第367話 コロネ、仮想空間に足を踏み入れる
わずかな暗転の後。
コロネが目を開けると、そこは、さっきまでいたはずの塔の調理場とはまったく違う風景が広がっていた。
どこか、大きめの建物の一室という感じだろうか。
ふと後ろの方を振り返ると、玄関のような扉が並んでいることに気付く。
ただ、それと同時に、おや? とも思う。
扉の大部分を占めているのは透明なガラスだ。
扉というよりも、向こうで言うところの横開きの自動ドアといったところなんだけど、だが、明らかにおかしい。
ガラスの向こう。
透明なガラスの先には、何もない。
何だこれ?
ただ、疑問に思いながらも、自分の周囲も確認すると、どうやら、さっき、『匣』から出てきた霧状の式神に包まれたのと、同じ態勢のまま、ここへとやってきたらしい。
コロネの頭の上には、ぷるぷるしているショコラがいるし、軽く抱き付いたような姿勢で、こっちを見上げて笑っているアノンの姿もある。
というか、コロネの小さい頃の姿のままというか。
念のため、細かく確認していくと、コロネが着ている服とかも、さっきまでのパティシエの制服のままだし、アノンの姿もそれは同様だ。
身体とかもちょっと動かしてみても、特に違和感とかはなさそうだ。
うん、大丈夫。
というか、『仮想空間』にいるって実感が今ひとつ薄いというか。
どちらかと言えば、転移直後の状態に似ているだろうか。
あと、コロネがこっちの世界に初めてやってきた時の、森の中での感覚に近いかもしれない。
でも、あの時も、結局は転移みたいなものだったんだよね?
それはオサムさんからも聞いているし。
やっぱり、何だかよくわからないよ。
「いらっしゃいませ」
と、何もない空間が広がっている扉とは、真逆。
奥の方、というか、この部屋の中央のところに人がいるのに気付く。
今の声も、その人なんだろう。
受付、かな?
一瞬だけ、ぽわーんとしていたので、そんな当たり前のことにも気付くのが遅れちゃったんだけど、ようやく、頭の方が回って来たので、再び、部屋全体に目を遣りつつ、声の方を向くと。
ここが大きな玄関のような場所であると気付く。
天井も高いし、シンプルではあるけれども、白を基調とした部屋には清潔感もあるし。
まあ、もっとも、この白い床とか壁とか、何でできているのかわからないよね。
こっちの世界でよく見かける、石造りの家や、木の家とは一線を画しているというか、どちらかと言えば、向こうの世界のレセプション会場とかに近いのかな?
ともあれ。
受付の方に意識を戻そう。
というか。
受付にいたのは、青い髪を七三分けにしたスーツ姿の男の人と、少し小さめの体格の妖精さんのような女の子、そして、見た目がメカニカルな感じのたぶんゴーレムさんかな? 全身が黄色い光沢の金属でできている人がそれぞれ、コロネたちの方を見て立っていた。
さっきの声は女の人の感じだったから、たぶん、妖精さんの声なんだろう。
そう思っていると、その妖精さんが言葉を続けて。
「コロネさん、ショコラさん、アノンさん、ですね。本人と確認されましたので、受付業務を始めさせて頂きたいと思います」
え、本人確認?
一体いつの間に? とか、コロネが驚いていると。
「あ、ちょっと待って。コロネとショコラはここが初めてだから、簡単な説明だけしてもらってもいい? たぶん、ボクの同行者ってことになってるだろうけど」
「はい。かしこまりました。それでは、ご説明をさせて頂きます」
あ、よかった。
最初に説明はしてくれるみたいだね。
アノンさんの言葉に頷いて、横の男の人が答えてくれた。
「こちらは、ナビ殿が管理をしておられる『噂ネットワーク』と呼ばれる空間でございます。空間と申しましても、それぞれが独立しました大きな部屋が連なっていると思って頂ければ、わかりやすいかと」
「大きなお部屋、ですか」
「はい。まず、皆様がおられます、この場所は受付になります。基本、ネットへの出入りにつきましては、この部屋限定とさせて頂いております。お越しになられる際は、必ずこちらへとつながりますし、お帰りの際もこちらまでお越しください」
そちらの扉を出られますと、元の場所へと戻ることができます、と男の人。
あ、なるほど。
後ろの何もない空間に出れば、外の方へと戻ることができるのか。
逆に言えば、この受付を通らないと、出入りは一切できないとのこと。
この部屋で、本人確認とかを行なうのだそうだ。
「続きまして、当ネットの施設に関するご説明ですね。先程の説明にありました、大きな部屋というのが各施設に当たります。フリーエリアと呼ばれます、どなたでも使用が可能な施設や、個室や組織区画、その他、許可を持つ方以外は立入禁止の区画などに分類されます」
「うん、ちょっと補足ね、コロネ。このネットって、使用頻度とか、貢献度とか、いくつかの条件を満たさないと解放されない区画が多いんだよ。最初のうちは、行ける部屋って、限られているって感じかな」
「はい。今のコロネさんでしたら、図書館と休憩所と伝言板の三施設のみとなります。なお、各施設につきましても、制限区域がございますので、そちらは各施設の担当者、もしくはお近くの利用者さんにご確認ください」
はあ、なるほど。
図書館と休憩所と伝言板、ね。
というか、施設の担当者にたずねるってのはわかるけど、周りにいる他のお客さんに、わからないことを聞くってのはどうなんだろうね?
まあ、ほとんどがサイファートの町の関係者ってことなんだろうけど。
そんな疑問を思っていると、横のアノンさんに、意味ありげな笑みを浮かべられてしまった?
おや?
今の中に、何か面白いことでもあるのかな?
と、今度は男の人に代わって、黄色いゴーレムさんが続けて。
「続いて、注意事項、話す。ここ、全身で、リンクしてると、感覚のフィードバック、ある。要注意」
「えっ!? それって……!?」
つまり、ここは『仮想空間』だけど、もし、ここでケガとかしたら、外の方の自分もケガをしちゃうってこと?
「うん、だから、コロネも気を付けてね? まあ、さすがにコズエの作ったアイテムだから、安全装置はついているけどね」
だから、もし、命の危険レベルの場合は、それが作動する、とアノン。
「安全装置、ですか?」
「そうそう。ただ、本当にギリギリまで作動しないから、軽い傷とかには注意ね。それに、その安全装置が作動したら、噂ネットからの強制離脱だから。それやっちゃうと、使用規定違反で、しばらくの間、噂ネット自体が使えなくなるから」
「そう。受付、以外の出入り、ダメ」
あ、なるほど。
最悪の場合、強制的にここから脱出する方法はあるけど、それを使ってしまうと、ブラックリストに登録されるって感じらしい。
例え緊急時だからって、それが考慮されることはないらしい。
というか、そもそも、そんな危険な状況に陥ることがあるってことなの?
「だから、ここ、制限ある。区域、奥だと、モンスター、出ること、ある」
「はい。図書館の閉架書庫などもそれにあたります。担当者以外は立入禁止になっておりますが、万が一の時はお気を付けください」
「わかりました」
いや、頷きながらも、万が一の時って何? って感じなんだけど。
それにしても、『仮想空間』にもモンスターとかが出るんだね。
ちょっと驚きだよ。
そう言うと、アノンさんが苦笑して。
「まあねえ、ここって、完全にゼロから作ったわけじゃないからね。だからどうしても、その手のイレギュラーは避けられないというか。ノイズとかバグみたいなものは混じっちゃうんだよ。ま、その辺はしょうがないよ。絶対に安全な世界なんて、どこにもないんだから」
安全神話なんて幻想だよ、とアノン。
ふうん、そういうものかな。
ただ、今のコロネでも入れる施設でも、奥の方に行けば、けっこう危険かもしれないってことだよね。
そこは十分に気を付けないとね。
「他に何かご質問等はございますか?」
「あ、それでしたら、今、わたしが行くことができる施設について、教えてもらってもいいですか?」
図書館と休憩所と伝言板だっけ。
せめて、その三つについては教えてもらいたいかな。
そう言うと、男の人が頷いて。
「かしこまりました。図書館とは、この中の情報集約の施設でございます。休憩所や伝言板などでの会話ややり取りを精査しまして、情報を書物の形でまとめたのが図書館です」
その受付さん曰く、休憩所っていうのは、そのまま、休憩所で、ここの利用者がゆったり休んだり、利用者同士で談笑したりする場所なのだそうだ。
そして、伝言板は、随時更新される、伝言板がそれこそ、山のように連なっている場所とのこと。
で、図書館は、それらの膨大な情報の集約場所という感じらしい。
前にピーニャがメガネ型の魔道具を使って見ていたのは、図書館の情報らしい。
担当者が情報の検索などもしてくれるので、整理された情報を知りたければ、図書館を使うのが基本らしい。
伝言板の方は、向こうで言うところのネットの掲示板に近いので、最新情報の登録というか、書き込み? 吹き込み? まあそんな感じのことを調べたり、過去の細かいやり取りなどを調べるのにはいいらしい。
主に、今日の分の最新情報をチェックするなら、伝言板の内容を見ていくという感じだそうだ。
「もっとも、中に入っている状態で、伝言板を使うのって、あんまりオススメしないけどね。けっこう、量が膨大になるから、物理的な感覚であれが増えていくの見てると、頭が痛くなるからね」
空間自体もめちゃくちゃ広いし、とアノン。
まあ、それは、図書館も同様なのだとか。
なるほどね。
「まあ、そうは言っても、一度体験しておいた方がいいけどね。さてと、コロネ、他に質問はある? ないんだったら、まず、図書館の方から行ってみようと思うんだけど」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
というか、行ってみないと何とも、よくわからないしね。
「うん、それじゃあ、図書館につないでもらってもいい?」
「はい、かしこまりました」
アノンの言葉に、受付の妖精さんが頷いて、ちょっと手元を弄ったかと思うと、奥の方の扉のひとつが開いて。
「では、あちらへどうぞ」
「うん、ありがと。それじゃあ、行くよ、コロネ」
「はい」
そんなこんなで、開いた入り口から、図書館へと足を踏み入れるコロネたちなのだった。




