第29話 コロネ、ブリオッシュを焼く
「それでは、皆さん。今日もはりきって、パンを作っていきましょうなのです」
ピーニャの号令が響いて、今日のパン作りが始まった。
とは言え、今日はアルバイトの皆さんに普段のパン作りは任せて、コロネとピーニャのふたりは『ヨークのパン』作りを行なうのだ。
さっそく、ピーニャがコロネのいる作業台までやってくる。
「お待たせしたのです、コロネさん。では、昨日の続きを始めるのです」
「うん、わかったよ。ところでピーニャ、今日って、アルバイトの人が多くない?」
普通は十人に届くか届かないか、だと聞いていたのだが、十五人はいる。
その中には、コロネが初日に一緒にパン作りをした面々もそろっていた。
「コロネさんとピーニャの新しいパン作り。その話が伝わったせいなのですよ。手伝ってくれる希望者が殺到したのですが、経験などを考慮して、今の数にしぼったのです。ありがたい話なのですが、申し訳ないのです」
何でも、ピーニャが普段のパン作りから外れるために、ちょっと人を集めようとしたつもりが、昨日のジャムパンと相まって、大事になりかけたのだそうだ。
慌てて、経験考慮で人数を調整したとのこと。
ありがたいが、未経験の人がいっぱい来ても困るのだ。
「でも、どうしようか。数をいっぱい作れるわけじゃないから、せいぜいが味見程度になっちゃうよ?」
期待してもらってうれしいが、すでに料理人たちとの約束もある。
今の材料だと、ミルク入りとミルクなしのパンが手のひらサイズで、それぞれ六つか七つくらいしか作れそうにない。
コロネとしては、食べ比べてみてほしいので、本当に味見だけになってしまう。
「量は関係ないのですよ。『ヨークのパン』と言えば、こっちの人にとって特別なパンなのです。話に聞いてはいるが、見たことがない。見たことはあっても、食べたことはない。そういうパンなのです。一目だけでも見てみたい、味見できればそれだけで言うことなしなのですよ」
「……ピーニャ、そういうのは、ドムさんに味を見てもらってからにしてほしかったんだけど」
最初に作ったパンで、それはハードルが高すぎると思う。
初めて使う小麦粉で、パンの素はライ麦パン用で、砂糖はハチミツ。
うーん、アルバイトの皆さんくらいならいいけど、もし王族だ貴族だってからんできていたら、向こうのパン職人さんだって、裸足で逃げそうだ。
「ですから、昨日も謝ったのですよ。もう、ピーニャひとりでは止められないのです」
「ああ、なるほどね。昨日のはそういう意味もあったのか……」
目の前でピーニャもしょんぼりしている。
よし、仕方ない。
気持ちを切り替えていこう。
こういうのは肩の力を抜いたほうがうまくいくのだ。
そう。向こうで、初めて店に並べるチョコレートを作った時を思い出せ、わたし。
「わかった、ピーニャ。一緒に頑張ろう。美味しいパンを作れば問題ないでしょ」
「なのです。コロネさんなら大丈夫なのですよ」
「うん、じゃあ、続きを始めるよ」
作業台の上には、すでに昨日から寝かせておいたパン生地が乗せられている。
ピーニャの号令までに、冷蔵庫から出して、三十分ほど、室温で休ませているからだ。冷所から出した直後の生地では作業できないのだ。
生地自体は、しっかりと発酵しているようだ。
よし、これで最初のチェックポイントはクリアだ。
「じゃあ、この生地をちょうどいい大きさに分割していくよ。生地をちょうどいい大きさに分割して……このくらいかな。そうしたら、分割した生地をたたいて平らにして、その後で丸めていくの。こんな感じで。あ、この作業は少し多めに小麦粉を手に付けておいてね。スピードが大事な工程だから」
「わかったのです。ちなみに、生地をたたいて平たくするのはどうしてなのですか?」
「こうすると硬さが均一になって、丸まりやすくなるの。なるべく、手で触っている時間を短くするため、ね」
手際よく行なうことで表面がなめらかになり、張りが出てくるのだ。
繊細さとスピード、それがポイントになる。
「じゃあ、ピーニャの番ね。今の要領で残りの半分を丸めてもらうよ」
「はいなのです」
真剣な表情で、作業に取り掛かるピーニャ。
やっぱり、昨日も思ったけど、作業がきれいだ。
毎日パンを作り続けている、というのは伊達ではない。
基礎がなければ、ここまでスムーズには作業できないだろう。
「できたのです」
「うん、良くできてると思うよ。初めてでこれならすごいよ、ピーニャ」
「なのですか。甘いパンのためなら、いくらでも頑張れるのです」
ちょっと、ピーニャが照れている。
そんなちょっとした仕草がかわいいのだ。
さすが、妖精。
「じゃあ、この生地を少しだけ休ませるよ。冷凍庫のゆるめの区画かな」
マイナス五度で十分ほどだ。
寝かせている間に、別の作業に取り掛かる。
「それじゃあ、この間に焼く前に生地に塗るものを作るよ。卵液っていって、たまごをかき混ぜて作ったもののことね。これは塗るだけだから、少しの量でいいの」
卵液は、美しい焼き色をつけるために必要だ。
「『ヨークのパン』の場合、たまごを全部使うけど、別の料理ではたまごの黄身だけを塗ることが多いかな。まあ、そのときはまた説明するね」
「わかったのです」
そんなこんなで、十分が経過した。
いよいよ、成形の工程だ。
「じゃあ、たぶん、次が一番難しいところかな。今日は雪だるま型にしてみるよ」
「あの、コロネさん。雪は何となくわかるのですが、だるまってなんなのですか?」
ピーニャが不思議そうに尋ねてきた。
そういえば、だるまって、向こうの言葉のような気がする。
ちなみに、雪はこのあたりは積もらないが、存在自体は冒険者なら知っている者も多いのだとか。
「だるまって、頭と胴体が大きい丸と小さい丸でできたお人形みたいなものかな。要は大小ふたつの丸がくっついていると思ってもらえばいいよ。それじゃあ、いくよ」
丸い生地を伸ばして、円柱状のものを作る。
それの長さの三分の一くらいのところをくぼませ、ひょうたんのような形にしていくのだ。あとはひょうたんを立たせて、丸型に乗せて成形すれば完成だ。
イメージとしては、雪だるまに上から力を加えて、首が沈み込んだような感じの形になる。最終発酵と焼き上げを経て、それが雪だるまのようになっていくのだ。
「あとは、パンの数だけこれを繰り返すだけ。じゃあ、一緒にやってみようか」
「はいなのです」
ピーニャもひょうたんの形を作るのには、少し手間取っていたようだけど、最後の方はかなり上達していた。やはり、覚えるのが早い気がする。
「はい、これで大丈夫。これにさっき用意した卵液を塗って、最終発酵するまで七十分かな。お疲れ様、ピーニャ」
「なのです。コロネさんもお疲れ様なのですよ」
「ちょっといいかな、ピーニャ。この待ち時間を使って、依頼を受けてたプリンを作ろうと思っているんだけど、手伝ってもらえないかな? 作り方も説明したいし」
ピーニャもプリンを作れるようになれば、甘い物の裾野が広がる。
そうすれば、やれることが増えるのだ。
元々、プリンひとつで独占商売みたいなことをするつもりもないし。
「もちろんなのです! ピーニャもプリンを作ってみたいのです!」
「じゃあ、三階の方に行こうか」
コロネとピーニャはプリンを作りに調理場へと向かった。
「残念、思ったほど数が作れなかったね」
「なのです。でも、ピーニャはうれしいのです。これで材料を集めれば、自分でプリンが作れるのですよ」
そして、プリンを冷やすところまでやって、パン工房へと戻ってきた。
プリンは残念ながら、二十個ほどしか作れなかった。
理由はハチミツだ。
たまごは昨日もらったし、ミルクもあったのだが、ハチミツが底をついてしまったのだ。ピーニャの方で確保していたハチミツもジャムになってしまっている。
まあ、二十個あれば大丈夫と言えば、そうなんだけど。
「今度、エミールさんに会ったら相談してみようかな」
エミールなら、孤児院との伝手もあるので、ハチミツについて協力してくれるかもしれない。また青空市に行ってみよう。
「それで、コロネさん。そろそろ時間だと思うのですが」
「そうだね。どうやら、発酵も進んでいるみたいだしね」
先程の雪だるまが型の大きさまで膨らんでいるのを確認する。
よかった。
このパンの素でも、大丈夫だったみたいだ。
正直、そこだけが予想できなかったのだ。
「じゃあ、最後に卵液をもう一度、生地に塗って……と。はい、完成ー。あとは焼くだけだね。油断は禁物だけど」
「なのです。でも、うれしいのです。とても楽しみなのですよ」
ピーニャの言葉にコロネも頷く。
こっちに来てから、一から自分で作ったパンは初めてだ。
さて、うまくいったのかどうか。
内心でドキドキしながら待つコロネなのだった。




