第380話 コロネ、サブレを作る
「あれ? コロネさん、今日はお休みじゃなかったのですか?」
「うん、ピーニャ。そうなんだけど、アイスとかは作っておかないといけないからね」
職人街に行く前にちょっとやることがあった、と厨房で色々やっていると、パン工房の方からピーニャがやってきた。
昨日は、温泉でゆっくりした後で寝たから、かなり身体の方は調子がいいかな。
あれから、マリィの方も何とか元気になったので、宿屋の方には送って、後はムーのレイさんに任せてきた。
今日はお休みだから、後は休んでてもらえば大丈夫かな。
さて、せっかくのお休みなんだけど、やることは色々あるんだよね。
アルルたち、『あめつちの手』に渡す報酬用のアイスとか、クエストの報酬用のプリンとか。
そういうものはさすがに作っておかないとまずいからねえ。
というわけで、朝も早くから、塔の三階の厨房でお菓子作りをしているのだ。
「さすがにリリックたちには休んでもらってるけどね」
そもそも、朝にアイスとかプリンを作るって言ってないし。
下手に言うと、気を遣って出てきちゃいそうだものね、リリックとか。
まあ、リリックはリリックで、せっかくのお休みなのに、早朝のお祈りを済ませてから、教会の方に行っちゃったみたいだけどね。
なんだかんだで、子供たちと一緒に過ごすのが好きなのだとか。
あんまり人のことはいえないけど、それはそれで休んでいる感じがしないよね。
「なるほどなのです。でも、コロネさん、今作ってるものって、アイスでもプリンでもないのですよね?」
「うん、アイスとプリンのついでで、ちょっと試したいことがあったから、別のお菓子を作ってるんだ。なんちゃって、パート・サブレね」
「パート・サブレ、なのですか?」
「うん、前にピーニャにも教えたメレンゲクッキーがあったでしょ? サブレって言うのは、あの時に作れなかった、本式のクッキーとかみたいな、焼き菓子の一種なのね。あの時は、良い小麦粉もなかったし、ハチミツだけしかなかったから、ちょっと保留にしておいたんだけど」
今日は、ちょっと、明日のコボルドさんたちの町でのテストに備えて、事前チェックをしている感じかな。
と言っても、別に明日サブレを作るわけじゃないけどね。
このサブレは、今日、職人街に行く時に持っていこうと思っていたものだし。
「え!? クッキーなのですか!?」
「うん、今作ってるのはサブレだけどね」
「コロネさん! ちょっとピーニャもお手伝いしてもいいですか? その焼き菓子にも興味深々なのですよ!」
「わたしは別にいいけど、パン工房の方の準備は大丈夫なの?」
新しいお菓子作りとなると、ピーニャが乗り気になるのはいいんだけど、昨日もメイデンさんにこっぴどく怒られて、半泣きになってたような気がするんだけど。
「そちらの準備は、昨日しっかりとやったのですよ……はい、頑張ったのです……」
ちょっと疲れたように苦笑するピーニャ。
夕方から夜にかけて、ずっと仕込みをやっていた、とのこと。
それに、まだ早番のスタッフさんたちが来るまでは大分時間があるから、と。
いや、でも、いくら時間があると言っても、生地を休ませる時間とかも必要なんだけど。
そう、ピーニャに伝えると。
「大丈夫なのです! 生地がちょうどいい時間になりましたら、こっそりと様子を見に来るのですよ」
「いや、それ、全然大丈夫じゃないよね?」
実はピーニャって、強いよね。
懲りないって言い換えてもいいけど。
自分がやりたいこととか、興味のあることに関しては、その欲望の忠実と言うか。
ほのぼの系の妖精さんかと思いきや、どこまでも一直線というか。
まあ、本人が大丈夫っていうんだから、いいかな。
後で怒られる覚悟があるのなら、コロネも何も言わないよ。
「うん、それじゃあ、パン工房のことを考えるとあんまり時間もないから、早速作業の方に加わってね。手順とかを説明していくから」
「はいなのです!」
使う材料はバターとハチミツ、微量のピンク色のマジカルベーキングパウダー、それに、この町で作っている中力粉だ。
できれば、アーモンドパウダーとかもあった方がいいんだけど、そっちはまだ毒食材の件がクリアしてないから、入手できないし。
アーモンド自体は、『夜の森』のラズリーさんのお店でも作っているんだよね。
だから、そっちに関しては、コロネの解毒調理の能力の問題だし。
「あれ? コロネさん、お菓子作りにお砂糖を使うのですか?」
ピーニャが指差したのは、粉のお砂糖だ。
そう、こっちが、今日のお菓子作りの肝でもある。
明日に備えて、これを使った場合、味がどういう風になるのか、ちょっと確認が必要だったので、サブレを作ろうと思ったのだ。
ちなみに、この砂糖、普通のさとうきびから作った砂糖ではなくて。
「うん、ちょっと、さとうきびとは別の方法で、わたしが作ってみたお砂糖だよ。だから、塔で使っているお砂糖と比べると見栄えが悪いんだけどね」
「えっ!? コロネさん、お砂糖を作ってたのですか!?」
「うん、アランさんたち『竜の牙』の人たちから譲ってもらったメープルシロップから、お砂糖づくりをしてみたのね」
さすがに最初に預かった量だけだと足りなかったから、追加でもう少し採ってきてもらってはいたんだけどね。
シロップの量を考えると、シュガー状の砂糖にしちゃうとかなり量は少なくなってはしまうんだけど、それでも、一定量の粉砂糖は確保できた。
現時点では、普通のきび砂糖をお菓子作りに使えないから、色々と頑張ってみたんだけどね。
うん。
そういう意味では、この塔の設備に感謝だよね。
向こうでの知識とかと合わせて、何とかメープルシュガーが精製できたし。
この辺は、うまくいく保証がなかったから、お仕事の合間にこっそりと仕込んでいたんだけど。
まあ、オサムさんとかは気付いていたみたいだけどね。
「だから、後は、お菓子に使うと、こっちのメープルシュガーだとどうなるかっていうチェックだけなのね。それじゃあ、始めるよ。まずは、粉類の準備ね。小麦粉とお砂糖はしっかりふるいにかけて、さらさらの状態にしておくの」
サブレの場合、食べた時の食感が重要だからね。
あの、口の中でほろほろと崩れる感じ、それが繊細で細かく崩れるようには、材料の混ぜ合わせ方が重要になるのだ。
「出来上がりのイメージは、ちょっとした衝撃で崩れる砂のお城、かな。それをバターと小麦粉を使って生み出すのね」
バターを溶かさないように、細かい粒状にして、それを一気に小麦粉で取り囲んでしまうイメージ。
「だから、冷たく冷やしたバターを小さくちぎっているのね。この大きさがなるべく小さい方が後の作業がやりやすくなるかな」
「はいなのです。粉のところにバターを散らすのですね」
「そう。この状態で、バターをつぶしながら、粉を混ぜるんだけど、今日はちょっとこういうものを使ってみるね」
「それは……カード、なのですか?」
「うん、薄く延ばした、金属製の板だね。これをふたつ使って、バターの表面に粉をまぶしながら、切り込むの……こんな感じね」
手でほぐしてもいいけど、その場合は、氷水で指先を冷やしながらって感じかな。
バターが溶け出さないうちに、細かく粉と混ぜる。
「そして、この状態からさらにバターと粉をほぐしていくのね。この両手で粉をすり合わせるようにして、バターを細かくする手法をサブラージュって言うの。今日、やっているサブレの作り方は、サブラージュ法を使った作り方ね」
「なるほど、なのです。サブラージュ法、なのですね?」
「そうそう。『砂状にする』とか『サラサラにする』って意味ね。これを続けると、ちょっと状態が変化してくるの。ほら、だんだんと粉っぽくなくなって、生地が黄色くなってきたでしょ? こうなってきたら生地をまとめて……はい、こんな感じね。ここでの注意は、決してしっかりと練っちゃいけないってところだね。その辺は、パン生地を練るのとちょっと違うところね」
練ることで、サクサクとした食感が失われてしまうから。
そうなると、残念ながら、サブレとしては失敗かな。
そういう意味では、かなりデリケートな生地なんだよね。
「後は、これを円柱状というか、細長い棒状にして……これで冷蔵庫で冷やすせば、焼き上げ前の工程は終了ね。それじゃあ、ピーニャもちょっとやってみてね」
「はいなのです!」
早速、今教えた通りにピーニャにもやってもらう。
ポイントは、材料の温度かな。
手際よく作業を行なうことで、バターが溶けないようにするのが大事だから。
「うん、その調子。いい感じだよ、ピーニャ。それと、補足としてだけど、今のサブレの材料は、すべて同じくらいの低温の状態で準備しておいてね。粉類も冷やしておかないと、バターが部分的に溶けちゃって、混ざり方が均一にならないから」
「はい! 気を付けるのです! ……コロネさん、こんな感じでサラサラになればいいのですか?」
「うん、それで大丈夫だよ。後はもうちょっとサブラージュして……そうそう、そのくらいの感じになったら、生地をまとめていくのね。うん、うまいうまい」
やっぱり、ピーニャって、手際がいいよね。
要領がいいというか。
その辺は、普段から、パン生地とかを取り扱っているからなんだけど、コロネがやったことを忠実になぞってくれているというか。
教える側としては、とても助かるんだけどね。
そうこうしているうちに、ピーニャの方も作業が終わって。
「うん、それじゃあ、ひとまず冷蔵庫で冷やそうかな。後は、焼き上げの工程だから、ちょうどいい時間になったら呼びに行けばいいかな?」
「なのです。もしくは、ピーニャがそのタイミングでこっちに来るのです」
それとなく、いなくなるのは得意なのです、とピーニャが笑う。
いや、それはどうなんだろうね?
一応はパン工房の責任者なんだからさ。
まあ、いいのかな。
「うん、わかったよ。わたしも、この合間で、アイスとプリンの方を仕上げちゃうから、続きの作業になったら、よろしくね」
「はいなのです!」
そんなこんなで、生地が冷めるのを待ちながら、別の作業にとりかかるコロネたちなのだった。
 




