第144話 コロネ、白いパンの話を聞く
「あ、コロネさん、リリックさん、お帰りなさいなのです」
塔の三階の調理場で、持ち帰ってきたプリンの容器を洗っていると、ピーニャがやってきた。さすがに数が数なだけに、リリックと手分けしてもなかなかの量になるんだよね。スライム容器がなかったら、とてもじゃないけど足りなかったよ。
「はい、ただいま戻りました」
「ピーニャ、ただいま。あー、やっぱりけっこう疲れてる感じだね。大丈夫だったの?」
どことなく、ピーニャの背中の羽根が萎れた感じになっている。
寝不足の時以外は、元気ハツラツなピーニャがふにゃっとなっているのは、ちょっと珍しいかな。やっぱり、人がいっぱい来たみたいだね。
「いえ、仕事のいそがしさは普通なのですよ。お店を早じまいしたのは、白パンが切れちゃった後、その問い合わせのお客さんばっかりになってしまったからなのです。実際、パンが売れ残っても、プリムさんが買って行ってくれるのです」
「それじゃあ、何でそんなに疲れてるの?」
「これは、メイデンさんのお説教のためなのですよ。今さっき終わったところなのです……」
何だか、魂が抜かれたようになっているピーニャ。
さすがにいそがしい時間帯だとわかっていながら、抜け出したのは相当まずかったらしい。
まあ、そうだろうね。こっちに気を遣ってくれるのはありがたいけど、明らかに普通番のふたりに負担がかかっていたもの。
結局、早めに普通番を増やす努力をすることで、話がまとまったのだそうだ。
ピーニャはこれから、改めて冒険者ギルドに募集をかけにいくとのこと。
「それで、そのメイデンさんは?」
「今、新しい普通番の人のお仕事の手順などについて説明しているのです。アズーンさんとナズナさんなのです」
「あ、もう来てくれたんだ。すごいね」
明日から、とか言ってなかったっけ?
随分と早い対応だね。
「ふたりとも、お店に来てくれたので、その時に泣き落としたのですよ。もうお説教は勘弁なのです」
何でも、白パンの試食がひと段落した後に、それぞれアズーンとナズナもお店に白パンを見に来たので、その時に頼み込んだのだとか。
で、それもあって、お店を早めに閉店することにしたらしい。
今日のうちに仕事を説明してしまって、明日以降、可能な時に助っ人に入ってもらえるように、今、メイデンに手ほどきをしてもらっているとのこと。
それにしても、アズはクエストにも参加していたはずなのに、もうこっちにも来ていたのか。フットワークが軽いなあ。
「とりあえず、契約というか、条件に関しては納得してもらえたので、今のうちにピーニャはシフトの方を考えるのですよ。ありがたいことに、他にも問い合わせが多いのです。もう少し早番、普通番ともに人を増やせそうなのです」
「あ、一応、クエストに来てくれた人にも話はしておいたから、もしかしたら、もうちょっと増えるかもしれないよ。子供たちとかもアルバイトしてもいいって空気にはなっていたしね」
「なのですか。今の状況ですと、かなり人を増やしても大丈夫なのですよ。本当に助かるのです」
もう少し早番の人数が増えれば、普通のパンと白パンの両方を一定量確保できるとのこと。石窯も数を増やす計画だし、このまま順調に進んでくれるとうれしいよね。
後は、仕込みの方も増えてきそうなので、新しく午後に作業してくれる人も募集しようか、という感じらしい。
翌日分の仕込み専用ラインだね。
確かにそうすれば、ブリオッシュみたいな、オーバーナイト製法のパンも作れるようになるしね。そっちの人が集まったら、他のパンについても製法を教えていきたいかな。
食パンと丸パンの大量生産から、ちょっとずつ他の種類のパンもお店に並べられるようになるかもしれない。
そう伝えると、ピーニャが嬉しそうな表情を浮かべた。
ちょっと元気が出てくれたかな。
「ブリオッシュの他にも色々パンがあるのですね!?」
「そうそう。白い小麦粉が大量にゲットできたから、菓子パンの方も増やしていかないとね。今、早番で働いている人も、もう少ししたら、ちょっとだけ残業でもしてもらって、製法を伝授していくって感じかな。新人さんが食パンや丸パンなんかのベースを覚えてもらって、慣れてきたら次のステップとして、菓子パンや新しい惣菜パンを、ってね」
「コロネ先生、菓子パンってお菓子みたいなパンってことですよね?」
「うん、今だとジャムパンがそうかな。ハチミツ代用だと、どこまで再現できるか怪しいから、最初は食事向けの惣菜パンが多くなりそうだけどね」
「ピーニャとしては、どっちでも大丈夫なのですよ! 新しいパンが増えるだけでも、とっても幸せなのです!」
「と言いますか、コロネ先生って、そんなにいっぱいパンの製法を知っているんですか? そもそも、パンにそれだけ種類があるってことが驚きですけど」
リリックに言わせると、今のパン工房で売っている、各種サンドイッチやハンバーガー、後はコロッケやカツなどをはさんだパンなどだけでも、かなりの品ぞろえという感覚なのだそうだ。
彼女はカミュに付き添って、他の町にも行ったことがあるそうだが、パン屋があっても、そもそも、小麦粉自体の扱いが土地によって違うため、一般的に購入できるパンには限りがあるのだそうだ。
発酵させずに、そのまま焼いただけのパンを売っている地方も少なくないとのこと。
いわゆるかっちかちの硬いパンだね。
「さすがに王都とかですと、ほら、ヨークさんのパン屋をまねて、あちこちのパン屋でそれらしいパンを作ってますけど、他の小さい町とか村の場合、教会までオーブンを借りに来ないといけないところも多いですよ」
「それじゃあ、教会がパンを作っていたりするんだ?」
「はい。そういう支部もあります。バターやチーズを乗せて一緒に焼いたパンを売りにしている支部とかですね。まあ、チーズは貴重品ですし、どうしてもそこそこ値が張りますので、毎日作れるかと言いますと、微妙なところみたいですけど」
その辺は、地方の食事水準によって様々だという。
小麦粉そのものが貴重なところでは、食事と言えば、小麦粉粥みたいなものや汁物が主体のところも少なくなく、パン自体が作られていないところもあるらしい。
そういう土地では、モンスター食材とか、野生の果物とかが生命線になっていたりするとのこと。
あ、でも、教会はチーズのパンは作っているんだね。
何となく、ハムチーズサンドとかは、今の教会に合ってる気がするし。
「でも、ちょっと不思議だね。宮廷料理とかの話を聞いていると、パン作りにもう少し力を入れていてもいいと思うんだけど」
世界的なパンの水準が低めなのはわかったけど、ドムさんとかの技術を見てると、ブリオッシュの他にも、色々な工夫をしてもおかしくはないと思うんだけど。
何か別の理由でもあるのかな。
「その辺りは私も詳しくはわかりませんが、ヨークさんの白いパンに関する製法については、それが編み出された当時の王妃様によって、その権利を護ることで方針が決まったみたいですよ。結果、パン屋『ヨーク』が王室御用達として、定まったらしいですから」
「え!? つまり、この国だと、他で白いパンを作ったらまずいってことなの?」
いや、それは聞いてないんだけど。
さすがに王家からどうこう言われるのはちょっとまずい。
だが、そんな疑問に対し、リリックは首を横に振る。
「違います。権利と言いましても、王家などがその権力を行使して、製法などを奪ったりはしないように定めたという話です。王妃様が初代のヨークさんを懇意にして、そのお店が狙われないように他の権力から護ったってことらしいです。今から百年以上前の話ですが、割とその逸話は有名ですよ。だからこそ、『ヨークのパン』は特別なパンとされているんです」
なるほどね。
でも、それって、向こうでいう特許権みたいなものだよね。
結局は、まずいことに変わりはない気がする。
「確かに、白い小麦粉や『ヨークのパン』に関する製法は門外不出でしょうけどね。製法を盗んだとかいうわけでなければ、別の処遇になるはずですよ。ほら、ですから、今、ドムさんが王都に行ってくれているんじゃないですか?」
「あ! そういうことなの? ドムさんの話って」
ようやく、細かい事情がわかってきたよ。
つまり、コロネが白いパンを作ったのが、製法の盗用なのか、独自の技術なのか、それを確認したうえで、問題なしだから、ドムさんが報告に行ったってことか。
うわ、それはかなりご迷惑をかけてるね。
あの時は、あんまりピンときてなかったけど。
すみません、ドムさん。
「なのです。つまりは変なことに巻き込まれる前に、コロネさんの立ち位置をはっきり伝えておく必要があったのですよ。この場合、ドムさんが直接確認してますので、大丈夫なのです。表向きは伏せられるはずですが、今の王様が知っていれば、いざという時、何とかできるのですよ」
はあ、なるほどね。
というか、ピーニャも知ってたんだ。
「で、話を戻しますと、そういう背景があるから、宮廷料理はそのまま、ヨークさんのお店のパンを使っているだけなんじゃないですか? たぶん、下手なことをしようとすると、ちょっと面倒なことになるような気がしますし」
確かに、宮廷内だと、自分で開発したのか、盗んだのか判断がしにくいだろうね。
下手な疑いをかけられるくらいなら、触れない方がいいだろうしね。
ガゼルも油を使った揚げ物で揉めたってことだから、宮廷料理人になったからといっても、好きに料理に挑戦できるってわけでもなさそうだ。
「ただ、さすがに白パンを作ったからといっても、いきなり、御用とかにはならないのですよ。誰かがたどり着いた経緯がある以上、他の誰かが作れたとしても、別におかしいことではないのです。特に、料理の場合、気にしていたらキリがないのですよ。これはオサムさんも言っていたことなのですが」
「まあ、そうだよね。真似されて怒るよりは、もっと美味しいものを作ってやろうって感じだものね、普通は」
長期にわたって、専売特許が通るほど、ひとつひとつの料理法って甘いものじゃないもの。食べれば、その味を把握することができるし、それを再現するのも、レシピを教わらなくても、試行錯誤すれば、意外とたどり着けるしね。
ともあれ、こっちの世界でも、そこまで権利関係がひどいことになっていないので、ホッとする。
だったら、このままパン作りを進めていっても大丈夫だよね?
「ですから、コロネさんは別に堂々としていればいいのです。文句を言ってくる人がいたら、もっと新しいパンを突き返して、それで終わりなのです」
「うん、そうするね」
ピーニャの言葉に頷く。
と、話しながら作業している間に、プリンの容器の片づけが終わったかな。
「それじゃあ、お茶会のために、パンの耳のフレンチトースト作りに取り掛かろうか」
すでに洗い物の前に、パンの耳は卵液に漬けてあるから、後は焼くだけだ。
アズやナズナも来ているってことだから、ふたりの分も用意しないとね。
そんなことを思いながら、料理に取り掛かるコロネなのだった。




