第30話 コロネ、ブリオッシュを食べる
コロネは焼きあがったパンを石窯から取り出した。
二種類のブリオッシュだ。
片方は、牛乳を使わず、パン本来の味を引き出したパンで、もう一方は、牛乳をたっぷりと配合した、よりしっとり感を増幅させたパンに仕上がっている。
どちらも、光沢のあるしっかりとした焼き色がついている。
形も雪だるまを彷彿させる、ブリオッシュの基本の形に膨らんでいた。
見た目は問題なさそうだ。
ところどころ、胚芽が残っているものの、それほど気になるレベルではない。
「できたのです! これが『ヨークのパン』なのですね、コロネさん!」
興奮しているピーニャに頷きながらも、真剣な表情で、パンを見るコロネ。
問題は味なのだ。
七つずつ焼きあがった、それぞれのパンのうちひとつずつを小さくちぎって、味を見る。
まずは牛乳なしの方から。
しっとりとして口溶けがよい。ブリオッシュ特有の食感はしっかりと生きている。コロネが向こうで作ったパンに比べると、サワー種を使ったために少し酸味が効いているが、噛みしめると、焼きたてのパンの風味が口の中いっぱいに広がって、ほのかな甘みへと転じていくのがわかる。
わずかに食感にざらつきがあるが、逆に言えば、よりパンの味が深く残っているともとれるため、好みの問題だろう。少なくとも、コロネにとっては嫌いではない味だ。
「うん、まず、こっちは大丈夫だね」
よし、牛乳なしの方は想定範囲内の味だ。
次に、牛乳を入れた方のパンだ。
先程のパンと比べても、ちぎった際のちぎれ方が、よりふんわりとしている。
食べる前から、その感触だけでも大分違うことがわかる。
そのまま、口へ運ぶと、ハチミツとミルクの香りが相まって、よりお菓子に近い甘い風味へと変化している。しっとりとした感じ、口当たりの良さはそのままに、酸味が大分打ち消されて、甘めのパンに仕上がっている。
ハチミツ使いと、牛乳の量のバランスは、かなりドキドキの要素だったのだが、どうやらうまくいったようだ。
これならば、お菓子と言っても納得のできだろう。
ドライフルーツと組み合わせれば、果実の甘味も加わって、立派な菓子パンになるタイプのブリオッシュだ。
「よし、大丈夫。これなら、ブリオッシュと言ってもいいね。ピーニャ、オッケーだよ。わたし流の『ヨークのパン』の完成だよ」
「やったのですね、コロネさん。ピーニャも味見してもいいのですか?」
「もちろんだよ。ピーニャが作ったパンでもあるんだしね」
二つのパンをピーニャに差し出す。
少しだけ、緊張した手つきでそれをちぎって、口に運ぶピーニャ。
「どう?」
「……うわ……なのです。すごいのです! いつも焼いているパンよりもずっと柔らかいのです。いえ、柔らかいだけではないのです。口の中に広がるパンの香りも、パン自体の甘さも、段違いなのです! ジャムパンとは違って、パン自体に甘さがあるのですよ! これはすごいパンなのです!」
一口食べて、フリーズしたあと、ピーニャが矢継ぎ早に叫んできた。
そして、牛乳入りのパンも口へと運ぶ。
「こっちがミルク入りなのですね。うわあ……口を開きたくないのです。美味しさが逃げるのです」
そうとだけ言って、黙々とパンを噛みしめるピーニャ。
しばらく経って、口の中からパンがなくなった後、ようやく、ふう、と一息ついて。
「オサムさんが、普段のパンに納得していなかった理由がよくわかったのです。このパンが基準では、仕方ないのですよ。コロネさん、このパンはお二人の故郷では、特別なパンではないのですね?」
「そうだね。このパンが特別だったのは、何百年も前の話だよ」
今では、普通に食べられるパンのひとつに過ぎない。
だが、ピーニャの表情を見ればわかる。
当時、初めて、このパンを食べた人が、このパンをどう思っていたのか。
なぜ、このパンがお菓子と言われていたのか。
この世界の、ピーニャの顔を見て、本当の意味が初めてわかった。
自分たちが気軽に食べていたパンが、どれほどの苦労の上に作られてきたものなのかが。
そう思っただけで、胸の奥にグッとこみあげてくるものがある。
コロネにはそう感じた。
「ありがとうね、ピーニャ」
「うん? 何のことなのですか?」
「ううん。わたしももっと頑張ろうってこと」
よくわからないといった感じのピーニャに、コロネは微笑む。
このパンは、コロネの原点を見直すパンだ。
このパンを作って良かった、と。
「おーい、俺たちも加わってもいいか?」
かけられた声に我に返る。
気が付けば、オサムを始め、料理人の人たちや、アルバイトの人たちがコロネの周りに集まっていた。
あれ、もうそろそろ開店時間だけど、大丈夫なのだろうか。
まあ、いいや。
「はい、大丈夫ですよ。無事完成しました、オサムさん」
「そうか、そいつは良かったぜ。何せ、コロネ、お前さん、昨日から緊張していただろ。夕食の前あたりからそれは感じていたからな」
「えっ!?」
そうだったろうか。
自分では気づかなかったのだが。
「わしらもオサムからそのことを聞いてな。嬢ちゃんには悪いことをしたと思っとったぞ。普通は、パンというものは何度も作り直して、完成へと近づけるんじゃろ? すまんかったな」
「ふにゃあ、コロネん、ごめんなのにゃ」
ドムとミーアが謝ってきた。
ふたりの言葉に驚きながら、周りを見ると、他の人たちも申し訳なさそうに、頭を下げている。どうやら、みんな、過度な期待をかけすぎたことを悪いと思っているようだ。
いや、ハードルをあげたのはわたしも同じなんだけど。
むしろ、こっちが申し訳ない。
「だからな、もし失敗してたら、俺らで励まそうって感じでみんなで来たのさ。そうしたら、うまくいっただって? まったく、お前さんも大したタマだよ」
やれやれ、といった風にオサムが笑う。
思わず、コロネも言葉につまる。
やっぱり、この世界に来て、よかった。
「まあ、無事完成したっていうのなら、こっちも気を遣う必要もないってわけだ。だから、コロネ。俺たちにもその『ヨークのパン』を食わせてくれよ」
オサムの言葉に頷く。
もう気持ちは晴れていた。
「わかりました。では、こちらがわたし流の『ヨークのパン』です。お召し上がりください」
そう言って、コロネは笑顔を浮かべた。




