第31話 コロネ、ブリオッシュを振る舞う
「にゃにゃにゃ! コロネん、このパン美味いのにゃ!」
「二種類あるんだねー。うんうん、ミルクを使ったほうが柔らかいんだ。わたしはこっちの方が好きかなー」
「拙者は牛の乳が入っておらぬ方が、好みであるな。パンの味が強めで、香ばしいものでござるよ」
「…………どっちも、良い……」
「それにしても、味も良いけど、見た目もきれいなパンよね。これが『ヨークのパン』かあ、王都だとお金を出しても買えないからうれしいわね」
ブリオッシュを口にする料理人さんたち。
どうやら、概ね好評のようだ。
コロネもその反応を見て、ホッと胸をなでおろす。
自分にとっては納得がいっても、お客さんの口には合わないことなど、よくあることだからだ。それほど、味覚というのは難しい。
その人の経験が直接、美味しさの嗜好を作り出しているのだから。
「父さん、これは……こっちのミルクなしの方は」
「うむ。形や、味に若干の違いはあるがの。間違いなさそうじゃの」
一方、ドムとガゼルは真剣な顔でパンを食べている。
おそらく、同席している中で、『ヨークのパン』を食べたことがあるのはオサムとこのふたりの三人だけだろうから、一番反応が気になるのだが。
「コロネの嬢ちゃん、ちょっといいかの?」
「はい、何ですか、ドムさん」
「嬢ちゃんの故郷では、『ヨークのパン』の製法が何種類もあるのかの?」
「何種類、というより、それぞれのパン屋さんで、アレンジを加えますので、それこそ無限にレシピが存在しますよ。今回のは基本に忠実な作り方で作っていますが、それでも、わたしの知っているものは、ハチミツではなくてお砂糖を使いますし、たまごも全卵だけではなく、黄身だけのものを少し混ぜるとより一層味に深みが出たりするんですよ」
「何と……つまりは、『ヨークのパン』はごく一般的なパンに過ぎない、ということじゃの。なるほど……」
「では、コロネさん。こちらのミルクが入っていないパン、こちらが基本のパンということですか?」
「はい。確か、このパンが作られたころは、そんな感じだったと思います」
水の代わりに、たまごとバターをたっぷりが基本形だ。
牛乳を加えた方が、現代の人たちの好みには合っているため、今ではブリオッシュの多くには牛乳が使われているのだが。
「なるほどのう。いや、すまない、少し驚いてしまってな。オサムの同郷とは聞いておったが、まさかここまでとはの。おお、そうそう、味についてじゃな。結論から言えば、このミルクなしのパンが『ヨークのパン』とほぼ同じ味をしておるのう。王都で食べたことがある者なら、間違いなく、これが『ヨークのパン』だと断言するじゃろ」
そう言いながら、ドムの顔には笑顔がない。
あれ、もしかして口に合わなかったかな。
「問題は、こっちのミルク入りのパンじゃな。これは『ヨークのパン』よりも美味い。明らかに味の深みが段違いじゃ。柔らかな口当たりも、これなら、女性も、老人も、子供も、誰もが好ましいと思えるじゃろうな。だからこそ、なのじゃ……おい、オサム」
「何だよ、爺さん。せっかく、美味いもん食ってるんだから、渋い顔すんなよ」
「茶化しとる場合か、『ヨークのパン』を再現しただけならまだしも、それを超えるパンをあっさり作れる人材じゃぞ。これでもヨークは、王都でも評価が高いのじゃ。オサムの腕を知っとる者たちには有名なのじゃよ、『オサムでも作れないパンを作る店』という付加価値が付いてしまっておるからな」
つまり、とドムがため息をついた。
「さすがにこのことは、王に報告しないといかん、ということじゃよ。まったく……楽隠居の身には、面倒なことじゃわい」
「しかしながら、父さん。陛下にお伝えしておかなければ、もっと面倒なことになりますよ。私では、王宮に入るのも難しいので、これは父さんの仕事ですよ」
「わかっとる。少しばかり、本音が出ただけじゃ……すまんな、コロネの嬢ちゃん。いや、味が問題なわけではないんじゃ。このパンはとても美味かったぞ。問題は、王都にとって、美味すぎるということなんじゃよ」
だから味の問題なのかも知れんがな、とドムが苦笑する。
美味しいから、まずい、ってことなのだろうか。
「オサム、お主の判断はどうじゃ?」
「まあ、俺にとっては今更のことだからなあ。いざとなれば、俺の名前を出して、再現したってことでいいんじゃねえの? 一応はそれで押し通せるだろ?」
「だが、それだと、嬢ちゃんが自由に動けなくなるぞ。お主の店でのみ料理を出すだけならそれで良いかも知れんが、その状況に縛り付けるつもりか?」
「まあな……いざという時は護るつもりではいたが、それ以外は好きにさせるさ。だが、確かにそうだな。コロネ自身が認められていた方が、コロネにとってもいいだろう。わかったよ、その辺は爺さんに任せるぜ」
「あの、結局のところ、どういうことなんですか?」
コロネとは関係ないところで話が進んでいるような気がするが。
美味しいパンが作れることが、そこまで深刻なのだろうか。
「ああ、つまりな、コロネの料理の腕が狙われる、ってことだな。確か、ジルバの一件は本人の口から聞いていたな?」
オサムの問いに、コロネが頷く。
ジルバが元々は王都の貴族の手で送り込まれた密偵だったという話だ。
「あれはな、王都のとある貴族がオサムの料理の腕を盗もうとして動いたものなんじゃ。その時も王が動いて、秘密裡に終わらせたがのう。まあ、詳しいことはさておき、そういう阿呆が現れんように、前もって、手を回しておく必要があるんじゃよ。まったく……料理食べたさに、この町に手を出すとは……そのことの危険性を知らぬ者が多すぎるわ」
「仕方ありませんがね。事情が事情ですから。とりあえず、コロネさんもそういうことがある、とだけ認識しておいてください。とはいえ、心配しなくても、この町にいる限りは問題はありませんよ。頼りになる人たちばかりですから」
「わかりました」
なるほど、心の手帳に留めておこう。
ふと、まわりを見ると、みんなが笑顔で頷いている。
料理人の人たちも、アルバイトの人たちも。
「そうそう、コロネの姉ちゃんが心配することないぞ。いざとなれば、うちの父ちゃんだっているし」
「こんな美味しいパンを作れるコロネちゃんを狙うなんて許せないわね。とやかく言う人はこの町の敵に認定されるわ。ふふふ、つまりはそういうことなのよ」
ラビとバーニーが不敵に笑う。
どうやら、ふたりの家族にもすごい人がいるらしい。
「大丈夫です、うちにもサウス君がいます。昨日のジャムだけでも、協力してくれるって言っていたくらいですよ」
「そうさね。どこぞの貴族の私兵程度なら、あたしとサウスだけで十分さね。食べ物の恨みの恐ろしさってやつを、存分に味わわせてやろうじゃないのさ」
頷きながら、笑いかけるのはルーザとマギー親子だ。
サウス君というのは、マギーの愛竜のことらしい。
ふむ。
よく見ると、ブランも、ミキも、昨日普通番であいさつした、ドロシーやメイデンたちも同様に笑っている。
すごいなあ。
さすがはクセ者ぞろいの町だ。
おそらく、コロネも知らない何かが色々とあるに違いない。
ひとつだけはっきりしていることは、みんな、このパンを美味しいと言ってくれたこと。
それだけだ。
それだけで、コロネにとっては十分すぎることなのだから。
「ありがとうございます、皆さん」
これからの未来がどうなっていくのかは分からない。
だが、コロネの料理を喜んでくれる人たちがいる。
その人たちのためにも、もっと頑張ろう。
そう、決意するコロネであった。