第10話 コロネ、エルフに水をごちそうになる
「まあ、気分転換に飲み物でも飲んでいかないかい?」
そうフィナに言われ、コロネは魔法屋のリビングルームに案内されていた。
部屋の中には植物の鉢植えや、壁掛けプランターのようなものが至る所に置かれていた。魔法屋の内装とは大分、雰囲気が違っているようだ。
「だって、お姉ちゃん、わたしたちはエルフなんだから、こっちが基本だよ? 魔法屋はあくまで、商売として外向けに作っているに決まってるじゃない」
なるほど。
確かにエルフと言えば、自然が好きというイメージがあるが、こっちでもその通りなのだろう。
サーファと話し込んでいると、フィナが飲み物を持ってきてくれた。
「はい、お待たせ。迷い人ってことは初めて飲むかもしれないねえ」
目の前に置かれたのは、ガラスのコップに透明な液体が注がれたものだ。
無色透明で、匂いもしない。
サイダーのような感じだが、炭酸も出ていない。
とにかく、味を見てみよう。そう思ってコロネは口をつけた。
「……えっ?」
その飲み物は、いい意味でコロネの予想を超えていた。
水だ。だが、普通の水ではない。
無味無臭に限りなく近いため、味の表現が難しいのだが、植物、というか何か緑の生命を感じさせる清涼さが、口の中いっぱいに広がっていく。そして、後から、じんわりと甘味が湧き出してくるのが感じられる。
これは、ただの水とは一線を画す味だ。
しいて言えば、フレーバーウォーターに近い。
はっきり言えることはひとつ、コロネはここまで美味しい水を飲んだことはないということだけだ。
思わず、ふたりを見ると、とてもいい笑顔をしていた。
美味しい物を共有できたとき、みんなこの表情になってしまうのだ。
「すごい……これはお水なんですか? こんなの飲んだことないです」
「これはね、エルフ水と呼ばれる飲み物だよ。エルフにとっての嗜好品で、これこそがふるさとの味、と言って差し支えないものなのさ」
「本当は『世界樹の甘露』って名前なんだけど、みんな、エルフ水って呼んでるの」
「まあ、これは本物の世界樹の露じゃなくて、その孫の孫の孫の孫くらいの木の露なんだけどね。一応、れっきとしたエルフ水だよ」
世界樹。
それは、エルフにとって聖地にあたる『大樹海』の奥地に生えている一本の木なのだという。この世界が生まれたときからあったという伝説もあるが、真偽についてはわからないのだそうだ。
あるひとりのエルフの勇者が、昔、『大樹海』に立ち入り、世界樹の生きた枝を持ち帰り、それをエルフみんなで増やしていき、今に至るのだそうだ。
なお、『大樹海』はこの世界における『無限迷宮』のひとつとされており、本物の世界樹にたどり着くことができたのは、その勇者、ただひとりなのだそうだ。
今なお、エルフたちは『大樹海』の側に町を作り、世界樹へ再びたどり着くことを悲願としているのだとか。
「だから、本物の『世界樹の甘露』はエルフと言えども、誰も飲んだことがないのさ。死ぬまでに一度は口にしたい味のひとつだね」
フィナの家の裏庭に生えている一本の木が、実は世界樹の系統のひとつなのだとか。その木から採れる、この露はエルフにとって、文字通り、命の水なのだ、と。
「そうだ、コロネも料理人なら、ひとつ問題を出そうか。あたしたちエルフが好きな料理はなんだと思う?」
フィナがいきなりクイズを出してきた。
エルフが好きな料理、か。
「植物性の食べ物、野菜とか、果物でしょうか」
結局、当たり障りのない答えになってしまったが、他に思いつかないのだから仕方がない。だが、そんなコロネの答えに、フィナが予想通りと楽しそうに笑う。
「残念。答えは、『水を美味しく食べさせる』料理さ」
「水を美味しく食べさせる料理?」
「そう。それでよくわからないってことは、コロネはエルフがどういう種族なのかわかっていないんだね。あたしたちエルフは、樹人種という種族だよ。つまり、植物でもあり、人でもある種族ってことさ」
つまり、とサーファがフィナの言葉を続ける。
「エルフは基本、食べ物を必要としないってこと。種族スキル『光合成』によって、光と水と空気中の魔素、それだけでエネルギーにできるんだよ、お姉ちゃん」
エルフが長生きなのは、それだけ燃費がいい種族だからなのだとか。
一切の食べ物を必要とせず、光と水と魔素のみで生きることができる。だから、結果として、魔素のコントロールが得意となり、エルフは魔法が得意という話へとつながっていくのだそうだ。
実際は、魔素を直接取り込むことはできず、『光合成』を通してしかエネルギーにできないそうなのだが、それでも、息をするように魔素に接していることには間違いないため、自然と魔法が得意になってしまうらしい。
「おかげで、こんな商売ができるけどね。まあ、とにかく、エルフにとって生きるために必要なのは水さ。だから、美味しい水を求めている。それこそが最高の料理で、水以外の要素は残念ながら、少し落ちるわけだよ。オサムにも前に言われたけど、ホント、料理人泣かせの種族だよ」
ちょっとだけ、フィナが苦笑を浮かべる。
確かに、水を美味しく食べさせる料理、これは難題だ。
生物にとって、味とは、身体がそのときに欲しているものを美味しく感じる、というものだからだ。そのため、身体が必要としていないものは、それほどうまみを感じなくなってしまう。満腹の時の食事、と言えばわかりやすいだろう。
「ちなみに、植物由来の味もダメなんですか? ハチミツとか、砂糖とか。わたしは甘い物を作るほうの料理人ですので、そのあたりをお聞きしたいです」
「そうだね。植物系統なら、マイナスにはならないね。水が最上位であるだけで、他のものが食べられないわけじゃないよ。肉食の植物もいるわけだしね。ただ、美味しいかどうかはまた別の話になるわけよ」
そういうことなら、可能性がゼロではなさそうだ。
コロネの中で、目標のひとつが追加される。
エルフに喜んでもらえるお菓子作り、だ。
「これでも、オサムや新しい料理人のお嬢ちゃんには期待しているんだよ。うちの子から聞いたけど、オサムがハーブに手を出したんだって? あれもね、あたしらが言ったことも関係しているのかもしれないね」
なるほど、ハーブティーか。
もしくはハーブを軸にフレーバーウォーターを工夫すれば、あるいは。
何にせよ、これはやりがいのありそうなテーマだろう。
相手に喜んでもらう料理を考えると、スイッチが入るあたり、コロネは生粋の料理人なのだろう。
気が付けば、先程の落ち込んでいた時の感情はどこかへと吹っ飛んでしまった。
「ありがとうございます、フィナさん。おかげで、やる気が出てきました」
「あたしらは、水をごちそうしただけだよ。そんな大したことじゃないって。まあ、それでも少しでも元気になってくれれば、うれしいね。うちの子とも長い付き合いになるだろうから、よろしくしてくれるとありがたいねえ」
「うん、お姉ちゃん、これからもよろしくね」
「こちらこそ、サーファちゃん。フィナさん」
コロネの心は新しいお菓子に対して、燃えていた。
ふたりにお礼を言って、コロネは魔法屋を後にした。




