第300話 コロネ、メイドさんと小麦の交渉へと赴く
「コロネ様、いらっしゃいますか?」
パン工房で、アズやピーニャから、噂ネットワークについての話や、アズたち、領主代行というか、勇者パーティーの話を聞いていると、入り口の方から声がした。
というか、あの声はプリムの声だ。
「ああ、そう言えば、さっきもパンを買いに来ていた時にも、コロネさんのことを探していたのですよ、プリムさん」
今は出かけていると伝えたら、出直してくると言っていたのですが、とピーニャ。
あ、そうなんだ。
それは悪いことをしちゃったね。
慌てて、声がした方へと向かう。
「はい、いますよ、プリムさん。すみません、何度も来てもらったみたいで」
「いえ。先程は、本日分のプリンやパンの購入も兼ねておりましたので。今しがた、そちらの件は片付けてまいりましたし。お気になさらずに」
わたくしも、訪問時間をお伝えしておりませんので、とプリムが笑う。
そして、その笑顔から、すぐに普段の表情へと戻って。
「ところで、コロネ様。今のお時間はお手すきでしょうか?」
「え? あ、はい。メイデンさんとの訓練までも時間がありますし、今は、果樹園に頼んでおいた果物が届くのを待って、リリックたちに新しいお菓子の作り方を教えようかな、と考えていたところでしたので。まだ、これと言って、いそがしくはないですよ?」
ちょっと時間ができたので、ここでグラシエに関する、お菓子の製法その二をやってみようかな、くらいに考えてはいたのだ。
果物を使ったソルベ。
いわゆるシャーベットの基本形の作り方、だね。
ただ、果物が届くのがどのくらいになるのかは聞いてなかったので、まだ届いてはいないみたいなので、その場合は、今あるムーサチェリーとか、そういうものを使って、と考えてはいたんだけど。
たぶん、プリムがやってきたということは、食材か、プリン関係の話だよね?
それだったら、そっちを優先しても問題ないし。
そう伝えると、プリムの表情に再び、笑みが浮かんで。
「それは何よりです。でしたら、これより、わたくしにお付き合い頂けませんか? 先だって、お話しておりました、小麦の件で、生産者側へコロネ様との面会の了承を取り付けましたので」
「え!? 本当ですか!?」
おお! さすが、プリムさん、打つ手が早い!
もう、軟質小麦の生産者と交渉しちゃったんだ。
すごいね。
さすがは、魔王様の序列一位だよ。
ほんと、この人がその気になれば、『魔王領』でできないことはないんじゃないのかな?
いや、それに甘えて、色々とコロネが調子に乗るのはよくないけどね。
うん、自重自重。
「あ、コロネ先生、これからお出かけされるんですか?」
私たちはどうしましょうか、と横で話を聞いていたリリックがたずねてきた。
あー、そうだよね。
お弟子さんとしては、ついてきてもらいたいのは山々だけど、そうなると、プリムの負担が大きくなるだろうから、この件については、コロネだけの方がいいのかな?
そう、考えていると、横からマリィとムーレイも。
「あのー、リリック先輩。プリム様の移動術ということでしたらぁ、マリィたちはお邪魔しない方がいいと思いますよぉ?」
『ムームー!』
確か、人数が増えると術師の負担もそうですが、制御の方も難しくなるはず、とマリィ。
なるほどね。
確かに、ものが空間を飛ぶ、みたいな感じだものね。
変なところに飛んじゃっても困るしね。
「はい。マリィの言う通りですね。さすがにリリック様といえども、一緒にお連れするわけには参りませんので。そもそも、こちらの契約につきましては、コロネ様に限ったお話ですから」
普通は、ここまでわたくしが便宜を図るということはございません、とプリム。
あくまでも、プリンのお礼とか、プリンのお礼とか、プリンのお礼らしい。
いや、そこまであからさまだと、いっそ清々しいけど。
ともあれ、リリックたちとは別行動を取った方が良さそうだね。
「わかりました、プリムさん……それじゃあ、リリック、マリィ、急で申し訳ないけど、ここから、しばらくは自由行動でお願いね。果樹園で、今日買った分の果物が届いたら、また、新しいお菓子の作り方を教えるから」
「はい、コロネ先生。それでしたら、私は、先生が訓練が終わるころの時間までは、教会の方に行ってますね。ちょっとずつですが、新しい子供たちがお仕事を覚えてきてくれたんですよ」
そう言って、リリックが笑えば、一方のマリィも。
「わかりましたぁ。夕食前の時間まで、ですねぇ? それでしたら、マリィは、ちょっとマジカルハーブに関する相談で、魔法屋さんの方に顔を出してくるのですぅ」
オサムさんから、ハーブについては、エルフのフィナさんが詳しいと聞いたのですよぅ、と笑顔を浮かべた。
あ、そっか。
そういえば、コロネもそのうち話を聞こうと思っていたんだっけ。
何だか、日々のいそがしさに追われて、色々と後回しにしている気がするよ。
もうちょっと余裕が出てきたら、魔法屋のフィナさんのところもそうだけど、この町の料理店を巡って行きたいよね。
ガゼルさんのところとか、ミーアとイグナシアスのお店とか。
結局、行ったことがあるのって、ドムさんのお店と、コノミさんのうどん屋だけだし。
まあ、そう考えることができるのも、少し余裕が出てきたってことなのかな。
とりあえず、ケーキが作れるところまでは突っ走るよ。
ともあれ。
そういうことなら、ふたりとも大丈夫そうだね。
「うん、それじゃあ、ここからは夕食前まで別行動ね」
「はい」「はいぃ」
「プリムさん、これで大丈夫です。どこにでもお付き合いしますよ」
「はい、では、早速。場所を移しますよ」
言うが早いか、プリムが例の黒いものを発動させて。
それがコロネ、とそしてショコラを包み込んだかと思うと、周囲の状況が一変した。
って!?
「うわっ!? ちょっと待ってくださいよ!? プリムさん!?」
「ぷるるーん!?」
ここどこさ!?
違う違う! 場所もそうだけど、コロネたちの足元が消失してる!?
いや、そうじゃなくて、ちょっと高いところへと『転移』されたようだ。
自分の身体が落下しながら、眼下には、ものすごく広大な風景が広がっているんだもの。
下に見えるのは、草原と言うか、かなりの広さの大平原だ。
それも普通の平原じゃなくて、上空から見ているから、全容が何となくわかるけど、ものすごく大きなクレーターというのかな?
確か、カルデラとか言ったっけ?
その中が大平原やら、林やら、砂漠やら、中央の方には湖やら、とにかく、大自然って感じの環境が広がっているのだ。
これ、もしかして、大きな隕石が落ちた後の場所かな?
へえ、こっちの世界でも空から隕石って降ってくるんだねえ。
……って!? いや、余裕ぶってる場合じゃなくて!?
「プリムさん!? 落ちてますよ!?」
「あ、はい、ご心配には及びません。『限定付与:浮遊』。これで大丈夫ですよ」
あ、今、プリムが使ったのって、妖精種の種族スキルだよね。
『浮遊』スキルだ。
コロネたちの落下速度がゆっくりになって、ふわふわと降りていく感じへと落ち着いた。
ふう、何とか大丈夫そうだ。
なるほど。
限定付与で、同行者にまで範囲を広げることもできるんだね。
ということは、ピーニャとかも同じことができるのかな。
「たぶん、ピーニャ様はできませんよ。あの方は純粋な妖精種ではありませんし、何より、火の力に特化し過ぎておりますので」
「そうなんですか」
そういう意味では、一部の力は普通の妖精よりも強いけど、そのバランスがあんまり良くないらしい、ピーニャって。
まあ、火属性特化で、パン屋としてもメリットが多いから、悪いことばっかりじゃないみたいだけどね。
「ところで、プリムさん、ここって、どこですか?」
「東大陸の北西エリアです。ンゴロ平原と呼ばれている場所ですね。コロネ様も見てお分かりの通り、巨大な穴のような内側に平原が広がっておりますよね? わたくしも、生まれる前のことですので、伝聞でしか聞き及んでおりませんが、こちらは、かなりの昔に、空から降って来た何かが衝突してできた跡、だそうです。そのせいで、周囲の環境とは少し異なるモンスターなどの生息が確認されておりますね」
プリムによれば、その、空からの飛来物が何かまではわかっていないのだとか。
もしかすると、何らかの魔法の余波でできた可能性も否定できず、飛来物を何者かが召喚した、あるいは、そもそも、飛来物などはなくて、大規模魔法によって穴がえぐられただけ、という仮説もあって、真相は謎のままとのこと。
そっか。
こっちの世界だと、大規模魔法とかもあるんだものね。
しかも、ここって、『魔王領』だし。
魔法に長けた何者かが、そういうことをやった可能性も十分あるってことか。
一応、月とかも存在しているわけだし、そういう意味では、普通に隕石の衝突って可能性も否定できないけどね。
「今、わたくし達が向かっているのは、その平原の中央に位置する湖。そこからほど近い場所にある町です。ンゴロンの町ですね。コロネ様にもわかりやすくご説明しますと、先日のサーカスでやってきておりました、コボルドたちが住む町です」
「あ! そうなんですか!?」
そっかそっか。
サーカスで迫力のある歌声を披露してくれていたコボルドさんたちだ。
見た目は犬頭の人間って感じの人たちだね。
確か、合唱団の人たちも、フレンチトーストを買っていってくれたんだよね。
うんうん、確かに、まったく面識がないわけじゃないかな。
なるほどね、ここがコボルドさんたちの町かあ。
徐々に高度が下りてきて、町へと近づくにつれて、はっきりとわかる。
町の規模だ。
集落としてあるのは、サイファートの町と同じくらいか、少し狭いくらいなんだけど、目を見張るのは、その町の畑の広さだ。
何かもう、向こうで言うところのアメリカ! って感じの大規模農地が広がっているんだよね。
これ、この多くが小麦の畑ってこと?
やっぱり、すごいねえ、『魔王領』って。
と、コロネが感動していると、少し離れた場所で、ドンという音が響いて。
気が付けば、何やら、コロネたちに近づいてきてたモンスターらしきものが、地面へと落ちていくのが見えた。
らしき、っていうのは、もうすでに原型をとどめていないからで。
どうやら、プリムが何かをやったらしい。
というか。
「ご心配には及びません。コロネ様はわたくしがお護りいたしますので」
にっこり笑うメイドさんを見ながら。
コロネは改めて思うのだった。
……やっぱり、すごいねえ、『魔王領』って。




