第23話 コロネ、メイドさんに抱きしめられる
「失礼いたします。オサム様はいらっしゃいますか」
コロネがパン工房で待っていると、ドアの方から鈴の音がなった。
業務用の裏口に誰かがやってきたようだ。
ちなみに、ピーニャはお店の方で、お客さんの相手をしている。いつもなら、裏方に徹しているのだが、今日は張り切ってパンを売っているのだとか。
一緒にいた、普通番のアルバイトさんが笑っていた。
もうすぐ終わるとのことなので、コロネもピーニャを待っていたのだ。
じゃないや、工房内にお客さんだ。
ピーニャが出られない以上、コロネが対応しなければならない。
オサムも先程、ちょっと出かけてくる、と外へ行ってしまったはずだ。
「はーい。すみません、オサムさんはちょっと席を外しておりまして。どういったご用件でしょうか?」
コロネが裏口に行くと、そこにはひとりの女性が立っていた。
メイドさんだ。
髪は銀色のショートカット。少し細身だが、背格好はコロネとあまり変わらない。しかしながら、その容姿を一言で言い表すなら、メイドさん、としか言いようがない。
コスプレではなく、遊びのない本式のメイド服、といった雰囲気を醸し出す衣装を身にまとっているのだ。向こうの世界だったら、王室とかで働いていそうな気がする。
「いらっしゃらないのですか? 困りましたね……今日は少し早めに来るとお伝えしていたはずなのですが。少し、待たせていただいてもよろしいでしょうか? ええと、お初にお目にかかる方ですね。はじめまして、わたくし、王都にて、アキュレス様のメイドをさせていただいております、プリム、と申します」
「ご丁寧にどうも。わたしは、二日前からここで料理人として働いております、コロネです。どうぞよろしくお願いします。工房内でお待ちいただいてもよろしいですか? ちょっと出かけると言っていましたので、すぐ戻ってくると思いますが」
言いながら、プリムさんを工房内のくつろぎスペースへと案内する。
テーブルと椅子がある、従業員用の休憩場所だが、ひとまずここで座ってもらう。
ピーニャを呼んできた方がよさそうだ。
それにしても、メイドのプリムさんか。
ふむ。
コロネは冷蔵庫の方をふと見た。
オサムのお客さんだし、何かお出ししてみようか。
何かというか、ピーニャが戻ってきたら、一緒に食べようと思っていたものだけど。
冷えたハーブティーも冷蔵庫にあったので、一緒に添えて。
コロネはお客さんの前に、例のものを取り出した。
「今、もう少し詳しい者を呼んできますので、少しお待ちいただけますか? その間でもこちらをどうぞ。まだ『お試しメニュー』ですが、今後売り出そうと思っている、お菓子です」
「いえ、お気遣いなく……これは? お菓子……とは何ですか?」
「お菓子っていうのは、甘い物のことです。これは、たまごを使って作った冷たいお菓子で、プディングといいます。略してプリンですね」
やはり、お菓子という名称自体が馴染みが薄いようだ。
王都のメイドさんなら、もしや、って思ったけど、ガゼルと同じような認識らしい。
とりあえず、プリムに一礼して、ピーニャのところへ向かう。
パン工房の責任者の彼女なら、事情を知っているだろう。
「ああ、プリムさんが来たのですか。彼女は、その、王都の貴族のメイドさんで、オサムさんに食材を提供しているうちのひとりなのですよ」
お店にいたピーニャが教えてくれる。
「食材かあ、なるほどね。それで、王都からわざわざ来てくれたの?」
「なのです。食材の件もそうなのですが、彼女はパン工房にとっても、お得意様なのですよ。残っているパンをすべて買っていってくれるのです。おかげで、アルバイトさんが頑張りすぎて、パンがたくさんになってしまっても、売れ残ることがないのです」
「え? そうなんだ。すごいね」
王都でもオサムのパンは人気があるのだろうか。
ただ、少しだけ合点がいったのは、それで、いっぱい作るとボーナスみたいな話になるんだな、ということである。
普通は、売れる数を考慮しないと、廃棄率がえらいことになってしまうと思ってはいたのだ。作った分だけ売れるなら、そりゃあ、いっぱい作るだろう。
「まあ、いいや。ピーニャがお話してもらってもいいかな? わたしだと詳しい事情が分からないから、対応できないし」
「大丈夫なのです。お昼のお客さんもひと段落したのです。もう、お店を閉めても問題ないのですよ」
言いながら、ふたりで工房の方へと戻る。
と、工房に踏み込んだ途端、コロネの胸元に誰かが飛び込んできた。
「コロネ様!」
「は、はい」
というか、いつの間にか、プリムに抱きしめられていた。
何がどうなっているんだろうか。
えらく興奮しているプリムに、コロネはなすすべもなく振り回されてしまう。
「プリンと言いましたね! この食べ物はいったい何なのですか!?」
「いえ、さっきも言いましたけど、試作品として作った、たまごを使ったお菓子ですよ。ちょうど新鮮な牛乳とたまごとハチミツがあったので、何となくで作っただけなんですけど……」
「何となく!? 何となくですか!? わたくしは、こんなに自分が興奮しているのは、本当にいつぶりか思い出せないほどです。こんな……こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてですよ! それを何となく、ですか!?」
「少し、落ち着くのです、プリムさん。こちらのコロネさんはオサムさんと同郷なのですよ。つまり、そういうことなのですよ」
「ああ、なるほど……失礼いたしました。わたくしとしたことが、取り乱してしまいました。申し訳ございません」
ピーニャの取り成しのおかげで、どうにか落ち着いてくれたようだ。
ようやく、コロネから離れてくれた。
それにしても、そういうこととはどういうことなんだか。
さておき。
「パンの方はいつものように用意するので、もう少し待ってほしいのです。ちょうど閉店しようと思っていたところなのですよ」
そう言って、ピーニャが本日用意できるパンの数を伝える。
それに対して、プリムの方も頷きながら、何かの数字を紙に書いている。
「わかりました。ところで、今日はいつもより売れ行きが好調のようですが、何かあったのでしょうか」
「それも、コロネさんのおかげなのですよ。ピーニャも教わって作った甘いパン。果実を煮詰めたものを挟んだパンが、初日から好評だったのです。試作のつもりだったのですが、売ってくれとの要望が多くて、つい……なのです」
本当は、もう少し味を見てからのつもりだったそうだが、アルバイトさん達から情報が伝わってしまったらしく、慌てて対応することになってしまったのだとか。
市場で材料を買い足して、ジャムを作って。
コロネは作業中だったため、伝えるのが遅れて申し訳ない、とのこと。
「別に、謝らなくても大丈夫だよ。ジャムの方はピーニャに任せたって言ったじゃない。あれはもうピーニャの判断でいいんだよ」
オサムがダメと言うなら別だが、そういうことを言う感じでもないだろう。
「なるほど、プリンだけではなく、甘いパンまで。コロネ様も素晴らしい料理人ということなのですね」
「いえ、そんな大したものじゃないですよ」
えらく持ち上げられているが、コロネはまだパティシエとしては見習いもいいところなのだ。それでも向こうの店長のおかげで、基礎はできているという自負はあるが、調子に乗るなど十年早いのだから。
「その甘いパンについても、後でご相談となりますが……時に、コロネ様。このプリンという食べ物、お菓子でしたか。これは、商品として売り出すのでしょうか?」
「現時点だと、たまごがネックになってますから、量産が難しいですね。最初のうちはオサムさんのお店が営業している日に、お試しで置いてもらおうかと思っているところです。もちろん、オサムさんの許可が出てからですけど」
他の食材は入手経路がはっきりしているから、何とかなるが、たまごはブランの家が自分の家用に飼っているコッコからだけである。
さすがに、人様の家の食材をお金で買い付けるのは気が引ける。
せいぜい、朝夕何個かずつ譲ってもらうのが限界だろう。
となれば、お店で数量限定で出すくらいしか方法がないのだ。
「つまり、たまごがあれば何とかなるのですね?」
「ええ。ミルクは教会から。ハチミツも孤児院で作っているものがあるそうですので、たまごの数がそろえば、何とかなりそうですね」
「わかりました」
そう言って、プリムは何もない空間から、たまごを取り出した。
アイテム袋すら使っていない。
「それでしたら、今日はわたくしが譲渡可能な分、ということで、こちらのたまごをお譲りいたします。もし、差し支えなければ、明日のオサム様のお店の営業で、プリンをご用意いただけませんか? これはわたくしからの調理依頼としてのお願いです。わたくしの主も同席させますので、その際にプリンを出していただきたいのです」
先程、興奮していた時とはうって変わって、真剣な表情ながらも冷静な態度で、プリムが話を続ける。こちらが彼女の普段の姿なのだろう。
「その席で、わたくしの主より許可が下りれば、コロネ様にたまごを卸すことが可能になります。今回の依頼の報酬は、販路の拡大、とお考えください。それとは別にもちろん、必要な経費はわたくしがお支払いいたしますので」
販路の拡大、と聞いてコロネもスイッチが入る。
つまり、プリムの主は、たまごを量産できるか、あるいは入手できる伝手がある、ということなのだろう。
それは確かに魅力的な報酬だ。
たまごの安定供給はパティシエにとって、必要不可欠な要素なのだから。
「わかりました。明日の営業までに用意します」
たまごを受け取り、コロネが頷く。
そして、どうしても聞きたかったことをプリムへと投げかける。
「それにしても、どうして、プリムさんがここまで親身になってくれるのですか?」
「どうして、ですか? それは単純なことです。この場所で、この料理に出会えたことは、わたくしにとって運命なのだと確信しております。それだけの衝撃がわたくしの中にあった、ということです。プリンを食べてみたい。そのためなら、どのような協力もいたしますとも」
そう言って、プリムは破顔した。
ああ、とコロネは思う。
この笑顔だ。
この笑顔のために、自分は頑張っているのだと。
だからこそ、だ。
決意を新たに前を向く。
やるべきことは山のようにあるのだから。




