温泉郷
見せしめのミイラはかなり欠損し、顔面が苦悶の形を失いかけている。手足もちぎれかけわずかに揺れていた。
月日も経っているのか一部白骨化さえしていた。衣服も風雨に晒され劣化していた。
人間とは腐る生き物だ。血肉がある限り、血は体から吹き出し肉は崩れる。そうして野生動物や魔物の栄養となる。
日本においてミイラ化する遺体も無いわけではないと、山伏式神は知っていた。だが湿度が高い状況でこうなるのはおかしい。
──不自然な状態ではあるが、彼らの考えている事は分からない。分かりたくもない。仕方ないので進むしかあるまい。
(でかい百舌鳥でもいるのかしら。だったら話は別だけど)
村の建物群に近づいていくと、意外にも発展していたのだと驚いた。大きなコンクリートの建物が何軒か立ち並び、看板には旅館と書かれている。
山間の村にしては珍しい。山伏式神は自らの町と比べつつ、歩いていく。道も整備され、路肩には車も停められていた。
人が使っていた形跡さえある。工事用車両が何台か、パイロンなどの工事用の道具が散乱していた。まるで今さっき忽然と消えてしまったかの如く。
立ち並んでいる旅館はなんと軒並み温泉旅館らしく、お土産屋や小さな料理店までもある。錆び付いたアーケードを見て、「日仏温泉郷、ね…」と意味を理解しようとした。
温泉郷。一度も目にした事がない世界。
「肝心の温泉ってモノがなさそうなんだけど…」
いつだったろうか?人の世が近代化する前、温泉なるものを旅人らが野宿しながら話していたのを思い出す。普通の川水ではなく、温かいという。それも傷を癒し、病すら治す。そんな嘘みたいな話があるのだと。
「池からは湯気が立ってないし…」
霧が薄くなってはいるが、ぬめりのある冷たい空気が漂っている。
「とりあえず…帰りたいわね…」
来た道が分からない以上、引き返すのは危険だった。現地の話がわかる魔に教えてもらいたい所だ。
「ん、誰?!」
アスファルトを削る爪の音。鋭利な鉤爪を連想させた。
山伏式神は警戒しながらそちらを睨め付ける。
「──ようこそおいでました。お客さま」
「は?!」
巨大な獣かと思いきや、人の上半身が接合されていた。
「えっ!」
半人半獣。あまり見た事のない人ならざる者だった。
「私めはリス。この世界の支配者、ルシャ様の眷属でございます」