霧深い国道で
人間どもが使っている国道というやつだった。名称は知っていたが、山伏式神は足を踏み入れた事がない。
アスファルトの感覚を毛嫌い、彼女は周囲を確認した。
やけに霧が深いため、状況は伺えない。薄らとトンネルと呼ばれている穴が見えた。
「瞬間移動した覚えはないのだけれど…」
先程まで荒れ野──蛇崩にいたはずだが、ここは。
この場所は?
「私、人の言葉を読めないのよ…」
トンネルを示す扁額の文字に困惑する。慣れない足の裏の感触を味わいながら、歩きだした。
トンネルの中で誰かがいる。「誰?」
注意を払いながらも歩み寄るなり、自らの容姿と同じくらいの子供が佇んでいるのが見えた。魔物か子供か?
人ならば逃げるはずだ。
「貴方…」
近くまで来ると見覚えのある顔が鮮明にはる。山伏姿の魔は息を飲んだ。
アレは居なくなったのに。
「童子式神!生きていたのね!」
童子式神と呼ばれた生き物は返事もせず、銀色の毛並みをした何かの足をかじっている。
「何それ?おいしいの?ねえ、今までどこ行ってたワケ?町はどうなったの?」
矢継ぎ早に問いただしながら駆け寄ってソレをみる。獣の足だ。
「あっ!私にもよこしなさいよ!」
「──お前もそれを食うの?」
子供でも童子式神でもはない、地の底から響くような声にドキリとした。
「貴方、童子式神ではないわね?!」
「ならお前は誰?」
「えっ、私は。そうね、荒れ野の暴食魔神よ!」
「それは人が名付けたものだろう?お前は何?」
「えーと…あー」
困り果て、自らは石から生まれた名もない魔だと思い知らされる。
「いいじゃないっ!そんなの。魔に存在証明なんて必要ないわ」
「じゃあ、私もそんな者だ」
「何よ!卑屈なやつね。それよりその肉よこしなさいよ」
不気味な野生動物の片足を奪い取るとかじりついた。
「え?ゅ」
目の前が暗転し、たくさんのガラス張りの空間が突如として現れる。
(私、変なのつかまされた…の?)
ガラス張りの、たくさんの鏡に似た空間が連なり、静寂に包まれている。中身は空っぽなのか、鏡面は黒く塗りつぶされている。山伏式神は自分の位置を確認した。
──箱の中、自分は閉じ込められている?
なぜそう考えたのかは分からないが、箱であると認識した。
真っ暗な中に僅かな光を放つ透明な壁。壊してしまえば何か変わるのだろう。
破壊する気はない。この未知の世界で破壊は多大な影響を及ぼすのだろう。
自分はたまにこのような、運命を変えてしまう不可思議な光景を目にする。塞の神だの何だの崇められた時期があったからだ。
だからと言ってそれを特別視はしなかった。なぜならば魔はそんなものだからだ。
「童子式神!?いるのでしょ!返事しなさいよ!」
しんとした空気に叫ぶ。返事は無い。
「知っているのよ、越久夜町はもうないって!」
「貴方が関係してるの?そうなのよね?」
「ねえ!巫女式神はどこへ──」
「おめえは、山伏式神?久しぶりッス」
はるか遠い場所から声がした。どこにも彼の姿は見えない。
「どうしてソンナトコロにいるんですか?」
「私も分からないの」
「なるほど。なら、特別に返してあげましょう」
「えっ」
「その代わりに一つだけおめえに頼み事があります」
「ええ」
「おめえの魂を、あっしにくれ」
塗りつぶされた暗闇から彼は言った。まるで地底湖の底から足を掴まれたかのような恐怖が過ぎった。山伏式神は戸惑う。
魔なら普通の通り命をねだるだろう。
だが、今はそれが末恐ろしく感じた。
「待って…私の魂は一つしかないわ…」
「はい」
「それって死ねって言っているようなものじゃない」
何があろうとも死ぬのは怖かった。
「そうですよ」
「じ、自力で帰るから!」
慌てふためきながらも彼女はガラスを割ろうとした。それが禁忌だと理解していても。
「では、約束しましたよ。山伏式神、頑張って下さいね」
視界が歪み、濃霧が立ち込め出す。
「ど、ど、童子式神、どこへ行ったの?童子式神っーーー!」
先ほどまで"いた"はずの童子式神は消えてしまっていた。あるのは大型の犬の死体だけ。不気味な毛並みをした大型犬は腐敗が進み、もはや原型を留めていない。
さっきまでそうだったろうか?
「…幻だったのかしら」
やんわりとした灯りが照らすトンネル内までに霧が侵入している。この霧は普通では無い。
なら、幻くらい見ても不思議は無いのではないか?




