第九話 ハーレム
真宵がこの館にやって来て、散策を始めてから二週間ほどが経った。
そしてようやく――初めての「空間の歪み」を見つけることが出来た。
それは周囲の景色を水面のように屈折させる、円形の揺らめき。
かすかに赤みを帯び、不穏でありながらもどこか惹き込まれるような光を放っていた。
「これは……空間の歪みでちゅね」
「初めて見た……これが……」
真宵はじっと見つめ、息をのむ。
「……? 真宵はここに来た時、一度空間の歪みには触れているでちょう?」
「え?……いや、私の場合は霧に誘われるみたいに……気がついたらって感じだったから」
「……そう、でちか」
真宵は一歩踏み出し、指先を伸ばしかける。
「これは……私の世界と繋がっている歪みじゃないのかな……」
「確認してみない事には分からないでちゅね。ただ……」
「ただ?」
「確認よりも先に、報告でちゅ。主様に発見を伝えて、判断を仰ぐでちゅ」
「……うん」
高鳴る心臓を抑えられないまま、真宵は名残惜しくもその場を後にした。
――
「空間の歪みの確認調査……か」
三人は大染を見つけ、近くの一室に腰を下ろして経緯を説明する。
大染は腕を組み、しばし考えるような仕草を見せてから口を開いた。
「……とりあえず、甘美を呼ぶか」
まぁ、それが一番簡単な方法ですよね、と真宵は思う。
しかし休館酪は露骨に顔をしかめた。
「うっ……すみません……よ、呼ぶのですか?主様、狐白を……」
「う、うん……何があるか分からないから、とりあえず調査するにしろ、しないにしろ、甘美も黒雲天も呼んで話を交える必要があるだろう。」
「……そ、そうでちね」
気まずい沈黙が落ちる。耐えきれなくなった真宵が、きょろきょろと室内を見回した。
「……今、主様が脳内で呼びかけてるんでちゅよ」
小声で休館酪が教えてくれる。
「脳内に直接……テレパシーってこと?そんな事できるの?」
「主様と使用人は契約の元に繋がっていまちゅからね。あまり遠くでは無理でちゅが、基本は出来るでちゅ。ただ使用人同士は無理でちゅ。緊急時は主様を経由すれば可能でちゅが……不敬でちゅし、主様に負担がかかるから本当に緊急時だけでちゅ」
「へぇ……電話みたい」
真宵がそんなことを考えていると――ガラガラ、と襖が開いた。
入って来たのは鎧姿の黒雲天。
彼女は無言で大染の隣に座る。その所作は静かで美しい。
(あれ?……鎧なんだ)
内心で呟く真宵の横で、休館酪が目を細める。
(何でやねん! 普通あたちの後ろか隣に座るでちょ! 使用人がなんで主人の隣なんでちゅか!)
休館酪は心の中で盛大に突っ込んだ。
大染は嬉しそうに黒雲天の頭を撫でようと手を伸ばす。すると、触れようとした箇所だけ鎧が煙のように溶けて消える。
「ん〜良い子だ黒雲天、良い子良い子。ワシワシワシ〜!」
大染が猫撫で声で撫でる。
真宵は少し呆れ顔で、犬か!と内心つっこむ。
休館酪はというと、音が鳴らないように床をガシガシと引っ掻いている。
うわっすっごい真顔。絶対顔作ってる、顔に出ない様にしてる!
ちなみに黒雲天からは、たまに猫が出すようなゴロゴロという声が響いていた。
次にやって来たのは狐白甘美。
室内を見渡すなり、そそくさと大染の横に座り、もたれかかる。
「ふぐっ!……」
隣の休館酪から変な声が出た。出かけている、喉元まで、何か押さえつけている物が。
「主様ぁ、お久しぶりにございますぅ。甘美は主様に会えず寂しかったですぅ」
「会ってるよね、最近はほぼ毎日。甘美毎日会いに来るじゃん」
「はぐっ!……」
また横で変な声がする。
もう一人、大染の肩横に座っていた黒雲天は……何アレ、なんか武士が居住まいを正して座っているかの様な。特に変な事してないのに、姿勢が良いだけで凄い圧力を感じる……。
「主様ぁ……甘美には良い子良い子はして下さらないのでしょうかぁ」
先ほどまでは居なかった筈の甘美が、そんな風に大染におねだりする。
「ん〜…………可愛い可愛い」
かなり言葉に詰まった後、ようやく見つけた答えで甘美をあやしながら撫でる。
「嬉しいですわぁ、良い子良い子もして欲しいですわぁ」
そんなイチャイチャ問答をしていると、隣でバッと立ち上がる音がする。
休館酪だ。
休館酪は何も言わず、大染の方へスタスタと歩み寄り、その膝の上に座り込む。
「あらあらぁ……」
「んん〜良し良し良し良し良し良し良し良し良し良し良し良し良し。良い子良い子良い子良い子だぁ〜休館酪偉い偉い偉い偉い」
大染は一際嬉しそうに休館酪を撫で回す。
休館酪は憑きものが落ちるように、徐々にゆるんだ表情へと変わっていった。
…………何を見せられているんだろう。感情の死んだ顔でぼーとその様子を見ている真宵。
「コホン。……さて、そろそろ本題を話そうか」
大染は撫でるのをやめ、話を切り出す。休館酪はまだ膝の上にいた。
「空間の歪みはこれまでも発生した事は多々あるし、対処もしてきた。だけど空間の歪みの中に入り、どこに通じているかというのは殆どしてこなかった」
ごくりと唾を飲む真宵。
「理由は危険だからだ。空間の歪み自体は意図的に維持させる事は可能だけど、それでも中がどんな世界と繋がっているか分からない以上、帰って来れる保証がない」
大染は、横で聞いているのかいないのか分からない表情の狐白へと視線を移した。
「今までに調査の為、甘美に数度見て来てもらった事はある。だがどこもそれ程価値のある様な物は無かったとの事なので、歪みの中の捜査は打ち切る事にしていた」
「そうなのぉ、どこもありふれた草原や、荒廃した風景ばかりで、魅力的な物はなかったかしらぁ」
「甘美さんは、空間の歪みを行き来した事がある、出来るんですね」
事態が好転し、帰れる可能性が上がったことに真宵の声色が高揚する。
「ええ、そうよぉ。付け加えるならぁ、ここに来るまでに貴方達が見つけた空間の歪みを見て来たけどぉ、特に危険を感じなかったわぁ。アレなら行っても問題ないと思うのぉ」
「……私の元いた世界かどうか、と言うのは分かったりは……甘美さんの能力で」
「触処金脈ぅ? アレはねぇ、私にとっての幸運や不幸しか示さないからぁ、貴方の世界どうこうとかは分からないわぁ」
「え……以前帰り道が分かる的な事を言ってませんでした……?」
「言ってたかもしれないけどぉ、嘘を言っていたのかもぉ」
あぁ、私ちょっと甘美さんの事嫌いだなぁー。
「そうか……危険はないか、よし、じゃあ空間の調査を許可しよう」
むすっとしかけた真宵を見て、大染は会話を区切るように決定を下す。
「調査に参加するのは……真宵、それと休館酪だ」
「あらぁ? 私は参加しなくても良いのかしらぁ?」
「触処金脈では危険を感じなかったんだろ? だったら戦力は休館酪だけで十分だろう。後は冷静な判断力と、現地民などが居た時の交渉力。それらは休館酪以外は……何かしら問題があるしな。何よりここに残す人員も必要だ。頼まれてくれるか、休館酪」
「っ……はい!主様! その仕事、見事休館酪が果たして見せます! 真宵、このあたちにドンと任せるでちゅよ」
「っ……うん!」
こうして、空間の歪みへ挑む調査隊が決まった。




