妖怪写本
短編なので10分もあれば読み終えると思います。
なんとも奇妙な光景だ。
奴は今、まさに半妖としての変容を遂げている。
半分が人、半分が鬼になろうとしているのだ。
服がはちきれ、紅色の腕が見えてくると、それと一緒に彼の右の額から角が生えてくるのが見えた。
「おぉ、これが半妖」
隣の小汚い娘がそう言うと、手に持っている写本に彼の姿を描きはじめた。
彼奴は名うての妖怪絵師で、日の国の妖怪をすべてあの写本に書き連ねるのが夢らしい。 俺から言わせれば、妖怪なんぞというものは須らく滅ぼすべきだとは思うが。どうも奴は不可解な現象を書き連ねるのがたまらなく楽しいらしい。
こんな切迫とした状況でも絵を書くとなると、ここまで連れ添ってきた俺もさすがに呆れざる得ない。
奴の変容に反応したかのように、森の木々がうねりをあげていく。
「おい、鼓桜書くのであれば遠くへ離れておれ」
そう言うと俺は、懐から妖怪を殺すための小刀、樊喚を取り出す。
「すばらしい……あの腕と角を見よ! あの赤黒く変色した、元が人間とは思えないような腕! それにあの額から突き出ている恐ろしく尖っている角を!」
鼓桜は鬼の姿を鮮明に収めようと、逆に近くへ寄ろうとしていた。
「それ以上行かれると、さすがの俺でも守れんぞ」
そう言うと、鼓桜は振り向き、こう答えた。
「お前が僕を守れなかったら、どうなるかわかってるの?」
毎回のことだ、鼓桜は怖がっていた。
「わかっているさ」
「有紗が泣いてしまう」
俺がそういうと、鼓桜は安心したような顔をして、遠くの岩の影まで走っていった。
さて……そろそろ変容も終わりのようだ。
変容が終わった奴の姿は、鼓桜に見せてもらった鬼とは少し違うようだ。
此度相手にする相手は、半妖の鬼、その名を烈鬼という。 半妖という特殊な境遇の鬼を表す名前らしい。
烈鬼は人間の方の体を後ろにかばうように、右半身を俺に向けてきた。
どうやら体当たりを仕掛けてくるらしい。半妖だとはいえ、奴は歴とした鬼だ。当たるだけで骨は粉々にされてしまうだろう。
俺は注意深く体制を整え、樊喚を突き出すように半身で構えた。 魅せてやろう、妖怪殺しの名をもつ樊喚の力を。
俺はいつでも避けれるように足に妖気を巡らせ、呼吸をするごとに樊喚の妖気を上げていく。
その時だった、森の様子が明らかに可笑しいと感じたのは。
風がないのだ。
先ほどの変容で森がうねりをあげていたのは妖気に反応したからであったと思っていた。
だが、これは違う、やつは何をやっている?
「朱染!」
鼓桜の叫び声―――。
鼓桜の方を見た時には遅かった。木々が絡めとるように鼓桜を吊るしていた。
「まさか……妖気で木を操ったか!」
その隙を突かれた、烈鬼は俺へと妖気で加速し突進を仕掛けてきた。すかさず樊喚を構えると、奴の突進を防ぐため妖気を共振させた。
樊喚は相手の妖気を共振させることにより、固有振動を固定化し、持ち手の妖気と相手の妖気を足した刀にすることが出来る。
その力を生かし、奴の妖気を固定化し突進力を中和する。
即座に速度が落ちた烈鬼の体当たりを躱す―――。
だが、そこで烈鬼は意表をついて来た。
もう一度加速したのだ、左の人の腕、いや、鬼の左手を―――。
烈鬼の左手は安々と俺の助骨を砕き、爪で助骨の間の肉を引きちぎった、妖気を中和されたためか、警戒するように離れた。
まずい―――。
恐らく3本は折れた、出血もひどい、さっきのではっきりとわかった、奴は戦闘なれしている―――。
今まで妖怪を殺してこれたのは、戦いにすらならなかったものだけを狩ってきた妖怪だけ、つまり弱者をいたぶって来た妖怪だけを倒してきた。それ故に、戦闘なれしている妖怪は未知であった。
それに、奴はどうやら半妖といっても妖怪の血のほうが濃いらしい、人の方は腕だけ鬼化していた。
「油断したねぇ……」
痛みと出血で頭が朦朧としてきた。
烈鬼は油断することなく俺を見ていた。
「やられたよ……あんたにゃ……」
俺はゆっくりと、樊喚の固定化を解いた。
妖気の流れを感じ取ったのか、奴はこちらへと向かってくる、とどめを刺すつもりだろう。
そうだ……近づいてこい、固定を解いたのは罠だ……樊喚にはもう一つだけ力がある。
烈鬼はもうすぐ近く、ほんの一尺のところにいる。
今だ―――。
俺は樊喚を烈鬼に向かって放り投げ、呪を唱えた。
「反感せよ」
呪に反応した樊喚は、周囲三寸以内にいる烈鬼を{反感させた}
烈鬼は呪いを受けたのである、その呪いの名は「反感」
反感とは感覚封じ、人で言うところの五感封じである。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、これら等を封じる呪い、それが反感。更に妖怪のような妖気を感じる能力も封じることが出来る。
ただその呪いの代償として、樊喚はその周囲にあり続けなければいけない。
「なんとかなったか……」
呪いを受けた烈鬼は何が起こったかわからないのか、地震のような唸り声を上げている。
とりあえず、だ。これで奴はこちらの場所はつかめない。
「鼓桜!」
樊喚のおかげで烈鬼に操られていた木は拘束をといていた。 高いところから急に落ちたからであろう、鼓桜は足を怪我してしまったらしい。
「朱染!」
鼓桜は俺の名を呼ぶと、右足を引きずりながら俺に近づいてきた。
「鼓桜、奴から離れながら俺の所へ来い、狂気に囚われたら何をするかわからんぞ」俺はそう言うと、今だ出血し続けている脇腹に服を千切って巻こうとした。
だが、そこで異変に気づいた。
「朱染……その傷、恐らく鬼の妖気が触れている」
鼓桜は俺の傷の変化に気づいたようだ。
「あぁ……これが鬼の呪いってやつか」
服の上からでも分かる、俺の脇腹はもう治りはしないだろう。
呪いにあてられたか、出血しすぎたのかは分からないが、もう話すのも辛い。
森の間から見える空は暗くなりつつあった。湿気た匂いも感じる。もうじき雨が降るだろう。
「鼓桜……どうやら俺も此処までのようだ」
そう言うと、鼓桜は足を止めゆっくりと俺の姿を見た。
「最後が、半妖等の半端物にやられるとはな……まぁ、俺にはこんな最後がちょうどいいのかもな」
「何言ってんのさ」
「鼓桜、いい加減夢を見るのは諦めろ」
俺の中の妖気が失われていくのが分かる―――。
「あんたがそれを言えるのかよぉ!」
「そうだな……」
俺はちらりと烈鬼を見る。
烈鬼は今だ状況をつかめないらしい、自分の体をまさぐるなど試行錯誤している。 賢明さが仇となったようだ。
視界を保つのも辛くなって、ゆっくりと目を閉じた。
「じゃあ、お願いだ、お前はどうあっても生きて欲しいんだ、だから、俺を恨んでもいい、生きる道を探せ」
喉に血が絡み、喋ることが苦痛だ。
雨が降りだした。
体が少しづつ冷たくなっていくのが分かった。
「朱染……」
鼓桜の声がすぐ近くで聞こえる。
突然、柔らかく温かいものが俺の体を包んだ。
「朱染、僕はね、君が一番不可解だったんだ」
「写本を完成させることも笑わなかったし……それに、妖怪なんて不可解も信じるし……」
「復讐だって……僕のために我慢してくれたこともあったよね」
「いろいろあったけど、君はいつも僕の味方でいてくれた」
涙が胸を濡らした。
「だから、いつかきっと救ってみせる」
「僕は君を写すよ(移すよ)この写本に」
ぬくもりは離れた。それはとても悲しくて、とてもつらい決意のような気がした。
俺は……鼓桜を守ることができなかったよ……有紗―――。
意識は遠くへ、何かに移されるように、どこかへと消えていった。