第16話 コロネ、お菓子について聞く
「それにしても、この天ぷらに使った小麦粉はいいよね」
コロネは、思わずため息をついた。
これはれっきとした薄力粉だ。
これがあれば、甘い物に合う生地が簡単に作れてしまう。
まあ、本当の意味で簡単なわけではないのだが、かなり高いハードルを越えたことになるので、うらやましくないかと言えば嘘になる。
「だがなあ、これ作るのは大変だぞ? 今の俺のやり方だと、風の上級魔法が必要だ。正直、人に勧められる方法じゃないしな」
風の上級魔法、か。
そもそも、コロネは基礎の魔法が使えないのだから、お話にならない。
今のところは地道に行くしかなさそうだ。
「そういえば、コロネさんは甘い食べ物専門の料理人でしたね」
ガゼルが興味を向けてくる。
いい機会なので、コロネは自分の疑問を聞いてみることにした。
「はい、お菓子職人です。まだ見習いでしたけど。それでガゼルさんにお聞きしたいのですが、王都ではどんなお菓子が食べられていました? その辺りをくわしく知りたいです」
「お菓子……というのは、甘い物のことですよね。それでしたら、『ヨークのパン』が有名でしたね。あとは、季節の果実をそのまま食べたり、乾燥させた果実をハチミツにまぶしてパンに乗せたり、といったところでしょうか。果実の搾り汁なども人気がありましたね」
果物とハチミツが甘さの軸、のようだ。
オサムから砂糖を禁止されたため、おそらく、王都にはないと推測はできた。
大体はコロネの想像通りだったが、ひとつだけ初耳の言葉がある。
『ヨークのパン』とはどんなものなのだろうか。
「ああ、ヨークってのは人の名前だ。同時に店名でもある。王都でも一二を争う、老舗のパン屋『ヨーク』。その当代の店主のみが名乗ることが許された名だそうだ。実はうちの工房のパンもそこから教わったやり方で作っているのさ」
「ええ。その中でも『ヨーク』の冠するパンはひとつです。甘味をしっかりと伴ったパンで、数量はいつも限定されているため、王族や貴族しか食べられない、とされています。そのパンは白く、焼き上がりも美しいパンですよ」
「まあ、製法は秘密ってことにされているがな。コロネにはこう言った方が早いだろう。ブリオッシュだよ」
オサムが苦笑しながら言う。
何でも、パンの作り方を伝授される際、普通のパンの製法は教えてもらえたのだが、いわゆる、『白パン』については、後継者にしか伝えられない、とバッサリやられたのだそうだ。
その際、このパンを作れるよう努力してみろ、と味見させてもらったのがブリオッシュだったというわけだ。
「私は、オサムが言うブリオッシュがどういうものか知らないのですが、もしそれが『ヨークのパン』と同じだとすれば、コロネさんは作り方を知っているのですか?」
「一応、作り方なら知ってますよ」
ブリオッシュ。
たぶん、そのパンの名前を耳にしてもピンと来ない人は多いかも知れないが、こちらのセリフだったら、結構有名なのではないだろうか。
『パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない』
マリー・アントワネットの有名な逸話で登場する、お菓子がこのブリオッシュなのだ。実際のところ、お菓子と言っても製法上はパンに分類されるのだが。
改めて説明すると、パンは大きく分けると、二種類に分けられる。
粉、水、塩、酵母の四つのみを使って作るリーンなパン。つまり、基本のパン。
そして、基本のパンにプラスアルファで色々加えたパンをリッチなパンと呼ぶ。
以上の二種類だ。
ブリオッシュは基本のパンに、バターとたまごと牛乳を加えて作る、いわゆるリッチなパンなのだ。雪だるま型や王冠型が有名で、ふんわりとした口どけが特徴の美味しいパンである。
ちなみにどうでもいい話かもしれないが、例の逸話は、『パンがなければ、もっと良いパンを食べればいいじゃない』という意訳にもなるため、コロネも初めて知った時は、それは聞いた人も怒るだろうな、という感想を持った思い出がある。
小麦粉でいっぱいいっぱいなのに、それ以外にも食材がいるものなど作れるはずがない。
まあ、このセリフ自体が捏造なのだそうだが。
ともあれ。
ただ、ブリオッシュはどちらかと言えば、バターロールなどに近いため、単体としてはあんまりお菓子っぽくはないように思える。
トッピングや練り込む具材に工夫すれば、かなりいける感じになるのだが。
「白いパン、ということはヨークさんは、強力粉の精製はある程度できているんでしょうね。むしろ、そのほうがすごいと思います。作るとしたら、良い小麦粉、バター、たまご、ミルク……ですかね」
イースト菌があれば、もっとふっくらしたパンになると思うが、ないものねだりをしても仕方がない。今ある材料を考えると、もう少し小麦粉をふるいにかけて、強力粉に近づけて、だ。
それとたまごはあるから、あとは。
「バターとミルクがあれば、試作できそうかな」
「それで、『ヨークのパン』が作れるのですか!?」
ピーニャが少し興奮気味に言う。
まだ、『ヨークのパン』を口にしたことがないのだそうだ。
それなら、残りの材料を探して、作ってみようか。
最初に作る菓子パンは、ブリオッシュだ。
小麦粉の分離に限界があるため、あくまでなんちゃってだが、ピーニャにも甘いパンの可能性を見せられたらいいな、そんな気持ちで。
「バターとミルクがそろったらね。今日、売っていそうなところを聞いたから、明日の朝にでも、行ってみようと思って」
「カウベルさんのところなのですね?」
「カウベルさん?」
「シスター・カウベル。神聖教会の修道女だよ。というか、この町で他に乳製品を作っているところはないぞ。うちも教会との兼ね合いがあるから、普通に買わせてもらっているんだ。まあ、お布施というべきなのかもしれないがな」
この町で乳製品と言えば、その人なのだという。
なるほど、コロネが頷く。
エミールから聞いたとおり、教会で正しいようだ。
さすがにシスターの名前までは聞いていなかったけど。
「朝のお祈り、だったかな? それに参加すれば、売ってもらえるって話だったよね?」
「なのです。誰でも参加できるのです。バターはいつでも売っているのですが、チーズは不定期なのです。ミルクも売っているのですが、あくまで中心はバターなのです」
「バターは料理に使うからな。油が高級品な分だけ、人気が高い。教会の売り物の中でも主力商品となっているな。逆に牛乳の人気はいまひとつだ」
「どうしてですか?」
牛乳も色々と料理に使えるはずなのに。
「ミルクはくせがあるため、あまり喜ばれていないですね。それに、ミルクに関しては輸送の問題があります。コロネさんも、アイテム袋を使った輸送についてはご存知ですよね?」
「物がたくさん入って、持ち運びが便利な袋ですよね。中の時間が止まっている、という話は聞きました」
「はい。そのアイテム袋ですが、長期に物を運ぶ際、いくつかの食材に関しては、味が落ちてしまうという問題があるんですよ。生きた生物は中に入っていた時間の分だけ、生命エネルギーが奪われます。長期にわたると死に至ります」
それがアイテム袋の副作用なのだそうだ。
そして、その副作用によって、味が落ちる食品があるのだという。
「特に顕著なのは、ミルクです。明らかに味が変わってしまうため、輸送することが難しく、袋を使わず普通に輸送すると、おなかを壊しやすくなるという弊害があります。そのため、ミルクはお腹を壊すもの、というイメージが横行しているのです」
「それでもこの町は、牛乳を使う方だけどな。王都の方に行くと、牛乳はバターを作るための道具としての認識が強い。まあ、輸送も保存も難しいとなると、仕方ないっちゃあ仕方ないが」
アイテム袋のおかげで、水や他の飲み物の輸送が容易いため、無理に牛乳にこだわる必要がないのだそうだ。
「まあ、そのおかげで、牛乳は簡単に手に入るってことさ。悪い話ばかりじゃない。そういう意味では狙い目の食材と言えるな」
確かに。
オサムの言葉には重みがある。
牛乳に対する偏見を覆すだけのインパクトが、そのお菓子にあれば、それは十二分に効果を発揮できるだろう。
新しい味の発掘作業だ。
それがこの世界にどう影響を与えるか。
怖くもあり、面白くもある。
「よし。明日はパン作りを休んでいいぞ。代わりに、教会のお祈りに行ってみるといい。ピーニャ、コロネがいなくても大丈夫だな?」
「問題ないのです。新しいパンのためなら、それが何よりも優先されるのです。ピーニャにとっても喜ばしいことなのです」
ふたりの言葉にコロネも頷く。
では、明日の朝は教会へ行くことに決定だ。
コロネのこの世界での慌ただしい日常はまだまだ続く。




