第160話 コロネ、改めて弟子と向き合う
「うん、良かった。いい返事を聞けて。ご協力感謝するよ、コロネ」
少し悩んだけど、まあ、断る理由がないのと、グルメ新聞からも色々と便宜を図れるからと言われた結果、密着取材の方を引き受けることにした。
ピーニャからも、いらずら好きではあるけれども、アノンの人となりについては保証する、と言われたからだ。
さもなければ、人気の新聞という評価を得ていないだろう。
密着と言っても、コロネの生活の部分については配慮してくれるみたいだし。
「ほら、読者が求めているのは、コロネが一日をどういう風に仕事をしているのか、とか、新しい料理の開発はどうなっているのか、新商品の発売時期やその入手方法についてだからね。プライベートな時間まで、侵食するようなことはしないから、ご心配なく」
「ということは、アノンさんも、リリックとかと一緒についてくるってことですよね?」
新聞社とか、テレビ局の取材となると、向こうの店長も受けていたことがあるけど、あれはあれで料理を作っているところとかも密着されると、緊張するんだよね。
まあ、当の店長は至ってリラックスしていて、コロネみたいに他の店員の方が、浮足立っていた覚えがある。
今回のは新聞だから、カメラが回っているわけじゃないけど、やっぱり、何となくドキドキするかな。
こっちはまだ新米パティシエで、新米先生だからね。
「必要なら、料理の手伝いとかもするよ? 別にその場でイラストを描かなくてもいいわけだし、ボクの場合、参加型の取材ってやつを大事にしているからね」
「確かに、アノンの場合、手伝ってもらった方が戦力になるかも、なのです。例えば、オサムさんの『包丁人』スキルも、コピーで使えるのです」
「あ、それはすごいですね」
「うん、オサムの場合は、ある程度の記憶共有もできているから、コロネたちの言うところの向こうの世界ってやつ? そっちの常識もある程度は把握してるから。まあ、百パーセントの『包丁人』スキルは使えないけど、別に普通の料理で、そこまでのものは求められないから、問題はないし」
え、コピーは聞いていたけど、記憶共有って、そんなこともできるんだ。
つまり、アノンは、向こうの文明に関しても、オサムが持っていたのと近しいレベルでの知識は持っているってことか。
ドッペルゲンガー恐るべし、だよ。
どう考えても、反則ぎみの能力だよね。
「うん、まあ、能力だけ見ればそうだけど、ボクらの場合、その能力に指向性がないからね。心の底から面白いと思えることに出会えなければ、たぶん、ボクも今もただ何となく、適当に生きていただけだったろうね。そういう意味では、オサムには感謝してるよ」
幽霊種である自分に生きがいを与えてくれた、とアノンが笑う。
アノンの他に、やる気があるドッペルゲンガーというのは、ほとんど存在しないらしい。
「あ、そういえば、オサムはいないの? ついでに挨拶しようと思ってたんだけど」
「オサムさんは、ちょっと町の外へと出ているのですよ。さっき、ガゼルさん宛てに、もう少し遅くなるって連絡が入ったみたいなのです。ですので、夕方というより、夜になった辺りではないですかね、塔に戻ってくるのは」
「あ、そうなの、ピーニャ?」
それは、コロネも初耳だ。
どうも、天候が悪くなったのも、理由のひとつらしい。
確かに、コロネがこっちにやってきてから、雨が降ったのって初めてな気がするし。
「なのです。夕食は、ガゼルさんが作ってくれているので、大丈夫なのですよ。さっきジルバさんも戻ってきましたし、みんなが揃ったら、夕食なのです。コロネさんも、今のうちにシャワーでも浴びて、着替えた方がいいのではないですか?」
あ、そうだ。
アノンの件で、そのままになっていたけど、今のコロネは濡れねずみだよ。
本当は、まっすぐシャワー室に行こうと思っていたんだものね。
「あ、コロネがいくのなら、ボクも一緒でいい? 気分の問題なんだけど、シャワーって気持ちが良いからね」
「別にいいですけど……アノンさんって、性別はどっちなんですか?」
そこはちょっと気にしておきたい。
今はコロネの小さい時の姿だけど、まあ、色々と考えてしまうから。
「本体はどっちでもないよ。そもそも、ボクの場合、性別の概念がないからね。その姿によって、って感じかな。だから、今は女の子だよ」
「コロネさん、幽霊種の場合、ふわわとおんなじで、性別の差異が薄いのですよ。少なくとも、性欲とは無縁の種族ですので、あんまり気にしないのがいいと思うのです」
「うん、わかったよ。どうせ、今の姿だと、あんまり他人の感じがしないしね。それじゃあ、シャワー室に行く前に、着替えを取りに寄ってもいいですか? その後でシャワー室って感じで」
「はいはい。コロネについていくよー」
「では、ピーニャはガゼルさんと夕食の用意をしておくのです」
そんなこんなで、コロネたちはシャワー室へと向かった。
「あれ? 先にシャワー室を使っている人がいるのかな?」
そういえば、さっきジルバが帰って来たって言ってたっけ。
一応、塔には個室のシャワー室がいくつか備え付けられている。着替えのための空間と、その奥にシャワーを浴びるための部屋、という感じだ。
普通にお風呂とかもあっても良さそうなものだが、その辺りは、温泉まで行くことで、経済を回しているという感じだろうか。
いや、そもそも、湯船にゆっくり浸かるという習慣があんまりないのかも知れないけど。
そもそも、オサムにしても、あんまりお風呂とかにはこだわってなさそうだしね。
ともあれ、個室のうちのひとつは埋まっていたので、コロネとアノンは奥の個室へと向かった。
「というか、アノンさんは隣じゃダメなんですか?」
何も、同じ個室に入ってこなくてもいいと思うのだが。
「まあまあ、その辺は裸の付き合いって感じで、気にしない、気にしない。ぶっちゃけ、ボク、髪を洗うのが苦手だから、手伝ってほしいというか、何というか。それで、他の人と一緒に入るのがクセになっているんだよね」
別に、ピーニャとかオサムとも一緒に入ったことがあるのだとか。
もちろん、同じ性別だけど。
「何だったら、男の子になってもいいけど、でも、ボクの場合、子供にしかなれないからね。あんまり気にしない方が良いと思うよ」
「まあ、確かにそうかもしれませんけどね。一応、ショコラも一緒なので、スペース的にって感じですよ」
この時、コロネはアノンと話をしながらだったので、油断していたのだ。
だからこそ、目の前にあった光景に対して、即座に反応できなかったのは仕方ないと思うのだ。
これだけは、念を押しておこう。
うん、たぶん、これは不運な出来事だったのだ。
何があったかと言うと。
奥側のシャワー室では、鍵をかけ忘れたリリックが裸でシャワーを浴びていたのだ。
それだけなら、問題はなかったんだけど。
何だろうね。
うん、リリックにも女の子の部分はあったけど。
その上の方には、男の子の部分があったというか。
時が止まると言うのは、こういうことを言うんだね。
悲鳴をあげるでもなければ、パニックになるでもなく、ただ、茫然とリリックの姿を見ているだけというか。
実際、その身体は美しかった。
均整のとれた彫刻のようで、それでいて、小ぶりながらも胸は膨らんでいて、コロネよりは大きい感じだし、髪の毛は濡れて、顔は紅潮して……いや、違うか、こっちに見られて真っ赤になっているだけか。
うん、大丈夫、わたしは冷静だよ。
向こうでも、男の人の裸に出くわしたことはあったし、大丈夫。大丈夫なはずだ。
「コ……コロネ、先生!?」
そこで、ようやく、リリックがフリーズ状態から立ち直って、今度はパニックな感じへとなっていったみたい。
わなわなと身体が震えている。
「ご、ごめん、リリック。鍵がかかってなかったから、気付かなかったんだ。すぐ出るから!」
慌てて、アノンと一緒に個室から出たものの、ものすごく重苦しい空気が漂っている気がする。
ふう、ととりあえず、深呼吸をして、今起こったことを思い出してみる。
「……リリックって、女の子じゃなかったの?」
「今のって、シスターのリリックだよね? うん、そうだよ。これは一部の人間しか知らないことだけど、さすがに今、コロネは見ちゃったしね。ボクが知っていることを説明しておこうか。リリックは、獣人種。きりんの獣人なんだよ」
「きりん、ですか?」
ええと、でも、それっぽい特徴はなかった気がするんだけど。
いや、そもそも、きりんとあれはどういう関係があるというんだろうか。
「まあ、いわゆる、きりんは種族的に半陰陽、いわゆる両性具有ってやつか。だから、獣人もそのまま、両性体って感じなわけだ。だから、別に問題があるわけじゃないんだけど、問題は本人の心かな。リリックって、心の方が完全に女性側なんだよね。だから、孤児の時に、それに気付いたカミュがシスターにしたんだよ。たぶん、この辺りの事情は、ほとんど誰も知らないと思う。カミュとカウベルと、あとはほんの一握りかな」
「アノンさんはどうして知っているんですか?」
「模写したから。ただそれだけ。ただ、本人がそれを知られたくないって思いが強かったから、こんなことでもなければ、教えるつもりもなかったけどね」
「なるほど……それで、わたしはこの空気をどうすればいいですかね?」
「なるようにしかならないと思うけどね。とりあえず、リリックが出てくるのを待とうか」
そんなこんなで、微妙に重苦しい空気の中、少し待っていると、着替えを済ませたリリックが個室から出てきた。
その顔は、どこか申し訳なさそうな感じでいっぱいだ。
「……すみません、コロネ先生。お見苦しいものをお見せしました」
「いや、謝るのはこっちの方だよ。ごめん、リリック。うっかり、裸を見ちゃったのもそうだけど、知らなくていいことまで踏み込んでしまって」
別に、コロネにとっては、リリックはリリックのままなのだ。
本人が思い悩んでいるのなら、そこまで介入するつもりもなかったのに。
つくづく、油断大敵という言葉が重くのしかかってくる。
だが、リリックが首を横に振って。
「いえ、隠していたのはすみませんが、これが私です。ずっと自分を偽っていたのは否めません。コロネ先生にも、弟子入りの時に話しておけばよかったのですが、もし軽蔑されたりしたら、と思うと怖かったんです。こんな身体で堂々とシスターを名乗っていたということが、どうしても、不安で」
「別に軽蔑なんてしないよ? 両性ではないけど、わたしがいたところでも、そういうケースって結構あったもの。それを言ったら、アノンさんとかもそうだしね」
「そうそう。少なくとも、この町の連中は気にしないよ。ボクもいい機会だと思うよ」
「……コロネ先生は、私のことを知っても、弟子として受け入れてくれるんですか?」
「もちろん。というか、カミュさんだってそうだったんでしょ? だから、カミュさんもリリックに料理人への道を勧めたんじゃないの?」
今なら、カミュがあの時に言っていた言葉の意味がわかる。
別にシスターが両性の人でも大丈夫だとは思うけど、その辺は教会の中でも色々あるのかもしれないし。
だったら、リリックには頑張って、パティシエのスキルを覚えていってほしい。
「というか、折角、こっちも弟子を迎える覚悟をしたんだから、できればもう少し頑張ってほしいかな。こっちの世界でもお菓子を広めるためには、わたしひとりだけだと、大変なんだよ。ね? リリックもパティシエとして、一緒に頑張ろう?」
しばらくの沈黙の後。
リリックの瞳に静かな炎が宿るのが、はっきりと見えた。
「ありがとうございます、コロネ先生。今更ではありますが、きりんの獣人のリリックです。今後も弟子として、ご指導お願いします」
「うん、改めて、よろしくね、リリック」
差し出してきた手を握りながら。
ようやく笑顔を浮かべたリリックへと頷き返す。
そんなこんなで、シャワー室での小さな事件は終わりを告げた。




