私も、この町を訪れた際は少しだけ譲って頂いてますが、この塩があるだけで、食事のレベルが上がりますから」
もちろん、大っぴらには使えませんけど、とヤータさんが苦笑する。
なるほどね。
ヤータさんの場合は、貴重な素材と交換で人魚の村特製のお塩をゲットできるのか。
やっぱり、塩ってシンプルなんだけど、それだけに、世界中のどこに行っても、どんな食材でも、どんな料理でも合わせられるから、高品質の塩って、それだけでも貴重品扱いなんだって。
人魚の村……シーアスの村原産の塩はどれも高品質なので、実は『魔王領』の中でも、一目を置かれているというか、そういう感じらしい。
「すごいですね、人魚さんたちって」
「ねー? だから、今となっては、より一層、色んなところから狙われるってわけだよー。まったく困っちゃうよねー」
あははー、とあんまり困っていない感じでイグナシアスさんが笑う。
不老不死の素材として狙われた一件は、事実無根だったけど、ある意味、最高峰の天然塩の産地ってことで、もし実情を知られれば、そっち目的で狙われるから、本当に注意が必要なんだとか。
いや、あの、この情報も立派にシークレットってことですよね?
人魚の村で塩を作っていることは、中央大陸では本当に知られちゃいけない、ってことらしい。
でも、そうだよね。
ある意味、不老不死とかよりも重要だものね。
生きていく上で、塩ってのは必要不可欠なものだし、それが塩単体でもとっても美味しいってことは、それ自体が幸せの元みたいなもんだしね。
まあ、イグナシアスさんたちも、海中だったら、そうそう後れを取ることがないらしいけど。
「うん。この町とか、アキュレスが魔王になってくれたおかげで、色々と新しい情報とかも得られたしー。メルに教わった水魔法の使い方とか、そっちを応用したから、ちょっとやそっとの勢力じゃ、わたしたちも負けないよー」
人魚があんまり強くなかったのは昔の話だから、とイグナシアスさんが微笑む。
水魔法ならお任せ、って感じらしい。
「塩水の浸透魔法も食材の処理とかには欠かせないしねー。そっちは、メルの研究の副産物だけど、わたしにとっては、複数人で津波を起こしたりとかの魔法よりは、ずっと実用的だから助かってるよー」
「最初は、体内に直接水を送り込む方法として考えられてたんでしたよね?」
「うん、そうそう。メルも物騒なことを考えるよねー。毒ポーションの有効活用法だっけ? そんなことしたら、倒したモンスターも毒まみれになっちゃうじゃないの、ってねー」
「えっ!? そうだったんですか?」
何だか、ふたりの話を聞いていると、お料理便利系の魔法が、実はかなり物騒な発想から作られたようにしか聞こえないよ。
というか、また毒ポーションかあ。
メルさん、どれだけそっち系統が好きなんだろ?
「はい。水魔法を用いた浸透系の魔法ですね。今でこそ、料理の下ごしらえなどに威力を発揮しておりますが」
「ねえねえ、ヤータ、ヤーター。さっきから気になってたんだけど、何で、そんな変なしゃべり方なのー?」
別に今って、『魔王領』のお偉いさんとかいないよねー? とイグナシアスさんが不思議そうに小首を傾げる。
一方のヤータさんも、少しだけ困った感じで。
「私にも色々とあるんですよ。それ以上は、お察しください」
ふうん?
何だかよくわからないけど、それはそれとして、だ。
「あの、ヤータさん、浸透魔法ってことは、身体の中とかにも直接水魔法を送り込んだりとか、そういう使い方もできるってことなんですか?」
毒ポーションも物騒だけど、それ以上に、話を聞いていて、かなり気になったことがある。
何せ、普通の水だって、もしそんなことが可能なら、かなり危険な話だものね。
水魔法って、単純に水を生み出すだけの魔法じゃないってことになるし。
いや、もちろん、水を生み出すだけでも十分すごいけど。
「いえ、生体……生きている身体に対して、魔法をそういう風に行使することはできません。それが『生きている』ということですから」
「そうだよー、コロネ。これ、メルがいつもやってる、不可能への挑戦のひとつだもの。そうだねえ……例えば、コロネも見たことあるよね? 転移系の魔法。あれも、生きているものの体内への転移はできないんだよー。身体そのものが障壁みたいになってるから」
「あ、そうなんですか?」
それは知らなかったよ。
あれ? でも、確か、幻獣種のモスさんの体内には町があるんじゃなかったっけ?
そっちにも転移とか使うよね?
「あー、それは、特殊な例だねー。モスの場合、体内が異界そのものになってるから、普通の生物とはちょっと違うんだよ。でも、基本はそういうことは無理だからー」
「ですね。魔素を帯びている、あるいは、魔素が流れている。それが『生きている』という定義そのものですから。わかりやすいのは血液ですね。コロネさんのような人間種の場合、血の流れを通じて、魔素が循環している状態になっています。もちろん、周辺の組織も魔素を帯びていますよ。人間種の場合、本当に微弱な魔素に過ぎませんが」
「そうだったんですか!?」
そんなことは初めて聞いたよ?
いや、説明される機会がなかったってだけだろうけど。
え、ちょっと待って、ちょっと待って。
もしかして、こっちの世界だとそういうのが当たり前なの?
向こうでは魔素なんてもの存在していなかったんだけど、それももしかして、コロネの認識不足ってことなの?
それとも……。
……向こうの時と今では、コロネの身体自体が変わっている、ってこと?
一見すると、見た目はまったく変わっていないから、ただ、違う場所へと飛ばされてきたのかなと思っていたんだけど、そもそも、それ自体が間違っている可能性もあるよね。
向こうのコロネの身体って、回復困難って診断が下されたんだし。
健康体ってこと自体がおかしいものね。
「……もしかして、だから、魔法が使えるってことなんですか?」
「ええ、そうですよ。身体に帯びている魔素や、その魔素の応用性について、種族ごとに差があります。ですから、魔法に関しては得意不得意が種族ごとに分かれるわけです」
「うん、そうそうー。ドワーフとかが魔法が苦手なのも、その辺に理由があるんだよー。逆に、魔法があまり使えないからこそ、結晶化した魔素の素材とかの加工が得意なんだしねー。あとは、そっちのショコラみたいなスライムも、一見、水みたいな感じだけど、触ってみるとぷるぷるしてるでしょ? それって、身体の組織に魔素が循環して、そういうぷるぷるの身体に変化してるんだよー」
だから、死んだスライムは泉へと返すと、水みたいになるの、とイグナシアスさん。
へえ、そうなんだ?
やっぱり、コロネって、こっちの世界のことをまだまだ全然知らないねえ。
そうため息交じりで、何気なくショコラの方を見ると。
「って! ショコラってば、さっきから、ずっと食べてたの!?」
「ぷるるーん! ぷるるっ!」
気が付けば、あれだけ大きかった海老フライが半分もなくなってるし。
たぶん、コロネが切り分けるのを待ちきれなくて、そのままかぶりついちゃったんだろうけど。
まあ、いいや。
正直、コロネじゃ、半分も食べられないと思っていたしね。
「ショコラ、もうちょっと食べられる?」
「ぷるるっ!」
うん、大丈夫みたいだね。
それじゃあ、海老フライの方はショコラに任せるとして、だ。
もうちょっと、話の続きを聞いてみよう。
そんなこんなで、ヤータとイグナシアスによる講義は続く。




