第27話 コロネ、塔に認められる
「あー、もう準備できてるのね。今日のごはんも美味しそうねー」
シャワーを浴びて、着替えてきたジルバが言う。
今日の夕食は、オサムが用意したものだ。
クリームシチューに、サラダとライス、それにハーブティーだ。
毎食のようにハーブティーが出てくるのは、オサムが試行錯誤の真っ最中なのを意味している。何でも、魔法屋のフィナによれば、定期的に飲むことで、効能の相乗効果が得られるかもしれないとの話もあったとのこと。
従業員は、ごはんがただの代わりに、こういう実験に付き合わされるのだとか。
「実験とは、人聞きが悪いな、ピーニャ。せめて、毒見と言ってくれ」
「それじゃ、なお悪いじゃないですか」
「いやいや、こっちの世界では、毒を美味しく食べる料理法があるらしくてな。一口に毒と言っても、味付けのひとつとしても使えなくはないんだと」
オサムが冗談を言っているのかと思ったら、本当のことらしい。
毒による刺激を、味覚に転じて快感へと発展させるのだとか。
体内に蓄積した毒素を相殺するため、デトックス効果もあるそうだ。
「だからな、断食して毒素を取り除きましたってのを、毒を使って、もう少しお手軽にできるようになるんだよ。主菜で毒を、副菜や飲み物で、解毒を。後は料理人の腕の見せ所だな」
「……オサムさん、今日のごはんには毒が入ってませんよね?」
オサムが割と本気で毒料理のことを話しているのがこわい。
知らぬ間に、毒を食べさせられるのは、さすがに嫌だ。
「心配するな。そういう時は前もって言うから。俺も、相手が食べられないものを、サプライズで食べさせて、後から『実は~』っていうのは嫌いだからな。その辺は気を遣っているさ。今でこそ、この町じゃあ、生の魚も食べてもらえるようになったが、当初は全否定だったしな。そういうことには細心の注意を払う必要がある」
「ピーニャも最初は不安でしたが、オサムさんのことは信じてますから。今ではお刺身も食べられるのです。新鮮ならお魚は生なのですよ」
なるほど。
確かに、向こうの世界でも、生の魚を食べることへの抵抗は少なくない。
コロネの修行先でも、生で魚を食べる者は、食中毒を恐れない野蛮人と本気で信じている人がけっこういたのだ。
それでも、寿司の文化が広がったことで、緩和されているが、お刺身を食べるという行為が当たり前で済んでいるのは、それだけ日本が生の魚に精通しているからである。長い年月をかけて、研鑽を積んだ、その技術の集大成が『生』という概念なのだから。
馴染みの薄い人にとっては、まず不安が頭をよぎるのだろう。
それにしても、毒料理の時は前もって言うんだ。
……大丈夫かな。
「その点では、ミーアちゃんも苦労していたのよね。マスターに弟子入りしたのだって、猫の獣人が生の魚を食べるから、そういう目で見られてたからっていうのもあるの。イグちゃんもね」
「猫の獣人は、魚の鮮度を見抜くスキルを持っている。スキル『猫の目』だな。だからこそ、他の連中がどうして、そこまで生の魚を恐れるのか、わかっていなかったんだ。その辺も行き違いの理由だな。まあ、今は逆に、そのスキルが信頼性の証ではあるがな。ミーアの店で魚にあたるのはあり得ない。おかげで肉が苦手な客からの評判はいいのさ」
そうなんだ。
今でこそ、みんな幸せそうにしてるけど、ここに至るまで色々とあったんだ。
何となく、しみじみとしながら、クリームシチューを口へと運ぶ。
小麦粉のうまみが染み透ったホワイトルーに、大きめに切られた鶏肉や野菜がよく合っている。どちらもソースにからめる前に、じっくりと火を通されているため、素材のうまみがしっかりと凝縮されているのだ。
噛みしめるとエキスが口の中に広がっていく。
「ああ、やっぱり、美味しい」
どうして、これを食べる前に毒の話になったのか。
普通に美味しいのに、なぜか釈然としない感じになってしまっている。
「クリームシチューは、ピーニャも好きなメニューなのです。オサムさんが作る夕食では、グラタンやクリームコロッケと並んで、頻繁に出る料理のひとつなのですよ」
「そうね。ミルクをいっぱい買った日は、割とそんな感じだものね」
「まあ、これからはそうでもないかもな。今日、カウベルともそんな話をしたぞ。今後はコロネが教会のお得意様になるかもしれないってな」
「ああ、そういえば、教会の残ったミルクはオサムさんが買ってるんでしたね」
保管庫にも、牛乳が置かれている区画があった。
定期的にホワイトルーなり、何なりで消費しないと大変なのだろう。
「まあ、バターは作るだけ売れるから、教会としても量を減らすわけにはいかないだろうしな。言ったろ? お布施みたいなもんだって。それにな、水の日の営業では、クリームシチューもけっこうな人気だぞ。家族連れを中心に、しっかりとしたファン層がいるからな。きっちり作っておかないといけないのさ」
楽しそうにそう言って、オサムもクリームシチューを食べる。
そんなこんなで、夕食の時間は過ぎていった。
「そうだ、マスター。コロネちゃんも展望室に連れて行ってもいい? ちょうど、ごはんを持っていこうと思ってたんだけど」
食後の片づけが終わって、少しまったりしていると、ジルバがそんなことを言い出した。
はて、展望室とか、ごはんとか、どういうことだろうか。
「うん? ああ、コロネならもう大丈夫だろ。構わないぞ」
「わかった。じゃあ、マスターの許可も下りたから、コロネちゃん、展望室に行ってみようか。大丈夫、エレベーターの魔力充填はあたしがするから」
「展望室って、何しに行くんですか?」
そういえば、そんな部屋は初めて聞いた。
上層階に関しては、魔力を必要とするエレベーターを使わないと行けないので、コロネひとりではあがることができないのだ。
今のところ、書類が保管されている部屋があることぐらいしか聞いていない。
「あたしの友達がいるの。その子を紹介しようと思ってね。じゃあ行きましょ」
ジルバに連れられて、エレベーターで上層階へとやってきた。
塔の最上階ではないが、それなりに高いところに展望室はあった。
エレベーターを降りると、特に何も置いていない、広々とした空間が広がっている。
他のフロアよりもガラスが占めるスペースが多く、確かに展望室といった感じの部屋だ。なのだが。
「見た感じ、誰もいないようですけど……」
ジルバの友達ということなので、誰かが住んでいるのかと思ったのだが、それらしい姿もない。四方を見ても、ここにいるのは、ジルバとコロネのふたりだけだ。
「今から呼ぶわ。ふわわ、出ておいでー! ごはんよー!」
ジルバが展望室の中央に向かって叫ぶ。
と、その声に反応して、周囲に霧のようなものが立ち込めてきた。
その霧が部屋の中央へと集まっていくのが見えて。
次の瞬間、展望室の真ん中に、綿あめでできた犬のような大きな物体が現れた。
「じるー、ふわわ、おなかすいた」
「ごめんごめん。今日は少し多めに取ってこれたから許してね、ふわわ」
言いながら、ジルバがアイテム袋から大きめのガラス瓶を取り出した。
そのビンをふわわと呼ばれる物体の側に置いて、ふたを開けると、中から、霧状の何かがシューシューと音を立てて、吹き出す。
すると、その霧がふわわと呼ばれる物体へと吸い込まれていくのが見えた。
「おいしいー、じる、ありがとう」
「どういたしまして。どう? これなら、一か月くらい大丈夫?」
「うん、ふわわ、がんばる」
声というか、空気が震える感じで、そのふわふわっとした言葉が聞こえてくる。どうやら、この綿あめさんは生き物で、空気を震わせて言葉を発しているようだ。
「そう、良かったわ。じゃあ、改めて紹介するわね、ふわわ。こっちの女の子がコロネちゃん。ここで働くことになった新しい料理人よ」
「うん、ふわわ、しってる。ずっと、みてた」
「そうよね。で、コロネちゃん、こっちのふわふわの生き物がふわわっていうの。あたしと一緒にこの塔のセキュリティを担当している子よ。ある意味、この塔の護り神よね」
「ふわわ、まもりがみ、なの」
「そうなんですか。初めまして、この塔で働くことになりました料理人のコロネです。よろしくお願いします」
「うん、よろしく、ころね」
そう言って、ふわわがコロネの周りを包み込んだ。
今、コロネはふわわの中にいるのだが、霧のような柔らかいお餅のような、不思議な触感に包まれている。
これは生まれて初めての体験だ。
少しの間、ふわわがコロネを包んだあとで、離れてくれた。
ジルバによると、これで、ふわわによる正式な認証が済んだとのこと。
「おめでとう、コロネちゃん。これで、無事、この塔の一員として認められたわ」
そう言って、ジルバが笑顔を浮かべる。
ふわわも大きくなったり、小さくなったりして、喜びを表現しているらしい。
まだ、何がどうなっているのか、よくわからないけど。
とにかく、こうして、コロネは塔のメンバーに認められたのだった。