セレスでの訓練 1
その日は雛琵琶の見学で一日を終えた。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、ベッドの足元にはアルがうつ伏せで眠っている。
ここは、訓練施設のロビーの上階、宿泊施設だ。
睡眠を必要としないノワールさんとアステルは、明日からの訓練の準備のために重力下訓練施設で作業中だ。コハクさんは跳躍艇に戻っていった。
「枕が変わると眠れない」と言い残して。繊細なんだ……。
ベッドに横になり、今日の射撃訓練を思い返しながら、頭の中で反復する。
セーフティーをオン。チャンバーは空に。銃口は常に安全な方向。指はトリガーから外す。銃を持って行動するときの注意点を反すうする。
次は、射撃姿勢の復習をして……。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝、目を覚ますと視界が黒く塗りつぶされていた。
「……え? 何?」声をあげると、横から猫の顔が現れた。
「おはようございます、ジーン。訓練施設の準備が整いましたよ。早くお見せしたくて起きるのを待っていたのです」
「おはよう、ノワールさん。準備って昨夜作るって言ってたアレ?」
「そうですそうです。睡魔と闘いながら徹夜で作り上げました。自信作です」
「ノワール、何回そのネタを使いまわす気だ。ジーン、おはよう。顔を洗ったら朝食だ」
ノワールさんは睡眠不要って言っていたよね。アルは寝起きでも冷静だ。
朝のルーティンをこなし、散歩がてら重力下訓練施設に向かう。
「おはよう、アステル。これすごいね」
室内にはインナー姿のアステルがいた。そしてその背後には巨大な構造物がそびえていた。
「シガ・シェルター市街の一部を再現した模擬街区」
真っ白い直方体や立方体を組み合わせた建物が立体的に立ち並んでいる。
「XR・コンタクトをつけて、ついてきて」
アステルに言われたとおり、レンズをつけてキャリブレーションを行う。
簡易的なストリップ階段を上り上部構造にたどり着く。白い床の両脇に白い建物。
「仮想空間を投影する」
味気ない白い景色が突如色づく。夜の繁華街だ。おしゃべりしながら通り過ぎる女性たち。酔っているのか隣の人の肩をたたきながら大笑いする男性。まるで日常風景を切り取ったような臨場感。
「すごくリアルだね。ノワールさんが見せたがるはずだよ」
「これがシガ・シェルターの基本ブロック。特別な施設以外は全てこのブロックの連鎖」
「ノーザンエンドもこんな感じだね」
昨日は昼のメインストリートから始まったが、夜の繁華街はまた違った趣がある。僕は夜の繁華街に行くのは禁止されていたから新鮮な風景だ。
「午後からここを使った訓練をするみたい。午前中は基礎訓練、組手、射撃訓練だって」
アステルと話していると皆が集まってきた。
「おはよう、ジーン。よく眠れたかい?」
「コハクさん、おはよう。うん、寝起きはびっくりしたけど」
「お前さん、また何かやったのかい……」
コハクさんが呆れ顔でノワールさんを見ている。
「ジーン、模擬街区はいかがでしたか?」
コハクさんを無視して言う。こういうのを馬耳東風って言うんだっけ?
「……うん。すごかったよ。まるで人が生きてるようだった」
「そうでしょうそうでしょう。映像だと軽く見てぶつかったりすると痛い目をみますよ。訓練ではロボットも混ぜますので」
気をつけよう……。
「まずは、セレス流柔術の基礎訓練だ。アステルも一緒にやってジーンの癖を覚えてくれ」
「分かった。アステル、始めるよ」
「いつでも」
呼吸、歩法、受身の一連の流れを繰り返す。
床が硬い。金属版の上で訓練しているようだ。そういえば跳躍艇の床は何でできているんだろう? ほどよい弾力で体への負担が少なかった。
「ジーン、集中しろ」
アルから注意が飛んでくる。絶対に見逃さないんだよなあ。
「ごめん、床が硬くて」
「羽打ちは滑らせる感じでやってみろ。痛い部分があるのは衝撃が集中している証拠だ。アステル、意見はないか?」
「右肩と左臀部に衝撃が集中してる。たぶんこうやったら痛くない」
アステルがくるっと前転して受身を取る。あまり音がしない。
「お見事です。猫流受身、免許皆伝ですね」
ノワールさんが意味不明なことを言っているが、アステルの受身はまるで猫のようにしなやかだ。
「筋肉がついてる面で滑るように接地すると衝撃を逃せる」
なるほど、もっともだ。
「なるほど。ノーザンエンドの硬質床材は合成樹脂だったな。硬度が足りなかったか。いい機会だ。存分に訓練しろ」アルが怖いことを言う。
だんだんフォームが整ってきて痛みを感じることが少なくなった。体を精密に制御するってこんなに難しいんだな……。
一時間ほど訓練を続け、軽いジョギングでクールダウン。走れる環境っていいね!
さて、次はいよいよアステルと組手だ。
「お待ちかねの組手の時間だ。まずは約束組手からだ。理合を理解したうえで体を動かせ」
昨日までは型稽古ばかりだったけれど、同じ体格のアステルが加わったことで組手が可能になった。初の組手だ。ちょっとわくわくする。
今までさんざん練習してきた受身技を使っての約束組手の始まりだ。
アルの説明では受身の理合とは、関節を極められる前に脱出する手段ということだ。
相手が加えるトルクが自分の関節の限界を超える前に、自らの角加速度を用いて相対的な負荷を軽減することらしい。
横受身、外受け、内受け、上段受け、手刀受けと、受け技ばかりだが、セレス流柔術は攻防一体。
受けからの鋭い反撃こそが真髄。今回の約束組手では反撃は無しだ。
一合目は、アステルの払腰、僕の横受身からだ。
アステルが軽快にととっと近づいてくる。思わず僕は腰を落として低く構えそうになるが、ぐっとこらえる。これは約束組手、勝つことが目的ではないんだ。
右上腕をアステルに取られる。柔らかい手だ。
くるりとアステルが懐に飛び込み僕を投げる。僕は力に逆らわず体を丸めて衝撃に備える。
足から接地。流されるままに体側から転がるように接地。軽く羽打ちを滑らせ体幹を安定。素早く起き上がる。
「上出来だ。次はもっと顎を引け。交代」
今度は僕が攻撃側だ。アステルの腕を掴んで引きながら懐に入る。
ふわりと花のような香り。雑念を振り払ってアステルを投げる。
あっさりと投げられるアステル。軽い接地音とすっと撫でるような羽打ち。
なめらかにアステルは立ち上がった。
「アステルは文句なしだ」
「人体の構造はジーンで学習した」
アステル、その言い方はちょっと……。





