第四話「似た者親子」
一瞬でその場に居た全員が怯む。
男は駆け出す。
誰もが反応を一瞬遅らせた。
そして、大勢の不良が宙に舞ったのだった。
怒りとともに何十もいる不良たちを一撃一殺で蹴散らしていく冬望也。
「な、なんだこいつ!」
「ば、化けもんだァ!」
春也も、そして獏原も顔が引きつっている。
「な、なにやってんだ、たった一人だろうが!」
それは強いなんて言葉では言い表せぬ圧倒的なものだった。
それほどの印象を付けた冬望也の前に、誰もが一気に尻込みした。
「ちっ、屈辱だァ!」
冬望也に春也が叫ぶ。
「こいつは俺のケンカだ! 余計なことしてんじゃねえ!」
「あん? 春也……」
「くそっ、ありえねえ! ガキの頃からケンカ相手の親が出てくることも上級生の兄が出てくることも何度もあった。だが俺はそのたびにツッパッた! 俺にはそんなもんなくても勝てるからだ! それを今さらテメエが出てくるんじゃねえ!」
春也の窮地に現れた冬望也。しかし、春也はそれを頑なに拒んだ。憎しみの対象でしかない冬望也に助けられるなど、屈辱以外の何物でもなかったからだ。
すると、冬望也が溜息つきながら春也に言う。
「そうだな。だが、俺には俺で用があるんだよ」
冬望也は噛みつきそうな瞳で睨んでいる春也に睨み返す。
「春也。俺もお前が気に食わねえ!」
一瞬ポカンとした春也だが、すぐに言い返す。
「それは俺のセリフだ! 何でテメエが言う! 何の資格がある!」
「いーや、気に食わねえ! 自分が荒んだのをお前は人の所為にしているからだ」
それはどこか説教じみていた。
「俺はよー、お前に謝る気なんかないぜ? それどころか、許せねえ。つらい人生を送ったことを親の所為にするのは構わねーが、今の自分の生き方を人の所為にするのが気に食わねえ」
春也はすぐにでも何かを言い返そうとした。だが、言葉がうまく出てこなかった。
「親がどうした。親が居ないやつは全員が不良になんのか? んなもんは言い訳だろうが」
「ち、違……」
「不良になるんだったら自分の意思と自分の責任でなりやがれ! テメエの生き方を人のせいにしているお前も、よっぽど無責任だろうが!」
何と自分勝手な言い分だと、春也は叫び返したかった。だが、何故か出来なかった。
「まあ、この時代の俺がお前の父親としては失格なのは認めてやる。だから代わりに今の俺をお前にくれてやるよ」
「は……はあ?」
「大人になった俺がお前にしてやれなかったことを、高校生の俺が前払いでしてやるよ」
冬望也が何を言っているのかが春也には理解できなかった。だが、その言葉の意味はすぐに知ることになる。冬望也は春也に、そして春也を取り囲む不良たちに向かって宣言する。
「息子の命は、俺が守る」
春也にとってその言葉は、何故かただの口だけの言葉に聞こえなかった。将来は息子を何十年もほったらかしにし、育児放棄をするようなダメ男が言うような軽いものではない。
言葉に熱があり、春也の心に熱く刺さった。
「さっきから、何ぶつくさ言ってやがる」
いつしか冬望也と春也のやり取りに沈黙していた漠原が、ようやくその空気を破った。
だが、途端に漠原は冬望也の鋭い眼光に睨まれて言葉を詰まらせた。
「よう、よくも……俺の息子をやってくれたなァ!」
気づいたら漠原が殴り飛ばされていた。周りの不良たちも、そして春也も唖然としている。「やりやがった」や「あのバカ、殺されるぞ」という怯えた呟きが聞こえてくる。
「なんだよ、よえーじゃねえかよ。こんな奴を番長にしてるとは情けねえな」
漠原がやられたことに動揺する不良たち。そんな不良たちに冬望也は呆れて溜息ついた。
「バカが……こいつは本物のヤクザの息子だぞ! テメエ、殺されるぞ!」
冬望也の行動に春也は慌てるが、冬望也はむしろスッキリとした顔をした。
「だからどうした。命を賭けるってのはそういうことだろうが」
今の冬望也は間違いなく春也と同じ高校生である。つまり自分と同じ年齢分の人生経験しか送っていない。にもかかわらず……
「それに、息子の前では情けないところは見せられねーんだよ」
目の前の男がどこまでも大きく、頼もしく春也には感じた。
「お前、本当に俺とタメか?」
「さあな。だが、子を持つと男も変わるんだよ」
もはや言葉が出ない春也は、自身の傷の痛みも忘れて小さく口元に笑みが浮かんだ。
「小僧!」
父と息子の会話に、自身の子がやられたヤクザが前へ出た。
「バカが。これでテメエは明日から家族の名前を戸籍に書くことはねえ」
ヤクザの目が一段と鋭くなる。春也も思わず後ずさりする。ガキの喧嘩とは違う、正に本職の気迫に飲み込まれそうになった。だが、冬望也は変わらない。
「そもそも戸籍なんて見た事もねえ!」
相手がヤクザでも、その拳を振り抜いた。
冬望也の目が一段と鋭くなる。春也もヤクザもゾッとするような気迫だった。
「ガキがァ! 俺は元々自分の名前は喧嘩で売ったんだ! テメエみたいなガキ――」
ヤクザがサングラスを捨てて、冬望也に殴り掛かる。
だが、気づけば殴り飛ばされていたのはヤクザの方だった。
「あいつ……」
春也は呆然とした。ヤクザ相手に平気な顔して喧嘩する男は自分とタメだ。だが、先ほどまで春也は大人の世界の力に屈服しかけた。しかし、冬望也は違う。
(こいつ……何でビビらねーんだよ! どういう人生を送ればこんな……)
冬望也は何かが違う。同じ年齢でも、過ごしてきた世界も環境も自分とは違う。あれだけ嫌悪して拒絶したはずの父親の底知れぬ何かに、春也は打ち震えた。
(おいおい、っていうか……こいつ……)
それはもはや、憧れに近い感情かもしれない。春也はしっかりと目に焼き付けている。
(つえー……畜生……このくそ野郎……イカしてんじゃねえかよ)
生まれて初めて出会った高校生の時の父親の姿を、春也は一生忘れない。
「うが……歯が……歯が……」
ボコボコに殴られたヤクザの顔面は既に腫れあがっている。目じりには涙が浮かんでいる。
「分かったか? ヤクザがどうとかじゃなくて、テメエの息子がやられても何もできねーなら、そんなもんカス同然なんだよ!」
「ガキが、ガキが! ガキがァ!」
その時、ヤクザがいきなり胸元から何かを取り出して冬望也に向ける。
「動くんじゃねえ! こいつは本物だ! 動けば撃つぞ!」
それは拳銃。まさか拳銃まで抜き出されるとは思わなかった。ヤクザはボロボロの顔だが、しっかりと拳銃を構えて銃口を冬望也に向けている。
「もう、勘弁ならねえ! ぶっ殺してやる!」
脅しではない。怒りに任せてヤクザは本気で引き金を引こうとする。
だが……
「今日は色々あり過ぎた……もう、これ以上はどうでもいい」
思いっきり溜息をついた春也が、ヤクザの拳銃を持っている腕の手首を掴んだ。
「テメエ、まだ!」
狼狽えるヤクザの腕を掴んで、春也は決して離さない。
「ヤクザどころか拳銃にもビビらねーとはな。確かに俺の親父は普通じゃなさそうだ」
「おまッ!」
「だが俺も……死ぬほど嫌いな父親だけには腰抜けだと思われたくねーんだよ!」
バキバキと骨が粉砕する音が聞こえた。
「うっはー! 春也~、とんでもねーことやらかすじゃねえかよ!」
冬望也は上機嫌に笑う。
春也は傷だらけでもその超人的な握力を振り絞り、ヤクザの手首を粉砕した。
「はぐわああああああああああ!」
言葉にならぬ悲鳴を上げるヤクザ。
「ったく、俺のこれまでのことが全部小さく見えるぜ。俺のこれまではなんだったんだ」
とどめの一撃の拳をヤクザに叩き込み、倒れたヤクザを見下ろしながら春也は言う。
「俺は……みみっちいな。なあ、……獅貴冬望也」
春也はこの後どうなるのかなどまるで考えていなかった。だが、悪い気はしなかった。それどころか長年のモヤモヤが少しだけ晴れた気がした。春也が心の底から憎んだバカ親は、自分の予想を上回るバカ親だった。なぜかこれまでのことがどうでも良くなるような感覚になり、春也は少し俯きながらも小さく笑った。
「かーっ、ヤクザの腕を粉砕するとは、お前もメチャクチャだなー」
ケラケラと笑いながら冬望也は後ろから春也の肩に腕を回す。
すると、どこかスッキリした春也は、これまで抱いた冬望也に対する嫌悪感がまるでこみ上げて来ず、苦笑しながら冬望也に言い返す。
「うるせえよ。けっこうイカしてるだろ?」
その言葉に更に気をよくした冬望也は、傷だらけの春也をバンバンと叩く。春也は怒りながら殴り返す。しかしケラケラと笑った冬望也はヒラリと躱して更に笑う。
気づけば周りの高校生たちは既に戦意を失って打ちひしがれていた。自分たちのリーダーに、その父親でもあるヤクザまで冬望也と春也の二人にやられたのだ。まともな神経ではない二人に、これ以上の喧嘩をしかける度胸のある物などこの場には居なかったのだった。




