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オーマイガール!

作者: ゆな

恋に落ちた。


恋愛とは生涯無縁だと信じて疑わなかったこの私が、ついに恋に落ちた。 神様、ありがとう。恋って本当に、ある日突然落ちてしまうものなんだわ。


「あんたそれ、騙されてるって!」


親友のユイコは先程からこれしか言わない。きっと私の恋のお相手があまりに素敵だから僻んでいるんだ。


「失礼な!これは一世一代の恋。私はついに運命の相手に巡り合ったのよ!」

「運命の相手ってあんた、あああああ相手が誰か分かって言ってんの!?」

「分かってるわ!相手は今を時めく売れっ子俳優、ハヤト様!」


そう。私の運命の相手は液晶画面の中でその美貌を輝かせる大人気俳優、池上ハヤト。 昼ドラで演じた好青年役から人気に火が着き、来クールの月九では主演に抜擢された。 この先一年のスケジュールは空きがないほどの売れっ子。


「そっっっんな売れっ子があんたみたいな平凡で何の取り柄もない女を本気で相手にするわけないでしょーが!さっさと目を覚ましな!」

「んな!?そこまで言わなくたっていいでしょー!?確かに顔も体も頭も平々凡々だけど!そんな私にも取り柄ぐらいあるわよ!」

「何よ!?言ってみなさいよ!」


安いチェーン店の居酒屋の一角で、これでは売り言葉に買い言葉だ。

ユイコに箸の先を向けて言われ、私はうっ、と言葉に詰まってしまった。 その様子を見落とさなかったユイコが、にやりと口の端を上げとどめの一言を繰り出そうとする。 待て待て待て、言わせてなるものか。


「ほらね、やっぱ―」

「健康よ!」

「は?」

「私、そこらへんの女に比べてすっごい健康だわ!ほら、覚えてるでしょう?中学時代も私、皆勤賞だったじゃない!」


ユイコはあんぐりと口を開けて、細いため息を吐きながら弱弱しく首を振った。先程までいきり立っていた肩が見る見るうちに脱力していく。 私はユイコを言い負かしたと嬉々としていたが、そのままユイコが何も言わずにキュウリの漬物に箸を伸ばし食べ始めたため、不安になって声をかけてしまった。


「え、あれ、ねぇ、覚えてない?中学時代のこと。」


ユイコは私をキッと睨みつけ、箸をものすごい勢いでバシン!と机に置き、うろたえる私に向き直った。


「覚えてるわよそれくらい!何年の付き合いだと思ってるのよ!あんたのことなんか幼稚園のお布団でオネショしてたころから何でも知ってるわよ!」

「え、あ、うん。そう、そうよね。」

「でもだからこそ心配してるの!いい?相手は芸能人で、しかもあんたは恋愛経験皆無の処女!あま~いマスクであま~いセリフを囁かれたらころっと落ちると思われてるのよ!」


そこまで言い終えて背もたれに寄り掛かったユイコの息は上がっていた。 あまりに大きな声で節操のないことを言ったユイコに、周りの客も息をのんで注目していた。


「小さいころから妹のように思ってたあんたがそんな男に捕まったかと思うと、私っ…。」


ユイコは吐き出すように言う。その視線は伏せられて私をとらえてはいなかったけど、震える声と眉間に寄せられたしわを見れば、ユイコが本気で私を心配してくれているんだと分かった。


「ユ、ユイコ…ごめんね、泣かないで。」

「泣いてないわよバカ!」

「う、うん。そうよね。…あ、あのね、確かに出会いは合コンだったし、ノリも軽かったし、芸能人だし、ユイコが心配する気持ちも分かるよ。」


私はユイコを安心させるべく、一昨日の彼の様子を思い出していた。


「でも本当にすごく優しくて、乱暴なんてされなかったし、ホテル代もちゃんと払ってくれたし…。」

「はぁ!?」


ガッシャーン!

昭和のちゃぶ台返しよろしく勢いよく立ち上がったユイコのせいで、飲みかけのグラスが机から落ちて盛大な音を立てて割れてしまった。 その音を聞きつけ、今度は周りのお客さんだけでなく厨房から数人のスタッフがやって来た。


「ああああああんた、今ホテルって言った!?」

「え、う、うん?」

「し、知り合ったその日にホテル行って、せせせせせ、せ、セックスしたってこと!?」


みなまで言ったユイコの言葉に驚いたのは私だけではない。 頭に血を登らせ顔を真っ赤に染めているユイコは気づいていないだろうが、周りの客もスタッフがざわざわとどよめく。


「ユ、ユイコ?ちょっと、お、お店出ようか?」


私はのぼせ上がったユイコの肩をつかみ、会計を済ませグラス代を弁償すると、逃げるようにして居酒屋を後にした。


飲み屋が立ち並ぶ大通りから一本入ると幾分か人通りも少なくなり、夜の闇が深さを増したように見える。 涼しい夜風に当たったからか、ユイコも少しは頭が冷えたようだった。


「ユイコ、大丈夫?」


ユイコの白く細い肩を撫でながら、私はちょっと申し訳ないような、どうしたらいいのか分からない気持ちで声をかけた。

驚いた。幼稚園のころからの、いわば幼馴染の私たちだが、ユイコがあんな風に取り乱す姿は初めて見た。


「ご、ごめん。だってあんなに純粋でいつまでも子供のようだったあんたが、どこの誰とも分からない男に抱かれたんだと思うと…。 でも、そうよね。あんたももう二十四だもんね。セックスぐらいするよね。オネショなんて昔の話よね。」


そこまで一息に言うと、ユイコは肩に置いた私の手を握り返した。 骨ばって、少し湿っていて、冷たいユイコの手。私はその体温を感じながら、ユイコに初めて彼氏ができた時のことを思い出していた。 あの時私は、大好きなユイコが男の人の隣で幸せそうに笑って、私の見たことのない顔をしているのを見て、言いようのない寂しさを感じていた。 もしかしたら今のユイコも、同じ気持ちなのかもしれない。


「ねぇユイコ、私たちもう子供じゃないし、毎日一緒にいた幼いころよりずっといろんなことを知って、変わっちゃった部分もあるわ。 でも私、一昨日の夜ベッドの中で抱かれながら思ったの。あぁ私は今、世界中のありとあらゆる憂いから解き放たれた、世界一幸せな二十四歳なんだわ、って。」


一昨日の夜の初体験を思い出し、私の胸はきゅぅ、と小さく音を立てた。 彼が私の名前を呼んで、耳元で熱い呼吸を繰り返して、大きな手のひらが肌の上を這って、幸せな痛みをくれた。私はその感覚を、今でも全部ちゃんと思い出せる。


「そんな風に思える夜がこの先何度あるか分からない。もしかして彼に出会ってなかったら、ホテルに行っていなかったら、こんな気持ち一生知らなかったかもしれない。 だから私、彼が芸能人でも、たとえこれが一夜限りの恋になってしまったとしても、後悔なんてしてないのよ。だって私は運命の相手に抱かれたんだもの。 それだけで幸せだわ。ねぇ、ユイコにもこの気持ち分かるでしょう?」


そう言った私の言葉に、今度はユイコが驚く番だった。 私の手を握る細い指に力をこめ、ユイコは小さく笑った。


「あんたも、いつの間にかオンナになったのね。」

「そうよ。もうオネショしてた子供じゃないのよ。」


夜の帳の中、私たちのクスクスと笑う声だけが響く。気づけば私たちは繁華街からずいぶん歩いたようで、閑静な住宅街まで来ていた。


「でも、ねぇ、あんたはいつまでも私にとって妹みたいなもんなの。だから、あんたを傷つける男がいたら、あんたが許しても私が許さない。 だからちゃんと、その時は頼って。あんたを守って幸せにできるのは、男だけじゃないって忘れないで。」


住宅街の電灯が薄暗いせいではっきりユイコの顔は見えなかったが、その声は今まで聞いたどんなユイコの声よりも強くてはっきりと意志を持っていた。 私にはその声が、一昨日の夜、何度も私の名前を囁いたあの俳優の声よりもずっと素敵に感じられて、危うくユイコに恋してしまうかと思った。


「おっかないユイコ。それじゃあまるでプロポーズだわ。」

「バカじゃないの。だから騙されるって言ってるのよ。」



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