異変
今は、エンケラドゥスを離れ、太陽方面に向かっている。
「太陽を目指すにしても火星や金星は見なくていいのか?」ジーンに確認する。
「うーん」ジーンは迷っている様子だ。
「アル、今ジーンが見たいものを見せてやりな。他の惑星には別の機会に行けばいいさ」
「コハクさん、しばらく太陽系にいるの?」
「機械知性たちにも、いつの間にか縁ができちまったからねえ。地球に残った連中も多いんだよ。積もる話もあるさ。しばらくは地球だね」
「分かった。じゃあ、また宇宙に連れていってくれる?」
「もちろんさ。いつでも連れていくから遠慮しないで言うんだよ」
この二人、まるで、孫とお祖母ちゃんだな。微笑ましい光景だ。
「なんだいアル。言いたいことでもあるのかい」
コハクがちろりとこちらを見た。。
「何でもない。気にするな」
じとっとした目で、まだこちらを見ている。しつこいぞ。
「太陽とフェイルノートを見ても時間はたっぷりあるよ。どうするね?」
「あまり早く戻ってもな……説明が面倒だ。二人の再生を待って地球に帰った方がいいだろう。どうするジーン?」
「実はフェイルノートにしばらく滞在したいんだ」ジーンの意外な返事。
太陽光レーザー変換施設フェイルノート。
可変式のソーラーセイルが巨大な受光パネルを抱えている。
そんなものが、数千、数万も並んでいるような大規模な施設だ。
莫大なレーザー生成能力もだが、不安定な太陽―水星系L5に居座り続けることを可能にした、ソーラーセイルによる緻密な姿勢制御でも有名だ。
さらに、大規模な太陽フレアを予測すると、パネルとセイルを太陽に向け垂直に立て、最小面積でフレアをやり過ごす。
宇宙を舞台にしたバレエに例えられることもある。
ジーンは木星を見て以来、ずっと考え込んでいたように見える。
「三年前の大規模太陽フレアでフェイルノートのシステムに損害が出たって聞いたんだ」
「ああ、あのフレアはひどかったですね。軌道維持制御中枢は、未だ復旧できていないようです」
「何とかしないと、いずれレーザー供給が止まるんだよね?」
「ええ、ええ。そのとおりです。ですが、今の水星ラグランジュ点は安定していますからね。すぐに影響が出るわけではありません」
「それで先送りにしてるんだね……」
「そうですそうです。重力推進なしで水星への軌道投入は大変ですからね」
「それでさ、せっかく宇宙にいるんだし何かできないかと思って」
「なるほどなるほど。今なら跳躍艇がありますから簡単に行けますね。立派な黒猫もおまけについてきますよ」
「協力してくれるの?」
「ほかならぬジーンの頼みだよ。断るわけがないだろう」コハクも同調する。
「ありがとう……」
「それでは一気にフェイルノートまで行きますよ。それまでは予習の時間です」
壁の映像が消え、星空鑑賞も一旦中止だ。
壁にフェイルノートの資料が映る。
「こんなに安定しているんだな」L5の描く軌道を見てつぶやく。
昔、学校で習ったはずだが、修正前の危うい軌道運動の方が印象に残っている。
シミラ人(ラザード博士が属する種族だ)とのファースト・コンタクトのあと、アウトノーマの技術力を知り、小惑星連合が最初に協力を求めたのが、水星公転軌道の離心率の修正だ。
プロジェクトに参加した、知的種族共同体 《アウトノーマ》の科学者は、水星の不安定なラグランジュ点に、恒久的な施設を構築できた地球人に対して感動していた。
プロジェクトは成功して劇的に離心率を減少させた。
フェイルノートの軌道も格段に安定して、長期間放置しても位置が保持できるようになった。
フェイルノートについての講義が続き、フェイルノートの修理に話が移る。
ノワールによると、水星の永久影に小惑星連合軍の資材備蓄庫があるという。
ノワールが、ぽちぽちとコンソールを叩き、備蓄庫にアクセス。
だいぶ分かってきたが、コハクにせよノワールにせよ、何かを操作するのに、わざわざコンソールを使う必要はないようだ。
ナルヴィとアリスの脳を回収する手術をするときも、目を閉じて集中するだけで精密マニピュレータを操っていたからな。
これは、俺やジーンに何をやっているか理解させるためのポーズだ。
いろいろと気を使わせているな……。
「修理に必要な資材は十分ですね」
そのとき、室内に警報が響き渡る。跳躍艇で警報が鳴るのは初めてだ。
「何というか、少し問題が発生しているといいますか。ふむ……」
ノワールが微妙な口調で報告する。
「なんだい、もったいぶって」
「どう説明したものかと悩んでいます」
「いいから言ってみな」
「…… 《エッジ》〇三が開きました」





