第103話 コロネ、強力粉にたどり着く
砕いた小麦をふるって、粉にする実と、殻や芽の部分を分離する作業だが、ブランの家族と八人ががりで、およそ二時間ほどで終了した。
すでにそこそこ夜も更けており、自分の分担を終わらせたセモリナはもう椅子のところで眠っている。こんなちっちゃい子まで、手伝わせてしまって申し訳ないね。でも、こっちの世界だと、働かざる者食うべからず、なのだそうだ。
大分前の教皇が掲げた標語なのだけど、知らず知らずのうちに一般の人々の間にも浸透しているらしい。
いや、理屈としては間違っていないけど、色んな意味で教会恐るべしである。
「コロネさん、先に終わった分の粉挽きが終わりましたよ! 見てください! 僕も初めて見ましたけど、これはうれしいですね!」
ちょっとだけ興奮気味に、ブランが挽きたての小麦粉を持ってやってきた。
最終的に、分離作業に二時間くらいかかったけど、人によっては、早い段階で終わった人もいたため、そちらの小麦から水車の石臼で挽いてもらっていたのだ。
さておき、ブランも本当にうれしそうだね。
いつもは穏やかな彼が、興奮で顔が紅潮している。
早速、コロネも小麦粉を見せてもらうことにする。
「どれどれ……あ、この間、わたしがふるったのよりも良い出来だね。時間も、この量の割にはかかっていないし。よかったよかった」
白い小麦粉の完成だ。
本当は、粒の大きさごとに分離して、それらをブレンドして完成らしいけど、初めの一歩としては本当に、申し分ない出来だね。ちなみに、このブレンドの工程で工夫することで、この町の小麦でも中力粉相当から強力粉まで分けることができる。
まあ、中力粉に合った専用小麦の方がいいし、細かい粒の大きさまで分けるとなると、クエストでは厳しいだろうから、目指せ、機械化といったところだろう。
「思っていた以上に数が確保できたねえ。これなら、ピーニャの一日のライン分は余裕でカバーできると思うよ。うん、明日からでも店頭で試食してもらうことも可能かな」
「コロネさん、うちの方でも少し小麦粉を頂いてもいいですか? やっぱり、初めて作った小麦粉を食べてみたいですから」
「もちろんだよ。というか、別にパン工房で全部買い上げる気はないからね。ブラン君は小麦粉作りの責任者だけど、同時にその小麦を作る農家でもあるんだから、両方のバランスを考えてくれれば、それでいいよ。まあ、製法の代わりじゃないけど、ちょっとだけ、こっちにも融通してもらえるとうれしいかな」
量の問題もあるけど、割と早い段階で、小麦粉は流通させるつもりだし。
少しずつでも、新しい小麦粉に慣れてもらう必要があるのだ。
理由は簡単で、白い小麦粉は、見た目もきれいだし、きめが細かいので、しっとりとして、滑らかな食感が期待できるのだが、その半面、全粒粉の小麦粉で慣れている人たちにとっては、風味的な意味で、ちょっと物足りなく感じてしまう可能性もあるためだ。
ヨーロッパの人が好むパンと日本人が好むパンの違いと言えばわかりやすいだろうか。そのため、食べる人の味覚を微調整していく必要がある。
言い方は悪いけど、お菓子を受け入れてもらうための下準備のようなものだ。
そのために、お菓子の前の白パンというのは、コロネにとっても好都合な手順でもある。白いパンの人気を確認した上で、小麦粉を使ったお菓子を作っていくといった感じだろうか。しばらくは、プリンやアイスの方を中心にやっていくつもりだ。
まあ、一番の問題は砂糖の件が解決していないところにあるんだけどね。
あわてて作って不興を買うのも嫌だし、その辺は、状況を見ながら、といった感じかな。
「いいんですか? そもそも、白いパンのための小麦粉作りですよね?」
「というか、最終目標はお菓子のため、だけどね。そのためには、この小麦粉をみんなに認知してもらう必要があるの。たぶん、ブラン君たちもこの小麦粉を使った料理を食べてみればわかると思うけど、今までの小麦粉より美味しい部分も多いだろうけど、同時にどこか物足りなさを感じるんじゃないかな。これは新しい味とぶつかった時に、割とよく起きることみたいなんだけど」
最初、日本でパンを食べたヨーロッパの人が物足りなく感じて、でも食べ続けるうちに日本のパンの美味しさにも目覚めていくって感じかな。
その逆も同様だ。
日本では、パンと言えばふかふかの柔らかいパンが最高という人が多いけど、小麦本来の味という意味では、全粒粉入りのパンも捨てがたいのだ。要するに、味と口当たりのバランスで、ちょうどいいところに落ち着くまで、色々とパンを食べることが大事だというお話だ。
「なるほど、そういうものなんですか。僕は新しい小麦の方が美味しいとばかり思っていましたよ」
「うん、その辺が料理の難しいところかな。さすがに相手がどういう風に感じているか、までは料理人でもわからないからね。同じ『美味しい』でも、感じ方は人それぞれだから。だから、日々、頑張っていかないといけないんだよ」
少なくとも、お菓子というジャンルは突き詰めていけば、万人が喜んでくれる料理へと到達する可能性が高いとコロネは思っている。
あの料理が好きだ、あの料理が嫌いだ、という意見のある人でも、本職のパティシエが作ったお菓子に関しては、比較的その振れ幅が小さくなる感じだし。
コロネのいたお店の店長などは、そういうパティシエの典型みたいな人だ。
満腹でもついつい口に運んでしまうお菓子。
そういう意味で、お菓子は魔力を秘めていると言ってもいいだろう。
「その辺りのことは、僕にはよくわかりませんが、コロネさんが言うのであれば、そうなんでしょうね。わかりました。家での味見などが終わったら、うちの方でも、少しずつこの小麦粉を売っていくことにしますよ。たぶん、コノミさんなんかも喜んでもらえると思いますしね」
「あ、そっか。うどんもこのくらいの小麦粉を使えるものね。あー、それじゃあ、明日行く時にコノミさんにも小麦粉を渡してこようかな」
たぶん、うどんの場合、全粒粉だけのものより、こっちの方が格段に作りやすくて、食感が良くなると思うんだよね。麺類はのどごしだし。
なるほど、各家庭に向けて販売する前に、うどん屋さんで試してもらった方がいいかもしれない。ナイスアイデアだ。
まあ、中力粉の方がいいのかなあ。それでも、全粒粉の粉よりはさすがに作りやすいと思うけどね。その辺はプロにお任せかな。
「ブラン君、それいただきだよ。まず、コノミさんのところで試してもらおう。その方が小麦粉の違いがはっきりわかると思うしね」
「わかりました。では、コロネさんのゴーサインが出るまでは、販売の方は控えておきますね。まずはうどん屋とパン工房から、という感じが無難ですかね」
「うん、そんな感じでお願いね」
よしよし、この調子でどんどん頑張っていこう。
少しずつだけど、お菓子作りに向けて進んでいる感じだね。
「ところで、コロネさん。結局、クエストの方はどうしましょうか? 一応、今日の作業で目安となる分量はわかってきたと思うのですが」
ブランに言われて、慌ててそのことを思い出す。
いけないいけない、白い小麦粉に興奮していて、本来の目的を忘れていたよ。
そうだ、クエストをどうするかの問題が残っていたね。
ふむ。
まあ、ブランの家族の協力で、大体の目安については把握できたから、それでいいかな。
「うん、そうだね。今日やってみた感じだと、この大きな袋いっぱいに詰める量で一人分の作業量として、二時間がリミットで大丈夫かな。わたしが身体強化を使わないで、一時間半くらいだったし」
ブランの倉庫で使っている、小麦粉の袋いっぱいを目安にするとそんな感じだ。
本日の作業で、身体強化を使わなかったのは、わたしとモルとアリュー、そしてセモリナの四人だ。それ以外の人には身体強化を使ってもらった。
大人と子供、それぞれ、身体強化を使った場合と使わない場合、それらの作業量と時間の関係について調べてみるためだ。
まず、わたしはこの作業が比較的慣れているので、慣れていて身体強化を使わないケースだよね。この場合、一袋分で一時間半となった。
モルは大人で慣れていない人のケースで、一時間四十分。アリューは子供で慣れていないケースとして、一時間四十五分。まあ、大体の目安としては、身体強化を使えなくて、作業に慣れていなくても、二時間で終わるような感じになりそうだ。
で、一方、身体強化を使ったケースについて、だ。
まずバドは一時間足らずで、作業を完了させてしまった。これが慣れていなくて、身体強化が使える人の目安になるかな。
そして、ブランとトロン、テスタの三人はそれほどの差はなく、一時間から一時間二十分くらいで終了となった。この時間の差は、身体強化の習熟度とも関係しているらしい。後は、個人差によるところだろうから、遅くても一時間半くらいが、子供で身体強化が使えるケースの目安だろうね。
おかげで、大体のかかる時間は把握できたよ。
ちなみに、セモリナは一袋を三十分ほどで終わらせてしまった。
正直、これが一番驚いたんだけど、何でも、土魔法の中に、石や砂などと土を分けることができる魔法があるらしく、それを応用して使うと、硬いふすまの部分と、柔らかい実の部分を分離することができるのだそうだ。
いや、土魔法ってすごいんだね。
同時に、五歳でそこまでの魔法が使えるセモリナにも驚きなんだけど。
確かにこれなら、一人前扱いされるわけだよね。立派な戦力だし。
恐れ入りました。
「まあ、今日の作業を基準に考えると、作業時間は二時間。で、ノルマは一袋分の分量で、早く終わった人はそれで終了ってことでいいかな。とりあえず、どのくらいの人が集まるかわからないってことだから、量による報酬の上乗せはやめておくよ。プリンがどのくらい必要なのかわからないし」
セモリナのケースを考えると、魔法を使えば、かなりの時間短縮が可能となるかもしれない。下手に量を基準にしてしまうと、収拾がつかなくなるかもしれないし。
いや、気軽に考えていたけど、これ結構大変だよ。
「では、それでいきますね。ちなみに、時間内に終わらなかった人はどうします?」
「うん、二時間ってのは長い時間の拘束を避けるためのものだから、本人が望めば延長でもいいと思うよ。報酬は増えないけどね。途中であきらめる人はプリン一個だけ、という感じかな」
本当はプリン二個で、二時間拘束も微妙なんだけどね。
ただ、あまり報酬を高くしてしまうと、小麦粉の値段に影響してしまうから、その辺りはごめんなさいという感じかな。まあ、終わり次第、あがることができるようにしておけば、そういう苦情は避けられるかな。
何だか、みんなのプリンへの興味から、足元を見ているようで悪いんだけど。
「後は、そうですね。報酬の受け渡しはどうしますか?」
ブランが報酬について聞いてくる。
普通は、冒険者ギルドで受け取るようになっているのだそうだ。
クエストの発注者が、書類に終了確認をして、それを持ってギルドへ戻ると報酬が受け取れる仕組みになっている。
ただし、金銭ではなくアイテム類が報酬の場合、成功報酬については、そのまま渡すケースも少なくはないとのこと。
別に冒険者ギルドが信用できないとか、そういうわけではなく、報酬を直接やり取りした方がありがたみが増すというか、そういう心情的な理由かららしいけど。
「そういうことなら、わたしが明日作ったら、直接持ってくるよ。さすがに物が物だけに、当日中にお召し上がりくださいのものだからね」
そうなると、ブランの家にも冷蔵庫があったほうがいいかな。
念のため、聞いてみると、さすがにないとのこと。
まあ、大食い大会でも盛り上がっていたし、まだまだ冷蔵庫は高嶺の花か。
明日には間に合わないかも知れないけど、この件はオサムとも相談しておこう。
案外、古い冷蔵庫とか貸し出してくれるかも。
「一応、クエスト開始は午後からになってますが、それで大丈夫ですか?」
すでに、そういう時間帯で申請を済ませているそうだ。
今もまだ冒険者ギルドはやっているので、変更も可能とのこと。
「うん、午後までには冷やして食べごろにできるように頑張るよ。明日からお弟子さんもできるから、アイス作りの合間にでも手伝ってもらうことにするよ」
リリックとふたりがかりなら、結構な数でも大丈夫かな。
折角だから、プリンの作り方も覚えてもらおう。
ふふふ、と思わず笑みがこぼれる。
これは明日が楽しみだね。
そう、コロネは思った。
 




