第422話 コロネ、井戸へと飛び込む
「えーと……この井戸に飛び込めばいいんだよね?」
「ふぁい!」
「ぷるるーん! ぷるるっ!?」
コロネたちがやって来たのは、サイファートの町の南西部にある森林公園だ。
昼間にやってきたのは初めてだけど、木々が程よい感じで生い茂っていて、何というか、散歩とか森林浴とかにぴったりの場所だよね。
でも、一応、ここが『夜の森』の入り口なのだ。
前にやって来た時は、ドロシーが道を切り開いてくれて、直接、『夜の森』との空間が繋がったような感じになっていたんだけど、今は普通のちょっと古びた井戸があるだけの不思議空間でしかない。
確か、『聖なる井戸』とか言ってたっけ。
とりあえず、ポケットから、前にドロシーにもらった『鍵』を取り出す。
鍵っていっても、本物の鍵というよりも、どちらかと言えば、キーホルダーみたいな感じのアイテムだね。
親指と同じくらいの大きさの、小さなほうき。
これが『夜の森』に入るための認証キーだって、ドロシーが言っていたのだ。
ただ、いざ、井戸を前にして、自問自答というか、同行者にも何となく聞いてみたんだけど、月の精霊のファルナちゃんは、そもそもが井戸のことをわかってないみたいだし、前に『夜の森』にやってきた時には、まだショコラは生まれてなかったから、結局のところ、コロネの真似をして、ふたりとも返事をしているだけのようだ。
ふー、やれやれ。
仕方ない、覚悟を決めるか。
とはいえ。
「どこからどう見ても、普通の井戸に飛び込むのって勇気がいるよねえ」
何せ、そんな経験は初めてのことだし。
井戸に飛び込んだあと、どうなるかって話は、ドロシーからも詳しくは聞いていないんだよね。
このほうき型の鍵を持って、井戸に飛び込めば、『夜の森』に入れるって、それくらいのことしか聞いていないし。
あ、他にも、鍵がない状態で飛び込むと、この町の外に飛ばされてしまうってことは聞いているので、なおさら、飛び込むのに躊躇してしまうというか。
ドロシーとルナルさんは、勝手に森に入ろうとする者への防衛機能とか何とか言ってたけど、この町の外に飛ばされちゃったら、今のコロネだったらイチコロだよ?
ある意味、即死トラップに近いよね、これ。
そういえば、今思ったけど、この罠って、鍵を持たずに井戸に飛び込めば、簡単に町の外まで移動できるってことでもあるのかな?
つまりは、門を通らずに、外に行くことができる手段というか。
まあ、今のままだと、ただの自殺行為だからやらないけどね。
町に来てから、散々みんなに脅されたおかげで、この町の周辺に関しては、かなりおっかないイメージが強くなっちゃってるし。
少なくとも、ひとりでぶらぶらと散策するのには向いてない場所ではあるみたいだし。
さておき。
いつまでも、ここで突っ立っているわけにもいかないよね。
仕方ない。
昔の人は言いました。
女は度胸だって。
いや、別にこれ、昔の人じゃなくて、コロネのパティシエの先輩の好きな言葉なんだけど。
今時は、『女は度胸、男は愛嬌』なのだそうだ。
その辺は、性別の中性化が進んだ時代って感じがしないでもないけどね。
意外と、コロネにとっても嫌いじゃない言葉だったりする。
「うん、それじゃあ、飛び込んでみようか。やっぱり、ちょっと怖いけど」
「ぷるるーん! ぷるるっ!」
「ふぁい!」
ショコラとファルナちゃんもしっかりとつかまってくれている。
よし、それじゃあ、まあ、バンジージャンプの要領で。
ぴょんと、井戸へと飛び降りた。
うわ、前に魔王領の上空から、落ちた時と同じような落下感だ。
というか、この落ちてるのって、けっこう長くない?
ほんの一瞬の間に、そんなことを思っていると、少しずつ落下速度が落ちてきたような気がして。
「うわわっ!?」
一瞬、水面のようなところに落ちたかと思うと、世界が反転したような感覚を感じて。
そのまま、井戸の中を少し落ち続けたかと思うと、いつの間にか、また、井戸の外へと放り出されてしまった。
ぺっ、という感じで、井戸から吐き出されたというのが近いかな?
井戸から飛び出したあとで、井戸の横の地面へと叩きつけられたというか、着地に失敗したというか。
幸い、落下の勢いは、反転した後で、ゆっくりになっていたから、井戸から飛び出した時は、勢いが相殺されていて、ふわりって感じで済んだから良かったけど。
地べたに転がっているコロネとは対照的に、頭の上に乗ってたショコラとか、ファルナちゃんは、その身体の上で元気にしているし。
「あいたたた……何とか、『夜の森』に入れたのかな。ショコラ、ファルナちゃん、ケガはない?」
「ぷるるーん!」
「ふぁい!」
まあ、ショコラはこの手の衝撃には強いものね。
それに、ファルナちゃんもふわふわと浮いたりもできるから、地面に落ちる瞬間に、ふわっと浮いてくれたようだ。
一応、自分の身体を確認してみるけど、それほどの勢いではなかったらしくて、特に傷のようなものはなさそうだ。
「それにしても、この井戸ってどういう仕組みになってるんだろ?」
落ちて行った感覚としては、向こうの町側の入り口と、こっちの『夜の森』の出口は、逆さまになった状態でくっ付いているようになっているみたいなのだ。
何というか、重力の方向がちょっとおかしいというか。
途中の水面かな?
あの部分を境に、異界とそうでないところが反転して繋がっているのかもしれない。
どっちから落ちても、下に落っこちる感じというか。
まあ、それが正しいかどうかはわからないけど、そんな気がする。
別にコロネは、異界の専門家じゃないし、本当のところは謎だけど。
ともあれ。
無事に『夜の森』へと入れたのは間違いなさそうだ。
こっちは、前に来たことがあるから、見覚えがあるし。
「でも、ここって、昼間でも夜のままなんだねえ」
その名の通り、『夜の森』って感じの空間だ。
空を見上げると、やっぱり、この前にドロシーに案内された時と同様に、光り輝く月がのぼっているのが見える。
夜空に満月。
そして、満天の星空って感じだし。
なので、不思議と夜にしては、明るく感じるというか。
普通の夜よりも月明かりが強いのかな?
向こうの世界の夜と比べても、ちょっと違う感じもするんだよね、この『夜の森』って。
そんな感じで、コロネが夜空を眺めていると、こっちに向かって何かが飛んでくるのが見えた。
何かって言うか。
鳥だ、飛行機だ、いや、あれはほうきに乗った魔女だ、って感じのノリで。
「あー、よかったー! コロネ、来てくれたんだねー」
「コロネ様の肩の上に、対象を確認致しました。お嬢様、間違いありません」
小さな影だったのがあっという間に、近くまで飛んできて。
コロネたちの前へと降り立った。
魔女の格好をして、ほうきに跨っているドロシーと、ほうきの柄の部分に器用に四本足で立っている、妖精猫のルナルさん。
あ、ルナルさんの目がルビーみたいに真っ赤に光ってるね。
こういうのは初めて見たかな。
「いやー、さっき、ピーニャから連絡があってね。森の外で、コロネがこの子を見つけてくれたって聞いたから、慌ててやってきたんだよ。たぶん、他のみんなもこっちに向かってると思うよ?」
「ええ。まさか、井戸の出入りに際しても、ほとんど感知ができないとは驚きです。今も、コロネ様と、ショコラ様の感知はできましたが、ファルナ様につきましては、反応がありませんでしたし」
いやあ、良かった良かった、と笑顔を浮かべるドロシーと、異界の管理者として、ファルナちゃんのことを見つめるルナルさん。
何でも、今も感知を最大限にして、何とか、その居場所が認識できている状態なのだそうだ。
相変わらず、ファルナちゃんってば、半透明な姿だし、ちょっと儚げな感じではあるんだけど、それだけに、遠くからだと、本当にどこにいるのかわからない状態らしくて。
でも、ルナルさん的には、この状態を放置するわけにはいかないので、今も、ファルナちゃんの情報を細かく確認したりとか、特殊な術式で、マーキングを施したりしているんだって。
また、迷子になった時は、きちんとたどれるように。
「おそらく、月の属性が強く現れる周期だったのでしょうね。ファルナ様の特性にも依っておられるのでしょうが、迂闊にもこの異界の中で、見失ってしまったことは、このルナルの不徳の致すところでございます」
「まあまあ、しょうがないじゃない。何でもかんでもルナルに任せるわけにもいかないんだからねえ。ふふ、でも、見つかって本当に良かったよー。何せ、責任感じちゃって、ナツメさんが泣いちゃって泣いちゃって」
まさか、森の外に行ってるとは思わなかったよ、とドロシーが苦笑する。
異界から外に出る時は、さすがに、ルナルが感知できると思っていたからって。
その言葉に、ケットシーのルナルさんも頷いて。
「はい。今、情報を修正したうえで、再度、精査しましたところ、かすかに反応が確認できました。どうやら、この井戸から抜け出されたようですね」
「あれ? そういえば、ファルナちゃんって、鍵を持っていたんですか?」
井戸を使って、町の方へ行ったってことはそういうことだよね?
あれ?
戻る時は、森から出るだけで良かったんじゃなかったっけ?
「そうですね、コロネ様。出る場合は、鍵がない場合でも、町の外へと飛ばされることはございません」
「うん、森の外れから出れば、そのまま、表の森へとつながるよん。井戸に飛び込んでも問題ないね。そのまま、もう一度、井戸に飛び込むと危ないから注意が必要だけど」
なるほどね。
とりあえず、森から抜けたルートは特定できたそうだ。
これで、月属性の能力で、ファルナちゃんが隠れちゃった場合でも感知できるとルナルさんも頷いているし。
「まあ、何はともあれ、急いで、他にみんなにも伝達するね。コロネもついてきてよ。いいかげん、泣きじゃくってるナツメさんを安心させないとねえ」
「うん、わかったよ、ドロシー」
「ふぁい!」
そんなこんなで、ドロシーたちと一緒に保育園へと向かうコロネなのだった。




