第105話 コロネ、小麦粉を持ち帰る
「あ、オサムさん、まだお仕事中だったんですか?」
小麦粉を持って、塔へと戻ると、三階の調理場にはまだ灯りがついていた。
コロネも、荷物を色々と片付けて、明日の準備が終わってから、シャワーだけでも浴びようと思っていただけに、ちょっと驚いた。
そういえば、オサムが普段はどういうスケジュールで動いているのか、あんまりよく分かっていないことに気付く。
まあ、ひとつひとつ話を聞いているわけではないし、やっぱり、この塔の責任者ということはお店の営業以外でも、色々と忙しいこともあるんだろうな、と思う。
「ああ。コロネ、おかえり。あんまり無理するなよ。明日も朝から早いんだろ? もうそろそろ休んだほうがいいぞ。特に今日は疲れただろうしな」
「オサムさんは休まないんですか?」
「もう、ぼちぼちといったところだな。この前も言ったろ? 太陽の日の仕込みとか、さっきまでやっていたところでな。後は、パン工房の惣菜の仕込みとかだな。まあ、これでも営業日が二日になってからは、楽になった方さ。コロネが心配しなくても、俺は十分に休んでいるぜ」
そう言って、むしろこちらを気遣うように笑うオサム。
事実、営業日が週六日の頃の方が忙しかったのだそうだ。
今はピーニャに半分くらい押し付けてしまって悪いよな、と苦笑している。
そうだよね。
営業が休みといっても、パン工房は毎日開いているんだから、そっちの仕込みとかがあるんだよね。結局、オサムはお休みなしで働いているようなものだ。
「まあ、俺の料理好きは中毒みたいなもんだからな。次はどうやって、みんなを驚かしてやろうか、色々考えながら料理しているとわくわくするんだ。正直、仕事してるって認識はないな。向こうにいたころから、休みの日もあちこちの店や、産地を歩いて回っていたしな。ほんと、自分の知らない調理法とか、新しい食材にたどり着くと、楽しくて仕方がないんだ。それを食べてもらって、『美味い』と言ってもらえれば、言うことなしだな。基本的に、こと料理に関して、俺が疲れることはないさ。楽しいからな」
話を聞いていて、コロネもまったくその通りだと頷いた。
どんなに身体が疲れていても、自分の料理を喜んでくれる人が目の前にいると、それだけで疲れが飛んでいく感覚が、確かにあるのだ。
たぶん、それこそが何よりの報酬で、食べた人の笑顔に勝るものはたぶん、自分にとっては存在しない。
だからこそ、そのためにどんなに忙しくなっても、笑って頑張れるのだから。
もしかすると、他の料理をする人もそういう風に思っているのかもしれない。
「ですね。疲れていても、新しい素材にたどり着いた瞬間って、得難いものがありますよね。今日は確かにそんな感じですよ」
そう言って、アイテム袋から小麦粉をひと袋取り出す。
新しい、白い小麦粉だ。
向こうでは、業者任せのため、これを作るだけで感動するとは思わなかったけど、いざ、一から作り始めて、無事できあがったときは、本当にうれしかった。
本当、改めて、食については、色々な人の努力があって、向こうの世界の水準を保てているのだと痛感させられる。小麦粉ひとつでこれだもの。
「何とか、白い小麦粉が無事できましたよ。これで、明日の朝から、白パンも作ることができそうですね」
「お、ちょっと見せてもらってもいいか? どれどれ……ははは、いい感じじゃねえか。ちなみにこれどのくらいできたんだ?」
「今、出したのと同じ、十キロくらいの袋でかなりの数が確保できました。明日は試作のみですけど、この工程を安定して行えるようになれば、パン工房のかなりの部分をこの小麦粉に差し替えることができると思います」
コロネ自身、朝のパン作りしか手伝っていないので、細かい量についてはわかっていないけど、それでも、一日分と考えれば、かなりのパンを作ることができるだろう。元々仕入れていた小麦を、この精製方法に変えればいいわけだし、後はまあ、ブランの家の小麦の収穫量にもよるけど、倉庫を見る限り、かなりの量を備蓄できているようなので、この町の分、と考えれば問題なさそうだ。
ふすまの部分が取り除かれるので、少し量は少なくなるけど、その辺りは大丈夫とブランが太鼓判を押していたし。
「よしよし。まあ、今までのパンも人気がある以上は、全部差し替えは考えてないけどな。全粒粉とこの小麦の比率を変えたものなら、色々と試していった方がいいな。助かったぜ。コロネ、ありがとうな。お前さんが、小麦粉の作り方を把握してくれていて、本当に良かったよ」
「いえ、まずはパンから作って、これで、もう少ししたら、お菓子の種類を増やしていけると思います。こちらこそ、ありがとうございます」
お菓子作りは、コロネが頑張らないといけないのに、結局、機械や器具など、色々なところで助けてもらっているのだし。やっぱり、ひとりで頑張ると言っても、一から全部となると、手を付けないといけないことが多すぎて、いっぱいいっぱいになってしまう。オサムという存在がなければ、ここまで来るのにも数年はかかっていただろう。
もう、こちらとしては、感謝しかない。
「ちなみに、この小麦粉、俺も少し融通してもらっていいか?」
「いや、そもそも、ブラン君との契約とかもオサムさんじゃないですか。いいも何も、オサムさんがお金を払っているんですから、使うのが普通ですよね。今日から、できた分は倉庫に置いていきますので、使う量に関しては、ピーニャたちとも相談した後でしたら、自由に使って当然じゃないですか」
「いやいや、それはそれ、だ。お前さんが頑張った結果なんだから、筋は通さないといけないだろ。まあ、お言葉に甘えて、余っている分は使わせてもらうぜ。これで、次の水の日のフェアは決まりだからな」
「水の日のフェア、ですか?」
へえ、もう来週の水の日のことも考えているんだ。
さすがは毎回のように、お試しメニューを出しているオサムさんだね。
「ああ。小麦粉の量を考えて、今までは限定メニューとしてしか、提供できなかったメニューがあってな。そっちのファン向けのフェアをしてもいいだろう、って感じか。まあ、もう少し日程が近くなったら、細かいことも教えるよ」
スタッフもサプライズがあった方がいいだろ、とオサムが笑う。
たぶん、そういう人を楽しませようとするところが、周りの人から好かれる理由なんだろうね。たまに心臓に悪いこともあるけど、そういう考え方は嫌いじゃないかな。
「わかりました。ちなみにそういうフェアってよく開いているんですか?」
「食材次第だな。この間のまぐろとかもフェアのひとつだろ。季節もののメニューができた時とか、後は、そうだな、大量すぎて困ったのを誤魔化す時に、フェアをすることがあるな。ははは、あんまり表では言うなよ」
ちなみに、リディアからの食材がパンクしそうになった時も、『リディア定期便祭り』なるフェアが開かれていたりするのだそうだ。さすがに、どんな美味しい食材でも食べごろというものがあるからね。そういうことでうまく提供する機会を探っているのだとか。
結局、この町でリディアが人気者なのも、そういうことが続いているかららしい。
我が道を行っているようで、食べ物のお相伴ということはみんなにしているから、その辺りも評価へと繋がっているのだそうだ。
「あ、そうそう、コロネ、ひとつ伝えておくぞ。パコジェットの件な、あれ、模型の方を魔道具技師のやつに渡してもらったぜ。色々とチェックしたのち、製作に取りかかるってさ。まあ、最初の試作まで、最低でも一、二週間はかかるだろうけどな」
「え!? むしろ、早くないですか?」
いや、あの機械を、手本があるとは言え、そんな短期間で試作までもっていけるものなんだろうか。すごいね、こっちの世界って。どういう手順を踏んでいるのかわからないけど、産業スパイとか、大丈夫なんだろうか。
特許とか、そういうものがないと、かなり問題な気がするんだけど。
「まあ、そいつは特別だからな。他に同じようなことができるやつはいないだろうぜ。俺が知らないだけで、どっかの国とかで抱え込んでいるかもしれないが、とりあえずはそういう話も耳にしないし、あんまり気にしない方がいいだろ」
「ちなみに、その人って、この町に住んでいるんですか?」
もし、近くにいるのなら、頼みたいことがあるのだ。
がらくた屋で手に入れたミキサー、あれを使えるようにできないか相談したいのだ。
「いや、残念ながら、この町からすぐ行ける場所にはいないんだ。模型についても、他の物の輸送のついでに運んでもらった感じだしな。とにかく、変わり者でな。積極的に会いたいとは思わないが、腕は確かだから、長い付き合いになっているって感じだな」
「そうなんですか……」
残念。ミキサーについては、すぐにという話にはならなそうだ。
とりあえず、オサムには話だけでもしておこう。
「オサムさん、『がらくた屋』さんで、ワルツさんから、向こうの世界のミキサーを売ってもらったんですけど、これ、電化製品なんですよね。しかも壊れてますし。その、魔道具技師さんと連絡がついた時、相談してもらってもいいですか?」
「へえ、ミキサーも出てきたのか。なるほどな。そう言えば、フードプロセッサーのたぐいは、俺も作っていなかったな。一応、魔法で代用できるから、そっちを使っていたんだよ。まあ、そんなに難しい魔法でもないしな」
「あ、そうなんですか」
なるほど、それで、ミキサー類がなかったのか。
これは小麦粉の時の、風の上級魔法とは違って、そこまで使い勝手の悪い魔法ではないとのこと。
そっか。ドロシーも生活魔法とかいう分類があるって言っていたし、調理に使える魔法も、コロネが知らないだけで、色々あるってことか。
でも、どうしよう。
わたしの場合、チョコ魔法とセットでしか、他の属性が使えてないから、そういう使い方ができそうにないんだよね。今のところは。
「そうだな。コロネが使うっていう話なら、今度、そいつにも相談しておくさ。まあ、さすがにすぐに連絡が着くわけじゃないから、もうしばらくはかかるけどな。コロネの方でも、他の可能性を探ってみてもいいと思うぜ。案外、俺も知らないような方法を、この町にいるやつが知っている可能性もあるしな。ほら、お前さんが使っていたバナナプリンの容器みたいなやつな」
「あ、スライムの村産の土の陶器ですね」
あれ、あの素材、オサムも知らなかったのか。
いの一番にオサムに売り込みそうな感じなのに。
「そうそう。いや、俺も初めて見たが、けっこう面白いよな。透明の陶器って、向こうじゃあんまり見かけなかったしな。新しい利用法とかありそうだな、と思ったってだけさ。まあ、それに関しては、いい機会だから、コロネのお菓子用に使うってことでいいんじゃないか? はっきりとした特色になるだろうしな」
だから、オサムは使わないとのこと。
ほんと、色々と気を遣ってもらって、申し訳ないね。
冷たいスイーツ用にして、イメージ戦略といった感じかな。
「おっ……と、もうこんな時間か。さすがにそろそろ休んだ方がいいぞ。俺も、これを片付けたら休むから。あんまり、無理するなよ」
「わかりました。荷物を倉庫に持って行ったら、あがりますね。お疲れ様です」
「ああ、お疲れ。じゃあ、また明日な」
「はい、では失礼します」
そのまま、オサムと別れて、倉庫へと向かう。
今日も一日、色々なことがあったなあ、と振り返りながら。
そんなこんなで、コロネの異世界六日目の夜は更けていった。




