太陽系周遊 ~土星圏~
「コハクとアルは戻ってきませんね。さて、どうしましょうか……」
「それならちょっと鍛錬をしてもいいかな?」
「ほうほう、それはどのような?」
「アルに教えてもらったんだ。身体能力を高める訓練だって」
ノワールさんにそう答えて柔術の鍛錬を始める。
呼吸、歩法、受身など、いつもの基礎訓練を開始した。
「おお、これはセレス流柔術ですね。何という奇縁。ジーン、セレス流柔術の別名を知っていますか?」
「シノハラ流柔術だよね。うん? シノハラ流?」
「そうですそうです。セレス流柔術の開祖であるシノハラ師範は、ジーンの遺伝上の父親、ロキ・シノハラの養親なのです」
「ええ? それは本当?」
「そうなんですよ。まさか、今でも地球に残っていたとは」
「アルの趣味だよ。いろんな格闘技を研究していたみたいだね。最古の格闘技レスリングから最新の無重力ボクシングまで何でも詳しいよ」
「なるほどなるほど。縁を感じさせる話ですね」
「アル曰く、セレス流柔術は人体というものをよく理解してるんだって。これぞキネティック体術とか言ってたよ」
「キネティック体術。おもしろい表現ですね。そういえば、マルは棒一本で一トンの鉄塊をさばいていました」
「僕の遺伝上の母親?」
「ええ、ええ。その技でヴェリテの原型を投げ飛ばしていましたよ」
「それは興味深い話だ」
あ、アルが戻ってきた。コハクさんも一緒だ。
「盛り上がっているところを悪いね。今日は宇宙探検の日だ。ジーンに土星を見せてやろうじゃないか」
コハクさんの一声で跳躍艇が進み始めた。
光行差とドップラーシフトは補正したままだ。
どこを向いても色とりどりの星、星、星。
結構な速さで進んでいるはずなのに星空は止まったままだ。
「土星の北極方向からアプローチします」
星空がゆっくりと流れていく
星の流れが止まると、木星のときと同じようにぽつんと小さな点が正面に現れる。こちらの方が少し暗い。
徐々に輪郭がはっきりしてくると、点に見えていたものが、実はリングだったことが分かる。
やがて、リングの中心に土星本体がその姿を見せる。
ぼんやりと、薄い金色に輝く円盤だ。
「あれが土星だね?」ノワールさんに確認する。
「そうですそうです。一気に接近しますよ」
遠くからは一つのリングに見えていたものが、接近するにつれ、いくつもの帯に分かれていることが判明した。
明るい帯、わずかに灰色がかった帯、ほとんど透明に見える帯。それらが重層的な構造を描いていた。土星の輪、圧倒的だ。
「猫が怪我をしたときに買ったエリザベスカラーの名前が土星の輪だったな……」
アルが風情のないことをつぶやく。
猫が傷口を舐めないように、首につけるあれだね。確かに土星の輪みたいだけれど……。
やがて、視界の中心に巨大な球体が浮かび上がる。土星だ。
中心に角ばった模様。北極にある有名な「土星の六角形」だ。
六角形自体は土星にへばりついたように動かないが、その内側は激しく渦まいている。
不思議な光景だ。木星ほど荒々しくはなく、金星ほど静かな見た目ではない。
僕の感想では、土星は大いなる力を秘めた静かなる巨人だ。
跳躍艇は、土星の表面を舐めるように北極から赤道へと向かう。
雲がゆっくりと回っているような風景が、うっすらとした縞を越えると逆に回転している。
赤道に近づくにつれ雲の流れは速くなる。
順行する雲と、それに逆行する層。まるで骨董品の機械仕掛けの時計のようだ。
「土星は堪能できましたか? そろそろエンケラドゥスに向かいますよ」
土星の輪の上を滑るように跳躍艇は進む。輪は平面というより光の粒子の集まりだった。
前方に青白い煙が立ち昇り揺らいで見える。
『ああ、エンケラドゥスですね。氷の噴流が見えます』
エトナさんが懐かしそうに言う。
「あそこに入ってみましょうか?」ノワールさんが魅力的な提案をする。
「行こう!」
エンケラドゥスが大きく迫ってくる。アルベドは高いが土星圏は太陽光が弱い。
土星の反射光に照らされて、弱々しい青白い光を放っている。
視界の中で、蒸気が糸のように伸び、消える。まるでエンケラドゥスが呼吸をしているようだ。
蒸気の糸から、次々に小さな氷粒が生まれては流れに溶け込んでいく。
これが土星の輪を作っているんだ。
周りは極小の氷粒で一杯だ。ノーザンエンド地表で突発的に起こる吹雪のようだ。
「宇宙にも吹雪があるんだね……」
僕はつぶやいた。
※「木星」を「土星」に修正。





