第99話 コロネ、戦闘教官の話を聞く
「でも、メイデンさん。わたし、他の魔法は使えませんよ? 基礎四種も上手くいかなかったですから」
「うん、その辺りはフィナさんから聞いている、よ。ただ、その時、ちょっと気になることがあったから、ね」
そう言いながら、メイデンが右手を広げて、コロネの前に示す。
「いく、よ。『ファイアライト』」
火魔法の基礎、『ファイアライト』の魔法をメイデンが使ってみせてくれた。
手から少し離れたところに、小さな炎のともし火が浮いている感じだね。
なるほど、これが基礎魔法か。
「今は、説明用だから出力を控えているけど、ね。一応、基礎魔法って一口に言っても、使い方次第で、出力を変えることができる、の。もちろん、周囲の魔素や小精霊を意識したりとか、条件は色々あるんだけど。ただ、普通は魔法を初めて使うと、このくらいの大きさの炎が出るか、な。ちょっとコロネもやってみて、よ」
「はい。『ファイアライト』! ……ダメですね」
やっぱり発動しない。
ただ、呪文を唱えるだけじゃなくて、火をイメージしているんだけど、言葉だけが虚しく響くだけだ。何というか、向こうの世界で、魔法のごっこ遊びをしているような気になってしまう。ちょっとだけ、気恥ずかしいような、切ないような。
「じゃあ、コロネ、今度はチョコレートをひとつ出して、それを溶かすイメージで、『ファイアライト』を使ってみて、よ。火魔法だけじゃなくて、チョコレートを溶かすイメージで、ね」
「わかりました。チョコレートですね。では、もう一度……『ファイアライト』! って!? あ! ちょっとだけ光った!?」
チョコレートを包み込むように、赤い光が発生して、次の瞬間、チョコがドロドロの状態へと溶けた。あれ!? もしかして、これ、上手くいったのかな?
メイデンを見ると、笑顔で頷いている。
「やっぱり、ね。フィナさんの話だと、属性特化による反発はなかったって聞いていたから、もしかして、って思ったんだけど、ね。コロネ、コロネはたぶん、基礎四種を変則で覚えている、よ。おそらく、『チョコ魔法』とからめてしか使えないんだろう、ね。たまに特殊魔法の場合、そういうケースがある、の」
「そうなんですか?」
あ、でも、これはちょっとうれしい。
わたしも、そういう使い方なら、魔法が使えるってことだよね。
いや、チョコ魔法もすごいのかもしれないけど、この魔法、あんまり魔法魔法してないから、火とか水とかの可能性が出てきたのって、すごくうれしい。
正直、風魔法による小麦粉の作り方なんて、諦めている部分があったし。
でも、ちょっと不思議だ。
「そういうケースのことは、フィナさんは知らなかったんですか?」
魔法の専門家、だよね?
メイデンが知っているのに、フィナが知らないのかな。
「うん、フィナさんは生粋のエルフだから、ね。特殊魔法の多くは人間種のスキルだから。人間種は種族スキルが存在しない代わりに、ユニークとか、特殊魔法とかが発現しやすいんだ、よ。全員が全員じゃないけど、ね。わたしの場合は、光魔法の適性か、な。普通は、神族系の種族とかじゃないと、光魔法の適性がすごく低いの、ね。ユニークってレベルではないけど、これも一応、特殊な例のひとつだ、よ」
メイデン曰く、いつ目覚めるかはわからないが、人間種の場合、ひとつくらいは取り柄があることが多いのだとか。もっとも、取得するまではステータスにも載らないし、自分の資質に気付いていない者が大半を占めるらしいけど。
「わたしは、『帝国』でも、そういう情報に長けている部署にいたから、ね。普通の人よりは、そういうことに詳しいんだ、よ」
「そういう部署、ですか?」
確かに、メイデンの今の服装は普通の職場とは思えないけど。
そんなコロネの視線に気づいたのか、メイデンが苦笑した。
ちょっとだけ、遠い目をして。
「うん。隠しているのも悪いよ、ね。わたしがいた部署は『帝国』の『影の手』。いわゆる、諜報や暗殺を担当するところだったの、ね。今はもうない、と思うけど。国から逃げる前に、父様とわたしで、色々と手を打ったから、ね」
だから、ああいう戦闘術なんだよ、とメイデンがつぶやく。
驚いた。いや、服装から、何となく忍者っぽいとは思っていたけど、それに近いようなお仕事だったんだ。
いや、普段のメイデンはどこからどう見ても、お嬢様って感じなだけに、話を聞いてなお、ちょっと信じられないものがある、
「諜報の任務には、他国の貴族との交流とかもあるから、ね。わたしはどっちかと言えば、その貴族のお嬢さんとか、お坊ちゃんとかと仲良くなるのが多かったか、な。うん、必要があれば、色々やった、よ。当時のわたしは、それが父様のためになる、って信じていたから、ね」
ちょっとだけ、陰のある口調で、メイデンが続ける。
「父様は、貴族で『帝国』の英雄でもあったの、ね。でも、母様は庶民で、わたしは庶子だったから、一緒に暮らすことはできなかったの。わたしも母様が死ぬまで、自分が父様の娘だって知らなかったくらいだし」
内容が内容なだけに、コロネが口をはさめずにいると、メイデンが『影の手』に入ることになった経緯も教えてくれた。お母さんが亡くなってすぐ、ある貴族の男性がメイデンに手を差し伸べたのだそうだ。そして、ドーマが自分の父親であることを知らされ、彼のためになる仕事をしてみないか、と。
「わたしがお仕事をすることで、結果的に父様の助けになる。そう、信じ込まされていたの、ね。まあ、本当のところはまったくのでたらめだったんだけど、ね。偶然、父様と会う機会があって、その時に、ようやく、自分がしてきたことの重みに気付いた。その後は、父様がひどく怒ってくれて、ふたりで色々やってから、国を離れてって感じか、な。だから、ね。わたしが人と目を合わせるのが苦手なのは、そういうことなんだ、よ」
敵対している者とは目を合わせず、視線を逸らして対処する。一方、仲良くなった者は、その相手の好意すら仕事で利用してしまった。
だから、人と目を合わせるのが怖い、と。
「言い訳するつもりはないけど、ね。ただ、国を出た後も、わたしは親しくなってくれる人たちの目が怖かった。自分の本質が知られてしまうのが怖かった。だから、避けて、逃げて。そして、この町までやってきたの、ね。最初はこのサイファートの町って、魔王領直近にある、自殺志願者の町ってイメージだったから」
そうだったのか。
というか、この町って設立当初は、随分とイメージが悪かったんだ。
そんな危険な場所に住む物好きって意味だろうけど。
「でも、この町の人たちはそうじゃなかった。わたしのしたことを知った上で、笑って受け入れてくれた、の。わたしもまだ全員はわからないけど、この町にはまだまだ、色々な背景を持った人たちがいるの、ね。たぶん、この町の人たちは特別優しくはないの。だけど、この町の人たちは強いの。だから、わたしもみんなのように強くなりたい、と思って、頑張ろうって、顔を上げて、前を向いていられるの、ね」
そう言って、メイデンが微笑を浮かべる。
何となく、コロネもその意味がわかる。
この町の人たちは強いのだ。力とか魔法とか、それだけじゃなくて、人として、そういう強さを持っている。そんな気がするのだ。
「だから、コロネにもこのことを話したの、ね。わたしがどういう人間で、用いている戦闘術がそっち方面に特化したものだってことを。それで、軽蔑されても構わない。そういうことも含めて、わたしが向き合っていくべきことだから、ね。でも、コロネにとっては、そうじゃないよ、ね? だから、ここから先に進む前に、もう一度、確認しておこうと思って、ね。能力の検証と、魔法の使い方の見極めくらいなら、コロネにとっても迷惑にならないだろうから、ここまでは進めたけど。本当に、わたしが先生でいい、の?」
そう言いながら、メイデンがコロネと目を合わせた。
見ると、顔は紅潮しているし、身体も少し震えているのがわかる。
淡々としているようだけど、やっぱり、怖いのだろう。
目の前のメイデンを見ながら、もう一度考える。
うん。
大丈夫だ。
答えは最初から変わらない。
「はい、ぜひお願いします。わたしは強くなる必要があるんです。そして、ここまでのメイデンさんの教えは的確でした。現に、このわずかな時間で、新しい可能性が見えてきましたしね。本当に感謝してもしきれないくらいですよ。それに……今の話を聞いても、わたしにはメイデンさんが悪かったとは思えません。だって、大切な人のために、ってことですから。もちろん、やったことが正しかったとは言いませんけど、それで軽蔑するって話じゃないですよ。わたしにとっても、メイデンさんは大切な人のひとりですから」
「コロネ……ありがとう、ね」
コロネの言葉にメイデンが破顔した。
もう震えは止まっている。
顔は相変わらず、真っ赤なままだけど。
「それじゃあ、続きを始めよう、か。コロネ、溶けたチョコを握りしめたままだ、よ?」
あっ! うれしかったのと、その後の話のインパクトで、握りしめちゃってたよ。あーあ、手が溶けたチョコレートでベトベトだよ。
「うん。コロネ、その溶けたチョコレートを使って、空中に浮かべてみて。そのくらいの軽さなら、風魔法でいけると思うから、ね。でも、まずはその前に、水魔法で水流を意識してみて。液体状の物のコントロールは水魔法。その後で、風魔法を使って、空中に浮かべる、といった感じか、な」
「はい。溶けたチョコを水という風に意識する感じですね? いきます……『アクアボール』!」
魔法の青い光と共に、手の中でゆっくりとチョコレートが集まって、水玉のように丸くなっていく。
やった!
これも上手くいったみたいだね。
「そう、そのままの状態を維持して。そこで、風魔法、ね」
「はい。では……『ウインド』! って!? うわっ!?」
青い光に緑色の光が混ざる瞬間に、突然の立ちくらみが襲ってきた。
これって、本物の『枯渇酔い』の状態だ。
うわ、気持ち悪い。
思わず、立っていられずに、その場に座り込んでしまう。
「やっぱり、まだ難しい、か。ごめんね、コロネ。今の使い方は初級魔法の応用に相当するの、ね。複数属性の基礎魔法の同時使用。ユニークだから、もしかしたら、って思ったけど、さすがにまだ無理みたいだ、ね」
メイデンが苦笑しながら、謝ってくる。
それでも、水魔法はうまくいった、とのこと。
へたり込んでいるコロネに、マジックポーションを差し出してくれる。
「でも、今ので『チョコ魔法』プラス水魔法で、液体なら、疑似的な『形状変化』もできるってわかったか、な。もうちょっとだけ、試したいことがあるから、頑張ってね、コロネ」
「……ふう。はい、わかりました」
マジックポーションを飲んで、一息ついて、そう返事をする。
一応、気持ち悪さは収まっているみたいだ。
まだ、行けるかな。
それにしても、メイデンの魔法訓練って、もしかしてポーションが使える限り続くのかな。それはそれでけっこうスパルタな気がする。
ため息をつきながらも、口元には笑みが浮かぶ。
せっかく、魔法が使えたのだ。もうちょっと頑張ろう。
そう思うコロネなのだった。