邪を避けるには
あの、不気味な異形が佇んでいる。ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている──ごとく、夕暮れが染めていた。
い、け、に、え。
長い髪の合間から垣間見える唇がそう動いた気がして、悪寒がした。
「ん?ぎゃあ!いつから居たのよ!」
山伏式神は芝居をする。何も見なかった、とシラを切り声を上げた。すると先程の奇妙さは一変し、あの何か必死に懇願しているムヅミになった。
「え?なに?」
メモを衣服のどこからか取り出し、見せつけてきた。
『私が祀られている社に勾玉がある。でも結界が張られて戸を開けない。貴方に頼みがある』
「え?え?ちょっと話が違うじゃない」
──私は村を助けようとして封じ込められてしまった。
当初はそう言っていたはずだ。
『日仏村を救うためにかつてこの村を訪れた民間の陰陽師によって勧請された。その陰陽師はルシャに殺される死んでしまい』
「え、そ、そう」
『手記に私の事が書かれているから』
それだけ言ってまた世界から消えていく。脂汗が凄まじい。
アレは、相手にしてはいけない類だ。
(民間の陰陽師ねぇ…魔物にとってはろくなイメージがないわ)
仕方なく手記を開き、パラパラとめくる。
「あった」
『──どうやらこの地に先手を打っていた者がいた?隠れるために歩いていると何やら祠があった。何だこれは?人美さんからも聞いた事がなかったが…』
犬一郎も困惑している。
『祠の近くに石碑がある。解読すると香泉岳の村から頼まれたという。蛭間野町といい、周りが日仏村に辟易していたのが伺える。とりあえず記す』
(香泉岳、知らない…遠い場所にあるのかしら)
『調べるに石碑によれば桃の神らしい。日本には確かに桃の化身である意富加牟豆美命がいるが…』
(あー、だからムヅミなのね)
てっきり人の名を真似た悪趣味な人外だと勘違いしていた。リスもそのような名を口にしていたか。
(たまにいるのよ。人の真似っ子が好きな輩が)
『こんな神、見た事がない。魔法使い連盟には…』
それ以下は読めない。文字が乱れすぎて解読できない。
犬一郎の精神状態は芳しくないようだ。最初より筆圧も別人のようになっている。
『…何とか身を隠せる場所にたどり着いた。彼はもうだめだ………から、あれでは助からない。私のせいだ。まだひよわな魔法使いには荷が重すぎたのだ。私は、罰せられて………』
手が震えてまともな文字が書けず、解読不能の場所が増えてきた。
『気を取り直し、あの神を考える。幸いな事に電話が繋がり、連盟とも連絡が取れた。警察にも連絡した。異界にたどり着くとは思えないが、私と里寿が死した事だけ伝わればいい。話を戻す。中国の門神である、神荼と鬱塁と虎が元になっているようだ。私は思い出した。月咎山の方へ大桃木の北東の枝の間に、万鬼の出入りする 「鬼門」があると考えられていたのだと。連盟によれば香泉岳から見た日仏村方面は黄泉比良坂、またはあの世に続く場所だと思われていたという。日仏村から溢れ出た死者を食わせられていたのだろうか。村人からは仙果の翁と呼ばれていた。栗橋家がかの神を封じ込め、村の境に家を構え、守っていた──』
言うなれば、ムヅミは辟邪の性質を持っている。ルシャが疎ましいと思うのは当然だ。
妖力の影響が阻まれ、まともに支配できなくなるからだ。
祠の位置を考える。多分、鬼門にある。西日の位置を見やり、移動を開始した。
手記によれば、香泉岳には最高神である"黄泉神"が祀られている。
香泉岳付近では中国大陸から伝わった、玄関に桃の木でできた桃梗(桃の木で刻した人形)、桃符、桃板などを飾るしきたりがあるのだと。
しかし越久夜町から離れた場所にそのような村はなかったように思える。村人らも旅人らも荒れ野でそのような名を一度も発していない。
ただ単に通ずる道がなかったのか?
沈みかけた太陽を目指し、宛もなくさまよっていると、ネクタイが不自然に巻かれた木があり、その後ろには小さな祠があった。
彼らは目印を残したらしい。
確かに祠はあった。だが、周辺にあったのは人間のような形をした塊とそれに絡みついた木のような物体だった。
「結界なんて張られてないんだけど?」
祠の扉の隙間から禍々しい気が流れている。「開けて大丈夫なの?これ?」
「ダメだよ。あと犬一郎さんを踏むのはやめろ」
背後からリスの声がした。彼は営業スマイルをやめ、人らしさを漂わせてこちらににじり寄ってくる。
「あら、これ貴方の先輩?」
「ルシャ様がお怒りになっている。しっかり罰を受けるといい」
「会話になってないんだけど」
「ムヅミに騙されなくて良かったな。アイツは列記とした人食い魔だよ」
(はー…どいつもこいつも、そんなヤツばっかりね)




