出会い
人間頑張るとやることできるもんだ。
自分の作業の達成感からそう感じる。
人間、いつでも失敗するもんだ。
推敲してるといつも感じる。
「どうしよう」
レナは一人、暗い洞窟の中をさまよっていた。
母と別れて、もうどのくらいの時間が経っただろう。虫達とは未だ遭遇せず、探している母親もどこへ行ってしまったのか見当がつかない。
ここから出ようにも、出口らしきものは先ほどから一つも見つかっていない。
レナは暗闇の恐怖の中、独りぼっちだった。
「お母さん……」
もう一度、レナは母を呼ぶ。
届くとは、レナ自身も思っていない。しかし、頭がどうにかなってしまいそうなほどのプレッシャーから、レナは何度もそうつぶやいていた。
もうここにいないとしても。誰かに向かって話しかけないと、押しつぶされてしまいそうだったから。
「うぅ……ぅ……」
怖い。
これから自分は、どうなってしまうのだろう。
少し前まで、いなくなった人はすぐ見つかって、またいつもみたいに明るい家族の生活が送れると、レナは信じて疑わなかった。
冬までにあの洞窟でみんなとテーブルを囲んでごはんを食べて、小さな子達の世話を見てあげて、友達と狭い部屋で遊び回って、いつものようにお母さんに怒られる。
でもお母さんは、そんな私たちを見て朗らかに笑うのだ。その笑顔が好きだったこともあって、レナはいたずらをいっぱいしていた。
きっと、いつまでもそんな日々が続くのだろうと。そう信じ切っていた。
だが、そんな日々の希望はすぐに打ち捨てられた。
今まで出会ったこともないような、クリーチャー達と遭遇し、村のみんなと離ればなれ。母親とも別れ、化け物の潜む暗い洞窟の奥深くで、たった一人。
他のみんなはどうなってしまったのだろう。いつの間にかみんなどこかへ行ってしまった。
もしかして、虫達によってどこかに連れて行かれたのだろうか。
もしかして、みんな食べられてしまったのだろうか。
ありとあらゆる最悪の状況ばかりが思い浮かんで、どんどんと気は重くなっていく。
自分はまだ、捕まっていない。
でも、これからずっと虫達に見つからずにいれる保証は、どこにもない。
からん、と。小さな石が一つ、転がる音が響く。
「ッッ!!」
小さな音は、洞窟の奥へと響いていく。
そんな些細なことにも飛び上がるほど、レナは神経が張りつめていた。
レナはすぐに周囲を見渡し、虫達が密かに近寄ってきていないかを確認する。
やがて虫がいないことを確認するも、レナは安心することができなかった。
もし、この音を聞きつけて、虫達が集まってきたら。
もし、そうして見つかって、捕まえられてしまったら。
レナは、身を守るすべを何一つ持っていない。唯一の安全な場所であるあの隙間には、もう戻れない。逃げようにも、空を飛ぶ奴らから逃げきれる自信はない。
(おちついて……おちついて……)
必死に自分にそう言い聞かせるレナ。
しばらく時間が経っても、虫達が来ているような気配はなかった。
「……ふぅ」
まだ、気づかれていない。
安堵のため息を吐くレナ。
(でも、これからどうすればいいんだろう……)
とはいえ、事態は何一つ改善されていない。
家族も。村のみんなも。
どこへ行ったのか検討もつかない。出口さえない。
自分は生きて帰れるかどうか。そんな保証すら、どこにもない。
膝を抱えて座り込むレナ。
自分一人に、こんな困難を乗り越えることが、できるのか。
生きてまた、みんなと一緒に穏やかな春を迎えることができるのだろうか。
「お母さん……」
もう一度、母に救いを求めるレナ。
(——今は確かにとてもつらい時。だけどきっとなんとかなるって信じて、自分にできることを探すの——)
そんなとき。レナは母の言葉を思い出す。
「……」
きっと、なんとかなる。
そう思って、今は動くしかない。
「なんとかなると信じて……」
母の言葉を、自分に言い聞かせるようにつむぐレナ。
「自分にできることを……」
ゆっくりと。レナは落ち着きを取り戻していく。
「できる、ことを……」
レナは、顔をあげる。
そうだ。自分がすることは、こんなところで座り込んで、虫達に怯えることじゃない。
きっと、みんな生きている。お母さんも、自分のことをなんとかしてくれたみたいに、うまく隠れて逃げ延びている。
なんとかして、お母さんを見つける。そして、出口も、きっと見つける。
「——よし」
震える足で、ゆっくりと立ち上がるレナ。
先ほどの彼女と違い、希望の光を宿した目で、彼女は暗闇の向こうを見据える。
そのとき。
ポタ、と一滴の滴が、レナの肩に降りかかった。
「え?」
どこか地下水が流れているところでもあって、漏れてきたのか。
そう思ってレナは肩を見る。
そこにあったのは。見覚えのある、黄色い液体だった。
「!?」
レナはすぐに頭上を見ようとする。
だが、遅かった。
「ギギャアアアアアアア!!」
頭上から、虫が襲いかかる。
四本の足が、レナの手足を拘束し、地面に張り付ける。
「きゃあああああああああああ!!」
突然の襲撃に、思わず悲鳴をあげるレナ。
石が転がった音で気づいたのか。それとも、すでに近づいてきていたのか。
どちらであるかは定かでないが……今のこの状況が最悪であることに、変わりはない。
虫はレナを威嚇するように、牙をみせつけて唸る。
「ひっ!!」
涙をボロボロと流しながら、レナは必死に逃げようと手足をばたつかせる。だが、尋常でないほどの力で押さえつけられた手足は、どんなに力を込めても自由になることはできない。
逃げられない。
これから、どうにかしようと思って、歩きだそうとしていたのに。
「う、あぁ、ああああ……」
虫はその醜悪な顔をレナに近づけ、まじまじと見つめる。
そんな虫の動作に激しい嫌悪感を覚え逃げようとするが、この状況をどうすることもできない。
「た……助け……誰か……」
誰でもいい。
誰か。誰か。
どうしようもない極悪人でもいい。
自分に迫りくるこの災厄から、自分を助け出して。
誰か。
誰か。
「たす、けて……助、けて!! 助けてぇ!!」
思わず、レナは誰かへと助けを求める。
そんなレナを。虫が一瞬、笑ったのを、彼女は確かに見た。
虫は口を大きく開けると、喉の奥から針を出す。
そこから多量の黄色い液体が分泌され、レナの顔と、服を汚していく。
レナはそれを見ると、助けを求めることも忘れて凍り付く。
もう、助からない。
真っ白になった頭の中で、そんな言葉だけが浮かぶ。
虫は。すっと首を後ろへ引く。
思い切り。彼女の首筋に、針を深く刺すために。
そして。
「ギギィィイ!」
再び鳴き声をあげて、虫は針を突き出した。
ドスッ、と。
柔らかい肉に、鋭利なものが突き刺さる、生々しい音。
思わず、レナは目をつぶっていた。
これから来るであろう激痛と、自分に迫る不幸を目の当たりにできず、反射で目をつむった。
だが。
「……?」
痛みは、やってこない。
いつまで経っても。
(……え?)
レナは、恐る恐る、目を開ける。
そこには先ほどと変わらず、虫の顔があった。
しかしそこには、先刻と明らかに違う光景が広がっていた。
黒いコートに身を包んだ男が、虫の首にナイフを突き立てていた。
「ギ……ギ……」
虫は、悲鳴をあげようとしているのか、口を大きく開けて、息を荒げている。
だが喉に深く突き刺さったナイフは虫の声帯を破壊し、鳴くことができないようにしていた。
「そう。そのまま……黙ったままでいい」
そこにいる男は、まるで人形のような男だった。
顔には生気というものが全く見られず、声にも感情が一切こもっていない。
ただ至極当然というようにナイフを急所に突き立て、涼しい顔で虫に話しかけていた。
トン、とナイフをタップすると、男は虫に囁く。
「あとできれば、そのまま首を横に振ってほしいもんだな。そうしてくれるとこっちとしては楽なんだが……無理か? ん?」
男は、虫に質問するが、奇声を発するだけの虫が返事をすることは当然ない。というか、喉がつぶれて声を出すことなどできはしない。
「あっそう」
男はナイフを握る手とは逆の手で、虫の頭を掴むと、無理矢理に首を横に捻る。
当然のことながら。ナイフが刺さったままそんなことをすれば——
「ギュ」
短い断末魔をあげて。虫の首はもげた。
「いいな。悪くない角度だ」
だが、それだけでは終わらず、男は虫の背中に鋭い一撃を打ち込み、壁に向かって蹴りとばした。
激突した首なしの虫の体。ビクン、と痙攣すると、それはそのまま動かなくなった。
ここからいろいろと忙しくなる。
楽しみでもあるが、他の娯楽が出来ない悲しみもある。
茨の道であることよ。